千年書館 ―迷宮書館の司書見習い―

琳谷 陸

第1話 はじまりの朝、物語の始まり

 ―― 私を、見つけて




(眩しい……。朝だ)

 茶色の三角天井、屋根裏部屋を象徴するものだ。

 そこに一つある大きな窓から鳥の声と一緒に朝日が差し込んで、一日の始まりを告げる。

(眠い。お休み)

「寝るなバカ弟子」

「ふぎゃん!」

 毛布に包まって夢の世界へ旅立とうとした矢先、呆れ八割苛立ち一割の成人男性ヴォイス&ハンドで毛布共々寝台からひっぺがされた。

 ゴロンと掃除が行き届いているのだけが取り柄の床に転がり落ちる。

「酷い……酷いです、師匠」

 目の前の隙なくピカピカに磨かれた黒い革靴から、いつも通りビシッと決まったスーツのズボン、ジャケット、ループタイ、そしてこちらを見下ろす氷蒼アイスブルーの瞳とは対照的な柔らかい金髪(つまり頭部)まで余すところなく舐めるように見つつ、そう言った。

「舐め回すように見るんじゃねぇ」

「ゲヘゲヘゲヘ。本日も良い目の保養で」

「ゲヘゲヘ言うな。ったく、何でこんなの弟子にした俺……」

「師匠の意志ってより、中央のご意向ですねー」

 眉をしかめ、なんとも言えない顔の師匠にそう言って、再び寝台に戻ろうとしたが、美形目覚まし時計もとい師匠がそれを許す筈もなく。

「寝るな。着替えろ。連れてくぞ」

「くっ、ノンブレスでそんな無情」

「仕・度・しろ」

「……はーい。では師匠、ご退場を」

「表にいるからな」

 おかん、もとい師匠が部屋を出ていくのを見届ける。

「ふう。さて……。ククク、師匠もまだ甘いでげすな」

 自然と浮かぶ勝利の笑み。そそくさと毛布を手繰り寄せ。

「おやすみなさ」

「簀巻きにしてやろうか」

「おぅ……。ドアの外で息殺して窺うなんて師匠も中々のHENTAIデスね!」

 とか言ったら、ドアを開けた師匠の額に青筋が浮かんだのでこれくらいにしておこう。

「仕度しろよ?」

 氷蒼の瞳がそれはもう冷たくてゾクゾクしてオイシイのですが、それを口にして二十そこらで師匠の血圧を上げ続けるのもよろしくない。

「はーい」

 やや恨みがましい視線を残しつつ、師匠が再度ドアを閉める。

「さて、じゃ、着替えますかね」

 寝台脇にある引き出し付きの机、その上に置いた洗面器に水差しから水を注いで、顔を洗う。

 師匠の視線とは違った意味で冷たい感触に目と頭が醒める気分だ。

 タオルで顔を拭いて、ブラシを片手に一応鏡を見て髪をとかす。

 オレンジよりは赤みのある髪は腰まで。苔色モスグリーンの目、十六相応のはりが保たれている健康肌の自分が、鏡の中で少しばかり何か企んでいそうな笑みで見返してくる。

「よしよし。いつも通り」

 無駄もないけど凹凸も少ない身体は、着替えも手早くこなせるので、あっと言う間に寝間着からいつもの仕事着。

 上は白シャツ紺ベスト。最近は冷えてきたからオフホワイトの長袖カーディガンを羽織る。

「あ。でも一応、こっちも着ないと駄目かもね。夜帰り冷えるし」

 セーラー襟の紺ブレザーは、銀ボタンが付いて襟と袖口、裾に銀糸のラインが入っている。

 下は防寒として黒いタイツと、紺地に白と黄色のチェック柄が入った膝丈ハーフパンツ。サロンタイプのポケット付き黒いエプロンは、ほぼ巻きミニスカートだ。

 味の出てきたチョコレート色の革靴ローファーにスリッパから履き替えて、最後に忘れていた髪を首の後ろで一つに束ねる。

