第十七話 ノア国家治安警備軍


「止めて」


 アイは、運転席にいるジャナルに向かって言った。


 今までだんまりだったアイが、突然声を掛けてきたので、ジャナルは「うぇ?」と間抜けな声を漏らした。


「で、でもよぉ、オメェらが降りる場所はまだ先——」


「いいから早く!」


「ひゃいっ!?」


 アイの怒声にジャナルは肩を跳ね上がらせ、即座にトラックを停止させた。トラックが止まった途端、アイはドアを開け、飛び出した。


「ちょっと、アイ!?」


 突然の事に戸惑うクリスを放置し、アイは駆けだした。通行人を避けて走り、最後にヨンスを見掛けた脇道まで引き返すと、アイはその細い道を覗いた。人影は見えない。けれど、幼く卑下た笑い声が聞こえた。アイは脇道に入り、再び駆けだした。進んでいくと途中に逸れる道筋があり、そっちに目を向けると——いた。


「おまえ、なんでまだ学校に来るんだよ」


「下層の害虫のくせに」


「害虫なんかが、上層に来るなよな」


 細い路地で、三人組の少年達がヨンスを取り囲み、胸くそが悪くなるような言葉の暴力を振るっていた。罵声を浴びせられているヨンスは、黙りこくって俯いていた。言い返せない……というよりも、こんな愚劣な者達とは言葉を交わしたくない——という風だ。


 何も反応しないヨンスに苛立った少年達は、的を変えて脅し始めた。


「もう一匹のメス害虫はどこにいるんだよ?」


「あっちの害虫退治もしなきゃだな」


 少年たちがにやにやと言ってのけると、それまで俯いていたヨンスが、がばっと顔を上げて少年達を睨み付けた。


「やめろ!」


 ヨンスは声を張って言った。


「フィフィに手をだすな!」


「は?」


 ヨンスが反応を示した事に満足したのか、それとも反抗されて苛立ったのか、ヨンスの目の前に立っていた少年の顔が奇妙に歪んだ。すると、その少年が、ヨンスの腹に目掛けて蹴りを入れた。蹴られたヨンスは地べたに倒れ、腹を抱えて痛みに呻いた。それを見て、少年達は「ギャハハ!」と醜悪に笑った。


「——っ!」


 ヨンスが蹴り倒された瞬間を目撃したアイは、目の前が一瞬真っ白になり、フラッシュバックした。理不尽な暴力を受け、蹲る男の子……。ヨンスの姿が、アイの頭の中で再生された記憶と重なり、頭がカッとなった。


「害虫のくせに、命令してんじゃねぇよ」


「おまえらの立場ってのを、分からせてやろうか?」


 偉そうに物を言う少年達の一人が、手に何かを持ち、チキチキと音を鳴らした。——カッターナイフだ。


 折れ目の付いた刃を剥き出しにし、それをヨンスに向けた。ヨンスはぎょっとした。その様子を見て、少年達は更に笑みを深めた。


 カッターナイフの刃が徐々にヨンスに迫り、眼前に向けられた——その刹那、カッターナイフが少年の手から弾き飛んだ。


 カッターナイフがカチャッと地面に擦れる音が鳴るまで、ヨンスと少年達は何が起こったのか呆然として固まっていた。彼らはすぐ正気を取り戻すと、ヨンスと少年達の間に割って入った人物——足を振り上げていたアイに目が行った。


