第2話 迷宮書館へようこそ

 犬の吠え声ではなく、目覚ましと鳥の声、そして朝日で目を覚ます。

 そこはいつもの部屋で、いつもより少し早い時間というだけの違いしかない。寝台から起き上がって壁際に目を向けるけれど、人狼はおろか人間の姿も無い。

 あれが夢ではないという証拠は、不器用に畳まれた毛布だけだ。

 ペタペタと自分の身体にも触れてみる。

「ん。着衣も異常無し。さて、行きますか」

 そう自分に声を掛けて、身仕度を整え階下へ降りる。

「おはよう。昨夜は起こしてゴメン」

「おはよう。良いのよ。あ、今日も分館って言ってたでしょ、それお弁当」

「わぁお。嬉しい。ありがとう!」

「どういたしまして。頑張ってね」

 忙しい従姉が用意してくれた茶色い紙袋をトンビのごとく行き掛けに手にして、街を抜けて丘の上を目指す。

 澄んだ朝の空気と森の匂いが身体を包む。

「空も蒼いし、昼寝には最適なんだけどなぁ。ま、片付け終わるまでは真面目にやりますか」

 師匠が聞いていたら終わってからも真面目にやれ、とすかさずツッコミを入れるだろう。

(まぁ、家出てからずっと後を着けて来てる人でも良いんだけどね)

 気のせいかと思っていたけど、これだけ静かだと他の生き物の気配は意外と目立つ。視線を感じれば尚更だ。

(どうしようかな。このまま分館に駆け込んでメーラ達と袋叩きにするってのもありだけど……)

 どうしようかと考えあぐねていたその時。

 グルル……。

「……」

 獣の唸り声みたいだけど、似て非なるもの。

 その名も空腹音が響いた。

「あのさ、とりあえず……一緒に食べる?」

 呼び掛けに、躊躇いの間を経て、木立の中から一人の少年が姿を現した。



「それで何故、彼はここに居る?」

 朝の顛末を聞いた師匠は冷たい通り越して凶悪な顔でそう言った。

「いやん、師匠ボケるには早いですよぉ」

「真面目に答えろ」

「はーい。まぁ、そんな訳で私の朝飯兼昼食無くなったので、身体で返してくれると」

「あんた、その言い方わざとだろ」

「ストーカー君は黙ってなよ」

「違う!」

 ストーカー呼ばわりされた少年は間髪入れずにそう返す。

 身なりははっきり言うと汚れてる。泥だらけってレベルではないけれど、土がついてたりと埃っぽい。

(けどそれでも許されるレベルで……)

 顔と身体は良い。

「急に悪寒が……」

 ブルッと肩を抱いて身震いする少年の歳は多分同じくらい。

 短い銀髪に茜の瞳、鼻筋の通った精悍せいかんな顔立ち、まだ少年独特のあどけなさがあるが、数年後には師匠とは違ったタイプの美形になりそうで楽しみこの上ない。

「本格的に背筋がぞわぞわする……」

「ケヘヘヘ」

 少年のそんな姿に、師匠がため息をつく。

「不審者と言えど一般人を怯えさせるな。それで、君はどうしてこんなのを尾行した?」

「……匂いに釣られて」

「……念のため聞くが、何の」

「弁当の!」

「わかった。警察ヤードに突き出すのはやめておこう」

 師匠にまでからかわれたと感じたらしい少年が頬を染めてそっぽを向く。

(初々しい反応堪らんわ)

