第4話 おとぎ話の中の人 (後編)

「メリー! 大丈夫かい?」

「ユート兄さん……?」

 駆け寄ってきたユート兄さんの顔に、それどころではない筈なのに、身体の力が抜ける。

「あれは誰?」

 煙るような霧銀ミストシルバーの長いウェービーヘアに、シックな色合いのストールを纏ったドレスの女性。

 キャロルと呼ばれたその人を見て、眼帯の侵入者は無言で距離を取った。

「マーシュ」

「邪魔をしないで」

「この子達への攻撃? それとも貴女が行く事かしら。どちらにしても、そのお願いは聞けないわ」

 穏やかな声音でキャロルが返す。

「ねえ、お話ししましょう? 少し落ち着かないと」

「貴女にはわからない。……それに、聞けないというお願いは、嫌でも二者択一になるわ」

 マーシュと呼びかけられた侵入者が手を振り上げる。

「あらあら。困った子」

 先程とは比べ物にならない数の礫が頭上に広がり急降下してくるも、キャロルはのんびりと呟き、ふぅっと息を吐く。

 刹那。降り注ぎ獲物を貫こうとしていた礫は、時を止めたかのように宙で静止する。

「二者択一なら、こちらを選ぶしか無いわねぇ」

 キャロルがパンパンと手を叩く。途端、礫は粉々になりエントランスに注ぐ光を弾きながら溶けるように消える。

 けれど、その時にはもうマーシュの姿はなく、開け放たれたカウンター越しの扉と階段を駆け下りていく音だけが、その行方を指し示していた。

「逃げられちゃった。……司書さんと、そちらの殿方に大きな怪我はない?」

 マーシュの逃げた先を見つめながら呟き、くるりと振り向いてキャロルがこちらに声を掛けた。

「あ。私は、大丈夫です。それよりウェルとセレーヤは」

「大丈夫だよ。ウェル君は気を失ってるだけ」

 ユート兄さんがウェルの様子を確かめ、パロマもセレーヤを抱き上げながら言う。

「セレも心配要りません、御主人様。ただ、……少し御前を失礼致します」

「パロマ?」

 呼び掛けに、パロマはやんわりとした苦笑を浮かべ、一礼するとセレーヤを抱き抱えて館の奥へと消えた。

「うーん。司書さんからかしら」

 くるりと全体の状態を見回してから、キャロルはそう言ってこちらを見る。

「いや、気を失ってるウェルの方が」

「大丈夫だよ。気を失ってるけど、逆に言うとそれだけだから」

 すぐ目も覚めそうだしね。ユート兄さんはそう言って、気絶したウェルを担ぐ。

「ウェル君、奥に置いてくるね」

 寝かせてくる、なのだろうけど若干扱いがぞんざいだ。

「じゃあ、じっとしてて下さいね」

「はい。どうも」

 いつの間にか火の灯った燭台を手にし、キャロルが背中に手を翳す。

 ゆらゆらと揺らぐ炎と呼応するかのように翳された手から暖かいものが広がるような感覚がする。

 暖かいものが広がりきり、背中全体に溶けるような気がした。

「はい、終わり」

「わ。凄い」

 痛みは欠片もなく、肝心な時に駆け出せなかった脚も難なく床を踏み、立てる。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。私で事足りるくらいで良かったわ。……あ、ごめんなさい。えーと、私はキャロル。リヒター・スピネルの幻想化身イマジンアバターよ」




 ミモザ・スピネル。史上最年少の十二才で中央図書館の司書試験を突破した天才少女。この分館の前任者。

 そして三年前、迷宮へと消え失踪した、師匠の妹。

「それで、さっきの幻想化身とミモザさんの関係って?」

 礫の散らばった大広間エントランスのソファーに腰掛け、行儀よく脚を揃え座るキャロルと向かい合う。

「マーシュはミモザ様の幻想化身。ミモザ様は沢山の幻想化身を抱えて居たけど、行方不明になった後を追って次々と消えて行ったわ。マーシュは、たまたま中央にミモザ様からのお遣いを果たしに来ていて、難を逃れたの」

