第三十一話 頼まれ事
二ヶ月程前──。
フローラ都U-三区にある廃墟群にて、人知れずにちょっとした抗争が起きていた。イタリア系マフィアと日系ヤクザの一部幹部組織の抗争であった。そこへ、思い掛けずに巻き込まれてしまったのが、ストレイ・キャッツ・ハンドの面々と、まだ浮浪の身であったアイであった——。
「どうも、お久し振りで御座います」
あまり出会いたくない男が、そこに立っていた。
その男——タカモリは、コツコツと革靴の音を鳴らしてアイ達へと近付いていく。アイ達のいるボックス席の向こうからは、音楽と歓声で溢れているのに、男の靴音が妙に耳に響き、アイ達の間に緊張が走った。
「便利屋さんとお会いするのも、あの日以来ですかねぇ。確か、迷子探しのお仕事中でしたか? そして偶然にも、その迷子のお子さんが、そちらのお嬢さんと御一緒だったと、記憶しておりますが……お嬢さんも便利屋さんになられたんで?」
アイは、ぴくっと眉をしかめた。タカモリの「お嬢さん」と言う呼び名が、何だか冷やかされているように感じて、アイは嫌な気分になった。そんなアイの反応を知ってか知らずか、タカモリは特に構わず、ゆったりとタダシに顔を向けた。
「所長さんの腕の具合いは、いかがですかい?
今度はタダシが、苦虫を噛み潰したよう顔をした。
——そう。タダシの右腕の怪我は、暴力団組織の争いに巻き込まれた際に負った物であった。当時、アイもそれを目の当たりにした。硝煙の匂い、赤く染まる袖口に、痛みにくぐもった息遣い……全て覚えている。それを軽々しく口にしたタカモリに、アイは一瞬で怒りが湧き、ソファーから立ち上がった。思わずソファーを乗り越え、タカモリに詰め寄ろうとしたアイだったが、それをタダシが阻んだ。
「タカモリさん……、何であんたがここに居るんだ?」
タダシも立ち上がり、タカモリと対峙した。
「ん? あぁ。それは私が、この施設のオーナーなので」
タカモリは、怒気を孕んだアイを楽し気に見遣った後、事も無げにそう言った。
——やっぱり……。
タカモリが目の前に現れた時点で、皆がそう予感していた。アイがオーエンズの前で感じた視線も、おそらくタカモリの物だったのだろう。
「ところで、今日はタロウ君はいないのですかい?」
タカモリはぐるりとボックス席を見渡して、タロウが不在だと知ると「残念ですねぇ」と、肩を竦めた。
「あの小柄な体から思いもよらない強さを秘めているとあっては、血が騒ぐってもんですよ。あぁ……、一度タロウ君とは、本気でぶつかってみたいですねぇ」
うっそりとした様子のタカモリを、アイは冷めた目で見た。一見、タカモリは物腰が柔らかく見えるが、実の所、血の気が多くて好戦的なヤクザらしいヤクザであった。
「何なら、お嬢さんが相手になって貰えますかい? お嬢さんも相当なもんをお持ちでしょう?」
タカモリが、意味深長な視線をアイに送った。アイは即座に首を横に振り、タカモリを睨み付けた。
「その『お嬢さん』って呼び方、止めて」
アイは嫌そうに言った。
「すみません。お嬢さん自身からは、まだ御名前を頂戴しておりませんので、敢えてそう呼ばせて貰いますよ」
タカモリの独特の理念に、アイは
「——と、話は逸れましたが、便利屋さん達は何故こちらにお出でなさったんで? ショーを楽しんでいる風でもありませんし、何やら不穏な事を仰ってましたよね?」
改めて、タカモリはアイ達がリュヌルージュに来た理由を探ってきた。一瞬、アイ達はたじろいだ。ヨンスの事、アネモネの事など、話す訳にはいかないが……——。
「……ある男を探していたんだ」
タダシが事実を口にした。
ヤクザを相手にして、余計な事まで腹を探られたくはない。何も口にしないよりは、ここへ訪れる事にした切っ掛けだけをタダシが言った。
「その男が客として、今この会場の中にいるんだ」
「どちら様です?」
「あそこですよ」
レオンが手摺の前まで行き、くいっと親指を立てて、男の位置を差した。タカモリはレオンの隣に立ち、指し示された方へと目で追った。
「あそこのスキンヘッドの男です」
タカモリは手摺に肘を掛けて目を細めると、「あぁ」と声を漏らした。
「マルジージャ様ですねぇ」
「知っているんですか?」
レオンの問いにタカモリは頷き、ドサッとソファーに腰を沈めた。立っていたアイ達も再び腰を下ろした。
