第5話 幕間ノ章 兄達の夕べ

 これ程までに、自分を情けなく思ったことはない。

「考えすぎだよ、リー君」

 安い早い美味いを売りにする大衆酒場の止まり木に、僕はユートと並んで腰掛けていた。

「誰がリー君だ。その呼び方やめろって何度も言ってるだろ!」

 そこかしこで波のように時折上がる笑い声、幾つも吊り下がるランプの灯り。労働者の汗や、出来立ての料理、酒の香り。

 お世辞にも良いとは言えないが、陽気で少々荒っぽいこの場では馴染みの匂いだ。

「えー? 良いじゃない。俺とリヒターの仲なんだし。メリーの前では呼んでないでしょ?」

「あいつの前で呼ばなきゃいいってもんじゃないだろ! いい加減その妹基準やめろ!」

 三年前、ミモザが失踪してから今日まで、僕は同じ思いを抱き続けている。

「無理無理。だってメリーは俺の可愛いお姫様だもん」

 口に含んだ酒をあやうく噴きそうになった。

「…………」

「どーしたの? リー君」

「お前、それ本気で言ってるのか?」

「勿論! だって本当に可愛いんだから仕方ないよ」

 ユート。この妹狂シスコンと友人関係が始まってそれなりになるが、最近これに関して一切の迷いもブレもない所に、ある種の恐怖すら感じている。

「それに、リー君だって人の事言えないんじゃない?」

「は?」

 ニヤニヤと微かに酒精で頬を染め、ユートが笑う。

「ミモザちゃん。諦めて無いでしょ?」

「お前のとは違う」

「えー。同じ兄仲間なのにつれないなぁ」

 クスクスと笑い、つまみと酒を口にする様子は、言葉と裏腹に楽しそうだ。

(昔はもっと真面目だったと思うが……)

 出会った頃は、もっと大人しくて、もっとまともだった。気がする。

 王都の大学、その図書室で、いつも同じ席に座りいつも違う本を読んでいた。それこそ、図書室の本を全制覇するつもりかという勢いで。

「どうしてコレになったんだ……」

「何を言ってるの。俺はずっとこうだよー?」

 クスクスと笑みを絶やさず、今では守護者ファンまでいる。正反対だったあの頃をすっかり無かったことにしているが、どこが変わってないって?

