第二十八話 煙の立つ元へ


「ヨンスが見つからないからって、まさかアネモネを探す事になるなんてね……」


「クリス、怖じ気づいたのか?」


「あら? 聞き捨てならないわね、レオン。これで日和っているようじゃ、下層の便利屋なんかで働かないわよ」


「……おれも……」


 ひだまりの家の敷地内にある遊び場で、タロウがぼそっと己の意思表示を呟くと、レオンは「だよな」と彼の肩をポンと叩き、クリスはやれやれと言った様子で、自身の金色の髪をくるくると指先で弄んでいた。


 薄暗い中でも、レオン達の表情はよく見えた。三人は共に、犯罪組織であるアネモネに対して追跡調査をする事に、敬遠した様子は見当たらなかった。それはアイも同じで、タダシも臆する様子は無かった。


「——さて。それじゃあ、どうするか……」


 レオン達に異論は無さそうなので、タダシがこれからの事について口を開いた。


 とは言え、アネモネの情報など、アジトは下層にあると言う尤もらしい噂を聞くぐらいしか無く、情報など無いに等しい状態であった。しかし、火がない所には煙は立たぬ——その噂の元を辿るべく、そこから調査する事となった。


「クリス……」


 その時、厳めしい表情を張り付けたマークの顔が、その体ごとクリスに向いた。何か用があってか、クリスに声を掛けたマークだが、どこか二の足を踏んでいた。そんなマークにクリスは首を傾げるが、間もなく、マークはがばっとクリスに向かって頭を下げた。突然、こうべを垂れた巨漢のマークに、クリスは勿論の事、アイ達もぎょっとした。


 そんなアイ達に構わず、マークはいつもの胴間声を静めて言った。


「ヨンスがまだ、アネモネの所にいるって決まった訳じゃないし、信じたくもない。……だから頼む、クリス。上層にあるライブカメラや監視カメラで、ヨンスを探してみてくれねぇか?」


 以前、ヨンスとフィフィのいじめ問題を解決する為に、クリスが上層にあるライブカメラなどにハッキングして、加害者である少年達のいじめ行為を映像に捉えた。しかし、その行為はクラッキング行為——犯罪だ。そうと分かっていながら頼むマークの表情は、苦し気であった。


 だが、そんなマークに対して、クリスはにこっと得意気に微笑んで見せた。


「あら? 危ない橋を渡るのって、スリルがあって堪らないじゃない」


 そう言ってのけるクリスに、今度はタダシが難しい顔をした。


「いいのか?」


「全然オーケーよ。でも、今回はお説教を受け付けないわよ?」


「当たり前だ」


 タダシは苦笑し、それからタロウに顔を向けた。


「それじゃあ、タロウ。お前はクリスの手伝いをしてやってくれ。根気がいるが、頼むな」


 タダシがそう言うと、タロウはこくりと頷いた。


「俺も——」


「園長は、いつも通りチビ達の面倒な。くれぐれも、ヨンスが行方不明になっている事を気取られないように頼む」


 レオンはマークに向かって、口元に人差し指を当てるジェスチャーをした。


「それに、フィフィの事もお願い。だいぶ落ち込んでいるから」


 アイもフィフィの事を気に掛けて言えば、「そうだな……」とマークは頷き、ヨンスの捜索をストレイ・キャッツ・ハンドの面々に託した。


 そうして、社交性のあるタダシとレオン、女と言う事で警戒心が薄れるだろうとしてアイが、アネモネの情報を探る事となった。アイ達はひだまりの家を後にし、クリスとタロウとはそこで別れ、早速その場へと足を向けた。


 様々な人間が集い、話のタネが尽きそうにない酒場が多くある夜の街、華爛街へと——。






「そこのカッコいいお兄さん! 一杯寄っていかない?」


 深夜に差し掛かりそうな時刻の華爛街は、ネオンの光が増すのと比例して人の波も多く、特に賑わっていた。そこへ足を踏み入れれば、早速客引きをするカウガールの格好をしたコンパニオンが、アイ達——と言うよりも、レオンに声を掛けてきた。 


