第8話 汝は幽霊なりや?
それはある意味、暗闇よりも人の不安を煽る。
当然ながら、そんな微かな光で本を読むとか物を書くとか、視力低下の要因以外の何者でもない。
とは言え、長く閉鎖されていたこの図書館には物資もまだまだ。今日の所は蝋燭よりはましなランタンで我慢する事にした。
(さて、資料は、と)
貸し出しカウンターの上に広げたノートと資料をざっと一瞥してみたものの、望むものはなさそうだ。
仕方ない。探そうかと席を立ちかけた所で、スッと目当ての本が差し出される。
「こちらで宜しかったでしょうか?」
「わお。ドンピシャ。ありがとう、パロマ」
控え目に微笑むパロマから本を受け取って上げかけた腰を下ろす。
「よくわかったねー」
「
「大正解」
はにかみつつ嬉しそうなパロマという目の保養を確保し、本を開く。
「ウェル寝た?」
「はい。御主人様の言に従い仮眠を取られているようです」
「ん。なら良し」
宿直として夜起きてるのに、ウェルは昼間も手伝ってくれているわけだが、はっきり言って働きすぎだ。
「どんなブラックかって話になるからね」
ブラックダメゼッタイ。
「ブラック?」
「あ、気にしない……」
いや、普通なら言わないけど。
心底キョトンとしたパロマに、思い直す。
「あー……と、ね。主に人間とかだけど、一日に働く限界時間て法律で定められててね?」
目を瞬きつつも、パロマは耳を傾ける。
「一応、最大でも十二時間なんだよ。法律では。で、それを超えて働かせる勤め先は真っ黒って事になるんだ。法律では」
大事なことなので二回言う。
カウンターに頬杖をついて、言った事を考えているらしいパロマを見た。
キラキラの金髪と鳩の血色をした深い赤の瞳。わりと派手な色彩の筈なのに、パロマには色々な意味で派手さとは反対のものしか感じない。
「パロマ。他に聴きたいことある?」
それは、この楚々とした雰囲気や執事のような物腰にあるのかも知れないのだが、どこかセレーヤとは違った意味で儚さを感じる。
「ありがとうございます。大丈夫です」
「ん。何か聞きたかったら、遠慮しなくて良いからねー」
「は、はい」
嬉しそうに頷いていたパロマは不意にピタリと動きを止めた。
何か葛藤するように視線をさ迷わせ、軽く両手を祈るように組み合わせる。
「あの、御主人様」
「ん? どうしたの?」
「一つ、御言葉に甘えてお訊きしたいのですが」
「うん?」
「その……私達の事を、どう思っておいでですか?」
きゅっと握り合わせた手に力を込めて、パロマがそう尋ねてくる。その様子はまるで告白する乙女のよう。
「え。もしかして愛の告白前振り?」
「え、や、そ、そそ、そんな!」
ちょっとからかい混じりで言ってみただけだったのだけど、何か思ってるの以上の反応。
うん。予想外。びっくり。だけど……。
「パロマって、そんな顔もするんだね」
白磁の肌は上気して、頬も耳も淡く染まり、恥じらうように少し俯いた顔は本気で乙女のようだ。
「御主人様……私を、からかっておりますか?」
「いや、ごめんごめん。つい」
「もう……二度は通じませんからね」
少しだけ拗ねたようにそう言って、パロマはまたいつものように微笑んだ。
「はーい。と、それで質問の意図は?」
「あの……私達、御主人様の、ご迷惑になっていないかと」
「ないない。どっからその発想出たの。ちょっとそこ座りなさい。あ、床じゃなくイスね」
本気でどっから出たのかと思うものの、変な誤解は早々に解かなくてはならない。
言われた通りイスに腰掛けたパロマを見据え、口を開く。
「パロマ達が迷惑とか無い。どこに迷惑要素が? だって揃いも揃って目の保養だし、ぶっちゃけ逆ハーレムだよ? しかも! 見た目だけじゃなく気配り半端無いし、仕事できるし、これ以上何を望めと?」
「あ、あの、ご、ごめんなさい。もう、大丈夫ですから。わかりましたから!」
思いの丈を存分に解放した結果、パロマのゆでダコ風味が出来上がった。
その様子を堪能しつつ、本題を口にする。
「で、何でそんな考え浮かんだの?」