「何すんだ!」


 三人組の内の一人が、アイに向かって叫んだ。


 アイは足を地面に下すと、己より背丈の低い、いじめ加害者達を見下ろした。アイの頭は熱く煮え、目は冷たく光った。


「ひっ!」


 アイの怒気に当てられた少年達は顔を青くし、後ずさった。それを、フードの影から覗く冷徹な青い目は、逃さずに追った。


「何だよ、おまえっ!」


「お、おれ達、子供だぞっ」


「大人が、子供に乱暴したら犯罪になるんだからな!」


 何か危機を感じたのか、少年達は幼さを理由にして、ヨンスを庇うように立つアイに訴えかけた。


 ——腐ってる。


 アイの頭の熱は増すばかりだ。


「……子供でも、刃物を持てば大人でも傷付ける事が出来るし、下手したら殺す事も出来る」


 アイは少年達を見据えたまま、淡々と静かに言った。


「悪意を持って人に凶器を向けた時点で、私はどんな相手でも容赦しない」


 アイがそう言明すると、少年達はおろおろとし、震えだした。アイは一歩前に出た——。


「そこ! 何をやっている!」


 細い路地に、男の怒声が響いた。


 この場にいる全員が声の方へ見遣ると、威圧感を放つ赤褐色の軍服を纏った二人組の男達がこちらに向かってきた。


「警備軍……」


 アイは、軍服の男達を見て呟いた。


 「ノア国家治安警備軍」——通称「警備軍」は、ノアが建国された際に新しく構成された実力組織である。大元は、ノア建国中に災害から辛くも生き延びた人々の救助を任務に活動した、名もない組織団体であった。ノアが建国されると、それは確かな形となって「ノア国家治安警備軍」と名称された。活動内容は、ドローンを用いたノア国外の環境調査、物資の調達や、戦前まで正常に機能していた警察のように、ノア国内の各所の警備、犯罪の抑止や捜査などを、任務としていた。


「助けてください!」


 軍人の男達がアイ達の前にくると、すかさず少年達が悲痛な声を上げて哀願した。


「この人が乱暴してきたんです!」


「何?」


 少年達はいけしゃあしゃあと嘘をつき、軍人達が険しい目をアイに向けてきた。アイは、少年達の姑息さに、呆れて物が言えなかった。


「ちょっと、ちょっと! どういう状況よ、コレ!?」


 そこへ、クリスが息を切らしてやって来た。


「貴様、この女の知り合いか?」


 気難しそうな顔付きをした黒髪の軍人が言った。


「この女が、少年達に暴力を働いたそうだが——」


「ちがう!」


 アイの背に庇われていたヨンスが声を張った。


「その人は何もやってない! そっちの三人が、ぼくにカッターナイフを向けてきたんだ!」


 ヨンスが、地面に落ちているカッターナイフを指差した。クリスと軍人達の目がそれに注目すると、少年達は「やべっ」と小さく声を漏らした。クリスは「なるほどね……」と納得した表情をした。


「ま、よく状況を見れば分るでしょうに」


 クリスがそう指摘した。


 尻餅をつくヨンスの腹部に靴底の汚れ跡がある。そのヨンスを庇うように立つアイは、乱暴者に見えるどころか庇護者だ。そうなると、相対している三人の少年達の方が必然と怪しく見える。軍人達の胡乱うろんな目が、アイから少年達に移動した。すると——。


