第6話 白い闇

「じゃあ、主人マスター、行ってくるよ!」

「セレ、御主人様マスターの補佐をお願いします」

 朝陽の射し込む図書館で、メーラとパロマはそう言ってこちらにそれぞれ安心させるような笑顔を向けた。

「端末は持たせたな?」

 何故かいつもの数倍疲労が滲む師匠の言葉に、メーラが端末を取り出して見せる。

「俺が持ってるよー」

「良し」

 メーラが地下へと続く階段へ踏み出す。

「いってらっしゃい」

「うん!」

「はい」

 二人の姿が階段の先に消え、少し。

「あ。起動した」

 飴色の貸し出しカウンター上に置かれた端末から、弧を描くようにして光景が映し出される。

「ちゃんと映ってるな」

「これが迷宮の中……」

 ぼんやりとメーラの持つ吊灯カンテラに照らされた地面や壁は、白い石で出来ているように見えた。

『主人見えてるー? 声届いてる?』

「見えてるし、聞こえてるよ。メーラ」

 まるでそこにいるかの様な鮮明さでそれは映し出されている。

「わぁ、凄いねぇ。これが噂の魔法道具?」

「どこから湧いた。ユート」

 ひょっこりとさも当然のように顔を出したユート兄さんに、そろそろ何事にも動じなくなってきたある意味哀れな師匠が、それでも若干呆れ気味に言う。

「お前、仕事は」

「俺の仕事はメリーのそばにいる事だから」

「仕事しろ!」

 師匠はもう体質的にツッコミしてるんじゃないかと思いつつ、映し出された画面のすみに目が止まる。

「この緑の透き通ったゲージみたいなの、何ですかね?」

「ああ。それは幻想化身の反応波バイタル……体力みたいなものを読み取っているんだ。科学部門の最新技術を使用しているらしい」

「科学部門?」

 師匠の言葉にユート兄さんの顔にうっすら冷笑が浮かぶ。

「へえ。あの石頭の冷血動物、本当にこういうのは得意だよね」

(あー……。そう言えばユート兄さん、カルヴァ兄さんと仲悪かったっけ。エリザ姉さんともそうだし……ん? あれ? ユート兄さんと仲良いのって……)

「ユート?」

 師匠がユート兄さんの様子に若干恐る恐る声を掛ける。

「ん? なぁに、リヒター」

「科学部門に何かされたのか?」

「科学部門てより、そこの一部が物凄く嫌いなだけだよ」

 うん。ユート兄さんと仲良いの、家族で私とアウラ姉さんだけだった。

 冷笑からうって変わった清々しい程の笑顔で言うユート兄さんを見て、改めて認識を再確認しつつ、画面へ視線を戻す。

「体力……」

「端末に登録されて、かつ起動範囲にいる幻想化身の体力合算値だそうだ」

「うん。人間すら数字の塊と思ってそうな彼らの言いそうな表現だよね」

「ユート、少し抑えろ」

「はーい」

 テヘペロといった感のユート兄さんは素直に黙ると、こちらに微笑んでから同じく映像に眼を向けた。

「最終的には登録外の紙魚なんかの反応波も読み取れるように、現在試行錯誤中らしい」

「えっと、そもそも何で」

「紙魚は幻想化身や司書を拐おうとして襲ってくるだろ。その時に進退を見極める材料とでも思えば良い」

『ねぇ主人。そのゲージこっちからは見えないよー』

 不思議そうにメーラが画面の中で小首を傾げる。

「あ。そうなの?」

「こちらから指示を出す為のものだからな」

「へぇ……。あれ? メーラが映ってる……けど、パロマも?」

 二人がそれぞれ映ってる。しかも二人とも手ぶら。

『地下に降りてすぐ、端末がひとりでに浮き上がりました。移動するとついてきますし、凄いですね』

 いや、もう魔法だよね。

「端末の核と外装の一部に特殊な加工を施した迷宮の一部を使用しているからだな。加工により、幻想化身の反応波と場所……この場合は迷宮だが、条件が揃う事で斥力せきりょくを発生させるんだ」

 と、そこで師匠は若干様子を窺うような顔でこちらを見てくる。

 師匠、そんな顔しなくても斥力くらい知ってますよ?

