第13話 誰が為に

 何も出来ない。

 それが一番、許せない。



 メーラを目掛けて、くいのような形状の鋭い石礫が飛んで行くのが見えた。

 馬鹿な事だって頭ではわかってる。けど、それ身体これは別なんだ。

「おい!」

「マスター!」

 リューエストのぎょっとした声。

 セレーヤの悲鳴。

 二人が追いすがろうと、引き留めようと手を伸ばしたのは、見なくてもわかったけど、踏み出して飛び出した足も身体も止まらない。

 駆けた勢いそのまま飛びつくようにメーラの頭を抱えて、ぎゅっと反射的に目を瞑る。

 ゴメン。その言葉はメーラの絶叫に近い声に掻き消えた。

 でも、


「この馬鹿!」


 襲った衝撃は、石杭の貫く灼熱ではなく。

 何かがぶつかるような勢いで私たちを拐った感触だった。

 その何かと言えば、今、目の前にいる。

「俺の心臓本気で止める気か!」

「え。何でいんの。ウェル?」

 半分狼みたいな見かけのウェルが、あの初対面で人の部屋に不法侵入した時の姿でウェルが、ウェル、が……。

「お前なぁ……」

 苦虫にがむし大量に噛み潰したような顔で、物凄い溜め息をつきながら、それでも。

「無事で良かった」

 どんな姿でも、変わらない。あの優しい茜の瞳を和らげて、ごつっと。額を頭に軽くぶつけてきた。

 メーラを抱えた私ごと丸っと抱えたらしい。背中に回ったウェルの腕から、小刻みの振動が伝わってくる。少しずつ落ち着いてくるけど、それは心配をかけた証拠で。

「おぅ……。ちょっと痛かったんだけど、ウェル」

「うるさい。今回はお前が悪い。人の縮んだ寿命の対価だと思え」

「ん? わりとお安いね?」

 いや、思わず反射的にそう返していた辺り、自分でも少し呆れたんだけどね。

「……次は無いからな」

 案の定、ウェルからも「こいつ……」って感じの視線と雰囲気が伝わってくる。

主人マスター……」

 腕の中から、メーラの声がした。

「あ、メーラ。怪我とか」

「主人の馬鹿ーっ!」

 ガバッと顔を上げたメーラの顔は、泣いてぐしゃぐしゃだった。

「何で! 俺なんて庇わなくて良いのに! 俺はまた修理すれば良いけど、主人は、人間は、あんな攻撃受けたらっ」

「あー。ゴメン。ごめんね、メーラ」

「主人の馬鹿あぁぁぁ!」

 ひっく、ひっく、としゃくり上げる様子と、ウェルからの無言の責めがマジ痛い。しかも二回言われた。

「うぁ……ゴメン。ほんとゴメン。許して」

 泣く子には勝てないと、よく言ったもの。マジ無理。こっちに非があるし。

 とは言え、こちらにだって言い分はある。

「メーラがその考え止めてくれるなら、もうしないから」

 犠牲になって良い誰かなんて、いない。傷ついて良い誰かも、いない。

 少なくとも、私はそう思う。

「幻想化身だからとか、人間だからとか。直せば自分は大丈夫だからとか、そういう考えしないで、何が何でも無事でいる努力をして。そしたら、私もそうするから」

