第三十四話 惨劇(一)


 アイ達が路面電車を乗り継いでアストラエア都A-一区南東街に到着した頃には、日はとっぷりと暮れていた。


 三人が下層へ下りる為にスレッドを探していた所へ、ピリリリリ——と、携帯電話の着信音が鳴った。タダシのブルゾンのポケットからだ。タダシは携帯電話を取り出して、通話ボタンを押した。


「——クリスか?」


 電話の相手は、事務所に残っているクリスのようだ。アイは何と無しに耳を傾けた。


「——あぁ。例の男は見つけて、の居所を掴めたんだ。それで今、そこへ向かっている最中だ」


 タダシが電話口に向かってそう言うと、甲高い怒号がタダシの携帯電話に返ってきた。


「——……耳元で喚くなっ。そんな事は承知の上だ。ちゃんとも持参しているっ」


 タダシの言うお守りとは、護身用の拳銃の事だ。タダシは無意識に、胸元部分をポンと叩いて、それがちゃんとある事を確認した。 


「そう言う事だから、暫くはそっちに戻れそうにない。タロウにもそう言っといてくれ。あと、用心の為にもケイタイの電源も切るから。事が済んだら、またこっちから電話する。それじゃあな」


 タダシは息つく間もなく話し切ると、通話を切った。


「タダシ、無理矢理切った?」


 アイがそう聞くと、タダシは嫌そうに顔を歪めた。


「あいつの小言には付き合ってられん。キャンキャンとやかましくて敵わん」


「この前とは立場が逆転してるな」


 にやにやと、レオンが笑って言った。


「ま、向こうからしたら気が気でないだろう事を、所長は理解出来るだろう? そこは甘んじて受け入れてくれ」


「じゃあ、お前が代わりに受けてくれ」


「そこは年長者に譲るよ」


 タダシとレオンが軽口を叩いている内に、奥まった道の先でスレッドを見つけた。アイ達はスレッドの中へ入って再び下層へと下りると、マルジージャから聞いた通りに裏通りへと向かった。


 人の気配が無い裏通りを進んで行くと、アイ達はぼんやりと点滅する青白いネオンサインを見つけた。そこへ近付くと、長方形にぽっかりと空いた建物の開口部の横に、「ライブバー」の文字が控え目に発光していた。


「ここが、例の場所か……?」


 レオンが確かめるように呟いた。


 タダシが何の飾りっ気も無い開口部を潜って行き、アイとレオンもそれに続いた。中に入った直ぐ横には、マルジージャの言った通りに電気メーターボックスがあった。タダシは屈んで、その裏底を覗き見た。


「……どうやら、そのようだな」


 アイとレオンもタダシの横で屈み、電気メーターボックスの裏底を見た。そこには確かに、白い花の絵が描かれていた。


「アイが見た物と一緒か?」


 尋ねてきたレオンに、アイは小さく頷いた。そして三人は、階段を下った先にある扉を見た。その扉もマルジージャから聞いた通りに、小窓があった。


 ―—アネモネのアジトが目の前にある。


 その現実を前にして、アイ達の間にある空気が張り詰めた。


「——確か、合言葉が必要だったな。『レキシアリシア』だったか? あの男もちゃんと聞き取れなかったって言っていたから、正しい発音なのか不安だが……堂々と行ってみるか?」


 張り詰めた空気を誤魔化すようにレオンが軽い調子で言うと、タダシは呆れたように咎めた。


「もし入れたとしても、疑われるだろうよ」


「素知らぬ振りをして、合言葉を言えば入れると聞いたって、正直に言ったらいいんじゃないのか? 合言葉を聞かれたのは奴らの落ち度だろう?」


「それで向こうが納得したとしても、無事に帰してくれると思うか? 聖人じゃないんだ。余所で妙な噂を立てられるぐらいなら、口を塞いだ方がマシだろうよ」


「死人に口無しか。とんでもないな」


 レオンは「ハハッ」と、乾いた笑いを漏らした。


 そこへ、アイがずいっとタダシとレオンの前に出て、階段の下にある扉を見下ろした。


「アイ?」


「私が行ってくる。一人で」


 アイはそう名乗りを上げて、地下に続く階段に足を伸ばした。それを、面食らっていたレオンが、咄嗟にアイの手を取って引き留めた。


「正気か?」


「女なら警戒心も薄れるだろうって事で、私が駆り出されたんでしょうが」


「それは情報収集の為だ。それに、何も一人で乗り込めって話じゃ無かっただろう? それに、こんな人気の無い場所に、女性が一人だけって言うのも妙だと思わないか? 余計に怪しまれる」