 ジュルリと涎が垂れる事は流石に無いが、ゴチです! の気持ちを込めて視線を二人に送る。

「やめろ。こっちまで鳥肌が立つ」

 師匠にはその気持ちがバッチリ伝わっているらしく、本日も眉をしかめられた。

「ふざけるのも大概にして、真面目に話せ」

「まぁ、そんな感じでお弁当あげたら、お返しに掃除手伝ってくれるって言ったので」

 少し考えるように師匠は少年を眺め、やがて納得したのか頷く。

「わかった。丁度良い。それならお前の手も空くからな」

「師匠、その言葉は別の事をさせるって聞こえますが」

「わかってるなら話が早い。まだ手続きと渡すものが残ってる。そこの少年……」

「ウェル。……ウェル・アークライト」

「ウェルが掃除している間に済ます」

 着いてくるようにと、師匠が言って館の奥へと歩き出す。

「化身達の姿が見えないな」

「一応、様子を伺ってるみたいですよ。案外人見知り」

「……。本格的に開館する前にどうにかする必要があるな」

「本格的?」

 廊下の突き当たりにあるドアの前で足を止め、師匠は頷いた。

「ここは図書館だ。利用者に本を閲覧出来るようにする義務がある。公的機関の公的資金を使っているからな」

 分館の本は基本的に持ち帰れないから、館内貸し出しだけではあるけど。

「この先は見てないだろう」

「そりゃ、鍵がありませんでしたからね。流石に蹴破ったりはしませんよ」

 昨日見たのはカウンターの後ろにある執務室と鍵の掛かっていない場所全て。

 この図書館は空から見ると丸い大広間が長方形に半分めり込みくっついている様に見えるだろう。

 一般の利用者が行動する範囲は大広間含め三分の一程度。後の大分は蔵書ストックの書庫と職員の宿直施設だ。

「お前なら蹴破った後にそれとわからないよう細工するくらいはやりそうだがな」

「クックッ、お望みとあらばご期待に」

「応じなくて良い。そういう意味で期待はしていない」

「はーい」

 師匠はポケットから鍵を取りだし、こちらに差し出す。

「落としたりして失うなよ」

「私が持つんですか?」

 正直、少し驚いてそう尋ねる。

「この館はお前の仕事場だ。私は本館がある。ここはお前に任せる」

「師匠、何か怪しいもの食べました?」

「お前はどうしてそう……。もう良い。とにかく、慎重かつ大切に保管しろよ」

「……はい」

(あれ? でもそれって)

 師匠は本館業務でこっちを私に任せるって事は……。

「当分、私とメーラ達だけですか?」

「その事も含めて今日は話そうと思っていたんだ。流石に街外れとはいえ、書籍が入れば利用者が来る。化身以外がお前一人では無理があるだろう」

 本館に入りきらなかったり、扱いの難しい書籍をこちらに保管する関係上、そういったものを閲覧したい利用者は全てこちらに流れてくる。来館者の相手はどうしても必要だ。

「ああ。だからさっきメーラ達が人見知りって言ったら妙な顔したんですね」

「そういう訳じゃないが……。まぁ、話を戻す。お前の急務は人員確保だ。宿直込みで働ける奴を募集して、一応こちらに報告。私が面接して、良さそうなら雇う」

「了解です」

「……それが終わったら」

 師匠が言葉を続けるより前に、耳をつんざくような叫び声が響いた。

 声に反応した身体は走り出し、その原因を目の当たりにする。

「た、助け」

主人マスターの害になるの? ならないの? はっきりしなよ」

「お前、何やってる!」

 そこには仰向けで踏み倒されているウェルと、ウェルの肩を踏み倒しているメーラの姿があった。

 しかもメーラは束ねた長い紐を手にしていて、その紐は踏み倒されたウェルの首に巻き付いている。

「敵味方確認だよ?」

 何となく不機嫌そうな顔で頬を膨らませ、メーラが師匠に答える。

「何故そんなものが必要なんだ」

「だって……こいつ、俺達の事、好きじゃない」

「こんな事されて好きになる奴いるか! 何なんだお前! 誰だよ! そもそも初対面で好きもクソもあるか!」

「やっぱり敵?」

「やめろ。拘束を解いてウェルから退け」

 渋々ウェルからメーラが退き、ウェルは警戒心も露にメーラから距離を取った。

「それで、こうなった訳は」

 溜め息をつきながら師匠がメーラとウェルを見る。

「知らねぇよ。いきなりこいつが現れて襲ってきた」

「俺達の事が好きじゃないのに図書館ここにいるなんておかしい。なら、主人目当てとしか」

「何だその飛躍の仕方」

「いや、そんな目でこっち見ないで下さいよ師匠」

 お前の化身どうなってんだ……という顔をされても、こちらにどうしろと。

「メーラ、何でそう思ったの?」

「……だって本や物語に、こいつ興味無いのに居るから」

「うん。でもいきなり襲うのはやめようね。……というか、そんなのわかるんだ?」

「わかるよ。あと、どんな物語が好きかとかも何となく」

「凄いね」

「主人に褒められた……」

 毎度ながら、まるで子犬のような感じ。妖艶系美人が子犬……しかしこれはこれで!