「難を逃れた、ね」

 とてもそうは思えない様子だった。

 こちらの様子から、言いたい事を察したのだろう。キャロルは微苦笑を浮かべる。

「そうね……マーシュにとっては、それこそが難だったのかもしれないわ」

「でも、許さない」

「メーラ」

 書架の奥から姿を現したメーラは、固い表情と声音でそう言った。

主人マスターとセレーヤを傷つけた。絶対、許さない」

 葡萄酒色の瞳が妖しくも鋭く光る。

「次は、絶対仕留める」

「物騒加減は同じくらいだと思うが」

「ウェル! 大丈夫なの?」

 首を押さえつつ、目を覚ましたらしいウェルが現れ、軽く頷いて見せた。

「ああ。それより、どうなってる?」

 尋ねるウェルに、どうやらあの襲撃者が幻想化身で、目的は図書館の迷宮に行く事だったというのを説明すると、ウェルは何とも言えない表情になった。

「……前任者の幻想化身?」

「そう」

「前任者が行方不明?」

「うん」

「めちゃくちゃだな。色々……」

「でも、よく今まで後追い我慢してたね。あの様子なら、とっくにやってそうだけど」

「勿論、やろうとしていたわ。けど、やりたくても出来なかったの。『保護』されていたから」

 キャロルの言葉にメーラが顔をしかめる。

「あいつは許さないけど、中央の奴等も同じくらい許せない」

「うーん。まぁ、メーラ達の気持ちもわかるけど」

「キャロルだって! 本当は」

「キャロル!」

 傾き始めた陽光が音を立てて開け放たれた扉、そこから常ではあり得ないほど慌てて駆け込んでくる人物の背後から射し込む。

「師匠」

「マイ、マスター!」

 ソファーから立ち上がり、キャロルが師匠へ駆け寄る。その細い身体を抱き締めて、師匠は深く息を吐いた。

「よくやった。……すまない」

「うふふ。勿論、私はマスターを悲しませたりしませんもの。気になさらないで」

 美形と美少女ってほんと絵になるなぁ。と思いつつ、残念ながら鑑賞時間はあまり取れない。

「師匠」

「……」

「私もですが、ウェルも巻き込まれちゃったので、そろそろ詳しく説明してくれませんか。じゃないと、宿直要員追加どころか、ウェルもこれ以上ここに留まってもらう訳にはいきません」

 若干じと目で師匠にそう言うと、師匠は苦虫を噛み潰したような顔になった。

 それでも皆に被害が及んだからか、やがて口を開く。

「わかった」

 全員がソファーや椅子に腰掛けると、師匠は辺りの惨状を見て眉根を寄せる。

「キャロルからどこまで聴いてる?」

「襲撃者が前任者の幻想化身で、前任者が三年前にここで行方不明になった師匠の妹さん、て所までですね」

「それなら、ほぼ全てだな」

「師匠。ほぼ、は全てとイコールじゃありませんよ」

(ここまできても頑なに、か)

 困る。それでは困る。

「……師匠、話さないなら、私、ここの司書辞めます」

「なっ」

「良いんですか? 私が辞めたら、今度こそ完全に封鎖されますよ。この分館」

「お前、脅してるのか!」

「ええ。まぁ、そうですね」

 師匠の綺麗な顔に苦渋が滲む。それでもやっぱり、美形は美形だ。いつもならその様子に眼福と思って美味しく頂くけど、今はそれどころじゃない。

「師匠。簡単な事じゃないですか。話すだけで良いんですよ? ただ本当の事を、話すだけで」

 見ようによっては悔しげとさえ見える師匠の表情。けれど私は知ってる。

(後悔と罪悪感。ほんと、変わらないなぁ)

 氷の瞳がその内に雪解けの清水を内包している事も。真冬のような孤独感と煉獄のような自己嫌悪に、さながら磔刑の魔女のように心を焼き炙られている事も。

 私は、知ってる。

「師匠。私は中央図書館から正式にこの分館の司書を任されました。つまり、どんなに実力は見習いレベルでしかなくても、最終決定権は私にあります」

「……」

「権利と同時に、この分館に関わる事は、私に責任があります。この分館で責任を負うものとして、宿直要員ウェル達に被害が及ぶ危険性のある事柄を放置は出来ない。私は、間違っていますか?」