 葡萄酒色の涙に濡れた瞳が驚いたみたいに見張られる。それからキュっと唇を引き結んで、メーラは首を縦に振った。

「約束だよ……主人」

「うん。約束」

「って、和んでる場合じゃないだろ! ウェル危ない!」

 リューエストの鬼気迫る声が響く。

 メーラが今度は私を抱え、ウェルと同時にその場を強く踏んで跳躍ちょうやくする。

「もう~。いい雰囲気だったのに邪魔しないでよ駄犬」

「オレかっ?」

 私を抱えたメーラはクスクスと笑う。リューエストをからかう余裕があるなら、多分大丈夫。

「しかし、どうでも良いんだけど何でメーラもウェルもお姫様抱っこをチョイスするかね。もしかして流行ってる?」

 笑っていたメーラがピタッと止まる。

「…………主人、その話、詳しく」

「話さんで良い。来るぞ!」

 ウェルの声に、飛び退いて飛来した石礫を避けた。

「わぁお。穴空いたね」

 迷宮の壁を深く穿うがつ石礫に、あれに当たってたら終わりだったかもと思うと、やっぱり命って大事だよねと。

 うん。ウェルが何か言いたそうな目を向けてくるけど気づかなかった事にしよう。

御主人様マスター

 気を失っているメルシーを抱えたパロマの元へ、メーラがストっと着地する。メーラが嫌ってわけじゃないのだけど、早々に降ろしてもらい、お姫様抱っこから脱出した。

「パロマ。ありがとう」

 その鳩血色の瞳が、泣きそうに歪んでいるのを見ると罪悪感が物凄い。

「ご無事で良かった……」

 儚いくらい弱々しい笑みに、これはこれで胸が痛む。

「ご、ごめんね」

「はい」

 ちょっとだけ目を丸くしてから、パロマが今度はニッコリ笑ってくれた。

「メルは無事?」

「お身体は怪我などなさそうです。ただ、迷宮と紙魚に憑かれた者の側にいらっしゃったので、空気にあてられているかと。なるべく早く、外にお連れする必要があるかと思います」

「うん。そうだね。……ウェル」

「却下」

「まだ何も言ってないんだけどね?」

 聴かずに却下とか酷い。

「聴かなくてもわかる。お前が帰らないなら俺は残る。それより……リューエスト」

「はいぃっ!」

 セレーヤと共にこちらに合流しようと向かっていたリューエストが、自分の名を呼ぶウェルの眼光と声が思いのほか鋭かったからか、ビシッと背筋を伸ばし、若干引きつった顔で返事をした。

「外に連れてけ」

「え」

「早く。お前の全速力で行けば、何かに会っても大体はふりきれるだろ」

「全速力って……」

 そこまで口にして、何か今度はリューエストが凄く血の気が引いた顔でこっちを見てくる。そう、まるで化け物でも見るような目で。何でだ。

「おまっ、ウェ、ル、なん」

「ゴメン。通訳ぷりーず」

 リューエストが何言いたいのか全然わからない。ウェルはそんなリューエストとこちらを見てから、言う。

「こいつは知ってる。それでもこの通りだから、さっさと、やれ」

 む。乙女を指差してその言い方は無いんじゃないかな!