 大家兼従姉で友人より贈られた白いレースのリボンがあるお陰で、束ねただけの髪でもそれなりにきちんとして見えるだろう。

「完璧。じゃ、行こうかな」

 イーステッド地方レンザの小都市、ユルナノグ図書館の司書見習い、イネス・メリーベルはいつものようにどこか不敵な笑みを浮かべて部屋を出た。




「そんな……こんな所でなんて」

 泣き出しそうに潤んだ瞳と僅かに上気した頬。切なげとも言える視線を目の前の男性に向けるも、その答えは無情を通り越して無機質だった。

「メシ抜きにするぞ」

「だってぇ、薬局ファーマシーの健康食不味い」

「お前なぁ……」

 金木犀キンモクセイの香りが漂う朝、石畳と街灯が綺麗に整えられた街中を通り、何故か師匠は図書館と反対方向へ向かっていた。

 このまま行けば街外れに出て店もなくなる。あるのは薬草畑と森と丘、そして丘に建つ廃屋一歩手前の洋館だけだ。

「お前がどうしてもと言うから寄ったんだろうが!」

「何でそれが薬局なんですか。普通、市場マルシェでしょう」

「反対方向だ」

 良いからここで買え。そんな圧力が掛かるも、屈したら一日の始まりを告げる朝食が大惨事を迎えてしまう。そして多分、昼食も二次災害。

「ここの持ち帰りは地獄の不味さなんですよ!」

「あらかじめ仕度をしていなかったお前の責任だ。薬局の持ち帰りに美味さを求めるな」

「庶民のささやかな幸せである食事なんですよ? その大事な一食! 求めるに決まってるじゃないですか!」

 レンガの壁や白く塗られたドアや持ち帰り用の受け渡し口、アーチを描く窓とレースのカーテンから覗ける店内は綺麗に片付けられている。そんな薬局の軒先で不味い不味いと連呼していたからか、新たに混ざった声は地獄を這うように低いものだった。

「お前達、黙って聞いてりゃ不味い不味いと……」

 可愛い扉から熊出現、もとい、熊みたいなご面相の店主出現。

「あ、おはよー大将」

「おはよー、じゃねぇ! メリーベル! 誰の持ち帰りが不味いってぇ?」

 いやいや貴方、その熊面だけで十分でしょう。

「おめぇ、今なんか考えやがったな!」

「あははー」

「大体、不味いわけねぇ! 俺の自信作、超健康バーガーが!」

「大将、現実見ようよ。不味いよ」

「なにぃ? どこに不味い要素がある! 俺特製、超完璧バランスパティ!」

「うん。成分言ってみ?」

「究極のバランスを考えたビタミンパウダー(俺特製)を畑の肉である大豆と併せ、プロテインと共に練り込み」

「……」

「バンズも野菜が効率よく摂取できるよう、考え抜かれた野菜粉末を混ぜた特製! これで野菜嫌いな子供でも無理なく」

「いやいや、二度と野菜食べなくなるから」

 視界の端、師匠がハンカチで口許押さえてげっそりしてますが、貴方はそんなものを弟子に食べさせようとしていたんですよ?

「もう! お兄ちゃん、いい加減にしなきゃダメよ」

「う。メルシー」

 鈴を転がすようなまさに天使の声と共に、熊店主の後ろから可憐を体現したような少女が現れる。

 年齢は十六で、ふっわふわの肩より少し上で切り揃えたウェービーヘアは星みたいなキラキラの金髪だし、長い睫毛に縁取られた瞳は晴れた空色。ゆったりとした若草色のワンピースに白いエプロンをつけて、白い花の飾りがついたサンダルを履いている。