「……いや」

「マイ、マスター。私は、お話した方が良いと思います」

「キャロル」

「私は、入れません。皆さんの力が、マスターには必要です」

 よし! キャロル、ナイスアシスト! 心の中でガッツポーズを決めた事は勿論秘密。

「……本当に、キャロルから伝わってる事がほぼ全てだ。これから話すのは、私の個人的な事情になる」

 そう前置いて、師匠はようやく話始めた。




「妹が失踪して、私はすぐさま駆け付けた。迷宮に、入ろうとしたんだ。けれど、その時にはもう……人間は、迷宮に入れなくなっていた」

「当時、私はまだ存在して居らず、マスターは中央の方に頼みました。ミモザ様を探して欲しいと」

 優秀な人材だから、中央図書館もできうる限りで捜索隊を迷宮へ差し向けた。けれど、成果はなく。

「三日、そして一週間、一ヶ月」

「ミモザ様は、見つかりませんでした」

 人の誘拐事件でも四十八時間を過ぎれば生存率は絶望的になると聞いたことがある。『普通』の誘拐ですらそうなのに、場所は迷宮。

「迷宮には紙魚が居ます。深くなればなるほど、あれらは強くなる。だから、捜索隊も危険になる領域まで辿り着いた時」

「捜索は、打ち切られた」

 師匠の瞳に影が落ちる。

「キャロルが顕現した時、中央がもう動いてくれないなら僕だけでもと思った」

「幻想化身は生みの親たるマスターの願いなら、喜んで動きます。だから、私も、そうしたかった。でも……許されなかった」

 しゃらりと、キャロルがスカートを少しだけ捲り片足を見せる。

 白く、消えそうなくらい細い足首には、不釣り合いな鉄の枷。

「生じた時から、私はこれに縛られ、迷宮には入れず」

「幻想化身は、図書館の秘術であり、宝だ。それを失うような事は、許さない。中央図書館からは、そう言われた」

 もう生存の可能性がほぼない天才を探す為に、さらに犠牲者を出すわけにはいかない。そういう事だろう。

 いくら有能だとしても、代わりは居る。

「それでも、師匠は諦めないんですね。……諦めてないんでしょう?」

「そうだ」

 確固たる意志の宿る声。それだけは、どんなに心身を罪悪感に焦がしても、揺るがない。そんな声音に、背筋がゾクゾクする。

「迷宮に、人の住めるような要素、あるのか?」

 黙って聴いていたウェルが初めて口を開く。

「わからない。だが、生きている」

「マーシュが、迷宮に向かったのがその証。私達はマスターがもし居なくなっても存在する事はできるの。でも、居なくなる……死んだなら、必ずわかる」

「それは、俺も保証する。人間で言うところの、虫の知らせだよ。俺達は、主人の幻想化身。深い場所で主人の心と繋がってる」

 メーラがこちらを見て、微笑む。葡萄酒色の瞳は、優しく細まった。

「それがないから、マーシュはミモザ様を探しに行こうとしていたの」

「どうやってかはわからない。でも、妹は生きている。今も、あの迷宮の中で」

「それなら、助けない訳がない。俺だってやるよ。可愛い妹の為ならね」

「ユート!」

「ユート兄さん」

 ウェルを置いてから、一度局に戻ると言って出ていったユート兄さんは、今戻ったのか窓を開けそこから侵入しつつ、ニコニコと手を振った。

「予想通り、中央から電報届きまくりだったよ。とりあえず、こっちに都合悪そうなのは後回しの書類の山に隠しておいたから」

「おい」

「流石兄さん」

「そう。俺は頼れるメリーのお兄ちゃん」

 スタスタと歩き、ユート兄さんは師匠の腰掛けたソファーの背もたれに軽く寄り掛かる。

「そしてリヒターの友人。ね?」

 にっこり笑ったユート兄さんが、表情を一変させて物凄く悲しそうな顔をする。

「なのに酷いよ、リヒター。俺に助けを求めてくれないの?」

「それは」

「うちの可愛い妹に何かあったら、リヒターでも許さないよ?」

「わかってる。……ぼ……私だって」

「ほう。じゃ、他に隠し事もう無い?」

「お前、いつから聴いてた」

「個人的な事情になる、って所くらいから。それ以前はわかんないよ」

「ほぼ全てだろう、それ」

「ほぼは全てじゃないよ。リヒター」

 どこかで聴いたような台詞を口にしながら、ユート兄さんはこちらに片目を瞑って見せた。

「ま、いいけどね。でも冗談じゃなく、メリーに何かあったら、怒るよ」

 表情はいつものまま、声音だけ少し低く。ユート兄さんは師匠にそう言う。

「目が笑ってないぞ」

「そりゃ、笑ってないからね」

「……わかってる」

「うん。よろしく」

 何となくユート兄さんと師匠が通じあった所で、話をもとに戻す。

「で、師匠。他には?」

「中央図書館は、この分館を危険区域として閉鎖を決めた。幻想化身を連れた司書に空きもなかったからな」

「マスターは志願したけど、聞き入れられなかったわ」

 そりゃ、探しにいく気満々な人材を据えるほど中央も馬鹿じゃない。

 わざわざ幻想化身に鎖つけて取り上げるような真似までして引き留めた人材なら尚更だ。かと言って、幻想化身がいない司書を犠牲にして良いかと言ったら間違いなくそれも無い。

