第十四話 ひだまりの家(二)
「こっちきて! あんないする!」
「ひだりはね、えんちょうのへやなの」
「はやく、はやく!」
子供達は、マークから役目を与えられたからなのか、使命感に燃えている様子だ。アイのパーカーの裾を引っ張ったり、腰を押したりと、ちょこちょこと
「……分かったから、服引っ張らないで」
アイは諦めて、子供達の言うとおりに歩を進めた。
玄関からすぐ見える左横にあるマークの部屋の前を通り過ぎ、突き当たりには扉と、右へ続く廊下があった。
「こっちは、さいご!」
「みぎにいって!」
突き当たりの扉は、何やら一番の見せ場らしく、アイは子供達の言うことを素直に従って、右に曲がった。
一階はマークの部屋の他に、洗面所とトイレ、食堂とキッチン、男子部屋とあるそうで、アイは子供達にそれぞれの部屋へ連れられていった。
引き戸が開きっぱなしの食堂を覗くと、大きなテーブルがある周りで、マークとレオン達が作業をしていた。クリスとタロウが、飾り棚からテレビを下ろしたり、マークとレオンは椅子を引っくり返して、工具箱の中身を漁っていた。
「テレビがこわれちゃって、あたらしいのがきたの」
「ちがうよ! リサイクルだよ!」
「イスね、ぐらぐらしてあぶないの」
「ぼくのすわってたイス、くぎでてた!」
子供達が、今日の仕事内容の状況をそれぞれ簡潔に話した。
「なおる?」
一番幼い女の子が、アイのパーカーの裾をくいっと引っ張りながら尋ねた。アイはその子に、「大丈夫」と言い聞かせた。
「あのおじさん達が、きっと直してくれるよ」
アイがそう言うと、すかさず「ちょっと!」と、食堂からクリスの非難めいた声が轟いてきた。
「聞こえたわよ! この中におじさんがいるのは園長だけでしょうが! アタシ達までおじさん枠に入れないでちょうだい!」
クリスがそう喚くと、子供達が「おじさぁ~ん!」とはしゃぎ、アイを引っ張ってその場から逃げるように去った。
次は二階へ上がった。
階段を上がると、左側にシャワールーム、右側の部屋が女子部屋だと、説明された。
「おんなのこのへやは、おとこのこのへやの、まうえにあるんだよ」
「おとこのこのへやより、きれいだよ」
「だんしきんせい、なの」
三人の女の子が、口々にそう言うと、「そっちはおとこのへや、はいってくるくせに……」と、四人の男の子達がぼやいた。
「こっちは、ふたつめのせんめんじょと、おトイレ!」
女の子達は男の子達の声を無視し、シャワールームの横の部屋を指差して言った。
「ふたつあるけど、みんなつかうから、とりあいなんだ」
「あさはねぇ、どっちも、ぎゅうぎゅうなの!」
洗面所での朝の支度は、この人数だと渋滞になる事は間違いないだろう。
「大変だね」
アイは思ったことを率直に言った。
子供達はアイの言葉に「うんうん」と頷き、次は、突き当りの扉を指差した。
「あっち、おくじょう!」
「せんたくきと、ものほしがあるよ」
アイは、外から見えた屋上にある物干し竿が頭に浮かんだ。
「あ、でちゃダメ!」
アイが屋上へ通じる扉の取手を掴むと、すかさず子供達は小さい手を伸ばして、アイの腕を掴んで止めた。
「何で?」
「そと、みえちゃうから!」
アイが聞くと、子供達がそう答えた。
「いっかい、おりよ!」
子供達は、ドタバタと一階へ下りていった。階下から「はやくきて~!」と呼ばれ、アイは子供達の後を追った。階段を下り、トンテンカンと鳴り響く食堂の前を通り過ぎて、子供達が集まっている玄関とは真向かいの扉の前に、足を運んだ。
「ここがさいご!」
子供達にとって一押しの場所らしく、皆の目が爛々と輝いていた。
「外、だよね?」
施設の構造から考えて屋外だろうと、アイは思った。
「あそびば、なの!」
「さいえんもあるよ!」
そう言って、子供達は扉を開けた。
開いた扉の向こうにある光景に、アイは思わず目を見張った。