「お? ……わぁお」

 ウェルの早くしろという言葉に、リューエストは腹をくくったような顔もとい自棄やけになったような様子で、身を屈め獣のような唸り声を上げる。

 そして、いきなり毛が伸びてまるで黒い毛玉のようになったかと思うと、一瞬のうちに人の頭など一噛みで砕けそうな黒狼こくろうに変わっていた。

 ウェルと違って完全な獣状態で、どこか情けなさそうな色がある金色の瞳だけが、リューエスト感を漂わせている。

 何と言うか狼なのにまるで小動物。

「ちょっと! 行くなら早く行ってよ! 抑えてるの大変なんだからね! ワンコ!」

 とり憑かれた幻想化身の攻撃を全てダガーでさばきながら、メーラが声を上げる。

「よろしくお願いします」

 パロマがすまなそうな笑顔でそう言って、メーラの援護をしに行った。

「ついていかなくて、平気?」

 心配を含んだ声でセレーヤが声を掛けると、リューエストが無言で首を軽く縦に動かす。

「上に着いたらキャロルさんが待ってる。そいつ引き渡せ」

 ウェルの言葉に黒狼になったリューエストが頷く。その大きな口を開けて、そっとメルシーの胴を咥え、駆け出した。

 あっという間にその姿は迷宮の通路、その先へ。

「あ。スピネルさん達が帰ってくる前に元に戻っておけよ」

 駆け出す直前にウェルが思い出したようにそう声を掛けていたのは、果たして聴こえただろうか。

「師匠達、そう言えば一緒じゃないんだ? つか、ウェル。今更だけど、どうやって迷宮ここ入ったの?」

「スピネルさん達は各所に連絡報告相談」

「おやー? 何か遠回しのように見えて結構直接的に非難されてる気がする」

「俺は、事態の報告してすぐ引き返した。それで」

「ちょっとー、ワンコ。無駄話してるなら、もう少し離れてくれるー?」

 高い音はダガーが礫を弾く音。メーラが取りこぼせば、パロマが全て拾う。

(訓練の時も見たけど、凄いコンビネーション)

 その二人が防戦一方……防御に専念するしかない相手。改めて思うけど、足手まといはさっさと邪魔にならない所に行った方が良い。

「通路入口まで下がる」

「了解」

 ウェルと一緒に通路まで下がる。途中飛んで来る礫はどう対処しようかと思っていたけど、セレーヤがついてきてくれた。

 礫が飛んで来る度、セレーヤの両手がかざされ、顔くらいの大きさの氷の鱗のようなものが浮かび上がる。礫が当たると、それはキラキラ砕けて消えるのだが、礫も落ちている所を見ると強度はなかなかのものらしい。

 通路口まで退避したのを見計らい、セレーヤがやや緊張した面持ちでこちらに振り返る。

「マスター、無事?」

「うん。ありがとう、セレーヤ」

「良かった」

 言葉と状態に相違無い事を確かめたようで、セレーヤはホッとしたように表情を緩め、けれどすぐにウェルに目を向けた。

「マスターのこと、頼める……?」

「ああ」

 ウェルの返事に、セレーヤは小さく微笑むと踵を返し、メーラ達の元へ駆けて行く。

「ここならあれの攻撃も届かなそうだな」

「メーラ達が退けてくれてるおかげで、ね」

 気をつけるのは流れ弾でこの通路口を崩される事かな。

「一応聴くが、このまま上に戻る気は?」

「ゴメン。無い」

「ハッ!」

 裂帛れっぱくの声と共にパロマが腕を振るうと、風刃ふうじんが礫を両断して弾き落とす。その合間に、メーラが距離を詰め、素早く何度もダガーで斬りつける。

 そこにセレーヤが加わり、先程は身を護ってくれていた氷鱗ひょうりんが一転して鋭く敵に飛んで切り裂いていく。

 ぶっちゃけ出来ることはない。

 近付いても足手まといの邪魔になるだけだし、変に指示出す方がメーラ達の動きを鈍らせる。

 いっそウェルの言うとおりに上に戻る方がメーラ達にとっても良いのだろうとは、思う。

「で、何がしたい」

「え? 何かするのウェルの」

「ふざけるだけなら問答無用で連れ戻す」

「あ。ゴメン。ふざけてました。だから首根っこ掴まえようとするの止めようか」

 ちょっとした場を和ませる冗談だったのだが、ウェルがマジで首根っこ掴んで上に連行しそうな雰囲気だった為、とりあえず壁に背を張り付けて謝ってみた。自主壁ドン。

「…………」

 ウェルに物凄い呆れた顔された。

「もう一度聴くぞ。何がしたい」

 物凄い呆れた顔したくせに、何でか。

「リューエストの気持ちわかるかも……」

「は?」

 何で。

「ねぇ、ウェル。言ったら叶えてくれるの?」

「叶えられるものなら。―――― 叶える手伝いしてやるよ」

 仕方なさそうに息をついてから、何でそんなに茜の瞳で優しく笑うんだろう?

「よし。じゃあキリキリ働いてもらおっかな!」

「お前なぁ……。いや、もう良い……。で、何したいんだ?」

「ウェル、あそこにある階段見える?」

「おい、まさか……」

 察しが良いようで大変よろしい。

「ぴんぽーん。次の目的地はあそこです」

「次の、って……」

 おぉ。ウェルの目が流石にじっとり半眼になった。

「えーとね。最終的な目的は……」

「…………」

 無言。無言で先を促された!