 閉鎖は妥当。たとえそれがただの『臭いものにフタ』であっても。

「迷宮がある以上、完全封鎖や取り壊しは出来ない。だから中央図書館では一つの決定を下した」

「新たに幻想化身を生み出す司書が現れ、その方がこの街の勤務を希望した場合、マスターが監督をし分館を復活させる。そうお約束しましたの」

「分館の司書および迷宮の探索は、その人物に一任し、私は本館業務に専念する事も条件の一つだが」

 あくまでその人物に一任し、師匠には行かせない。

 まぁ、そうなるだろう。新たに現れた適任が、よほど中央にとって利益をもたらす人物でない限りは。

「なるほど。じゃあ私が妹さんを探せば良いわけですね」

「違うよ主人。主人は迷宮に入っちゃダメ。俺達が探すから、任せて!」

「リヒター。聴く限り、メリーには害ないのかな?」

「直接は無い。……はずだった」

 こちら、ウェル、辺りの順に師匠は視線を向ける。

「ま。仕方ないですよー。ウェルもメーラ達も無事だったし、次は気を付けます」

「そういう問題じゃない」

「まあまあ、良いじゃないですか。それより、気になってる事があるんですが」

 さっきの『虫の知らせ』について。

「ねえ、メーラ」

「なぁに? 主人」

「メーラ達は、自分達を作った人間のいる場所とかわかったりするの?」

「んー。うん。範囲によるけど、大体の方向とかわかるよ。この図書館内なら確実かな」

「迷宮は?」

「多分、階層が近くなればわかるよ」

 という事は、だ。

「今なら、あの幻想化身の後を追えば、師匠の妹さんの所に辿り着けるかも?」

「かも。主人がそれを望むなら、頑張るよ! それにあいつには、お返ししなきゃいけないし」

 にっこりと笑ったメーラの笑顔が若干黒かった。

「ふむ。それならお願いしようかな。でも、なるべく穏便に」

「まっかせてー。必ず生け捕りにしてみせるから!」

 はーい! と素直に手を上げるメーラ。良い子だ。

「生け捕り……」

「何、文句あるのワンコ」

「誰が犬だ!」

 そんな和やかなやり取りが始まった所で、終業を告げる鐘の音が響いてくる。

「よし。とりあえず、可愛い妹に害なさそうなら良いや。メリー、一緒に帰ろう」

「あー。うん。良いけど、ちょっと待っててくれる? ユート兄さん」

 まだやるべき事が残っているのだ。



 図書館から外には出られないと言っても、分館でも、伊達に迷宮封じの為に中央が建ててるわけじゃない。それなりに広い館内を探し回り、ようやくお目当ての人物(後頭部)を見つけた。

