第二十九話 とある愚か者


「そう言えば、マスターは昨日起きた陥没事故を知っているか?」


 直接的にアネモネの話は振らなかった。けれども、アネモネの話に到達しそうな話題を振ってみて、情報を引き出そうと試みる。レオンの問いに、マスターは「もちろん」と当然のように頷いた。


「そういや、華爛街の裏手で大穴が空いたって、昨日聞いたな」


 タダシも話に乗っかり、詳しくは知らない風を装って言った。


「今までそんな事故は起きなかったのにな。マスターは、何が原因だったのか知っているかい?」


 レオンは情報に飢えた客の振りを完璧にこなして、マスターに尋ねた。すると、昨日イェンが言っていた通り、大穴は陥没事故では無く、作為的な物だと、マスターは答えた。


「俺も現場をちらっと見たんだが、間違いないよ」


「誰かが穴を空けたって事?」


 アイもストローから口を離して話に混ざり、それらしい事を言った。


「あぁ、その可能性が高いよ。それも、それを犯したのは、あのアネモネだって話が上がってるんだ」


 これも昨日聞いたばかりだが、レオンは「それ、本当なのか?」と驚いて見せた。レオンの食い付きの良さに、元情報屋のマスターも饒舌になった。


「その他には、『外界の瘴気から逃げ遅れて地下で彷徨っていた人間が這い出てきた』や、『巨大モンスターが穴を空けた』などの噂が広まりつつあるね」


「モンスター……」


「『地下を彷徨う土竜もぐら人間』の都市伝説は聞いた事あるが、『巨大モンスター』は初めて聞いたな」


 アイが訝しげに呟き、レオンは興味深そうな表情を浮かべて顎髭を指先でなぞった。


「最近、出回っている噂だよ。嘘か本当か、そのモンスターを目撃したって人間もいるらしいがね」


「如何にも、オカルトだな」


 タダシもアイと同様に怪訝な顔をして、鼻を鳴らした。


「そんな話を聞くと、アネモネの犯行だって言う方が、真実味が増すな」


 タダシがそう言うと、マスターは顔をしかめて「それもどうだかな……」と、曖昧な態度を取った。


「アネモネが犯行声明も無しに、下層に大穴を空ける事件を起こしても——こう言っちゃ語弊はあるが——何の益にも為らんだろう? 何か仕出かす為の予行だとしても、そんな目立つ事をしちゃ、直ぐに水を向けられちまって、身動きが取りづらいだろうし」


 確かに、マスターの言うことは尤もであり、三人は静かに耳を傾けた。


「俺としては、アネモネの模倣犯だと思うんだよ。この前も、腕にある花の刺青を見せ付けて、『俺はアネモネの一味だ!』って脅してきた客がいたよ。飲食代をバックレようとしやがったんだ」


 アネモネの一味——その言葉に飛び付きそうになるのをアイ達は堪え、レオンが澄ました顔で、「酷いな」と眉根を寄せて見せた。


「その客はかなり泥酔しててね、相手にしなかったら悪態をいて、とっとと違う店に行っちまったよ。——あ、もちろん金は払って貰ったよ。そうしたら、その後に行った店でも問題を起こしたらしく、とうとう華爛街の兵隊に粛清されてしまったんだ。本物のアネモネの一味が、そんな下手を打つかねぇ?」


 マスターは苦笑して肩を竦めた。


「ま、久方振りの粛清劇に、ちょいと荒々しかった酔っ払い客も震え上がってね。最近では、行儀の良い客が増えたんだよ。サービスを提供する側と受ける側、どっちも気持ち良く過ごすのが一番だ」


 兵隊からの粛清……。それを聞き、アイ達はとある男を思い起こしていた。


「その酔っ払い、本当にアネモネじゃ無かったのか?」


 タダシが聞くと、マスターは笑って「無い無いっ」と、手をブンブンと振った。


「未だに主犯格のジェットが見つかっていないってのに、軽率に正体をバラす阿呆はいないよ。しかも、腕の印は刺青。本物は焼印だ。まぁ……俺は昔、アネモネの刻印を見た事があったんだが、あの男の腕にあった印の形は良く似ていたな」


 マスターは思い起こすように顎に手を遣り、輪郭を撫でた。


「それで、その大馬鹿野郎はその後どうなった?」


「さぁ……。華爛街から出禁になったとしか、聞いていないねぇ」


 タダシの問いに、マスターは首を振った。酒場のマスターは情報屋らしく、本腰で探りはしなかったのだろう。男の素性は知らないようであった。


「他にも、そんな大層な事をのたまう輩はいるのかい?」


 レオンは気遣わしげに尋ねてみた。


「そんな大口を叩いていたのは、その客だけだったよ」


「そうか……。ところで、さっきの巨大モンスターの話って——」


 そうして、違う話題に変えて飲み物を干していき、三人は囁き亭を出た。今度はアイも二人と同じように、足を向ける先はしっかりとしていた。次に向かう店は、馴染みのあるショーパブー——カオス・オブ・パラダイスだ。