 回答次第では怒られるパターンだこれ。

(でも、まぁ)

 怒られても呆れられても、変わらない。

「見つけること。師匠の、妹さんを」

「スピネルさんの妹……」

「うん」

 おや。ウェルのくせに鋭いね。

「いつって何が?」

 にっこり笑ってとぼけてみたけど、人狼は鼻が利くらしい。

「いつからそれを狙ってた?」

「狙うなんて人聞きの悪い。人命救助が目的なのにまるで悪者みたいな言い方」

「…………」

 あれ? なんか良くあるミステリーの謎解き後に犯人がとる行動ぽくなった。おかしい。

「断っておくけど、今回の件は偶然だからね」

「それは知ってる」

 念のために無駄かも知れないと釘を指したら、あっさり肯定して信じられた。

 何と言うか、からかいたくなる即答具合。

「へぇ?」

 なのでわざとらしくニヤッと笑ってみたけれど。

「計画的だったら、あの薬屋を巻き込まないだろ」

 不意打ちだった。

「…………」

 仕方なさそうな、呆れたような、そんな顔。文字通り人間の顔じゃないのに、何でかな? それはいつものウェルの顔に見えた。物凄く呆れた顔をするのに、優しい。そんな顔。

「見くびるなよ。それくらいなら、俺だってわかる」

 拗ねたように尻尾を揺らして、腕を組んでウェルはそう言うけど、いや、普通わからないと思う。

 少なくとも、師匠は疑う。ユート兄さんなら、まあ同じようにわかるかも。ただ、兄さんは兄さんだからで。

 普通は、師匠の反応だと思う。リューエストだって同じ反応する自信がある。

「どうした?」

 黙ったこちらに、ウェルが不思議そうに聞いてきた。

「……三年」

「は?」

「三年前から、だよ」

 迷宮に入ろうと。師匠の妹さんを探して見つけようと思ったのは。

 端末はメーラ達に追従していて、こちらを映していないし声もここなら届かないだろう事を確認する。

「ウェル、秘密だよ?」

 内緒話をしよう。何も出来ないのに、それを望んだおろか者の話を。

「三年前、師匠の妹さんと師匠は喧嘩をした。原因は毎年兄妹で過ごしていた月祭ルナリアに、妹さんはこの迷宮の調査って仕事が入って、師匠は代わりに別の……友人とお祭りに行こうとしたこと。それが元で妹心のわからない師匠と師匠が大好きな妹さんで大喧嘩」

 売り言葉に買い言葉。喧嘩そのままに、師匠は妹さんに言ってしまったらしい。

「もう二度と顔もみたくない。妹さんも同じような事を言ったんだって」

 それを悔やんでいると、あんな事を言ったから、本当になったんだと。三年。ずっと師匠は思い続けている。

「それをね、無かったことにしたいんだ」

 本当はそれ自体を無かったことにしたい。時計の針を巻き戻して、無かったことにできるなら。そう願って、でもそれは土台無理な話。

 無理な事を願っているだけの時間は無駄だ。

「無かったことには出来なくても、見つけて取り戻すことは不可能じゃない」

 不可能じゃないなら、私に出来る全てで。

「どんな手を使っても、取り戻す。そう決めたから、この機会は逃したくないんだよ」

 師匠が迷宮に行けないのは知っていた。だって行けるならそれこそ毎日、見つかるまで帰ってこないはずだ。

 それをしない、できないのは、理由があるという事。

(それが結界なんてのは流石にわからなかったけど)