「引き離す力ですよね。磁石みたいに同じ磁力みたいなのを帯びてる同士は互いに離れようとする」

 引き離すってよりは、互いに離れようとするなら反発するに近いかな。

「まあ、そうだな」

「あの、師匠。意外そうな顔しないでくれますか」

 一応公の機関に勤める試験突破してるんですが!

「……とにかく、その斥力で迷宮内では浮遊するんだ。追尾は登録された反応波と引き合うような仕組みだと聞いた」

「誤魔化せてませんよ。良いですけどね」

 そ知らぬ顔をする師匠の横顔をややじと目になって見てみたが、まあ仕方ない。

「メーラ、パロマ。とりあえず、あの人見つけても無理しないで戻ってね」

『了解だよ。主人』

『はい』

 画面の中でメーラとパロマは笑顔で頷く。

『それにしても……何か陰気だよねー』

 今の所、映像に映し出されているのはどこまでも続く白い石の壁と床。それが吊灯カンテラの光りに照らされ、陰影を作り出している様子は、確かに少し不気味かもしれない。

 そんな周囲を見て、メーラとパロマが互いに頷き合う。

『確実に何かいるんだけど……』

『姿は見えませんね。もう少し進んでみましょうか』

『そだねー』

 メーラ達は吊灯の灯りを揺らしながら、奥へ奥へと進んで行く。

(ああ。ヤダな、私)

