第二十二話 不穏


 レオンは思いやりがある人間だ。


「マイレディー、俺は心配なんだ。どんなに下層に潜む悪党を物ともしない強さを秘めていても、心は別だ」


「はぁ」


「悪辣な物を見聞きすれば、心は疲弊し傷付くだろう。しかし、心は目に見えない。この愚かな男は、アイの震える心を機敏に察する術がない」


「今、鳥肌が立って震えている事には、気付かない訳?」


「だから、アイ。つうと言えばかあと答えられるような仲になる為、プライベートでも交流を増やさないか? いざと言う時に、お互いの事を理解し合っているのは良い事だ。まぁ、さっきみたいに、大人数での食事が億劫だと言うのなら、俺と二人っきりで出掛ける選択もあるぞ」


「遠慮します」


「敬語で拒絶されると、辛辣さも一入ひとしおだな」


 当初レオンの事は、愛だの何だのキザな事をのたまい、軟派でナルシストの胡散臭い男だと、アイは思っていた。


 だが実は、ストレイ・キャッツ・ハンドの所長であるタダシよりもしっかり者で、仕事は真面目にこなし、穏やかで周りを気遣う事が出来る男であった。


 現に、今こうして軽い調子で食事に誘ってはきたが、本質は周囲と一線を引いているアイを気に掛けての言動だ。


 ――良い人だ。


 けれど、彼の優しさを、アイは受け入れるつもりは無い。それが体にも表れているのか、アイはレオンとは並列せずに、半歩分ずれて歩いていた。


 間も無く、混雑とする人の波からようやく抜けて華爛街の外へ出ると、途端に喧騒も明かりも低減した。普段よりも一層辺りが暗く見え、静寂さはどこか心細くも感じた。


「それにしても、人身被害が出る前に、陥没が見つかったのは不幸中の幸いだな。華爛街のすぐ裏手で見つかったと言っていただろう? 華爛街のネオンの明るさに目が眩んで、目の前の落とし穴に気付かずに落下――だなんて、有り得そうで洒落にならない」


「酔っ払いなら、尚更だね」


 華爛街を満喫した酔客すいきゃくが、目の前の大穴に気付かずにふらふらと……――容易に想像が出来て、アイは寒々しく言った。


「違いないな――って、あれ?」


 中央街から南街の通りに出た所で、レオンがじっと前方を見据えた。急に立ち止まったレオンを、アイは訝しんだ。


「どうかした?」


 アイがそう聞くと、「あぁ、あそこ……」と、レオンは狭苦しい脇道の方へ指差した。


「あそこにいるのは、ヨンスじゃないか?」


 アイは、レオンが指差した薄闇の先へ目を凝らすと、確かに見覚えのあるシルエットが見えた。配管が所狭しと並ぶ脇道に、小さいシルエットがふるふると動いている。レオンはボストンバッグを背負い直すと、足早にそのシルエットへ近付いていき、アイもレオンの後に続いた。


「やぁ、ヨンス」


 上層に伸びる太い配管の脇から見えた幼い背中に、レオンは気軽に声を掛けた。すると、その細い両肩が、びくっと跳ね上がり、恐る恐るといった様子で振り返ってきた。


「……レオン?」


 顔を真っ青に染めたヨンスが、レオンを凝視した。


 アイも近付くと、ヨンスはきょろきょろとせわしなく目を行き来させた。何故か酷く動揺しているようで、アイは怪訝に思った。


「……どうした?」


 そんなヨンスを見て、レオンは朗らかな雰囲気を崩さずに、声を落として静かに聞いた。


「調子が悪そうに見えるが、大丈夫か?」


「何でも、ない……」


 ヨンスは取り澄まそうとしているが、額から流れる汗は隠し切れないでいる。


「しかし――」


「何でもないってばっ」


 気に掛けるレオンを余所に、ヨンスは突っぱねた。


 アイはレオンの肩を軽く叩いた。子供が必死に取り繕う姿が哀れに思えて、アイはこれ以上追及するのは止そうと、レオンに向かって首を横に振った。レオンも肩を竦めて同意した。


「とにかく、もう夕刻だ。この一日中薄闇の世界でも、昼と夜の区別がある。もう子供が一人で出掛けるにしては、危ない時間だ。ひだまりの家まで送っていこう」


 レオンはそう言うと、ヨンスの隣に立って彼の肩を組んだ。だが──。


「──放っといてよ!」


 ヨンスは声を張り上げ、抱き寄せてきたレオンを突き飛ばすように押し返してきた。レオンとアイが呆然としている間に、ヨンスは三歩分の距離を置き、身構えるような姿勢を取った。