「やっほー。メル。今日も可愛いね。グヘヘヘ」

「メリーベル! お前うちの妹を邪な眼で見るんじゃねぇ!」

「お・に・い・ちゃん?」

 子ウサギに頭の上がらない熊といった風に、メルシーに怒られ店主がたじろぐ。

 ぷりぷりと怒りつつ、それでも本気で怒っているのではないのだろう。その証拠に、店主からこちらに向き直った顔は本当に見るだけでご飯三杯いける美少女スマイルだった。

 飯ウマである。

「うふふ。おはよう、メリー。それから、スピネルさん」

「おはよう、ミス」

「今日はどうなさったんですか? 図書館始めには随分早いみたいですけど……」

 そう。図書館の開館は通常十時。今は六時。

 しかも図書館とは反対方向のこの場所にいる。メルシーが不思議に思うのも致し方ない。

「少し特別な用があるんだが……」

 ちろりと呆れたような視線が寄越される。

「いや、だって私も未だに何で今日、こんな朝早くから叩き起こされたのかわからないんですが」

「……まさか本気で言ってないだろうな?」

「本気じゃなきゃ言いませんが」

「お前……」

 頭痛でも抑えるかのように片手で顔を覆い、師匠が俯く。

「自分に届く郵便物のチェックもまともにしてないのか!」

「職場ですか家ですか。どっちにしろここ一週間中央から怒濤どとうの書類送付祭りが開催されてた事、忘れてないですよね?」

 昨日やっとの事で終らせたばかりなのは記憶にも新しい。

 あのデスマーチを忘れたとは言わせない。

「……情けなくて涙が出そうだ」

 深いため息をつき、そうは言われてもあの書類ラッシュでは。

「とにかく、大変なんですね……。あ、そうだ!」

 メルシーは手を叩くと、一度店内に戻り、小さなバスケットを持って帰ってきた。

「いつもお疲れ様です。これ、良かったら。ただのジャムサンドですけど」

 なにこの天使。

「ありがとう! メル!」

「ふふ、お仕事これからも頑張ってね」

「悪いな、ミス。……もう行かないと待たせる」

「いえいえ。これからもメリーの事、よろしくお願いします」

 ひらひらと手を振って見送るメルシーと別れ、歩き出す。

 何はともあれ、朝食兼昼食が凶器の狂気バーガーになる事だけは回避出来た。天使の笑顔を思い出すだけで、ジャムサンドは天上のフルコースに変わるだろう。




「で、特別な用って何なんですか?」

 市街地を抜け、丘を登った先にある洋館を目指し歩く最中、師匠の用事とやらを聞いてみた。

 何せ目的の場所が分書館(平たく言って半書庫の図書館で、主に本館に入りきらなくなった書籍を格納、一応閲覧も出来る所)だ。

 特別な用なら本館で良いと思うし、何より此処は三年前にあった事件の所為でいわくつきになり、現在は閉館。この街の図書館長である師匠が管理の為、月に一度は清掃業者を入れているらしいけど、外観は廃墟一歩手前だし。

「ま、まさか師匠、愛の告白……? そんな。まだ心の準備が」

 などと、わざわざしなまで作って言ってみる。

「お前、自分への郵便物は本当にチェックしろ」

 辿り着き、鍵を外し分書館の扉を開ける師匠から氷刃のごとき視線が突き刺さる。たまらん。

「それから、少しの間くらいまともな受け答え出来ないのか」

「ふう。……はーい。わかりました。師匠センセイ

 開いた扉の向こう側から、古い図書館独特のすえた匂いが手招きする。もう三年は書籍をいだいていないのに、そこにある匂いは紛れもなくインクや紙、様々な叡智の結晶である本が放つものだ。

 目の前には大理石の大広間エントランス。四階まで巨大な吹き抜けとなっているその天井にはドーム型の硝子窓。

 本の事を考え、半透明の硝子を採用している。

 硝子窓を通った柔らかな晴天の光りが、大理石の床へ降り注いでいた。

「行くぞ」

 利用者の居ない館内に師匠の靴音が響く。

 大広間の真っ直ぐ奥には貸し出しカウンター。広間の両端は一段低くなっていて、濃緑のカーペットが敷かれている。

 一段低くなった繋ぎ目には三段程度の階段があって、近くに今はほこり避けのカバーを被ったソファや長椅子、そこと奥の書架群との間には幾つものテーブルと椅子。今はどの椅子もテーブルの上に上げられ、あるべき読書灯のランプは無い。

 薄暗いその空間と広間中央のコントラストは、少し怖い気もするだろうか。

(まぁ私には、寝てる人の隣を起こさず通り過ぎる時の感覚に近いけど)