 ついでに言えば、行方不明の原因と迷宮に入る司書は幻想化身の主だけというのもなるまでわからなかった。

「あの結界、出るのは出来ても、今度は入れないし」

 次は偶然ではなく故意になる。

「次は俺がやってやるから、今回はもう帰らないかって言ったら?」

「うん。却下」

「即答か」

「当たり前だよ、ウェル。ちなみにリューエストでもね」

 確かに使えるものは何でも使う。手段は選ばない。

 けど。

「友達を故意に巻き込みたいわけないでしょ」

 友人の大切にしてる人も同じく。

 何を手段とするか。それは間違えちゃいけない。

「メーラ達は、私の願いを知っている。それを叶える為に、手助けする為に応えてくれた。だから力を借りるけど、もしそうじゃなかったら、メーラ達だって巻き込みたくないんだよ」

 だってこれは、

「私の、ただのわがままだから」

 誰の為でもない。自分の為に、したいこと。

「スピネルさんの為じゃなく?」

「違うよ」

「スピネルさんの妹を助けるのが願いなのに?」

「うん」

 これはボクの為。

「ウェル、秘密だよ」

 わたしの、願い。

「心の底から笑った顔を、見たいんだ」

 あの日、失われたもの。

 何をやっても、笑っているけど、笑ってない。

 本当の彼の笑顔を、知っている。

「師匠はね、笑うと意外と可愛いんだよ」

 ウェルは口をつぐんで、やがて腹の底から吐き出すような深い溜め息をついた。

「おや。呆れた?」

「……いや、そうじゃない」

「?」

「わかった。けどな……」

「おわっ」

 何だろうと思っていたら、ウェルがいきなり片手で頭をグシャグシャして来た! 撫でるなんて優しさがない!

「ちょっ、ウェル! 乙女の髪の毛を乱暴にかき混ぜないでくれないかなっ」

 抗議すると手は退けるけど、整えるとかそういうアフターケアが皆無だ!

「俺はヤバいと思ったら担いででも、地上に連れ戻すからな」

「いや、一人で逃げてくれれば良いんだけど」

「却下だ。そもそもメーラ達みたいな助長しか周りにいないのがおかしいんだ」

「えー」

「俺は抑止力として、手伝う。だから、行けるとこまで付き合うからな」

 白闇の中、人狼の姿でウェルが笑う。

「言ったろ。叶える手伝いしてやるって」

 その顔はやっぱり、人間いつものウェルだった。



 さて、通路から次なる目的地を見る。

「やっぱり、あの人をどうにかしないと無理そうだね」

「無理だろうな」

「ちなみに、少し引き返してあっち側の通路まで迂回できると思う?」

「もっと無理だ」

「だよねぇ」

 どうしたものか。

「どのみちアレは放置できないし」

 メーラ達が激しい攻防を続けている、とり憑かれた幻想化身。

 地上にはキャロルも師匠もいるし、紙魚に反応する結界があるから外に出ることはないだろうけど。

「……よし」

「待て。何が良しだ?」

「どうして警戒してるのかな? ウェル」

「するに決まってるだろ。何を考えたか言え」

「私、雇い主なのにー」

「実質はスピネルさんと国からの給与だろ。話を逸らそうとするな。その手には乗らない」

 ち。ウェルもなかなか学習する。

「今考えたことも言ってみろ。何かろくでもない悪態つかなかったか?」

「別に悪態なんかついてないよ。舌打ちしただけ」

「悪態だろうそれ」

 じろりとウェルに睨まれた。

「まかり間違うとあいつらの邪魔になるぞ。だから言え」

「うん。ちょっとおとりになるからメーラ達その隙にお願い、って言おうかなって」

「や・め・ろ」

 やっぱりろくでもないじゃないか。そう言いながらウェルが頭を抱えるけど、失礼な。

「死にたいのか」

「いや、全然」

「じゃあ何でそうなる」

 何でと言われても。

「ウェル」

「何だ?」

「正直に言うとね」

「ん?」

「さっきからアレとちょいちょい目が合ってるんだよね……」

「は?」

 いや、そういう反応になるのはわかる。

 ウェルが何言ってんだ? って顔するのもわかる。しかし事実だ。

(そもそも眼帯してるから目が合ったかどうかなんて、普通だったらわからないよね)