子供達の言う遊び場には、廃タイヤで作った遊具や鉄棒が設置されており、隅には、ボールなどが詰まった籠や、背もたれのないベンチがあった。それらはアイから見て手前にあり、奥側には小さな菜園があった。下層で菜園など珍しいが、そこは植物を育てる環境が整っていた。
「あそこだけ、あかるいの!」
子供達の言うとおり、そこには光が射していた。
奥側の祭壇などがあったであろう内壁周辺は、ブロックで囲われた花壇や壁掛けプランターから緑が溢れ、左側には蔦が張った物置小屋らしきものとベンチがあった。それらは「天」からの光を受け、その空間だけ別世界のように見えた。
アイの様子を見て、子供達は満足そうな顔をしていた。
「きれいでしょ!」
「うん」
アイは素直にそう思った。
とうの昔に朽ちた世界は儚く、その中で光を受けて根を張って育つ緑達は力強く、生命力に満ちていた。その相反する二つの矛盾が共存している光景は、何とも言えない美しさがあった。
アイは子供達と共に、その光が射す菜園に近付いた。そこへ踏み込み、アイは目をすぼめて上を見た。
「通気口の真下なんだね」
アイの目線の先には、「地面」にぽっかりと穴が開いたような通気口があり、上層の「空」が見えていた。
空気の循環は上層と下層を繋ぐスレッドだけでなく、「地面」にも通気口が用いられていた。勿論、安全のために転落防止の煙突型の囲いと金網が張られている。
こうして下層でも、細い光が照らされる個所が、所々にあった。だが、教会跡地に光が差すという、計算されたような偶然の産物は、なかなか無く、神秘的で珍しい光景だった。「ひだまりの家」という名称にも納得がいった。
「あれは、物置小屋?」
アイは、右奥にある蔦の張った小屋を見た。
「ううん。ざんげしつ」
男の子達が言った。
「え?」
元が教会だったとはいえ、児童養護施設にそんなものがあるのかと、アイは耳を疑った。
「ちがうよ! べんきょうべや!」
それを、女の子達は否定した。
「しずかに、おべんきょうしたいときに、つかうんだって」
確かに、個室がない上に小さい子達が施設の中を走り回っていては、就学中の子達は宿題など集中出来ないだろうと、アイは感じた。
「そして悪事を働いた者は、正直に罪を告白するまでそこに閉じ込めて、おやつ抜きの刑という恐ろしい牢獄の場でもあるんだ」
ふと、大人の声が混じってきた。
「あ、レオン!」
遊び場へやって来たレオンに、子供達はトテトテと駆け寄った。
「ま、皆良い子だから、そんな罰なんか受けたりしないだろ?」
「うん!」
「いっかいもないよ!」
「けんかしても、なかなおりするよ!」
そう主張する子供達に、レオンは微笑み、その小さな頭を次々に撫で回していった。
一度もお仕置きされた事がないと言う事は、きっと「懺悔室」なんてものは脅し文句だけで、実際にそんなお仕置きはしないのだろうなと、アイは思った。
「大工仕事は?」
アイが聞くと、レオンは芝居がかった調子で答えた。
「七人の小人達が、我等の姫君の手を煩わせていないかと思い、馳せ参じた訳だが……杞憂だったな」
レオンは、アイと子供達の様子から察して言った。
「上手くやっているじゃないか。案外、子供に好かれる性質なんだな」
「どうだか」
アイは肩を竦めて見せた。
けれど実際、アイに対する子供達の反応は好意的だ。アイ自身も、子供達に対して悪感情は抱くことなく、発する言葉に耳を傾け、丁寧に接していた。そのアイの接し方が、より子供達に好印象を与えたようだ。
そこへ、玄関の開く重い音が微かに聞こえてきた。
「あ! ねぇ、かえってきたよ!」
子供達が次々に声を上げていった。
「ヨンスと、フィフィ!」
「がっこうに、かよってるこたちだよ」
「しょうかいするね!」
子供達は駆けていき、一番幼い女の子がアイの手をぎゅっと繋いできて引っ張った。小さな背に合わせてアイは前のめりに歩き、その様子をレオンはクスクスと小さく笑いながら後ろを付いてきた。
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