「……私達は、御主人様の願いを知っています」
神妙な顔つきで言うパロマ。でもこれ言葉をちょっと変えると「お前の秘密を知っている」系のサスペンスが始まりそう。
などとついうっかり思ってしまう訳だが。目の前にいる
「お創り頂いた時に、私達は御主人様の願いを感じ、御主人様の願いは私達の願いになるのですから」
「……」
「存在意義、とも言えるかも知れませんね」
仄かに、風に揺れる蝋燭の灯火のように。パロマは笑む。
結論。イケメンでも非イケメンでも、怖いもんは怖い。
「……パロマ」
「はい」
「ごめん。怖い」
ピシッ! と笑顔のまま固まるパロマに、気の毒になるもののだって何かヤンデレの素質感じるし私の願いが自分の願いとか存在意義ってごめんほんとコワイ。
いや、わかるんだよ? これがフラグクラッシャーだって。普通パロマくらいの美人に、よくよく考えると怖くても言われたら純粋可憐な乙女はぼーっとのぼせるのも理解は出来るんだけどね? でも怖いもんは怖いって。
ただし……。
「パロマ達には、パロマ達だけの。自分の為の願いをもって欲しいな」
私の願いから生まれたと言うのなら、これが雛鳥の刷り込みのようなものだというのもわかるんだよね。本能じゃ仕方ない。
「自分の為の……?」
「そう。誰かの願いじゃなく、自分の願い。それが『誰かの願いが自分の願い』って言ってるのと違う意味なのは、パロマならもうわかるよね?」
でも、私の願いをパロマの願いにしたら、もし私がいなくなったり叶った後はどうなるのか。
「まぁ、願いや欲は尽きないと思うけど。それでもやっぱり、自分の願いは自分で見つけて欲しいんだよ」
他の誰かに自分の存在を依存させるんじゃなく、自分自身の為に生きて欲しい。
「御主人様……」
「ほんと、パロマ達くらいの美人ヤンデレに囲まれるのも怖いけど捨てがたいんだけどね!」
「ふふ……。あ」
思わずと言ったように笑ったパロマと顔を見合わせ、こちらの口許にも自然と笑みが浮かぶ。
ランプの灯りに照らされ、二人でくすくす笑ってるのも端から見たらやっぱホラーだろうなと思いつつ、まあ堪える必要もなしだし、良いかなって。
「そうですね……。私にできるかはわかませんけど、灰かぶりのように何もしないでいてはいけませんし」
「あー……それさ、皆なんでそんな風に言うのかね?」
「え?」
「だって、何もしてなくないじゃん。灰かぶり」
その言葉に、パロマは困ったような意味がわからず途方に暮れるような顔をした。何かウェルとはまた違った意味で犬っぽい。
「そう言えば、まだ読んでなかったよね。パロマの」
「あ、はい……」
人間に読まれる事。特に創り手に読まれる事は
存在しているだけでも少しずつ消耗するパロマ達にとっての糧。平たく言ってご飯。
「さっきはメーラだったし。パロマのも読もっか」
「嬉しいですけど、御主人様お疲れでは……」
「平気、平気。それより、しっかり読むからね」
人間と違って毎日じゃなくて良いだけ凄い低燃費だと思う。だから、読むときはその分しっかり読んであげないとね。
「しかしアレだね。どうせならウェルがいる時に読めば良かったよねえ」
「……御主人様、ちょっとウェルさんで遊びすぎでは……」
「んー。遊んでるってより、ウェルだから仕方ないような……」
そんな話題のウェルはと言うと、さっき読んで聴かせた白雪姫(原作バージョン)にわりとドン引きしてたわけだが。
「でも、まあ、何だかんだ楽しんでくれてるんじゃないかな」
「そうかも、知れませんね……」
そう。何だかんだ言いつつ、メーラもウェルを気にかけているみたいだし。相性良いんじゃないかなあの二人。
「それに、聴き手がいればさらに効果的なんでしょ?」
「ええ」
読み手もだけど、聴き手が引き込まれればそれもパロマ達にとって集中集まる糧。もうちょい準備できたら、ここでもお話会開きたいな。
とはいえ、今は、と思ったけど……。
「ね、パロマ」
「はい」
「見える?」
「え……っ!」
こちらの視線の先を辿ったパロマが、びっくりして身を引く。
これアレか。