 この図書館は死んでいるのではなく、眠っている。

「何してる。こっちだ」

「はーい」

 静謐の中を進み、カウンターの裏にあるドアを開け、廊下の突き当たりへと。

 久方ぶりの来客に軋む音を立てながら、館長室のドアが開く。

 部屋の中には執務机と大きな窓、壁際に空っぽの棚があるだけ。

「とりあえず、待て」

「本当に何の用なんです?」

「待てばわかる」

「良いですけど……、埃っぽいので窓開けますよ」

 換気の為に執務机の背後にある窓を開けると、草木の匂いと微かに近くの湖で冷えた空気が頬を撫でた。

 これ、冬はもっと冷えるな。

「ごめん。お待たせ」

「え。ユート兄さん?」

 聴こえた声と視界に生えた姿に思わず目を丸くしてしまう。

「相変わらず時間に正確だ」

 栗色の柔らかで艶のある髪に菫色の帽子を乗せ、郵便配達員を表す同色の制服に身を包んだ長身の青年、左目のまなじりにナキボクロがあるその人は、いつものようにニッコリ笑って窓枠を軽々と飛び越え部屋へ侵入した。

「正確だが、窓から入るな」

「ゴメンゴメン。ちょっとギリギリだったから、つい」

「ユート兄さん、どうしてここに?」

 色素が薄く明るい黄色みが強い茶の瞳が、茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。

「そりゃ、メリーの晴れ舞台だからね。他の奴にこの役目は譲れないよ」

 訳がわからないけど、ユート兄さんは小脇に抱えた濃紅の布包みを誇らしげに掲げて見せた。

 開かれた白紙の本を守るように交差する二つのペン。そのペン先からはインクが流れ、文字と紋様を絡み合わせながら円を描いている、中央図書館の紋章が金糸で縫いとられた濃紅のビロード袋に自然と目がいく。

「晴れ舞台……?」

「あれ? 反応薄い……もしかして、知らない?」

 パチパチと瞳を瞬き、ユート兄さんは師匠へと回答を求めるように視線を投げる。

「こいつ、自分宛ての手紙に目を通してないんだ」

「ああ。書類送付凄かったからね。なるほど」

「さすがユート兄さん。わかってらっしゃる」

「ユート、仕方ないみたいに言うな。忙しくても見るもんなんだからな」

 むう。師匠の言葉は正論だけど執念深いですね。

「お前、今思った事言ってみろ」

「ふふ。君達は本当に仲良しだね」

「あーもう良い。とっとと始めるぞ」

 師匠はそう言うと、執務机の前に来るよう指示を出す。

「ユート、読み上げ頼む」

「うん。では……。この度、中央図書館庁は貴殿の適性検査および試験の結果を認め、ここに初級司書官位を授与する。貴殿の今後の活躍を願う。中央図書館庁、長官」

 ユート兄さんが読み上げた言葉が頭に浸透する頃には、兄さんから師匠へと布包みが移っていて、師匠は不安たっぷりの顔でそれを差し出す。

「私、リヒター=スピネルはイネス=メリーベルの初級司書官位取得の認可及び中央図書館庁長官に代わり授与を行う。……問題起こすなよ?」

 一言恐らく本音かつ本来の台詞には載っていない言葉を付け加えつつ、そう言う。

「えーと、ありがとうございます?」

「何で疑問系なんだ……」

「いやー、びっくりびっくり。いつ試験とか諸々受けましたっけ?」

「お前いい加減にしておけよ? 半年前に中央行ったのも忘れたのか!」

「あー。もしかして、あれがそうですか」

「…………ユート」

「ふふふ。メリーには試験て感じじゃなかったのかな?」

 だって試験が製本作業とは思わないでしょう普通。

「三冊本作れってのが中央の一般的試験だとは露知らず」

「違う。いや、試験ではあるが……とにかく、受け取れ」

 差し出されたそれを受け取ると、思いの外ずっしりとした重みが両手に伝わった。

「ん? この感触と重さは……本?」

「お前が創った物達だ。試験が終われば返却する」

「へぇ」

 と、言うことはあの時の三冊か。そんな思いで何も考えず袋の口を開ける。

「あ! おい、不用意に」


主人マスター――――!」


「へ? どぅおぅふっ!」

 師匠の制止と謎の奇声、そして物凄い勢いで何かに押し倒されるのはほぼ同時だった。

「主人! 主人ー!」

「ちょ、ギブギブ! 苦しっ」

 何か凄い勢いで頬すりされてる! このままだと頬が流血の惨事な予感!