「——そうそう! 只の八つ当たりだったのよぉ! しかも今回は器物破損のオプション付き! 最悪だったわ!」


 アイ達は、カオス・オブ・パラダイスで熱烈な歓迎を受けると、今日も真っ赤なドレスを見に纏ったコンパニオンのローズをテーブル席に誘って、話を聞いていた。話の内容は、以前、店の前でローズに暴力を振るおうとした男についてだ。


 聞けば、男は前回にもカオス・オブ・パラダイスへ来店した事をあり、飲食やショーを楽しむと言うより、コンパニオン達を侮辱して憂さを晴らしに来ていたようだ。


「何でも、お気に入りのキャバレーの女の子が足を怪我してしまって暫く会えていないって、愚痴っていたわ。しかも、『見舞いに行きたいのに住所も電話番号も教えて貰えない! 何でだ!』って、怒鳴っていたのよ。キモすぎぃ……。そのダンサーの女の子が出演しているショーは、必ず観に行ってると宣っていた程の執着ぶりだったわ。あの男に好かれてしまった子は、気の毒ね」


「そのキャバレーは華爛街の?」


 タダシが尋ねると、ローズは「いいえ」と首を横に振った。


「パラス都にあるオーエンズ街って所のキャバレーよ。確か、リュヌ・ルージュって言う高そうなお店だったかしらね」


「オーエンズ街って……、前にターニャが言ってた?」


 アイがタダシとレオンに顔を向けると、レオンが答えた。


「あぁ。この間、クリスの財布でドレスアップしたターニャと食事デートに行った所だな」


「もう行ったんだ。——て、結局クリスは、鞄以外も買わされたんだ」


「なかなか良い店だったよ。アイも、今度どうだ?」


「行かない」


 げんなりとするアイと艶っぽい微笑を浮かべるレオンの応酬に耳を傾けていたローズが、「ちょっとっ!?」と声を上げた。


「レオンってば! ターニャちゃんと食事デートしたの!? ズルいわ! アタシも食事に行きたい!」


「昨日一緒に食事したばかりだろ?」


「レオンのいけず! 二人っきりの食事デートがしたいのよ!」


 その後も、カオス・オブ・パラダイスのママ——キティの手刀が頭に落ちるまで、ローズはキーキーと喚いていた。






「——必ず観に行く程の執着ぶり……って事は、そのキャバレーに行けば、男と遭遇する事が出来るかも?」


 カオス・オブ・パラダイスを出ると、アイはひっそりと言った。


「だな」


 タダシが答えた。


「でも話を聞く限り、と関係があるようには思えないけど……」


「だが、印の事がある。詳しい印の形は、世間に公表されていない。実際に目にした人間にしか分からない筈だ」


「……男は、について何か知っているのかもしれない?」 


 アイがそう尋ねると、タダシは頷いた。


「じゃあ、リュヌ・ルージュってキャバレーに行って、男を探してみる?」


「しかし、そのキャバレーに男のお気に入りのダンサーが出演してなきゃ、男が現れるかどうか——」


「明日、現れるかもしれないぞ」


 そこへ、レオンが口を挟んだ。


 レオンは、手にしていた携帯電話の画面を、アイとタダシに見せた。


「オーエンズ街にあるキャバレー—―リュヌ・ルージュのスタッフブログに、サティーナって言うダンサーが明日の公演で復帰すると書いてある。きっとこのサティーナが、男のお気に入りダンサーだ」


 携帯電話の画面には、ブログ記事と共に、艶やかな小麦色の肌をした女性がにっこりとピースサインをしている画像が映し出されていた。記事の中に、「足はすっかり完治しました」と、彼女のコメントが書かれていた。


「キャバレーの公演は何時からだ?」


「開場入りだと昼の部が十一時半、夜の部が十七時半からだ」


 こうしてアイ達は、明日パラス都U-十区にあるオーエンズ街へ行く事が決まり、華爛街を後にした。


 アイ達が事務所に戻ると、クリスはノートパソコンのキーボードを叩き、タロウはもう一つ用意されたモニターをじっと睨んでいた。呑気に休める訳もなく、作業するクリスに簡単な操作だけ教わって、皆が代わる代わるにソファーで仮眠を取りながら、パソコンから映し出される映像を睨み付けていた。


 次の日の朝、アイは就学児童を送迎する間の留守を預かるのに、ひだまりの家に行った。出迎えたマークの目元には、薄っすらと隈が出来ていた。彼は一晩中起きていたようだ。——ヨンスが帰ってくるかもしれなかったから……。


 しかし、玄関に現れたのは、結局フィフィだけであった。

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