ランプの光が辛うじて届くギリギリの暗がりに、白い子供がいる。
「どうやって……」
パロマが一瞬視線を玄関広間の扉方向へ走らせた。恐らく、戸締まりはしっかりした筈なのに、と思ったのだろう。
「また聴きに来たのかな?」
「御主人様?」
暗がりから一歩、子供が歩み出る。
この間と同じ、髪も肌も着ているものも真っ白で、大きな瞳だけが闇色の紫紺。そんな子供が。
「…………」
「今日のお話は、灰かぶりだよ」
ふらりと。また一歩。無言で近付いてくる。
灯りに照らし出された顔色は、やっぱり人形のよう。
「パロマ、イスをこの子にもお願い」
「畏まりました」
この子は、お客さんだ。
たとえ幽霊だろうが、お話を聴きに来た来館者だ。
なら、怖がる必要絶無。
「座ってね」
パロマの用意したイスに、おとなしく子供が座る。
「じゃ、始めよっか。昔々……」
灰かぶりと呼ばれた少女のお話。
男やもめがとある子連れの女性と再婚した。それから少し、男親の娘は継母と継子に苛められるようになる。
来る日も来る日も家事をして、寝床は灰の上。少女はいつしか灰かぶりと呼ばれるようになった。
ある時、お城で舞踏会が催され国中の若い娘とその家族が招待されるが……。
「灰かぶりと王子の結婚式に参列した継母と継子はそれぞれ鳩に目をつつかれくり貫かれてしまいましたとさ」
そして、灰かぶりはハッピーエンド。
本を閉じてパロマとたった一人の来館者を見る。
本の読み聞かせをする間、子供は大人しくイスに座ったままだった。
「さて、ご満足頂けました?」
面白かったのかどうか。その顔からは判断出来そうにないんだが。
「…………」
訂正。言葉もなけりゃ、顔どころか声音からの判断もできない。
ん? でも、何か……。
何か期待されている。そう思ったのは、その子供が本を読み終えたというのにじーっとこちらを見ているから。
「んー。ごめん。言ってくれなきゃ、わかんないわ」
半分試しでそう言う。と。
「どうして」
初めて目の前の子供が口を開く。小さいけれど、意外としっかり芯のある声。透き通るような、綺麗な声だった。
「灰かぶりは何もしないと言われるの」
灰かぶりはいつか王子様が自分を迎えに来ると信じて何もしない。ただ待っているだけ。
世間で広く言われるそれだけど……。
「最後しか見ていないからじゃないかな?」
想像した事はあるだろうか?
殺されない為に、役立つのだと証明する日々の辛さを。
「灰かぶりは、役に立たなきゃ殺されてたと思うよ」
使用人の代わりに毎日休みなく働く灰かぶり。使用人は役に立たなきゃクビになるけど、クビに出来ない『邪魔者』は存在自体を許されない。
「だから頑張って頑張って、寝床が台所の灰の上だろうが笑い者にされようが、命を繋ぐために耐えていた」
耐えるだけだと、言うのは簡単。
「耐える事が容易いなら、何で拷問なんてものがあるんだろうね」
戦で捕らえた敵兵士。情報を吐かせる為に、とても耐えられないという仕打ちをする。吐くのが先か。死が先か。
「ただのほほんと、蝶よ花よと育てられ、何故か会ったこともない王子様が迎えに来るなら、確かに何もしていないと言えるけど、彼女はそうじゃない」
足掻いてもがいて、みっともないくらい泥にまみれて。
「他人から見れば只の幸運な少女でも、その純白の花嫁姿になるまでに、死の呼び声に耐えてきた。そんな仕打ちの中でさえ、人間らしさと諦めない強さを持った、
そんな彼女を、何もしない幸運少女なんて思わない。
「どんな時でも生きる事を諦めない強かさと、泣く事はしても絶望に溺れない強さを、私は尊敬するけどね」
「御主人様……」
驚いた顔で、パロマはこちらを見ている。
ほら、本当の意味で、何も聞かなくてもわかるなんて事はない。
私の願いから生まれたのだと言うパロマ達にだって、自分自身に私が抱いた想いを知らないように。
「……そういう風に、私個人は思ってるよ」
それをじっと聴いていた子供が、何を思ったのかイスから降りて近付いてくる。
カウンターを挟んで向かい合うと、子供は静かに口を開いた。