 もっと言えば今は紙魚にとり憑かれ、形状すら黒い霞がまとわりついて割りと人の形してない。ある意味グロいわけで。

 何でそれと目が合うと思うのか。自分でもわからないけど。

(でも目ぇ合ってるんだよね……)

 そんな事を思っていると、メーラが苛立った声を上げた。

「こいつ……! セレーヤ! 主人のとこ行って!」

 セレーヤはメーラの言葉に頷くと、小走りにこちらへやって来る。

「マスター、逃げて」

 ウェルがセレーヤの言葉に警戒を強めて、戦うメーラ達の方へ目を向けた。

「どう言うことだ?」

「あれ、マスターを狙ってる」

 セレーヤが心底嫌そうな、メーラに蹴りを入れる時の比じゃない冷たさの視線を、とり憑かれた方へ向ける。

「しつこいっ! パロマ!」

「はい!」

 何か、目を離してた隙にさらに変貌を遂げていた。

「ヴ、あ、ヴあぁぁぁぁ! まあぁぁ、ぅ、たぁ、ぁあ!」

 ボコボコととり憑かれた幻想化身にまとわりついた漆黒が蠢き、無数の手のようなものが出現する。無数の手はメーラ達を捕らえようと動き、そして。

(やっぱり、こっち見てる)

 ズリ、ズリ……と。肥大化してしまった体を引き摺るようにして、こちらへ来ようとしている。

「マスター、ウェルと、戻って」

「行くぞ。流石にヤバい」

 セレーヤとウェルがそう言うのも当たり前だ。私も出来れば近寄りたくない。

「うん。ゴメン。むしろ突っ込む」

「お前バカか!」

「ひどーい」

「マスター……」

 ウェルの目が三角になるし、セレーヤが不安そうに両手を祈りの形に組む。

「逃げても良いけど、多分追ってくるし。逃げ切れても次は? 私は入れなくなってる。なら、今やる。だって、最高の囮が用意出来るのは今回だけだし」

「あのなぁ……」

「ウェル」

 悪いとは思ってる。けど。

「一緒に囮になって。つか、私つれて逃げ回って」

「…………」

「言ったよね。付き合ってくれるって。それも出来る限りの事をしてくれるって」

 うん。何で悪魔でも見るような恐れおののいた顔するのかな?