「邪魔」

「――っ!」

 ガッ! という鋭い音と共にのし掛かっていた何か(恐らく誰か)が壁際までブッ飛んだ。

「マスターが潰れる……。その前に潰す」

 透き通る水のような声なのに何か物騒な言葉が聴こえる。

御主人様マスター、お怪我はありませんか?」

 そっと肩を支え抱き起こし、手をとったのは、左から右へ肩の上で綺麗に髪を斜めカットした金髪に鳩血色ピジョンブラッドの瞳を持った、二十代半ばの執事みたいな格好をした青年だった。

「あー。はい。大丈夫です」

「良かった」

 ホッとしたらしく息をついたその人が、今度はやれやれとした顔で物騒な音が響く方を見る。

「セレ。それくらいに。御主人様マスターが驚いています」

「メーが、悪い」

「痛たたたたっ!」

 ガスッゴスッと容赦なく床に転がった紅と黒の多分人っぽい何かを、花嫁のように花と真珠飾りのベールを被り、淡く溶けるような水色と白いレースの合わさった、床に付きそうなくらい裾の長い衣装。センタースリットから伸びるほっそりとした美脚をやはり衣と同色のニーハイブーツで包んだ人物で、淡々と、しかし的確に容赦なく背骨を踏みしだいていた。

 しかもよく見れば中々にブーツのヒールは細い。あれは痛い。

「そんな事をしていると、御主人様へのご挨拶がどんどん遠退きますますが、宜しいのですか?」

「!」

 ピタッと動きを止め、容赦の欠片もなく何か(誰か)を踏みつけていたその人は、慌てるようにして戻ってきた。

「あ。すっごい美……」

 少年か少女かどっちだ! ってくらい中性的なその人は蒼く輝く銀髪を結い上げていて、目線を合わせる為にしゃがみ込んだ体躯は小柄。濃い青から明るい碧へ変わる瞳は大きく、揺らぐ海の色だ。

「どっちでも綺麗な事には変わりないよねゲヘヘ」

「マスターに褒められて嬉しいです……」

 ぽっ、と頬を染める様は物凄く可愛い。が。

「何かさっきから、スルーしてたけど変な言葉が聴こえる」

 説明を求めて、傍観に徹する師匠とユート兄へ目を向けた。

「何と言うか……お前らしい【物語化身イマジンアバター】達だな」

「元気いっぱいで楽しそうだね」



 物語化身イマジンアバター、もしくは化身アバターと呼ばれる存在がいる。

 彼ら彼女らは表す言葉そのまま、物語の化身。

主人マスター……ゴメン」

 ショボンと目の前で正座しているのは、葡萄酒色ワインレッドの腰まで伸びたストレートヘアで、右側頭部に何故か一つ三つ編みがある、新雪みたいに白くて綺麗な肌をもつ青年だった。

 顔立ちは妖艶系で、見つめてくる睫毛と瞳、そして唇も髪と同色。身に付けているのは所々ベルト飾りのある黒い長袖シャツ、どう見ても下着ではなくお洒落用の紅に黒い紐で締めたファッションコルセット、黒いズボンにやはり飾りベルトと銀のチェーン、黒い編み上げブーツ。

 叱られた子犬然としているのだが、なまじ色気のある造作だとある意味こちらがプレッシャーを感じるのは気のせいだろうか。

「いや、まあ……いいよ。えーと、『白雪姫』?」

「ありがとう! メーラだよ! 主人!」

「うわっ」

 子犬が喜んで思わずといった風に抱き着こうとするのを、『灰かぶり』が後ろ襟を掴んで止める。

「こら。今の今で何してるんですか」

「あう。つい……」

「メー、自粛」

 ぷくっと頬を膨らませるのは、先程容赦なくその白雪姫ことメーラを踏みつけていた『人魚のお姫様』で、二人はそれぞれこちらに向き直ると、微笑んだ。ヤバい美人の微笑みとかヨダレが。