「リー君。リヒター。君が見ていた俺はそんなに違う?」

「まるで別人だ」

「おやおや。それはそれは」

 つまみに手をだし、楽しそうに酒を楽しむ姿は、あの頃と似ても似つかない。

「ねえ、それならリー君。俺じゃなかったのかもよ?」

「ぬかせ」

「ふふ。それで、何がそんなに君に重くのしかかっているの?」

「……」

「聴くだけなら出来るよ?」

 安酒のグラスを弄びながら、ユートはそう言う。

 別人のように変わったかと思えば、こんな所は変わらないからますますわからなくなる。

「……情けないんだ」

「んー?」

「お前のその妹に、迷惑を掛けるつもりじゃなかった」

 確かにどうにかして分館に自分以外の司書を、幻想化身イマジンアバターを創り出せる司書を据えるつもりだった。

 けれど、それは間違ってもまだ見習いに毛が生えた程度の新米司書を危険な目に合わせる事ではなく、ある程度対処に長けた経験者に協力を取り付けるつもりだったのに。

「そうそう上手く行かないのが人生だから。どんまい」

「真面目に話しているんだ」

「知ってる。リヒターはいつも真面目でしょ」

「……」

「でも、それしかなかったなら、仕方ないじゃない」

 ふにゃっと気の抜けた笑みで、ユートは此方を見る。

「それが最善で、それしかなかった。なら、仕方ないよ。だってそれしかないなら、他は無いでしょ」

「妹に害があったら許さないんじゃなかったか」

「勿論! でも、それとコレとは別の事。ねえ、リヒター。俺はメリーのお兄ちゃんだけど、君の友人でもあるんだよ?」

 ユートが塩を振っただけの木実ナッツを口に放り込み、音を立てて噛み砕く。

「もっと頼ってよ。それが結果的にメリーを守ることになるだろうし、友人としては頼ってくれた方が嬉しいのは言うまでもないんだよねー」

「……頼ってる」

「そ? じゃあ足りない。ってことでー、ほら飲む飲む」

「お、おい」

「大丈夫大丈夫。そんな強くないお酒だから」

 押し付けられたグラスに口をつけ、一思いに嚥下する。

「っ! ど、っ、こ」

 途端に喉を強烈な熱さが灼く。ゆらゆらと視界が揺れて、苦しい。

「あはは。ごめん。やっぱり少し怒ってる。でも、これで良しにしとくよ」




「メーラ?」

「パロマ……」

 迷宮へと続く階段のあるカウンター側の扉を見つめ、佇むメーラを見つけたパロマは声を掛けた。

「紙魚の気配がしますか?」

 葡萄酒色の瞳の先が見る扉へ、パロマも視線を送る。

「ううん。それは大丈夫。……ねぇ、パロマ」

「はい」

「俺って頼りない?」

 キョトンとした顔でパロマは首を横に振った。

「いいえ」

「ほんとに?」

「はい」

 見つめるメーラの視線に欠片も揺らがず、パロマはさも当然といった風に微笑んだ。

 疑う視線と、それを受け止める笑みが交わる。

 やがて、メーラはばつが悪そうに顔を逸らした。

「……ありがと」

「いいえ。本当の事ですから」

「なんだろ、パロマの方が大人っぽい気がする」

「それも否定はしません」

「うぐ」

 クスクスと笑ってから、パロマも静かに扉を見つめる。

「あの不安定な状態で、どんどん先に進めるとは思いません」

「うん。だろうね」

「追い付いた時は、覚悟しないと。恐らく……」

「とり憑かれて、正気じゃない」

「ええ」

 紙魚は物語とその語り手にとり憑き、連れ去る。

「とり憑かれてるなら、先に進むより、獲物だもん」

「不思議ですよね。語り手は奥へ連れ去られるのに、私達がとり憑かれたら、更なる獲物を求めるなんて」

「本当に欲しいのは、俺達じゃないって事かな。……主人は絶対あげないけど」

 きゅっと手のひらを握って、メーラはパロマをもう一度見た。

「主人はあげない」

「はい」

「パロマもセレーヤも、あげない」

「メーラもですよ」

「うん。それに、主人の望みを叶えるのが俺達の意義。主人が望むなら、どんな事だってやるし、やってみせる」

「ええ」

「あれは主人の願いに必要なもの。絶対生け捕るよ!」

 メーラの力強い宣言に、パロマもそっと微笑みを浮かべて頷く。

「はい」

「よし。そうと決めたら、明日は頑張る。ねぇ、パロマ」

「はい?」

「セレーヤ、大丈夫?」

 扉へ向けたのとは違う心配気な表情で、メーラはセレーヤがいる宿直棟へ繋がる廊下を見た。

「大丈夫です」

「ほんとに?」

御主人様マスターが手を引いて連れてきて下さいましたから」

「あ、いいなぁ。セレーヤ」

 途端に羨ましいと声を上げるメーラに、パロマは頷きつつもクスクスと笑う。

「むぅ。だって主人に触れてもらえるんだよ? 主人の手は、魔法の手だもん。最高だよ!」

「ふふ。そうですね」

「俺も主人に手繋いで貰いたいなぁ」

「確かに、羨ましいです」

 パロマの言葉に、メーラは目を瞬く。

「どうしました?」

「あ。ううん。パロマからそう言うの聞いたこと無かったから」

「言ったこと無いですからね」

「うーん……」

「メーラ?」

 考え込むように宙を見つめ、首を傾げるメーラに、パロマは不思議そうに声を掛ける。

「うん。よし。俺、頑張る」

「何をですか?」

「パロマがそう言うのをもっと言えるように」

「え」

「だって俺は、ほんのちょっとだけど、パロマ達のお兄ちゃんなんだから」

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