「ひ、一人で帰れるしっ、かまわないでくれよ!」


 ヨンスはヒステリックに叫ぶと、背を向けて走っていってしまった。


「あ、ヨンス待っ──」


「そこの二人!」


 薄闇の向こうへ消えていくヨンスを危惧して呼び止めようとしたアイとレオンに、威圧的な怒号が飛んできた。アイ達の背後にある通りから聞こえ、二人は振り返った。


 ザッザッと、足を踏み鳴らして近付いてきたのは、ノア国家治安警備軍であった。面倒な事になりそうだ──と、アイは眉間に皺を寄せ、レオンは小さく苦笑いをした。


「こんな隅の方で、何をコソコソとしている?」


 アイ達に詰め寄るように近付いてきたノア国家治安警備軍は三人──男が二人と女が一人──おり、その内の一人が詰問してきた。軍人はツーブロックの黒髪の男で、その厳めしい態度にアイは見覚えがあった。


「……貴様、何処か見覚えがあるな」


 その軍人の男もアイに見覚えがあるようで、アイを凝視すると「あぁ――」と、すぐ合点した声を漏らした。


「この前の陰気臭いフード頭の女か」


 黒髪の軍人がそう言うと、アイも確信した。この男は、ヨンスがいじめ被害を受けた現場に、エイベルと一緒にいた皮肉屋の軍人だ。先程の華爛街でエイベルにしつこく絡まれたせいか、アイは目の前にいる軍人の記憶がすぐ浮上した。


「女性に対して、その物言いはないんじゃないか?」


 レオンは、アイに対する黒髪の軍人の言い草に、眉をひそめて非難した。


 黒髪の軍人が、レオンの苦言を聞き流していると、後方にいる他の軍人達が「イェン……」と、何かを促すように声を掛けた。イェンと呼ばれた黒髪の軍人は、肩から銃火器を携えている同僚達に向かって「あぁ」と軽く頷くや否や、更に一歩分アイ達に詰め寄ってきた。


「先程の質問に答えろ。貴様ら二人は、ここで何をしていた」


 イェンは不遜な態度を崩さず、アイ達に答えるよう迫った。


「公道の上に立つ理由は一つ。『歩いていた』だ」


 イェンとは違って、レオンはにこやかに対応するが、言葉の節々に小さい刺が生えているような声音であった。


「そのバックの中身は? 見せろ」


 レオンの返答にイェンがまた聞き流すと、アイの肩から提げているボストンバッグを指摘し、手を伸ばしてきた。それをレオンはすかさず、ガシッと掴んで阻んだ。


「流石に横暴では? ノア国家治安警備軍人殿?」


 アイの前に出たレオンは、掴んだイェンの腕を力強く押し返した。


「先人の言葉に『紳士たれ』とあるが、お宅にその言葉を贈ろう」


「貴様……、公務執行妨害で連行されたいか」


 イェンは、掴まれた腕を振ってレオンの手を解くと、脅すように警告してきた。


 解放されたイェンの手は、己の腰のベルトに差してある拳銃に向かった。他の軍人達も、肩から掛けている銃火器に手を遣り、レオンを警戒して身構えた。


「ちょっと──っ」


 ノア国家治安警備軍から物々しい空気が放たれ、レオンから庇われたアイは思わず声を上げた。


 するとその時、バタバタと駆けてくる足音が路上に響いた。その足音は二人分で、はやるように段々とアイ達に向かって来ていた。


「おいおい! 何があったんだっ!?」


 アイ達の元に駆けてきたのは、息急きとしたタダシと、いつもの仏頂面のままでいるタロウであった。


「何でここに?」


 アイはぽつりと聞いた。


「飲みの誘いをクリスから電話で貰って、タロウと一緒に出てきたんだが……──何で、警備軍と睨み合う事態になっているんだ?」


 タダシは、アイ達とノア国家治安警備軍を交互に目を遣って、困惑していた。その横で、タロウは軍人達が銃火器に手を遣っているのを見て、目尻がぎゅっと上がった。


「貴様、こいつらの知り合いか?」


 イェンは警戒を解かずに、タダシに向かって言った。


「俺はこいつらの上司に当たる者だ。便利屋稼業を営んでいる」


「便利屋……」


 イェンはそれを聞いて、余計に胡散臭く感じたのか、軽んじるように失笑した。 


「何があった?」


 タダシはイェンから目線を外して、アイとレオンに顔を向けた。


「少々な所持品検査を受けそうになっただけさ。問題ない」


 レオンは、何でもない事のようにタダシに言うと、軍人達の前にボストンバッグを置いた。乱暴な真似をされなければ、従順に従っていた──という意思表示であろう。アイも肩からボストンバッグを下ろした。