「ダンサーのサティーナ目当てでお越しになる常連の方なんですがねぇ……、少々困ったお客様なんですよ」
なんでも、マルジージャと言う男は、サティーナに心底惚れ込んでおり、彼女が出演するステージには必ず通う程であった。それがいつしか、出待ち、付き纏いなど、その感情は徐々に暴走していったようだ。
アイはカオス・オブ・パラダイスのローズの言葉を思い起こした。ローズが言っていた通り、マルジージャは危うい執着心をサティーナに抱いているみたいだ。
「この前も度の超えた贈り物が、楽屋裏に届けられたんですよ」
「度が超えた?」
「盗聴器や発信器入りの、バッグやぬいぐるみなど」
「うわ……」
それを聞き、アイは頬を引きつらせた。タダシとレオンも同様に、嫌悪の表情を浮かべた。
「ま、匿名の贈り物だったんで、マルジージャ様が贈ったかどうかは分かりません。しかし、まぁほぼ黒でしょう。その上、ここへ通い詰める為にか、私共の系列にある金融会社にマルジージャ様からの借り入れが何度かあったらしく、そろそろ首が回らなくなってきたのではないかとの情報がありましてねぇ……先程お嬢さんが言った通り、危ない頃合いですね」
タカモリはそう言うと、何故か憂鬱そうに溜息を
「そろそろ引導を渡そうと思っているんですが……正直に言いますとね、辟易しているのですよ。あの方、華爛街で下手を打って、兵隊さん達に粛清されたって聞きましたよ? 口だけが大きいだけで、なす術もなく袋叩きであったとかで」
タカモリがちらっとレオンを見た。どうやら、マルジージャが粛清された経緯をタカモリは知っているようだ。
「私、弱い者いじめは苦手なんですよ。と言うよりは、御託を並べてピーピーと喚くだけの腰抜けの相手は、気が滅入ります。——そこで、便利屋さん。良ければ、代理を引き受けては頂けませんかねぇ?」
「何だと?」
タダシが間の抜けた声を上げた。アイとレオンも怪訝な顔をして、タカモリを見た。
「マルジージャ様をお探しだったんで御座いましょ? 丁度良いじゃないですかい。話し合いの仕方は、便利屋さんにおまかせしますんで。取り敢えず、ダンサーのサティーナへの接触禁止。そして、何か起きればオーエンズの出入り禁止を申し付けて頂きたいんです。あ、取り立てはこちらで追々やりますんで、そちらは結構です」
言われずとも、借金の取り立てなどする気は無い——と、アイ達が思う間にも、タカモリはスタッフに連絡を取り、マルジージャをアイ達の前に誘きだす手筈まで整えていった。
「——と言う事で、報酬はここのお代と言う事で、どうですかい?」
タカモリは両腕を広げ、VIP専用のボックス席に、テーブルの上に並んだ料理などを指し示した。
「……そっちはそれで良いのか?」
「えぇ、えぇ。大いに助かります」
「……分かった。引き受けよう」
タダシは腑に落ちない様子ではいたが、タカモリの頼まれ事を引き受けた。
「タカモリさん、何か企んでます?」
レオンがそう口にし、アイも疑わしげな目をタカモリに寄越した。
「いえいえ。単に私は、便利屋さんの事を気に入っているんですよぉ。華爛街の女王様ばかり独占してちゃあ、嫉妬するってもんです。だからこうして、仕事での御縁が出来て良かったです」
タカモリはへらへらと笑って言った。
胡散臭さが滲み出ているが、アイ達は無理矢理にでも納得する事にした。そうして話が付き、ソファーから立ち上がったタカモリは、軽く伸びをした。
「さて、では復帰したばかりのサティーナには大事を取って貰い、第二部の公演は休んで貰いましょうかねぇ……。あ、そうそう」
その場を立ち去ろうとしたタカモリは、ふと扉の前でアイ達に振り返った。
「ところで、何故マルジージャ様を追って来たんですかい?」
「守秘義務だ」
タダシは即座に言った。
「成る程、秘密ですかい」
タカモリは意味深長に「クックックッ……」と、含み笑いをした。……もしかしたら、マルジージャの
「では、公演が終われば再びスタッフに案内させますんで。それまでどうぞ、ショーを楽しんでって下さい」
そうして、油断のならない男は、扉の向こうへと消えていった。
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