「大丈夫! 本当にヤバそうなら放り出して良いから」

「あ、の、なぁ……。できるかそんな事! 何させようって考えてるんだ」

「だから、連れて逃げて。とりあえず、捕まらないようにこの広間を駆け回って。私を背負うでも小脇に抱えるでも良いからさ」

 私の足じゃ絶対逃げ切れない。けど、ウェルに持ち運ばれれば多分いける。

 無秩序より標的を定めて動くものの方が、メーラ達も次の行動や進路の見当がつけやすい筈だ。私を逃がして狙いを不明瞭にするより、いっそ大いに狙ってもらおう。

 説明する間も、ウェルはもの凄く気のすすまない顔をして、セレーヤも出来るなら止めたいって顔をしていた。

「マスター、賛成したく、ない」

「うーん。だろうね。ゴメン」

「……でも、マスターの、望みを叶えたい」

 憂いに長い睫毛を伏せてから、ちらりとセレーヤがウェルを見る。

「ウェル、マスターが危ないと、思ったら」

「わかってる。正直、今時点で有無を言わさず連れ帰りたいけど、引き受ける」

 ウェルは本日何度目かのじとりとした視線をこちらに向けた。

「それで、もう少し詳しい話があるんだろ?」

 その言葉に、思わず笑みを浮かべたのは、自分でもハッキリわかった。



「おっわ、ウェル来た!」

 壁か地面か。もしくはどっちも。背後で砕け散る音がして、メーラ達が攻撃するのがウェルの肩越しに見える。

 ちなみに今の私の状態は、ウェルの首に前から抱きついて、片腕でウェルが抱き上げている感じだ。お姫様抱っこよりはマシ。

 私を抱えてウェルは壁際を駆ける。

「それにしても、ウェル悪いね。狼になれないなら負担が大きすぎたのに」

「今それか。余裕だな!」

 当初はウェルにリューエストみたいな大きな狼になってもらって、その背に乗せてもらおうと思ったのだが、ウェルには無理らしい。

『アレはリューだから……金狼で先祖の血が濃く出ているから出来る事だ。俺には出来ない。この状態から元に戻るのもわりと大変だ』

 どう大変なのかと聞くと、少し考えてからウェルはさらっと『全身骨折と生皮剥がされるような痛みがある』なんて怖いことを言った。あっさりしてたけど多分本当だ。目が据わってた。

 壁と床の砕けた際の粉塵が晴れる。

 もう何か正真正銘の化け物といった姿になっている憑かれた幻想化身は、恐らく四つん這いだと思われる姿勢で頭らしきものをこちらに向けてきた。マジキモい怖い。

「ウェル、ファイトー。捕まったら終わり確定」

「喋るな! 舌噛むぞ!」

 黒い霞の手がこちらに伸びれば、セレーヤが氷鱗で弾き、パロマが風を集めそれを踏み台にして文字どおり、メーラが空を駆け攻撃する。

「アレは何でお前を狙うんだ? 何した」

「喋るなって言ったくせにー。多分だけど紙魚は元々、本が好きな人間を拐いたがるみたいだし、それが理由の大部分じゃないかな」

 そして、細かいところで言うと。

「あと、あの幻想化身は師匠の妹さんのなんだけど、私が自分達の主がいるべき場所に居るのが、許せないのもあるんじゃないかな」

「それは……」

「仕方ないって頭で思うのと、心は別だよ」

 何で。どうして。

 行き場のない感情が体の中で嵐のように吹き荒れる。それは、当然だと思う。

「私だってそうだし」

 自分の大切な人が本来居る場所に、我が物顔でいる馬の骨。しかも自分の大切な人が居た時から比べ、明らかに質の低下した、自分達の大事にしていた場所。まぁ、良くて激おこMAXだろう。