「パロマと申します。お会い出来て光栄です、御主人様マスター

 優雅に一礼したのは金髪の灰かぶり。

「マスター。逢えて嬉しいです。……セレーヤといいます」

 ベールと衣の裾を両手で軽く摘まんで会釈したのは、人魚のお姫様の物語化身。

「俺達、主人マスター物語化身イマジンアバターだよ」

 無邪気な子供のようにメーラが満面の笑顔でそう締めくくった。

「めっちゃ良い目の保養だけど、師匠解説プリーズ」

「プリーズ、じゃないだろう。そのままだ」

 仕事が立て込んでいたユート兄さんは既におらず、かくして室内には物語達と師匠、自分という感じになっている。

「化身て、図書館の秘術じゃなかったですか? 率直に言うと、一般人がほいほい簡単に使えるもんなんですか魔法」

 しかもそんな大層な魔法使った覚えもなければ、魔女でも魔法少女でもない本気で混じり気なしの一般人。

 秘められた力? 無い無い。

「物語化身について、言ってみろ」

「だから、図書館の」

「もっと詳しく。お前の知る限りで」

「……物語化身は、然るべき準備と場を整え、顕現させる物語への深い理解を伴って初めてその姿を現在に留める事が出来る」

「続けろ」

「化身を顕現させる為の場は、あらゆる雑気から切り離された静寂。化身の依り代は物語に見合う素材を用いて術者が創り、化身の自己は、術者自らの生気と物語への理解をもって確立される」