 見つけて欲しいと、メーラ達を送り出したのに。

 遭遇しないで欲しいと、願ってる。

「マスター?」

「ん? どうかした? セレーヤ」

 気遣わしげに懸けられた声に隣を見ると、いつの間にかセレーヤがそこにいた。

「マスターが……不安そうに、思えて」

「……ありがと」

 ベールをぐしゃぐしゃにしないように、軽くセレーヤの頭を撫でる。

「マスター。メーもパロも、強いよ」

「うん。そうだね。だからこそ……」

「うお! 何だこれ!」

 驚く声の主は掃除をお願いしていたウェルで、その瞳は目の前の光景が信じられないと言うように大きく見開かれていた。

「ウェル。掃除お疲れー」

「ああ。ってこれ何だよ」

「えーとね、科学という名の新しい魔法」

「おい。間違った知識を植え付けるな」

 いやー、ここまで来るとあながち間違ってない気がするんですけどね。

「中央文部省の科学部門最新作」

「意味がわからないだろうが!」

「とりあえず、メーラ達の様子が見られて交信出来る凄いアイテム」

「投げやりになるな」

「あー……何となくわかった」

 理解されたようで。

「凄いな。これが迷宮の中か」

 うむ。それ私も言った。

「ちなみに、そこの緑色のはメーラ達の体力みたいなものらしいよ」

「……体力が目に見えるのか?」

 片眉を上げ、さっきよりも若干疑わしげな感じでウェルが言う。

「らしいよ」

「へぇ……」

 ウェルのゲージを見る目は言葉より雄弁に気持ちを表していた。

「ウェル、あんま好きじゃなさそうだね」

「う……。だって何か気持ち悪くないか? こんなので自分の体力やら何やらわかるって」

「ふむ。まぁ、わからなくも無いけど」

『主人、何か居たよ』

 メーラの声に迷宮へと視線を戻す。はっきりと何がいるとわかるものではないが、通路の先に灯りのようなものが見える。

 そこに、影のような黒い霞が揺らいでいるようだ。

「そうだね……。ちょっと様子見て」

『畏まりました』

 パロマに伝えた指示に、隣で聞いていたウェルが怪訝そうな顔になる。

「なあ、大丈夫か?」

「え。何が?」

 意味がわからず聞き返すと、ウェルは眉根を寄せ答える。

「……らしくないと思っただけだ」

「ちなみに、ウェルが私らしいと思う対応は何かな?」

「とりあえず追って捕まえる」

 うん。どう思ってるのかはっきりわかった。

「ウェル……当分掃除当番よろしく」

「おい!」

 人を猪突猛進みたいに思ってるウェルには当然の対応だよね。と思いつつ、迷宮の映像へ目を向ける。

 白い壁や床は仄かに光っているのに、明るいとは感じない。

 全く正反対の感想だけが浮かんだ。

(どこまでも続く、闇)

 終わりの無い夢のように思えて、ぞくりと首の後ろに悪寒が走った。

 多分、独りで足を踏み入れたら気が狂う。

 昼も夜もわからず、ひたすらの静寂。雑音が無いからこその、不安感。

『パロマ、隠れて』

 メーラの声に意識を引き戻すと、先程の影が近付いているのか大きくなっていた。

 通路の両端にある柱の影にメーラとパロマがそれぞれ身を隠す。

 しかし……この端末だけ通路の中央に浮いていたらさぞかし目立つんじゃないか、という思いは、幸い杞憂に終わった。

(おー。動いた)

 メーラの少し後ろに自動で端末が移動する。

「一体どうしたんだ?」

『ワンコ、黙って』

 常では無い緊張を孕んだメーラの声に思わず画面のこちら側でも息を潜めてしまう。

 ゆっくりゆっくりと、何かの影で暗くなった画面の奥で白いものが動く。

 静寂しかなかったそこに、重いものを引き摺るような音が響いた。

(いやいやいや。何のホラー。マジ勘弁なんだけど……ってのも言ってられないかな)

 流石にここでボケられる勇気はない。

(でも、ヤバい。それだけは確か)

 何かを探して、さ迷う足取り。あの白いものは手だ。

 それが、通路の先で揺れながら少しずつ姿を見せ始めている。

 誰一人として、口を開かない。

 何か音を発すれば、あれがすぐさま聞きつけると、思っているかのように。

『ぁ……ァ…………』

 その声に瞬間、ぞわりと肌が粟立つ。

 意識する前に、口が勝手に動いた。

「撤退」

『了解だよ。主人』

 メーラがパロマに目配せして、一斉に身を翻す。

 どうして、だとか、何で、なんて考える余裕も無かった。

(あれが、紙魚に取り憑かれた物語の姿……)