「悶えるな。気色悪い」

「師匠、心読むの止めて下さいよ。破廉恥ですね」

「読んでない。顔に出してるのはお前だ。むしろ普通に悶えてるだろ。破廉恥はどっちだどんな妄想してる」

「え。そんな。……聞きたいですか?」

「ヤメロ」

 げんなりした顔で師匠がそう呻く。

御主人様マスター、申し訳ありません。大丈夫ですか?」

「あ。パロマ」

 階上へと続く大きく弧を描いた階段、それを少し慌ただしくパロマが降りてくる。

「少し目を離してしまいました。……メーラ」

「う」

「御主人様が招いたお客様に何をしたのですか?」

「だって」

「メーラ」

「うう……」

 パロマが笑顔でメーラを詰める。

「ちょっと首に紐つけて蹴倒しただけ……」

「それは、ちょっと、じゃないでしょう」

 チョップをパロマがメーラに見舞う。

「うわ!」

「まったく。……申し訳ありません、お怪我はありませんか?」

 ウェルに向き直ったパロマが礼儀正しく頭を下げると、ウェルは居心地悪そうに身じろいだ。

「別にあんたが謝る事は」

「そうだね。むしろ私の責任かも。ゴメン」

 自分の物語化身がやった事は責任を、と思って頭を下げる。

 と。

「主人! 違うよ。俺が悪かったんだよ! ごめんなさい!」

 それまで拗ねてむくれた子供然だったメーラが慌てて抱き着いてくる。

「メーラ、わかったでしょう。私達が何かやれば御主人様の責任になるのです。軽卒な行動は御主人様の恥じになるんですよ」

「いや、あのね、謝るならウェルに」

「……ごめんなさい」

 しょんぼりしつつも、メーラはウェルに頭を下げた。

「良いけど……。あんた達どういう関係なんだ?」

「そこ話すと長いから後で」

 黙ってなり行きを見守っていた師匠がそこで口を開く。

「ウェル。住み込みで働く気はないか?」

「は?」

「給与は日払いでも良い。住み込みでも勤務時間外で働く必要は無い。勤務は閉館後から次の開館まで、ここで警備……寝起きしてくれるだけで十分」

「いや、ちょっと待てよ。何でいきなり」

「人手が欲しいんだ。特に宿直はあまり本に興味が強くない人物が欲しい」

「図書館って本好きの集まるもんじゃないのか?」

「本好き以外も必要なんだ」

 きっぱりと言い切る師匠に圧されてウェルもとうとう黙る。

「条件に一致するし、君にとって悪い話では無いだろう? 勿論、君以外もなるべく早く雇うから、外泊も可能にする」

「……寝起きするだけで良いんだな? その、俺は、……読み書きは簡単なのしか出来ないぞ?」

「ここで寝起きしてくれるだけで良い」

 いや師匠、出来過ぎた話って胡散臭いことこの上ないんですが。そんな声は届かないのか敢えて無視しているのか、あっという間にウェルは師匠に丸め込まれ。

「あーあ」

「あーあ言うな。何だその私がウェルを丸め込んだみたいな目は」

「わぁお。師匠、良くおわかりで」

「人聞きの悪い事を言うんじゃない。普通に利害が一致して契約しただけだ。ウェルも、不安そうな顔するな。大丈夫だ」

 不安顔のウェルにそう言って、こちらを見ると師匠は少しだけ躊躇うような表情を浮かべた。

「師匠?」

 どうしました? と声を掛けるとハッとしたように目を開いて首を横に振る。