 とはいえ、こちらもその思いのままにフルボッコを食らうわけにはいかない。

「メーラ、そろそろ良い?」

「OKだよ! 主人!」

 メーラのその応えに、ウェルの首に回した腕に力を込めて抱きつく。

「ウェル!」

 合図と共にウェルがとり憑かれた幻想化身の真上を飛び越し、正反対の方向にある壁際に降り立つ。

 とり憑かれた幻想化身がそれを追うのとほぼ同時。

「よいしょ!」

 メーラが腕を大きく引く。

 その手には、五色の組み紐。攻撃の度に張り巡らされていたそれらが、一気に動き、標的の動きに絡みつき縛り上げる。

 そこへセレーヤが作り出した人の顔ほどもある割れないシャボン玉のようなものがくっつき、完全に動きを封じた。

「パロマ!」

 風の足場を駆け上がり、メーラが叫ぶ。メーラの声に頷き、パロマがこちらにやって来る。

 そして、パロマが到着すると同時にメーラは笑顔で赤い果実を、真下のとり憑かれた幻想化身に投下する。

「黄泉路の果実を召し上がれ」

 パロマが視界を遮るように立ち、私達の周囲に風が渦巻いた。



「ふう……。よし! 主人ー! 倒したよー!」

 閃光と爆風、弾け飛んだ床の粉塵が徐々に晴れ、そこには一冊の本を手にしたメーラが立っていた。

「上手くいったようですね」

 メーラの手にした本を見て、パロマは風を解く。

 こちらもウェルの首に回していた腕を解き、ウェルから降りる。

「ウェル、ありがと!」

「ああ」

 流石に人抱えて飛び回るのは骨なのか、ウェルの顔に疲れが滲んでいた。それとも私が重かったか。

「あれ、もう大丈夫なのか?」

「多分」

「大丈夫だよ。マスター」

「セレーヤ」

 メーラの手にした本に警戒するような視線を向けたウェルの呟きに、セレーヤが答える。

「もう……具現化する力、無いから」

「私達はギリギリまで生気が減ると、本に戻りますからね」

「でも、死ぬわけじゃ、ないから」

 本体である書物さえ形を留めていれば、修理と生気を与える事で再び具現化する事も出来る。そういう存在なのだと、セレーヤとパロマは言った。

「今回は紙魚の侵食が深く、具現化出来なくなるまで弱らせるしかなかったので仕方ありません」

「うん。そうだね……」

 パロマの言葉に、頷く。紙魚の侵食は本に戻った時点で全て消えるらしく、後で修繕すれば問題ない。

 とはいえ。

(元から嫌われてるから、正気に戻っても襲われるかもしんないけどね)

「よし。じゃあ行こっか」

 皆で頷き合い、階段へと一歩踏み出したその時。

「ん? っ!」

「主人!」

 卵がひび割れるかのような微かな音。それは瞬く間に大きくなり、そして床が揺れ、あっと思ったときにはもう身体が宙に浮いていた。

(あー……)

 何かを考える暇もない。崩壊する床と共に私達は底へ底へと、落ちていく。

「おい」

「主人……」

 一瞬か、それともそれなりに時間が経ったのか。意識を失っていた時間はわからない。けれど、ウェルとメーラの声に意識が呼び起こされ、重い瞼をゆっくり開く。

「全員死んだとかいう……?」

「大丈夫だな」

「死んでないよ主人!」

 心配そうに覗き込んでいた人間の方のウェルの顔が、物凄く呆れた表情に変わる。

 ゆっくり身体を起こし辺りを見回す。パロマとセレーヤも、すぐ側で心配そうにこちらを見ていたが、起き上がったのを見てホッと安堵したのか胸を撫で下ろした。

「これ良く死ななかったね」

 ふと上を見る。ぶち抜けたのは一階分だけなのだが、どうやらその下、つまり今いる所まで吹き抜けのようになっていたらしい。二・三階分の高さはありそうだ。高さとしては大したことがないが、下手すると瓦礫で死ぬ可能性が高かったと思う。

「ふ。これも日頃の」

「心配の必要ないな。上に戻る階段探すぞ」

「ちょっとワンコ! 主人の言葉遮らないでよ!」

 メーラとウェルのやり取りに生きてる実感を覚えつつも、再び周囲を見回す。

 吹き抜けの広間には六つの通路があり、どれもが同じに見える。

(あ……)

 そのうちの一つ。通路の先に、ひらりと白く翻るものを見た。

「おい! どこ行く気だ」

「幽霊追いかけてくる」

「待て」

 待てと言われて待っていたら見失う。白いものが見えた通路へ踏み込み、誘われるように奥へ。

 幾つもの角を曲がり、その奥で青白く輝きが壁に映るのを見つけた。

 少しだけ慎重に、そこへ向かう。

 そして、光の出ている角を覗く。

「あ……」

「これ、何だよ……あれ、人か……?」

 巨大な部屋一面の氷の中に、女の子がいた。

 白金の髪に白い肌。白いワンピースを身に纏い、瞳を閉じている女の子。師匠の、妹さん。

「普通の氷じゃなさそうだね」

「おい、不用意に触るなよ!」

 ペタと触れると氷の表面が虹色に一瞬光る。光は数字や文字になり、まるで生き物のようにざわめいた後、氷の表面で意味のある文章になった。

 ――――パスワードで氷壁ひょうへきの解除を行います

 ――――パスワードをどうぞ

「パスワード……」

 ゆらゆらと光る虹色の文字。それが『早く』と言うように揺らめいた。

(ずっと、待ってた)

 そう。この氷の中で。ずっと、願っていた事は――――。

「"見つけた"よ」

 言葉を口にした瞬間、目の前で、光が溢れた。

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