「変わってる」
「まあ、そうみたいだね」
「…………」
じっと、心の底まで覗き込むように、子供はこちらの瞳を見詰めてくる。
「ねえ、お願い、聞いてくれる?」
何か明らかに人じゃないっぽいし、でも敵意も悪意も感じない。どうすっかな? と思いつつ、聞くだけ聞いてから決めても遅くない。
「何かな?」
「頑張る、から……」
あ。これ、聞かない方が良かったかも。
「私を、見つけて」
だって、そう言う子供の顔に書いてある。
助けて、って。
そんなもの見て、笑顔で拒否れるほどまだ堕ちてない。
「……どこに行けば見つけられる?」
まぁ、ここで
けれど、案の定。子供は襲い掛かって来ない。
代わりに、その顔には今にも泣きそうな瞳と、拒否されなかった事への喜びが浮かんでいる。
「待ってる……」
子供は、地下。迷宮の入り口へと続く階段のある、カウンター横の扉を指差し、そちらに視線を向けて戻した時にはもう居なかった。
蝋燭の火が揺らぎ、燃える時に微かな音を立てる。
「パロマ」
「はい」
「あの子、
「いえ。違うと思います。……気配が私達とも、御主人様とも違いましたし、姿は見えましたがそこに居るようにも思えない、不思議な感じでした」
「念のため聞くけど、紙魚じゃないよね?」
「違う……かと」
ふむ。歯切れが悪い。
「申し訳ありません」
首を傾げる仕草を見たパロマが少ししょんぼりした。いかん。気を付けねば。
「いや、大丈夫。ただ、断言できない理由は?」
「あの方は、本当にそこに『居る』と思えなかったから、でしょうか。少なくとも紙魚の気配と同一ではないのですが、そもそも紙魚も迷宮と似通った気配なので、判別し難いのです」
「なるほど」
つまり、紙魚と同じように図書館と迷宮に溶け込むような判別し難い感じだけど、紙魚のような取り込んで連れ去ってやる感はないので微妙、と。
「御主人様、どうなさいますか?」
「んー、ちょっと確認してから、とりあえず師匠には報告と連絡、相談かな。ほう、れん、そう、って大事」
「畏まりました」
「――って事があったんですが」
「おい」
「てへっ」
朝、午前中の様子見に来た師匠に報告連絡相談した所、師匠の額に青筋が浮かんだ。
「まず、泊まるなと言った筈だ」
「え。夜道を乙女に独りで帰れと?」
「真面目に聞け」
駄目だ。わりとマジ切れかも。
「すみません。ところで師匠、妹さんの髪とか瞳って師匠と同じです?」
「真面目にと言った」
「真面目ですって。その幽霊っ子、もしかしたら妹さんかもー? とか思ってるんですが」
そう言うと、師匠の顔から表情が抜け落ちる。
「……死んでると言いたいのか?」
あ。言い方間違った。
「じゃなく、幽体離脱とか。死んでるとは微塵も思ってません。それならあの幻想化身が自分の創り手を探しに行ったのが間違いになりますけど、多分それも無いです」
ちらりとメーラ達に目を向けると、揃って首を縦に振ってくれた。
「俺達が
「幽体離脱なら、生きてても幽霊みたいなものだと思うんですよ。だから、とりあえず特徴とか照らし合わせてみたいな、って」
「妹は、父似だったから私とは少し違う。髪は白金で、瞳の色は蒼だが、もっと濃い」
「そうですか」
一致すると言えなくもないかな?
「妹なのか……?」
「わかりません。けど、可能性は無くもないかなって。それに、そうであってもなくても、見つけて欲しがってるのは、同じですし」
誰であろうと、あそこにおいてはおけないのも、同じだし。
「メーラ、パロマ、セレーヤ」
見つけてと。助けてと。届いた声は無視できない。
「お願い。見つける為に、力を貸して」
「もっちろん!最初から主人の願いは全部叶えるつもりだし!」
尻尾を振った犬のようにメーラが抱きついてくる。
「御主人様の心のままに」
「任せて……」
パロマとセレーヤも、微笑み頷いてくれた。
「ありがとう」
絶対に、見つける。
それが私の、願いだから――。
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