「何でもない。とりあえず一人宿直要員が確保出来たな」

「そうですね」

「……次の業務について説明と、渡すものがある。ウェルの泊まる部屋を整えたら昼食にして、その後で」

「いや、私の昼食は消えたので今でも」

「差し入れがある」

「え」

「薬局の親父さんから」

「殺す気ですか」

「冗談だ。妹さんからだよ」

「師匠が冗談とか。何の前触れ」

 そんな軽口を叩き、ウェルの部屋を整える為、館の奥へ歩き出す。




 ピカピカになった宿直施設の食堂。樫の木で作られたテーブルと椅子。

 予想していたよりすんなりと終った掃除、やって来た昼食ランチタイム。

 師匠がメルから託されたのは、季節の果実たっぷりなマフィン達だった。

「んー! 美味しいっ。やっぱりメルの作るものって美少女が作ってる事も相まって激ウマですねゲヘヘ」

「後半は自分の心の中にだけ留めておけ」

「だって美味しいから仕方無いですよ。彼女が美少女なのも事実だし」

 そう言いながらレーズンと胡桃クルミのマフィンをたいらげ、オレンジピールのマフィンへと手を伸ばす。

「メーラ達も食べない?」

「私達は本来食物を摂取しませんので。でも、お気遣いありがとうございます」

 やんわりとパロマが断る。

「そっか。……ウェル、もう少しゆっくり食べないと」

「!」

「ほらね」

 マフィンを喉に詰まらせてじたばたもがくウェルに、お茶の入ったマグカップを渡す。

「でも、本当にすぐ終わりましたね」

 月一で清掃を入れている事もあってか、ほとんど軽く埃を叩くだけで済んだ。一番時間を取られたのはむしろ新しいシーツとか当面の生活用品買い出しである。

「良い業者だろう」

「最高です。私も泊まろうかな」

 職員としてごく当たり前の発言だったつもりだが、師匠から返ってきた声は予想外に硬かった。

「駄目だ」

 声音に違和感を感じて師匠を見れば、その顔も同じくらい硬く眉根を寄せている。

「何の為に宿直要員を雇うと思う。お前は絶対泊まるな」

「師匠?」

 強い口調に、マフィンに夢中だったウェルですら目をパチパチさせて驚く。その視線に師匠は我に返ったようで、視線を逸らした。

「すまない。少しきつかった」

「いえ、とりあえず泊まらないようにします」

「ああ。そうしろ」

 微妙に硬い空気が漂うと、ウェルが居心地悪そうに辺りを見る。

「あのさ」

「何だ?」

「寝泊まりするのがそんなに重要なのか?」

「まぁ、書籍は値が張るものもあるから、防犯として」

「……そこの物騒な奴が居ればそれ、事足りるんじゃ」

「ひっどーい! 俺達は物騒なんかじゃないよ」

 ウェルの言葉にメーラが頬を膨らませる。

「いや、ウェルはそう思っても仕方無い」

主人マスター!」

「蹴倒されて絞殺されそうになればやむ無しと思う」

「それについてだが、お前、どんな解釈を物語に持っているんだ」

「どういう意味ですか? 師匠」

 気を取り直し、ルイボスのお茶を飲みながら師匠がじとりとこちらを見てくる。

「少なくとも、今までこんな物騒な『白雪姫』は、お前の以外見たことがない」

「むぅ! 酷いよ主人の師匠さん」

 抗議の声を上げるメーラと師匠を、ウェルが何が何だかわからないと言う顔で見ていた。

(ああ、説明後回しにしてたよね。そういえば)