 ただ撤退の間際、一瞬だけ画面に映った悪夢の姿が、頭の中にこびりついて離れない。




「いやー。無理っスね!」

「おい」

 だってアレ無理。そんな心を惜し気もなく笑顔で伝えてみたのだが、師匠からは唸るような声が返ってきた。

「あのなぁ……」

「だってアレどう見てもヤバいですよ師匠。完全にいっちゃってますもん」

「んー。アレは確かにメリーの判断で正解かも」

「ユート、シスコンもいい加減にしろよ」

「兄の欲目は兎も角。意識があるならまだ何とかなりそうだけど、アレは何て言うか……生ける屍?」

 ニッコリ笑顔で首を傾げつつ、その視線が苦い顔のウェルに向かう。

「ウェル君はどう思う?」

「……初見で逃げられるなら逃げる」

 ゲージがどうのとか言った時も大概気味悪そうだったが、その比じゃないくらい嫌そうな顔で、ウェルが首を振った。

「アレは生き物じゃない」

 相当嫌だったのか、自分の首筋を何度もウェルはさする。

 よく見ると鳥肌が立ってた。

 ウェルの言葉と様子に頷きつつ、ユート兄さんは少し考えるように言葉を紡ぐ。

「野生の獣の方が手強い時もあるからね。とは言え、このままじゃどうしようもないし、メリー」

「はいな。ユート兄さん」

「とりあえず、さんどば……間違えた。ウェル君も居ることだし、訓練しよっか」

「今、俺の事を……」

「特訓てユート兄さん、流石にウェル倒すのはメーラ達楽勝過ぎて、特訓にならないよ」

「おい。誰が楽勝だ」

 何か聞こえた気もしたけど、費用対効果って重要。

「その特訓、どこでする気だ。まさか館内でやるんじゃないだろうな?」

 黙って聴いていた師匠が眉間にシワを寄せつつ、ユート兄さんに言う。

「やだなー。メリーが一生懸命掃除した、大事な場所でそんな事しないよ」

 ニッコリという音がしそうな完璧な笑顔で、ユート兄さんは図書館の入口を指差した。

「遊ぶなら外でやらないと」

 入口の扉が開き、女版ユート兄さんのような雰囲気でキャロルが姿を現す。

「準備、整いました」

 やっぱ完璧な美少女笑顔だった。

「キャロル? ユート、何に巻き込んだ!」

「あははは! やだなリヒターの心配性。大丈夫だよ。危ないことは何も頼んでないから。ね?」

 ユート兄さんの襟元を掴む師匠と、その幻想化身であるキャロルは実に対照的な表情だ。片や般若で片や美少女。

「ふふ。そうですよ。マイ、マスター。心配なさるような事はありません」

 クスクスと笑いながら、キャロルがこちらを向く。

「対処を学んでもらうのは、私達の為。協力は惜しまないわ」

 足に枷があるとは思えない優雅な足取りで近寄ってくると、セレーヤを見て微笑んだ。

「私達には、マスターが全て。マスターの望みを叶える事が、何よりも大事なんだもの」

 その言葉に、無言でセレーヤも首を縦に振る。

「んー……それは、ありがたいんだけど、ね」

 少し、ゾクリと背筋に震えが走った。

(だってさ……本当に、何よりも優先させそうだから)