「セレーヤ」

 声を掛ければ、びくりと肩を震わせて、今にも泣き出しそうな顔でセレーヤが振り返る。

「ま、すたー……」

「いやいや、反則だって。館内から出てるじゃん」

 出られないと言っていたのに、セレーヤは窓のすぐ下にある植え込みの中に本を抱えて座り込んでいた。

「大丈夫?」

「……はい」

 どう見ても聴いても大丈夫じゃない様子なんだけど。

「よし。セレーヤそこ退いて」

「え?」

「ほらほら、お邪魔しますよ、と」

 窓枠を乗り越え、セレーヤの隣に腰を下ろす。

「マスター?」

 腰を下ろし、改めてセレーヤを見た。

 暖かい海の色をした瞳が水面のように揺れている。

「セレーヤ、ゴメンね」

「え」

「ちゃんと指示だしてあげられなくて」

 あの時、冷静に判断してセレーヤに指示を出せていれば、こんなに傷つけずに済んだのに。

「違う。マスターは、何も」

「それに、もっと読み込んであげられていたら」

「あ……」

 セレーヤの手から、静かに本を取る。

 人魚のお姫様。自分で製本したこれは、セレーヤの本体。

 人に読まれることで、セレーヤ達に生気が分け与えられる。長い間読まれなければ、弱っていく。

「セレーヤのせいじゃないよ」

 セレーヤは俯いて、激しく頭を振った。

 しゃらしゃらと涙のような真珠がベールと共に音をたてる。

「セレが弱いから、マスター達」

 違うよ、と。言おうとして口を開いたけれど、それは違う形になった。

「君、どこの子?」

 ガサッと音がしたと思ったら、まるでウサギみたいに植え込みの下から十にもなっていなそうな子供が顔を出している。

 色素が薄いからなのか、肩口まで伸びている髪は白く見える。肌も日焼けとは無縁の白さで血管が透けて見えるんじゃないかとさえ思えた。

 大きな黒に近い紫紺の瞳が何も言わず、ただじっと見つめてくる。吸い込まれそうなその瞳は、やがて本へと移った。

(あー……。これは、あれかな)

 図書館では子供に読み聞かせの会とかをやるのだが、この雰囲気はそれに参加して待ち焦がれる感じの。

「いや、あのね、普通は親御さん探すのが先……」

 なのは分かっているけど、子供の眼力すごい。

「……下手に動き回られるよりマシ、かな」

 若干引くぐらいの熱烈な視線にそう呟いて、セレーヤと反対側の地面を叩く。

「はいはーい、お話会始めるよ。聴きたいなら席に着いてね」

 席に着くも何もないくらい狭い空きスペースに、セレーヤと白い子に挟まれて座る構図になった。

「じゃ、昔々あるところに」

 お決まりのフレーズを口にして、物語る。

 王子様を見つけ、恋い焦がれ、そして泡になる人魚のお姫様。

(まぁ、確かに一般的には悲恋で儚い印象かも知れないけどさ)

 隣には、人魚のお姫様そのもののような幻想化身。

 憂いが影になって落ちる瞳は、どこまでも深く。

「人魚のお姫様は、泡となり海に溶けてゆきました。……カッコいいよね」

「え?」

 戸惑うような声がセレーヤから上がる。

「だって、代償を払って陸に上がる事も、泡になって消える事も、全て自分で選んだんだよ?」

 王子様を刺して助かる事も出来ただろう。そのままでは泡になって消えるのが、死が目の前にある事もわかっていたのに。

「最期まで自分の意志を持ち続けた彼女を、私は弱いなんて思わない。強くて、カッコいいひとだと思う」

 いつもこの話を思い返して頭に浮かぶ最後のシーンは、朝陽の照らす甲板と、少しだけ寂しそうに、けれど自分の意志を持った揺るぎなく深い瞳の彼女が微笑む姿。

「人魚のお姫様は弱くなんか無い。自分の意志で前に進める、強い人」

 刹那的とも言えるかもしれない。犠牲になる事は逃げだと言う人もいるだろう。

 でも、それで良い。

「どんなことであれ、自分の意志で決めて、貫き通すのは覚悟と勇気がいる事だけは変わらない。だから、私は彼女を強い人だと思う。大切な人を最後まで守れた彼女を可哀想な人とは思わない」

「……」

「セレーヤ。あなたはそんな物語だと、私は思ってるよ?」

 大きくみはられた海の瞳。その色はいつでも優しく暖かい。

 海のように、全てを包み込む強さを秘めて。

「おーい、メリー。どこー」

「ああ、ユート兄さんが探しに来た。とりあえず、タイムアップかな」

 さて迷子も保護しておかなければと、セレーヤと反対側を見るけれど、ある筈の白い姿は無かった。

「セレーヤ、居たよね? 白い子」

「うん。お話しが終わるまでは居たよ。マスター」

「帰ったのかな……?」

 それにしてもなんの音も立てなかったし、そもそもここは街外れの丘の上。

 あんな小さな子が、一人で遊びに来るには不似合いだ。

「……うん。後で少し探して、居なかったら帰ったと思おう」

 とりあえず、ユート兄さんが呼んでいる。

「セレーヤ、戻ろう」

 立ち上がって、伸びをして。小さくなっていた身体を解す。

「行こう」

 こちらを見上げるセレーヤに片手を差し伸べると、人魚のように白くしなやかな手が、少し遠慮がちに重ねられた。

 仄かに暖かいような不思議な温度を、握る。

「はい。マスター」

 微笑んで返事を返すその顔に、影はもう無かった。

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