「ウェル、物語化身イマジンアバターって知ってる?」

「知らない。何だそれ」

 かい摘まんで簡単に説明すると、ウェルはもう一度メーラをまじまじと見詰める。

「本……なのか?」

 信じられなくても無理はないけれど、実際に目の前にメーラ達はいる。騙してないか? と半信半疑のウェルに首を横に振って見せた。

「正確には物語の化身」

「その物語に対する解釈や思いが具現化した存在だ」

「自分の物語ならそらんじてあげるよ!」

「他の方に関する物語は、語ることが出来ませんが」

 最後にパロマが口にした事が引っ掛かる。

「他の物語が?」

「はい。知っていても自分のもとになっている物語以外、私達は語ることが出来ません」

「それと、外に出てる時の本体にも触れないよ主人」

 メーラが後ろから抱き着いて頭にあごを乗せてきた。

 サラリと艶のある紫紅髪が肩に滑り落ちる。

「外に出てる時の本体?」

「私達は物語の化身。その本体は御主人様達が創り出した書籍です。……自分で言うのも恥ずかしいですが、私達を小動物と思って下さい。書籍は飼育箱ケージです」

「ああ。なる」

 持ち運びたかったら、箱に入れろ。同じ小動物同士では相性やら何やらで運べなくても、どちらかが箱に入っていればそれも関係無く運べる、と。

「ふふふ、俺は主人だけなら小動物って思われても良いよー? その代わり、すんごく可愛がって欲しいな」

 無邪気なメーラの言葉にウェルが反射的に突っ込みを入れた。

「こんな物騒な小動物いてたまるか」

 ちょっと唇を尖らせ、メーラは拗ねたように返す。

「ワンコ、煩い。絞めちゃうぞ」

「誰がワンコだっ」

「すぐ噛み付いてくる所がワンコでしょ」

「そのくらいにしておけ。そろそろ休憩は終わりだ」

 師匠が溜め息をつきながら呆れた顔でメーラ達にそう言った。

「……パロマ」

「はい。いかが致しました? 御主人様」

「セレーヤの姿がさっきから見えないんだけど、何かあった?」

「ああ。セレは少し人見知りなので……。ですが御主人様が」

「マスター、呼んだ?」

 ひょこりとセレーヤが部屋の扉を開けて顔を覗かせる。

「御主人様が呼べばすぐに」

「なるほど」

 ご覧の通り、とパロマが微笑み、セレーヤはそのまま静かに流れるような足取りで部屋へ入ってくる。

「姿が見えなかったから、どうしたのかなって思ってね」

「マスターが、心配してくれたの? 嬉しい。……でも、心配掛けてごめんなさい」

「良いよ。気にしないで」

 嬉しさと申し訳なさが混ざった結果、恥じらうように頬を染める様が破壊力抜群なセレーヤと話しているのを、じっと見ていたウェルがやや緊張した声音で問い掛けてきた。

「なあ。こいつもアレか? まさか他にもまだ居るのか」

「ワンコにアレとか言われたくないんだけど。主人、やっぱりコレ絞めちゃいたい」

「ダーメ。メーラだって今コレとか言ったでしょ。ウェル、セレーヤだよ。私の物語化身は今のところこの三人だけ」

 いつの間にか、セレーヤはパロマの背に隠れ、その後ろから窺うように顔を出している。

「マスター。今のところ、お客さん来てないよ」

 どうやら、誰も居ない間に利用者や来客がないか見ていてくれたらしい。

「ありがとう。セレーヤ」

 パロマの後ろに半分隠れながらも、セレーヤは仄かに頬を染めて嬉しそうに頷いた。

「一旦、表に戻る。残りの業務説明があるからな」

「はーい。じゃ、片付けしないと」

「御主人様、ここは私が片付けますので、行ってください」

「いや、でも」

 食べてない人に片付けさせるのはちと気が引ける。

「ふふ。大丈夫ですよ。セレがお留守番をしてくれたのですから、後片付けは私がやります」

「主人、パロマは家事好きだから大丈夫」

「マスター、行こう? パロマに、任せてあげて」

 いつの間にかパロマの後ろから抜け出てセレーヤが側に来ていた。

「……わかった。じゃあ、パロマよろしく」

「はい。お任せ下さい」

「ウェル?」

「食器の位置覚えたい。後からいく」

「了解」

 宿直棟の食堂から再び大広間エントランスへ戻ると、貸し出しカウンターの前で、一足先に戻っていた師匠が中央図書館の紋章が箔押しされた木箱を小脇に抱え、佇んでいるのが見える。

「師匠?」

「ああ……」

 声を掛けると師匠が振り返った。

 その顔は相変わらず良い目の保養、美形そのものだけど、いつにない影を帯びている。

「どうしました?」

「何が」

「……。いえ、気のせいですね」

(気のせいな訳ないけど、言わないな。コレ)