 多分、この勘は外れて無い。

 だから、怖い。

「あ。帰ってきたんじゃないか」

 ウェルがそう言って間もなく、迷宮に続く階段の扉が開き、メーラ達が姿を現した。

「主人、ただいま!」

「戻りました」

 降りていった時と変わらない姿に、思わずほっと息を吐く。

「ん。おかえり。メーラ、パロマ」

「お帰りなさい。じゃあさっそくお勉強しましょうか」

 メーラがキャロルの言葉にきょとんと首を横に倒す。

「お勉強?」

「ええ。そろそろ幻想化身同士のやり方を、あなた達のマスターと一緒に覚えてもらうわ」

「主人と……」

「ウェルさんも手伝ってくれるようよ」

「え。ワンコが何に使えるの?」

 メーラ、超真顔になってるよ。

「待て。おい」

 ウェル……。既に反射の域にツッコミが。

「こら。お前何か憐れんでないかっ?」

「いやぁ……。うん。まぁ」

 仕方なかろう。

「さ。行きましょう」

 図書館から外へ繋がる扉を開く。止まった時間が動き出すように光が溢れ、目と鼻の先に佇む湖畔の少し冷たくなった空気が、風と一緒に頬を撫でる。

 どこか秘密の訓練場でも魔法のように作ったのかと思ったけれど、玄関ポーチに出て少しの所で、キャロルはくるりと振り返った。

「ここから湖までの目視出来る範囲よ」

 ザックリした説明そのまま。特にそれ以上言うことも無いようで、キャロルは此方を見て、ただ立っている。

「……」

 メーラ達はその様子を見てから、微かに視線を交わす。

「うん。じゃあ、主人……の手を、パロマ」

「え。はい?」

「しっかりエスコートしてね。セレーヤも」

 その言葉にパロマとセレーヤが頷き、メーラはポーチの外へと踏み出す。

「えいっ」

 見た目の妖艶さに不釣り合いな子供のような掛け声で、草と地面の軽く擦れる音をさせ、図書館の外へ降り立つ。

 メーラが踏み出したその瞬間、自分なのかパロマ達か、息を呑んだのだが、完全に杞憂だった。少し歩いてから、メーラが振り返る。

「主人!」

 無邪気な笑顔でぶんぶん手を振るその顔に、今度こそ肩の力を全員で抜く。

「……行こっか」

「そうですね」

「はい」

 パロマとセレーヤを伴って、ニコニコと笑うメーラの元へ進んだ。




「お疲れ、ウェル」

「死ぬ……」

 木々と湖が茜色に染まる頃、図書館の数人掛けソファに力なく突っ伏しているのは屍……一歩手前でギリギリ留まっているウェルだった。

「やっぱりあいつら、化け物だ……」

 そんな声に、同じ訓練をしても普段通りのメーラが床を箒で掃きながら、言葉を返してくる。

「うるさいワンコ。そっちこそ、やっぱり役に立たなかったクセに」

 クスクスと笑い、キャロルが塵取りで素早くゴミを回収していく。

「あら、そんな事ないわ。十分よ」

 カン、と高い音をさせて塵取りで集めたゴミをブリキの屑入れに放り込み、キャロルは踊るような足取りと声でメーラを嗜める。

「ウェルさんが手伝ってくれたから、私も余計な力を使わないで済んだし」

「えー。キャロルとやった方が絶対効率良いのにー。弱すぎて全然訓練にならないよ」

 容赦なくウェルを酷評するメーラに、キャロルが苦笑していると、師匠を手伝って夕食の仕度をしていたセレーヤが食堂の方からやって来た。手には水差しとコップが二つ。

「キャロねえ

「何かしら? セレーヤ」

 こちらとウェルに水の入ったコップを渡しつつ、セレーヤはちらりと玄関を見る。

「どこ、まで、平気?」

「そうねえ……図書館から森の入り口くらいかしら」

「そう……」

 キャロルの言葉に、セレーヤは嬉しいとも困ったとも取れる曖昧な表情を浮かべた。

 そしてこちらをじっと見つめてくる。

「どしたの?」

「あの、ね、マスター。今日、お見送り……したくて」

「あ。なる」

 今までは玄関ポーチまでしか出られなかったわけだが、キャロル達が訓練の為に野外でも活動できる場を整えてくれた。

 平たく言って、動ける範囲が増えたから範囲ギリギリまで見送りも広がった、と。

「ありがと。セレーヤ」

 いや、良い子だわ。そう思って思わず笑みが浮かぶ。

「お見送り、していい?」

「うん。ダメな理由ないし」

 ふわっとセレーヤの顔が花咲くように笑顔になる。