 つまり、特別な場所で深く学んだ物語の本を作ると具現化されますよ、って。

「思い当たる事は」

「……半年前の本作りですか」

 つーことは、と視線を抱えたままの布袋、その中にある三冊へ向ける。

『白雪姫』

『灰かぶり』

『人魚のお姫様』

 この三冊は、中央の試験で作ったもの。そして、今。

 その本を本体としている物語化身が目の前にいる。

「なるほど。確かに私がこの三人の術者みたいですね」

 何か、この三人は自分の子供ですって認知した気分。

「補足するが、魔女や魔法使いじゃなくてもできる術だ。少なくとも、最初以外は」

「最初?」

「最初にこの術を編み出したのは、そういう奴らだったらしいからな」

 魔女や魔法使いがおとぎ話に近く思えるのは、そこらにうようよ居ないから。少しずつ、忘れられる存在だからかも知れない。

 術者がそうして忘れられるから、魔法自体も同じ末路を辿る。

「今はその術を解析して同じ事が出来るようにしているから、条件が揃えば誰でも、生者ならこれは行える」

「うわー。その物言い、嫌な予感するんですが」

 生者って何。生きてるのが条件とか。

「別に身構えるな。ただ、少し本に生気を吸われるだけだ」

「いやいやいや、過ぎると死にませんかそれ」

「三冊作っても生きてるだろう。生気と言っても、作業に傾ける集中力程度だ。あの試験部屋は、普通と違って生気を霧散させない仕掛けになっているからな」

「生気を霧散?」

「集中力があの部屋だとやけに長続きしなかったか?」

「……しましたねぇ」

 素人仕事とはいえ、一月一冊本が作れる。しかも初心者が。

 思えば異常な集中力を発揮出来ていたような気がしなくもない。

「物凄い疲労感もきましたが」

「集中力するというのは、そういうものだ。話を戻すと、あの部屋だからこそ魔女でも魔法使いでもない人間が術を行使できるという事だな」

 部屋自体が術の条件らしい。

「そこに、特殊な素材と物語への理解……これも変な話しだが、理解というより解釈か」

「解釈」

「物語化身に、同じ者は一人もいない。同じ物語を化身にしても、人それぞれ異なる」

 ちらりと、師匠は三人の物語化身達を見た。

「彼らは、お前だけの物語への解釈だ。お前がその物語へ抱く想いそのものだな」

 クスクスとメーラが艶やかに笑み、柔らかな笑顔でパロマが会釈、セレーヤは淡く仄かに微笑んだ。

「そうだよ、主人マスター。俺達は、主人だけの物語」

「うぉ!」

 抱きっとメーラが背後からぬいぐるみを抱きしめるみたいにくっついてきて、パロマが泳いだ片手を取って優しく握る。

「これまでも、これからも。私達は貴女と共に」

 トドメはセレーヤが子供みたいに前から首に抱き着く。

「マスターの、力になる」

「あー、うん。ありがとう」

 これは、あれだ。秋に野原に出るとくっついてくるオナモミ状態。

「お前達、そろそろ仕事の時間だから離れろ。終わったらボロくなるまでくっついてて良いから」

「うわーぉ、さらっと人でなしな事いってますよ師匠」

「まだ説明する事は山積みなんだ。お前はともかく私はこの後、普通に本館に戻って業務があるからな」

「私はともかくって事は、お祝いで私は休日」

「お前は掃除だ。化身達とこの分館の大掃除」

「ちょ、ここ全部ですか」

「月一で業者を入れているんだ。言うほどじゃない。それに、まだ本も入ってないんだから、余裕だろう」

 確かに本が入っていない書架はただの空棚。はたきを掛けて、拭けば終わるけれど。

「化身達と手分けすれば夕方の終業時間までに終わる」

「はあ。わかりました……」




「……生きてるか?」

「うぅ、師匠の人でなし」

「元気そうだな」

 眩しく直視出来なかった太陽も、茜に滲みながら落ちていく夕方。

 力尽きた愛弟子が大広間の床で屍のように横たわっているのを見ても、師匠の顔と言葉に哀れみは無かった。

「これが元気そうに見えるなんて、師匠、その歳で老が」

「誰が老眼だ。調子に乗る元気が余ってるなら、宿直させるぞ」

「いや、無理ですから。今日これ以上働いたら死んじゃいます」

「ならさっさと帰り仕度しろ。ここを閉館する」

「はーい」

 のそのそと起き上がり、帰り仕度をしていると、背後から痛いくらいの視線を感じた。

「マスター……」

「セレ、また明日来てくださいますから」

「主人ー、泊まって行かない?」

 三者三様ながら、いずれも纏う気配は同じ。

 すなわち、帰るの? だ。

「流石に急に泊まりは無理かなぁ……。姉さんに連絡してないし」

 大家の従姉に連絡なしの無断外泊は、後々を考えて遠慮したい。

「ん? いや、逆に私が本を持って帰れば」

「やめておけ。今のお前と化身達じゃ下手すると消える」

「消える?」

 不穏な師匠の言葉にそちらを見る。

「言っただろう。物語化身を生み出すには特別な部屋が必要で、加えて術者の生気が必要だと。……ある程度の期間を一緒に過ごして生気を蓄えた物語化身ならともかく、成り立てでしかも放っておいたら後一月くらいで消滅する脆弱な赤ん坊には無理だ」

「むー。俺達は赤ん坊じゃない」

「待った待った。後一月くらいで何って言いました?」

 メーラがふくれっ面で抗議するが、引っ掛かるのはそこでなく。

「化身達は人間の生気、とりわけ術者の生気を糧にしている。つまり、人間と同じで食べなきゃ消滅するんだ。お前とは半年離れていたし、それに」

「こほん。えぇと、御主人様マスターのお師匠様、少し宜しいでしょうか」

「何だ? 灰かぶり」

「そこについては、触れなくても……。確かに、御主人様に会えず、一月触れられもせず放置されればその可能性もありましたが、今はそこについては大丈夫です。要点は、館の外に出るには蓄え不足なので一緒に外出できない、という事ですね」

「連れて出てみろ。たちまち崩壊するぞ。崩壊しないようにと思えば、大量に術者の生気が必要だ。そうなれば」

「御主人様が危険になります。それなら、私は次の日に会えるのを楽しみに待つ方が良いです。ね?」

「う……。主人マスターが危険なら俺も待つ方で良い」

「マスター、大事。何よりも」

 師匠が、わかったか? と物語化身とこちらをみる。

「つまり、私が正真正銘の干物ミイラになるか、メーラ達が消えるかの二択になるからやめとけって事ですね」

「そういう事だ。お前自身の力がつくか、化身達が十分生気を蓄えれば話は別だが」

「了解です」

 今は無理。後々だ。

「さて、帰るぞ」

「主人、明日も来てね」

「気をつけてお帰り下さいね」

「マスター、待ってる」

 さっさと出口に向かう師匠と、見送るメーラ達を分館に残し帰路についた。

 その夜。

「…………」

 満月の光差し込む屋根裏部屋じぶんのへやで。

 何故か現在、やけに騒ぐ犬の声に窓を開けた瞬間、入ってきた永遠少年ピーターパンならぬ侵入者に手で口を塞がれ背後から拘束されているという事態にある。マジで。

(てか、この侵入者、人間じゃないっぽいんだが)