 明らかにおかしいのに、言わない。なら、これ以上聞いてもこの人は言う事はないだろう。

(前からそうですからね)

 今更変わらない。変わるとしても急には無理だ。

 かくして師匠にそれ以上の突っ込みを入れるなんて無駄な事はせず、ただ次の言葉を待つ。

「分館司書の役割は、ほとんど一般のそれと変わらない」

「……」

「唯一つ。大きく、圧倒的に違う業務が存在する」

 硬い表情と声音が、感情を押し込めている。そんな雰囲気で、師匠は続ける。

「具現化した物語化身達と、各地の分館下に広がっている迷宮を調査する事だ」

 図書館の下には迷宮が埋まっている。

 死体じゃないだけマシだろうか。

「調査ですか」

「驚かないな」

「そりゃ、良く聞いた怪談話ですから」

「怪談話……」

 深刻そうだった師匠の顔が違った意味で苦くなる。

「図書館の下には大昔に迷宮ごと魔物が封じられた、って。司書課程取ってる学生なら皆聞いた事あると思いますが。師匠の時はありませんでした?」

「あったが……。普通、信じるか?」

「メーラ達見た後ですよ?」

 魔法があるなら、他があっても驚かない。

「私が、信じないと思いますか?」

「……いや。そうだな」

「そうですよ」

「お前自体が悪夢みたいなものだしな……」

「そんな。誉めすぎですよ師匠」

「一度医者に行け」

 そんな事を言っている内にウェル達が戻ってくる。

 一応、怪談話についてウェル達にも師匠が話すと、メーラ達は特に驚いた様子もなかった。が。

「…………」

「ウェル、もしかして」

「ち、違う。違うからな」

 いやいやいや、どうみても顔色青くなってる。

「苦手か?」

「大丈夫だ。別に怪談話なんて」

「わ!」

「っ!」

「こら、メーラ」

 ウェルの背後から忍び寄り、驚き息を詰めたウェルを見て、メーラがクスクスと笑う。

「このっ」

「あはは! やーい、ワンコの弱虫」

「コロス」

 んべ、と舌を見せてから楽しそうに逃げ回るメーラと、それを追うウェル。

「完全に遊ばれてるよ。ウェル」

「創造者にそっくりだな」

「人聞きの悪い。私は人で遊んだりしませんよー」

「悪い。耳が遠くなった。もう一度言ってくれ」

「やだ、師匠目の次は耳」

「も・う・一・度・言ってみろ」

「あはははー」

 そんな師弟の心暖まるふれあいを行った後、そろそろ止めるかとウェル達を見る。

「ぐっ……ちょこまかと」

「うっわ。ウェル、大丈夫?」

「問題無い。余裕……」

「いやいや見るからにダウンだよ?」

 勝ち誇った顔で笑うメーラと、その手前でうつ伏せになって力尽きているウェル。おちょくられるだけおちょくられた者の末路はやはり哀れだ。

「ほい。手貸すよ」

 せめて床から起き上がる手助けをと差し出した手。それをウェルはじっと見つめた。

「なに?」

「いや。……大丈夫だ。自分で立てる」

 ウェルが立ち上がるのを見計らい、師匠はカウンターの上に木箱を置いて蓋を開ける。

 滑らかな光沢を放つ真紅の布に守られるように収まっていたのは、丁度手のひらと同じくらいの大きさをした、黒曜石のように黒い二つの板だった。

「迷宮を調査するにあたり、分館司書と物語化身はコレを持つ決まりになってる」

「ほう」

「紛失するなよ。ある程度、衝撃にも耐えられるが、丁寧に扱え。壊すな。壊したら給与から修理代引くからな」

「はーい」

「使い方だが、手にとってみろ」

 箱の中から取り出された黒い板を受け取る。板の片面には白で中央図書館の紋があり、もう片面は何の模様もない。

「側面に押せる部分がある。わかるか?」

「えーと、あ、コレですね」

 指でなぞると、感触の違う部分を見つけ、押してみた。

「わぁお」

 黒一色だった画面が青く染まり発光。次いで目の前に黒く半透明のスクリーンが浮かび上がる。

 青く光る文字がスクリーン中央で『待機中』と表示していた。