「ありがとう。マスター」

「良かったわね。でも、先に食堂でパロマが呼んでるみたいよ。お見送りする事を伝えてらっしゃいな」

「うん……」

 キャロルの言葉に頷き、セレーヤはパタパタと食堂の方へ駆けていく。

 セレーヤの姿が消えると、メーラが残念そうに呟いた。

「あーあ、良いなぁ、セレーヤ。主人のお見送り」

「ふふ、でも譲るのね」

「まぁ、俺はお兄ちゃんだし。それに、これが最後じゃないんだし……でもやっぱりちょっと羨ましいから、キャロ姉それ以上言わないで!」

「うふふ。はいはい」

「そろそろ帰るだろ、送る」

 横たわる屍から動く屍にジョブチェンジしたウェルが、ソファからのっそり起き上がる。

「いや、今日はセレーヤがいるし」

「あいつは森の入り口までだろ。ユートも帰っちまってるし、送る」

「別に道から逸れなきゃここらの森深くないよ」

「お・く・る」

 ウェル、目が据わってるよ。凄い疲れてそうで心苦しいのだが、退かないぽい。

「あー……。はい」

 逆らわない方が良い。自分の本能からの警告に従って、ウェルの屍から生者への生還を見届け、戻ってきたセレーヤも連れて図書館を出る。

「おー……。焼き芋食べたくなるね」

「何でだ」

 辺り一面が黄昏で金色に染まっていて、所々赤茶が覗く様はまさに蜜たっぷりの焼き芋だと思うんだけど。

 空気にも夏にはない静かな冷気が混ざり、腐葉土の甘い匂いがある。

「マスター」

 不意にセレーヤが袖を軽く引く。

「ん?」

 水面に色が映るように、暖かな海色の瞳が微かに光って見えた。

「焼き芋……って、なに?」

「ああ、えっとね、芋っていうのを焚き火とかで焼くんだけど」

「焚き火……」

「今度やろっか」

 コクッと頷き、セレーヤは幸せそうな笑みを浮かべる。

「じゃあ、マスター。おやすみなさい」

「お見送りありがと。またね。セレーヤ」

 森に入る一歩手前。図書館の玄関ポーチから視認できるそこで、セレーヤはぴたりと歩みを止める。

「また、明日。マスター」

 森の小路を進み、振り返ると、セレーヤはそこで変わらず小さな手を振っていた。

 手を振り返しつつ、それでもやがて進めば姿は見えなくなる。

「なあ」

「うん?」

 隣を歩くウェルの呼び掛けにそちらを見る。

「あいつら、地下に行かせたくないならそう言ったらどうだ」

 呼び掛けたわりに、こちらを見ないウェルが言った一言。

 一瞬。本当に一瞬だけ、足を止めそうになった。

「あはは。どったの、ウェル」

「真面目な話だぞ」

「……」

 今度は、足が止まった。

 あれか。ウェルの頭も屍化して思考が……。

「真・面・目・な、話だって言ったよな?」

「ちょ、ウェルも師匠も最近何か以心伝心過ぎて怖い」

 思わず両腕を抱きしめると、ウェルは口を開きかけたが、結局は何も言わずに溜め息をついた。

「…………」

「うっわー。凄い何か可哀想な子みる目」

「………………」

「おう……。段々ウェルの目が険しく」

「そんなに嫌なら、行かせなきゃ良い」

 おっとぉ? 強引に話、戻したね。

 こちらを見るウェルの目。そこには、茜色に混じって確かに心配の色があった。

 思わず、苦い笑みが自分の口許に浮かぶのを感じる。

「違うよ。地下に行かせたくない訳じゃない。むしろ行って師匠の妹さん、見つけて欲しい」

 これは、本心。

 だけどウェルから見てそう映ったなら、多分原因は……。

「嫌ってより、怖い、かな」

 ふと見た木々。焼き芋みたいな甘い秋色に、空から降りる薄紫。紫芋のタルトも良いなと、少しだけ現実逃避気味の考えが浮かぶ。

 路から外れなければそんなに深くないとは言え、やはり森である事には違いない。少し早足で再び歩き始めると、そこに関しては同じ意見だからか、ウェルも何も言わずに歩調を合わせた。

 変な所で会話が途切れたのは自覚している。そこに関しては本当に意図したわけではないのだけど、若干気まずい。

(多分、このまま何も言わなくても、ウェルは聞いて来ないよね)

 気まずいから、というより、ウェルなりの優しさだろう。

 何だかんだで、意外と気配り屋さんだよなぁと思う。

(何でかな……)

