第九話 ストレイ・キャッツ・ハンド事務所(二)
『今日、五月十一日はノア建国記念日です。どの地域もお祭り騒ぎで賑わっており、パレードの行進ルートでは、多くの人が詰めかけております。なお、パレードに伴い、交通路、路面電車の運行は一部閉鎖しております』
電源が付けっぱなしのテレビから、情報番組が放送された。アイは、何と無しに見ていた湿布を貼られるタロウの腕から、テレビの方へ目線を移した。
『また、今年は五年に一度に開催されるノア文明博覧会が、本日の正午、一部関係者とプレミアムチケットを獲得した幸運な当選者の方々のみの、オープンセレモニーが開催されました』
テレビは、報道フロアから正午に開催されたノア文明博覧会の映像に切り替わった。多くの報道陣が囲い、シャッターの音とフラッシュの光の中、テープカットが行われていた。
『今回のノア文明博覧会のテーマは、【希望ある未来へ】です。【実りある発展、留める心、繋ぐ命】などの意味合いが含まれ、先の未来を見据えた画期的な技術、また、忘れてはいけない歴史——など、【過去を教訓に未来へ活かす】といった展示が設けられております』
そして、次々と展示物が紹介されていった。
最新科学技術の体験、安全なクローン技術加工食品の世界のグルメ展、現代に蘇った植物のアート作品、歴史的に貴重な風刺画展、ひしゃげた鉄道車——。
そこで、アイは顔をしかめた。
『こちらは、幻となった天空鉄道車——天の川号です。今日、十四年振りに見せるその姿は悲惨なもので、当時に起きた惨劇を昨日の事のように、思い起こさせます』
そこへ、アイの視界の端に、レオンが入ってきた。レオンは、絞った濡れタオルを頬に押し当てて、開口前で立ち止まっていた。
アイは、じっとして動かないレオンを怪訝に思い、顔を上げると、少し驚いた。常に余裕があって穏やかに振る舞う男が、今は険しい表情を浮かべていた。レオンの視線の先はテレビだった。
「レオン……?」
アイは思わず呼び掛けた。
「ん? どうした? 博覧会が気になるか?」
アイの方に振り返ったレオンは、もう既に、いつも通りのレオンだった。
「いや、別に……」
「そうか」
レオンもカウンターチェアに座り、テレビに視線を戻した。
「一般入場は、明日からか。確か、一般チケットでも、かなり高額だったな」
「俺としちゃ、そんな金のかかる博覧会より、身近にある祭りの屋台に出向きたいな」
タダシが言った。
タダシは、タロウの腕に湿布を貼り終えると、次は包帯で固定していった。
「包帯、キツいか?」
タダシがタロウにそう聞くと、タロウはぶんぶんと首を振った。
「そうか。なら、これでよし」
タダシは最後にテープで固定して、タロウの腕を離した。タロウが上下に腕を振って具合を確かめている間に、タダシは救急箱を元あった棚の中に片付けた。
アイは、ちゃんと片付けをするタダシを見て、何故一人きりだと散らかし癖が出るか、訳が分からなかった。そんなタダシは棚をパタンと閉じると、「さて……」と呟いた。
「祭りに行くか!」
「は?」
アイとレオンが同時に声を上げた。タロウもタダシを見上げた。
「お祭り最中に、出店のB級飯を食べるのも乙なもんだ。坊主達には、駄菓子を買ってやろうなぁ~」
タダシはレオンを見上げて、その肩をぽんぽんと叩いた。レオンは「は、は、は」と、乾いた笑いを漏らした。
「髭を生やした二十八歳児に、駄菓子か……。嬉しくて泣けてくる」
「……じゅうきゅう……。……せいじんの、おとな……」
やや不満の声を漏らす成人男性二人に、何故かタダシも不満気な顔した。
「いいから付き合え。お前達はどうせ、あの店のジェラートを買い食いしたんだろう? その上、クイーンのお茶会だ。お前らばっかり菓子食って、ずるいぞ」
まるで駄々を捏ねる子供のようだと、アイは呆れた。
「昼を跨いたんだ。腹を鳴らして横行闊歩するなんて、格好つかないじゃないか」
レオンは、まるで大事のように言った。
「……あいつだけ、いらいにんのけーき、くった……」
タロウが、猫探しの依頼人であるマダム・アデリーヌに、レオンだけが招かれたことを暴露した。それを聞いて、タダシは大袈裟に呻いた。
「美男の特権、か」
「妬むなよ」
レオンが、タロウとタダシに向かって肩を竦めてみせた。
「で、行くか?」
改めて、タダシは尋ねた。
「そんな腕をした中年親父を放っておく程、愛のない男ではないぞ、俺は」
レオンが言うと、タロウもこくんっと頷いた。タダシは「うんうん」と満足げに頷いた。
『——ここで速報です』
突如、テレビの放送が、ノア文明博覧会の中継映像から報道フロアへ切り替わった。