「中央の科学庁が作成した最新の通信端末だ。電波や周波数で通信するらしい」

「あー。電話フォンも大都市では大分普及してきましたからね」

 科学と名前が付けばもう魔法ではないらしいけれど、実際にはあまり変わらない。

 誰もが出来るわけではないもの、良くわからないものを魔法。

 誰でも簡単に行使できる、ある程度までは理屈のあるものを科学と呼んでいるだけに思える。

(引力とか。そういう力があるってのはわかるけど、何でそんなのがあるのかはわからない。魔法が科学って名前を変えただけ)

 本職からすれば何をと言われそうだが、一般人には科学も魔法も大差無い。特に、こういう技術は。

「L-708?」

 画面下部の隅にあった文字を読むと、それを耳にした師匠はもう一つの端末を取り出してメーラに渡す。

「それがその端末の製造番号だ。こっちは707」

「あ。画面変わった」

 メーラが電源を入れると、画面が『待機中』から『接続中』に変わる。

「対になる端末が電源入ったからな。今のところ、分館の中で対指定の端末とのみ通信出来る。逆に言うと、外や他の端末とは通信出来ない」

「ふむ。『通信可能』になりましたね」

「どちらかが迷宮に入った時点で、勝手に画面が切り替わるそうだ」

「どちらかが?」

「これは絶対の規則だが、司書が迷宮へ行く事は禁止になっている」

「……」

「まぁ。禁止と言うか、入れないようになっているから見たほうが早いな」

 師匠はそう言うと踵を返し、カウンターの中側へ回った。

「ついて来い。ウェルも」

 カウンター横は階段下になっていて、大体は物置として機能する。けれど、師匠が鍵を開けて開いたドアの先に収納物はなく、下へと繋がる階段が姿を見せた。

 石で作られた光の差さない暗闇の階段を降りる。

 ひんやりとした空気が頬や耳を撫でていく。

「ここが入り口だ」

 靴底が到達したのもやはり石畳で出来た床だった。

「もっといかにもダンジョン、てのを想像してたんですが」

 あるいは迷宮! ってのを。

 目の前には、二人並んで降りれる程度の更に下へ続く階段が、部屋のど真ん中にあるだけだ。

「特に何かあるようには……っ!」

「な?」

「ちょっ! 火花飛んだんですが!」

 青白い火花が踏み出した靴先で炸裂スパークした。

「物語化身とか人間以外には反応しないようになってる」

 しれっと言ってくれる。

「無理矢理通ろうとすればこんがり香ばしくなるかもな」

「なりたくありませんて」

 よく見ると迷宮の入り口四隅には黒いビー玉のような半球が埋まっている。少し弄ったくらいでは取れそうにもない。

「にしても、普通は司書が物語化身と一緒に行くもんなんじゃ」

「それはダメだよ主人マスター

「中には、オバケが居るから」

 メーラとセレーヤがそう言って、階段へ近付く。

「迷宮は、私達にお任せ下さい」

「パロマ」

 片付けを終えたらしいパロマが一番最後に進み出た。

御主人様マスター、ご心配なく。私達は戦えますから」

「戦う?」

「オバケ、居るから。でも、会ったら」

「俺達がバッチリ退治して、調査もきっちりこなすから!」

 うん。訳がわからない。

 前にも同じような感覚を抱いたが、師匠を見る。

「迷宮の中には、紙魚シミがいる」

「紙魚って、本につくあの虫ですか?」

「少し違う。迷宮にいる紙魚は、大部分は実体がない影のようなもの。力も弱くて、迷宮の外に出た途端に消滅するようなものだ」

「それが脅威になるんですか?」

「……紙魚は、司書や化身達に取り憑いて迷宮の深部に連れ去る」

「え」

 ウェルが思わずといった顔で声を溢す。

「ああ、ウェルは大丈夫だ。心配ない」

「何で」

「狙われるのは人間でも司書や作家、そういう人だけだから」

 師匠はそう言って、最後にもう一言付け加えた。

「迷宮書館へようこそ」

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