「——あっ! 待ちなさいよっ、クソガキ共!」


 いじめ加害者達が逃げ出した。クリスは叫ぶが、逃走する足音はもう既に小さくなって、消えた。


「ちょっと警備軍! さっさと追い掛けて取っ捕まえなさいよ!」


 クリスが、二人の軍人に振り返って怒鳴るが、人の良さそうな顔をした栗毛の軍人が「まぁまぁ」とクリスを宥めた。


「そう興奮しないで、落ち着いてください。相手は子供ですし……」


「子供だからって、許されるもんじゃないでしょうが!」


「ところで、君——」


 栗毛の軍人は憤るクリスを放置し、地面に蹲ったままでいるヨンスを助け起こした。


「——どうしてこんな目に?」


 栗毛の軍人がそう聞くと、ヨンスは沈んだ顔をして俯いた。


「ぼくが、下層の人間だからって……、差別してくるんだ……」


 ヨンスがぼそぼそと答えた。


「……成程な」


 もう一人の黒髪の軍人が、面倒そうな面持ちで呟いた。


「どうりで陰気臭い顔をしている」


「何ですって!」


 黒髪の軍人の言動に、ヨンスは傷ついたように肩を揺らし、クリスは憤慨した。


「イェン……」


 栗毛の軍人が、咎めるような眼差しを同僚に送った。


「何だ、エイベル。事実だろう」


 イェンと呼ばれた黒髪の軍人は、非難されようとも、気にも留めない様子だ。


「そんなツラをしているから、絡まれるんだ」


 それどころか、更に言い募った。


「貴様らも下層の住人か? 特にその女は、典型的な下層面をしている。そんなんじゃ、さっき俺達に疑われてもしょうがあるまい?」


 イェンという軍人は、アイをちらっと見て皮肉気に言った。


「せいぜい、騒ぎを起こさない事だな」


 イェンは、地面に落ちたカッターナイフを拾い上げると、踵を返した。エイベルと呼ばれた栗毛の軍人も、アイ達にぺこっと頭を下げると、イェンの後を追って去っていった。


「何なのよ、あの警備軍! こっちに落ち度があるみたいに言って、腹立つったらないわっ!」


 クリスはぷんぷんと悪態をついた。


「アイも、黙ってないで言い返しなさいよ」


 そう言ってクリスがアイに振り替えると、目を見張った。


「アイ、大丈夫? 酷い顔よ」


 クリスの言う通り、アイの顔は真っ青だった。


「やだ。まさか、さっきの警備軍に言われた事、気にしてるの?」


「そんなんじゃない」


 アイはかぶりを振った。


「ちょっと、子供相手にやり過ぎたかと思って」


「そう? あんなクズ共に、容赦する必要ないわよ」


「そっか……」


 アイは曖昧に言った。


 先程、アイの目の前にいた少年達は、正真正銘の害悪でしかなかった。けれど、頭が冷えてきたアイの目に映ったのは、自分を恐れる子供の顔だった。


 ——子供の怯えた顔は苦手だ……。


「あの……」


 ヨンスがおずおずとアイに声を掛けた。


 しかし、アイは子供であるヨンスから、反射的に顔を反らした。今、子供に対して正面から顔を向ける事が、アイには出来なかった。


「? 本当にだいじょうぶ?」


 クリスはアイの様子に首を傾げた。


「大丈夫だから。——それよりヨンス、フィフィは? 一緒じゃないの?」


 アイは平静を装い、ヨンスにフィフィについて尋ねた。


「北街にあるでっかい広場にいる。あいつらをやり過ごしたら、迎えに行くつもりだったんだ」


「フィフィを守ったのね。偉いじゃない」


 クリスは感心したように言った。


「えらくない……」


 だが、ヨンスは沈んだ顔をした。


「あいつら、何言っても話通じないし……。なぐられたり、けられたり……っ、やり返すことができなかったっ!」


 ヨンスは俯き、両腕で顔を覆った。小さく肩が震え、涙声で「くやしい……っ」と呟く声がアイとクリスの耳に届いた。


「それでも、一人で暴力に耐えたヨンスは凄いと思うよ」


 アイはぽつりと言った。


 フィフィを遠ざけて、たった一人で立ち向かい、堪える事は、大人でも凄く勇気のいることだ。アイは素直にヨンスを称賛した。


「……フィフィ、広場で待っているんだよね? 一緒に迎えに行くよ。スレッドまで送るし」


 アイがそう言うと、クリスも「そうね」と賛同した。


「園長、もうスレッドで待っているでしょうに。さっさと帰りましょ」


「いい」


 フィフィを迎え、スレッドまで同行しようと提案するアイ達に、ヨンスは首を横に振った。


「一人で行く」


 拒絶するように言うと、ヨンスはアイ達を残して路地を駆けていった。


 急に駆け出していったヨンスにアイが呆気にとられていると、「居たたまれなくなっちゃったのかしらね」と、クリスが己のサイドに流れる髪を弄びながら呟いた。


「負かされているところを目の当たりにされちゃって、恥ずかしいやら情けないやらで、惨めに感じちゃったんじゃないかしら」


「そんなこと——」


「子供でも、男のプライドってもんがあるのよ」


 そういうものだろうか——と思うと同時に、アイは不可解な目線をクリスに向けた。


「……何よ」


「……別に」


アタシにだってね、そういうモノを持っていた事もあったわよ」


 女性口調で喋るクリスは、アイの言わんとする事を察し、へそを曲げて言った。


「『あった』ね……。今は?」


「そんな矜持を抱えたって、腹は膨れないわ。『金の光は七光り』よ!」


「あ、そう」


 びしっと力強く主張するクリスに対し、アイは空返事で答えた。

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