「下層なら、女の浮浪者も珍しくないでしょ」


「——だとしてもだ。危険だと分かっていて、女性を一人で行かせる男がここにいるとでも?」


「……タダシ」


 アイは溜息を吐き、タダシを意味深長な目で見据えた。


「分かるでしょう? 私一人で行った方が、リスクが少ないって」


 タダシは苦い顔をした。だが、間も無く頷いて見せた。


「……分かった。アイ、様子を見に行ってくれ」


 レオンは信じられない目で、タダシとアイを交互に見た。


「所長まで……本気で言っているのか?」


「アイが適任だ。アイの身軽さは、お前も知っているだろう」


「だからって―—っ」


「分かってくれ」


 タダシは、宥めるようにしてレオンの肩を叩いた。間を置いて、レオンは諦めたように息を吐いた。


「……了解した」


「よし。アイ、危険を感じたら直ぐに身を引くんだぞ」


「分かった。タダシとレオンは、何処かに隠れてて」


 アイがそう言うと、タダシは未だに渋い顔をするレオンに、外で身を潜めるように促した。先に外へ出たレオンを見送ると、アイはタダシに向かって小声で言った。


「もし、ヨンスを見つけたら、何が何でも連れ出すから。騒ぎが聞こえたとしても、絶対に来ないで」


「……気を付けろよ」


 そう気に掛けるタダシに、アイは皮肉な笑みを向けた。


「誰に向かって言ってんの」


 そうして、タダシも外へ出て行き、アイは階段を下って行った。一段一段と下りる事に、ドクドクと鼓動の音が大きくなっていった。一般的な人間よりも強いと自負するアイでも、流石に犯罪組織のアジトに乗り込む事態に気が張っていた。しかし、アイは自分一人なら上手く立ち回る自信があった。それは、昔からの知り合いであるタダシも理解しているからこそ、アイ一人に任せたのだろう。


 最後の段を下り、アイは扉の真ん前に立った。——もしも、扉を潜った先にヨンスが居るのならば、アイは即刻連れ出して駆け出す気持ちでいた。


 アイは短く息を吐き、扉をノックした。


「……」


 ……誰も応対しない。


 アイは、もう一度ノックをして暫く待ったが、扉の小窓が開く所か、扉を隔てた先に人の気配を感じなかった。アイは再度、今度は強めに扉をノックした。すると、ノックをした振動のせいか——扉が微かに開いた。


「開いてる?」


 アイが扉の取手にそっと手を遣ると、静かに扉が開いていった。取手を掴んだ感触に違和感を感じたアイは、扉のラッチ部分を見ると、そこは壊れていた。異様に思いながらも、アイは開いた扉を潜って静かに中へと入った。


 ライブバーと銘打っている通りに、ぼやっとした明かりが照らされた店内は、ホールにはテーブル席が幾つかあり、バーカウンター、奥に小さなステージがあった。——そして、誰も居なかった。


 アイは店内から出て、階段を駆け上がった。


「タダシっ、レオンっ」


 アイは建物の外に出て、何処かに隠れ潜む二人に呼び掛けた。


「アイっ、どうしたんだっ!?」


 姿を現したタダシとレオンに、アイは声を上げて言った。


「中に誰もいないっ——」


 そうして、今度は三人でライブバーに入った。やはり、しんとした店内には、誰かが居る気配は無かった。


「当てが外れたのか?」


 レオンが、毒気を抜かれたような声音を漏らした。


「アジトは幾つかあるだろうし、場所を移動したのかもしれんな」


「でも、何だかおかしくない? 店のドアの鍵が壊れていたし、店の中の明かりが付きっぱなしだし」


 タダシの言う事も一理あったが、アイは腑に落ちなかった。


「確かに、不可解と言えばそうだな……」


 タダシはそう言うと、一台のテーブルに近付いて、テーブルの上を人差し指で擦った。


「埃もそんなに積もっていないな」


 と言うことは、長く無人だった訳では無いようだ。


「少し調べて見るか……」

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