「すまない。もう行く店は決まっているんだ。魅惑的な女性の誘い断る愚かな男を、どうか許してくれ」


 レオンが、妙に色気を帯びた目線をカウガールへと寄越して、誘いを断った。すると、女は途端に、ぽぉ……っと陶酔した状態に陥った。その光景を目の当たりにしたアイは、自然と口がへの字になった。……こうなると、レオンは催眠術でも心得ているのではないかと、アイは疑った。そんな事を思いつつ、レオンの流し目にうっとりとする女を置いて、アイ達はすたすたと飲み屋の間を縫って歩いていった。


「それで? 情報を探るにしたって、何処に行くの? まさか、華爛街全部の酒場を巡るって訳じゃないでしょ?」


 アイは、迷い無く前を歩く男達に尋ねた。


「こっちに、元情報屋がマスターをやっている酒場があるんだ」


「情報屋……」


 タダシの発した言葉を拾って、アイは確認するように呟いた。


「そのマスターは、昔下手を打ってしまって相当痛い目に遭ったらしい。それからは一線から退いて、華爛街の女王様の庇護の元、酒場を営んでいるって話さ」


 レオンが言った。


「それでも元情報屋のさがなのか、巷のマイナーからメジャーまでの噂なんかを拾い集めては、客に酒のつまみとして娯楽を提供してるんだ」


「……そんな事で、は見つかるの?」


 誰が聞いているかも分からない——ましてや、影から兵隊が監視する華爛街で、犯罪組織の名前を迂闊に口にする訳にもいかないので、アイ達は「あの人達」と口にしていた。


「ま、耳を傾けなければ、物語も何も始まらないさ」


 レオンが気障きざったらしく言ってのけている内に、件の酒場に到着した。


 その店は、真鍮の小さな袖看板に「囁き亭」と記されていた。扉を潜れば、小さなテーブル席が二席、カウンター席の前にある椅子が五脚と、小ぢんまりとした店であった。他に客は居らず、髭をたっぷりと貯えた愛想の良さそうな中年の男が「いらっしゃい」と、三人を迎え入れた。この男が元情報屋であり、この店のマスターのようだ。


 カウンター席に座ると、タダシとレオンは各々自分好みの酒を注文するが、アイは酒が苦手であった。なので、アイはノンアルコールのモクテルを、タダシにおまかせで頼んでもらった。


 モクテルの種類もよく分からないアイに、マスターからサーブされたのは、ホイップクリームがたっぷりと乗ったホリデーデライトと言うモクテルであった。タダシとレオンも飲み物をサーブされ、二人は早速グラスを煽っていた。アイも、シュガースプレーが散ったホイップクリームの中にストローを差して、一口飲んだ。甘く、ほんのりとアイが苦手なコーヒーのビターな風味を感じたが、それがアクセントとなって大人っぽい飲み心地を堪能した。


「お客さん達、前にも来たね? 今回は女の子連れとは、華やかでいいねぇ」


 そう言って、元情報屋のマスターはアイに顔を向けると、にかっと笑って一本欠けた歯を見せた。よく見れば、髭に隠れた口元に、痛々しい傷痕も見えた。


「あぁ。また面白い話を聞かせて貰えるかい?」


 レオンがにっこりと言った。


「御期待に添えるかは分からんが、どんな話が聞きたい? 芸能人の裏話か、はたまた、ぞくっとするようなオカルトな話でも?」


 マスターも笑顔で対応した。しかし、元情報屋と言うだけに、アイは何処か油断のならない笑顔のように見えた。それでも臆する事無く、タダシが「そうだなぁ……」と、娯楽に飢えて考える素振りをし、レオンが「そう言えば、マスターは——」と、好奇心に染まった声音で口を開いた。


 アイは、甘くてビターなモクテルをもう一口飲むと、澄ました顔を繕いつつ、一層気を引き締めた。

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