「あまり強引だと嫌われるぞ。女性にも、国民にも」


「ふん」


 レオンが茶化すと、イェンは嫌そうに鼻を鳴らして警戒を解いた。それに倣い、他の軍人達の物々しさも薄れ、地面に置かれたボストンバックの中身を、手早く確認した。


「不審な物は?」


 イェンが同僚達に尋ねると、調べていた二人は首を振った。更にイェンが「ポケットの中身を──」と言うと、軍人達がアイ達に向かい、同姓であるそれぞれの前に立った。アイ達に有無を言わさず、服の上から無遠慮に身体検査が行われた。当然ながら、ポケットの中身からも不審な物は出てこなかった。


「何もなかったか……」


 イェンが溢すように呟いた。


 身体検査から解放されると、アイはイライラしながら、後ろにずれかけたフードを深く被り直し、レオンも服の裾をささっと整えた。


「行くぞ」


 すると、捨て置かれたボストンバッグや、身体検査で立ち尽くしたままであるアイ達を放置したままで、イェン達は立ち去ろうとした。あまりにも手前勝手な行いに、アイは唖然とした。


「ちょっと待ってくれ」


 背を向けたノア国家治安警備軍達に、タダシが呼び止めた。


「何で、警備軍が下層で警邏しているんだ? 普段、下層で巡回なんてするはずがないだろう?」


 タダシがそう言うと、頭だけ振り返ったイェンは、さも面倒そうな顔をした。


「下層の住人が、陥没事故が起きた事を知らないのか? 随分と気楽なものだ」


「華爛街の裏手の路地が、陥没したんだ」


 レオンがタダシに話した。


「そうだったのか。しかし……」


 タダシは陥没事故の話を聞いても、いまいち腑に落ちないようで、更に言った。


「──本当は、何か事件があったんじゃないのか?」


 そうしたら、イェンのこめかみが僅かに疼くのが見えた。


「事故なら、住人が足を踏み入れないように警備はもちろん必要だが、見回りは必要ないだろう? それに、お宅らの装備が普段よりも物騒だ。サブマシンガンにライフルなんて、普段の警備や巡回で持ち出す事はない。通常は、特殊警棒と拳銃だろう?」


 確かに、機関拳銃や自動小銃などの強圧的な銃火器をノア国家治安警備軍が携えている所など、上層の日常で見る事は滅多にない。いくら治安の悪い下層での警邏だからと理由を付けても、仰々しい程だ。タダシの言っている事は頷ける。しかし……──。


「貴様、やけに詳しいな……」


 頭しか反らさなかったイェンが、全身で振り返り、タダシを探るように見た。──確かに詳しい……。アイも一瞬ちらっと、タダシに目を遣った。


「俺は前職……いや──前々職が、警備軍だったもんでな」


 タダシは事も無げに言った。


 それを聞き、意外な表情を見せたのはイェン達だけでなく、アイもだ。タダシが、元はノア国家治安警備軍だった事を知らなかったアイは驚き、イェン達に向けていた顔をタダシに向けた。


「下層で起きた事件なら、ここで暮らす人間として是非とも知りたい。凶悪事件なら尚更だ。自衛の為にも、必要だろ?」


 タダシの言うことは尤もだ。


 イェンは黙ったまま、睨み付けるようにタダシを見ていたが、やがて小さく息を吐き、口を開いた。


「……陥没した穴の周辺に、路面の瓦礫が散らばっていた。何かの衝撃や吹っ飛ばない限り、自然ではそんな事にはならない」


 イェンは注意深く言った。


「つまり、陥没事故は、人為的な破壊行為によるものだ」


 この閉ざされた国で、極刑を言い渡されてもおかしくない犯罪行為のそれを聞いて、アイ達は耳を疑った。


「それが故意なのか不手際で起こったものなのかは、不明だ。だがどっちみち、道に穴が空く程の危険物を、何者かが所持していたのは事実だ」


 イェンの眉間の皺が深く刻まれた。


「誰がそんな事を……」


 タダシが唸ると、イェンは「それが分かれば苦労はしない」と、呆れたように息を吐いた。


「だが、ある犯罪組織が、捜査線上に上がってはいる」


「組織?」


 ぴくっと、レオンがいち早く反応すると、イェンはその犯罪組織の名を、静かに重く口にした。


「アネモネだ」

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