 手。何か甲側が獣みたいな毛深さと爪だけど人間。多分男。

 胴体。服着てる。人間。見えないけどもしかしたら尻尾あるかも。

 足。靴履いてない。つーか、多分履けない。毛深いし爪人間のじゃないしでかいし、どっちかっていうと犬とかの足特大版。

(決め手は、絶賛耳元で息遣い垂れ流し中の口だよね)

 ハァハァって息遣いより、赤ずきんが喰われるのも無理ないわー、と思える牙がある口。これに優る衝撃は無い。

(人狼だよなぁ、これ)

 自分でも驚くくらい冷静にそう分析して、さてどうしようかと考える。

(危機には変わり無いし、ここはやっぱ……)

 導き出した答え、それは!

(肘鉄か!)

 と思ったのだが。

(……あー。何だかなぁ)

 どう考えても、今一番危機的状況なのは、自分。間違いない。

(なのに何で侵入者で私の口塞いでる人狼が、私以上に震え……いや、これ完全に怯えてるよね)

 仕方ない。とりあえず肘鉄は保留した方が良さそうだ。

(てなると、どうするかなぁ……あ)

 ビクッと人狼が身を硬くする。

「ネス? 大丈夫?」

 窓を開けて人狼が入ってきた時、そして口を塞がれた時。それなりに物音がした。外では犬も吠えてるし、多分全部が理由だろうけど、従姉を起こしてしまったようだ。

(うん。面白いくらいの動揺っぷり。だけど……)

 これ以上ややこしいのは勘弁して欲しい。明日も早いんだ。当分は六時起きだし。従姉はそれ以上に朝が早い。

 コンコンと続くノックに、アワアワと狼狽える人狼。その口を塞ぐ手を、軽くつつく。

 そもそもこの人狼、口塞いで後ろから人の事抱えて拘束してる癖に、両腕自由にさせてる辺り間抜けだ。

 つついたらビクッと動いたが、目が合った瞬間、大人しくなった。

 親指でドアを示し、そのまま人差し指で自分の塞がれた口、それからまたドアを指す。躊躇うような間を置いて、人狼が手を退かす。

「……」

 本当に恐る恐る、まだ猜疑心の残る赤い瞳でこちらを見下ろした。

「ネス?」

「あー、ゴメン。そんなに音響いた?」

 やっと自由になった口で心配してくれる従姉にそう返す。

「少し。……大丈夫なの?」

「うん。平気。朝早いのに起こしてゴメン」

「良いのよ。それじゃ」

「おやすみ。また朝に」

 遠ざかる足音に、人狼の体から力が抜ける。

 今なら肘鉄で確実に沈められるけど。

「で。いつまでうら若い乙女を、ぬいぐるみよろしく抱き締めてる気かな?」

「!」

 言ったら、ズササッ! と危険物が近くにあるような速さで遠ざかられた。

「何で私の方が怖がられる図式になるのかな。あ、そのまま待機ね」

 壁際で固まる人狼は一先ず置いて、寝台の足元にある木製の長箱を開け、毛布を一枚引っ張り出す。

「はい。とりあえず、これ。じゃ、おやすみ」

 引っ張り出した毛布は筒状に丸めて縛ってある。それを人狼の足元まで転がした後、寝台に入ってそう言った。

(寝よう。朝早いし)

 貞操の危機とかあのビビり様じゃ可能性薄いし、物取りならさらに無さそうだ。それなら、これ以上貴重な睡眠時間取られてたまるか。

 何となく壁際の人狼が絶句した気配を感じたけれど、三大欲求に数えられる内の一つには抗えず、目を閉じた。

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