 大概周囲が優しすぎる気がしてならない。

 それが少し、むずむずする。

 あと変な話、それに甘えるのは何か違うかなとも思うから。

「メーラ達を危険な目に合わせたくないな、って思うんだよね」

「……」

「師匠の妹さんのさ、幻想化身に襲われた時」

 何も出来なかった。

「あの時、あの前までは、メーラ達に頼らないで自分で何とか出来ないかなって考えてたんだよね」

 馬鹿な話。今考えれば、思い上がりもはなはだしい。

「まぁ、現実はすぐ思い知れたけど」

 ウェルは、隣を歩いている。

 けれど、ちゃんとこちらの話を聞いてくれている。

 注意を払わずウェルがただ歩いたら、とっくに森の出口を越えて先に行って、振り返っていたはずだから。

「思い知ったらさ、今度は……」

 風が少し冷たい手で頬を撫でていく。

 言いたくない心を見透かすみたいに。

「自分のせいでメーラ達が危険にさらされるんじゃないかって、思ったら、怖くなっちゃってね」

「お前のせいってわけじゃないだろ」

「今日の特訓」

「…………」

「ウェル、すっごいやりにくかったでしょ」

 黙り込むウェルを見る。苦虫でも噛み潰したような、そんな顔をしていた。

「私の指示が適切ならそんな事ない筈なんだよね」

 やりにくいって事は、正解がウェルにはわかっていて、私の指示はそれと違うって事。

「素人にそれをいきなり求める方がおかしいだろ」

 うん。やっぱり優しいね。でも。

「出来なきゃ、メーラ達は壊される」

「っ」

「ウェルは本当に危なそうって思ったら、自分でどうしたら良いか判断して、対応できるだろうけど」

「……あいつらだって」

「出来るようになるとは思うよ。経験を積めばね。だけど、今その時間は無い。経験を積む段階の前で壊される」

「何で今ってなる。それならなおのこと、もう少しの間、地下に行かせなきゃ良いだろ」

「…………」

 ウェルの言っていることは正しい。普通だったら、そうするだろう。

(私も、そうしたい)

「ねぇ、ウェル」

「何だ?」

「そのあと少しは、本当に待ってくれるかな」

「は?」

 白い、闇。

 あの地下に広がる迷宮は、薄く白く光っていた。暗闇と言うには明るいけれど、あの場合で独り。そんなの想像するだけで寒気がする。

 実際は、きっと寒気なんて生やさしいものじゃないだろうけど。

「あそこに、師匠の妹さん、生きて……もう年単位で待ってる」

「…………なあ、それ本当に生きてると思うか?」

「本当、なんて。きっと誰にも、その時になるまでわからないよ」

 足下の枯れ葉が踏み出す度に音をさせる。まるで笑うように。

「でも信じてる。師匠もキャロルも。そして……あの幻想化身も」

「お前は?」

「勿論。信じてるから、ここにいる」

 信じて、その希望にすがり続けるしか出来ないから。

「ウェルの言ってる事は正しいって、思うんだけど。流石にここまで待ち続けた人達前に、私が使い物になるまで待って欲しいは言えないかな」

 結果として、そうなるかも知れないとしても。

「……はぁ」

「なーに、ウェル。その溜め息」

「いや、とりあえず考えはわかった。けどな。別にそれ、お前が責任感じて背負う必要無いだろ」

「?」

「もう少し……他人を頼れよ」

「わ!」

 ウェルの手が、頭をやや雑に撫でてくる。

 いや、大したセットなんてしてないけど、一応女の子の髪なんだがね?

「俺がやる」

「うん?」

「あいつらが地下行っても大丈夫だって、お前が思えるように。俺が練習相手になって教えてやる」

 見上げたウェルの顔は、何か諦めたような、笑ってるような、不思議な表情を浮かべている。

「要は、危なきゃ逃げるのだけ覚えさせれば良いんだろ」

「まあ、そうかな」

「なら任せろ」

 それなら出来るからな。そう言って笑うウェルは、何だか少し、頼もしく見えた。メーラじゃないけど、ウェルのくせに。

 いや、助けてもらう側が言う事じゃないんだけど、少し癪だった。なので。

「ウェルってさ、結構男前だよね」

「なっ、に」

 うん。ほんと男前だと思うよ? 真っ赤にならなきゃね。

 口に出した言葉は本心だけど、その慌てっぷりにいつものウェルだなって思う。

「所でさ、あの図書館に幽霊出るって知ってる?」

「何でいきなりそうなる! しかもこれから、俺はそこに帰るんだぞっ」

「いやいや、予め聞いておけば遭遇しても心構えが」

「できるか!」

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