『パルテノぺ都A―四区にある製薬工場にて、火災が発生しました。火災の原因は運送中の大型車両の衝突によるものと思われ、消火活動は未だ続いており、生存者の確認は取れていない状況とのことです——』
「建国記念日に、悲惨だな」
タダシが苦い顔をして言った。
毒の瘴気を隔てたノアの内側で、火災等の人為的災害は大事だ。過失であれ、重い罪が下されることもある。故意であれば、極刑に値する程だ。
タダシは難しい顔をしてリモコンを取り、テレビの電源を消した。
先程までのお祭り気分を取り戻すかのように、てきぱきと出掛ける準備を整えていき、タダシは玄関横にあるコート掛けから、薄手のブルゾンを手に取り、袖を通した。
「所長、財布は?」
「もう既に、尻ポケに入ってる」
「最初っから行く気満々だったのか。——あれ? アイは行かないのか?」
カウンターチェアから立ち上がらないアイに、レオンが問い掛けた。
「行かない」
アイは、誰とも目を合わせずに言った。
冷淡な態度を示すアイに、タダシは寂しげな微笑を浮かべた。その様子を見ていたタロウの眉が、苛立たしげにぴくぴくと動いていた。
「こら、タロウ。レディーに対して、そう睨み付けるな」
レオンがタロウの肩をがしっと抱き、開けた玄関扉へ連れ出した。
「それじゃ、出掛けるか。……アイ」
タダシが玄関扉を潜る前に、アイへ振り返った。
「……鍵は、掛けていってくれな」
カウンターチェアに座ったままのアイは、返事を返さず、タダシ達を見送った。
「今夜も出て行きそうか?」
もう上層の空が暗くなる時間、市場が開かれていたスレッドに向かう中、レオンがタダシに聞いた。
「多分な」
タダシが溜息混じりに言った。
「毎度の事ながら、放っておいてもいいのか? アイは強くても、女の身だぞ」
「あいつは今まで、下層を浮浪して生きてきたんだ。その事については心配ない」
「それよりも、心の距離感が心配か?」
図星だったのか、タダシは押し黙った。
「一ヶ月は経つのに、なかなかガードが固くてお近づきになれない。昔からあんなクールだったのか?」
「……いや、そんなことなかったぞ」
タダシは、ぽつぽつと話した。
「無邪気で、明るくて、昔はよく笑っていたな」
「想像がつかないな。でも、子供時代は大体そうか」
「……おれ、ちがう……」
タロウが何気なく呟いた。
「あぁ、タロウ。そんな卑屈にならないでくれ。今は俺達がいるだろう?」
「……なってねぇよ……」
タロウはぶすっとして、そっぽを向いた
「——と、勝手に子供時代って推測したが、実際にアイとはいつ、どうやって、出会ったんだ?」
レオンが尋ねると、タダシは「う~ん?」と唸った。
「いつだったか……。五年前? いや、七、八年前か? それよりもっと……」
タダシがぶつぶつと呟いていると、レオンは何か諦めたかのように首を振った。
「また聞けずじまいか。そんな曖昧な記憶なのか? それとも……大切な思い出を話したくない、とか?」
タダシは「ははっ」と、小さく笑った。
「そんな大層な事じゃねぇよ。ただ、アイは昔話をするのを嫌がるんだ。……本当は、俺と顔を付き合わすのも、苦痛かもしれん」
タダシがそう言うと、レオンは何を思ったのか、あからさまに頬を引きつらせた。
「……所長、あんた何をした?」
「……ぺどふぃ——」
「断じて違うっ!」
タダシは即座に、タロウの言葉を断ち切った。
「お前は……、何処でそんな言葉を覚えてきたんだ……」
「……かおす・おぶ・ぱらだいす……」
それを聞いて、タダシはがっくりと頭を垂れた。
そんなタダシの様子を、にやにやと眺めたレオンは「冗談だよ。な?」と、タロウに目配せをした。タロウも同意して頷いた。
「悪ガキ共め……」
タダシは、半目になって悪態をついた。
「まぁまぁ。いい歳して不貞腐らないでくれよ、所長。……だけど、沈んだ顔をするよりは、ましだな」
レオンは無関心な振る舞いをして、タロウと並んで先を歩いた。少々質の悪い冗談だが、変に気を遣わせてしまったようだと、タダシは感じた。
「……悪いな」
前を歩く二人を、タダシは仕方無く苦笑いした。
心の距離感……。それは、確かに離れていた。レオン達が思っているよりも、遠くに。
——でも……、ちゃんと言わなきゃいけない……。
タダシは、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。冷たいチェーンの、つるりとした感触が、タダシの指に触れた。
「これも、いつか……」
タダシはぽつりと呟いて、ポケットの中にある物を、指で軽くなぞった。
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