第七話 蟻地獄の女王(二)


 息をするかのように、すらすらと放たれるレオンのお世辞にアイは辟易しつつ、菓子に手を伸ばした。ほのかに甘く、サクサクとした歯触りの良い食感に、アイは暫く夢中になった。


「タダシ君がアイちゃんを、ストレイ・キャッツ・ハンドに誘い入れたんだっけ?」


 クイーンが、首を傾げて尋ねた。


 クリスが「そうそう」と頷いて、アイに顔を向けた。また自分が話の種になるのかと、アイは苦々しく思った。


「所長とは、知り合いだったのよね?」


「まぁ、うん……」


 アイは、あまりこの話題を口にするのが嫌で、気のない返事をした。


「所長とアイが偶然の再会を果たし、こうして共に働くことになったんだ。男所帯のむさ苦しさが華やいで、感謝しかない」


 レオンがにっこりと笑顔で言った。


「……そのとき、おっさん、けがした……」


 タロウがぼそっと呟いた。


 また、お茶の部屋の空気が冷たくなった。クイーンが「え~っと……」と取り繕うように声を漏らした。


「タダシ君、わたしが紹介したお仕事で、腕を怪我しちゃったんだよねぇ」


 クイーンが落ち込んだ声で言った。


「下層で便利屋稼業をしているんだ。覚悟の上さ」


「そうそう。それに療養している間は、ボスらしく事務所でどっしり構えてもらうわよ」


 レオンがフォローすると、クリスも続けて言った。


「人手も、アイが加入したから事足りているしな。それに女性スタッフがいれば、何かと――」


「臨時だよ」


 アイは、蜂蜜がたっぷり入ったハーブティーを口にして、言った。


「タダシの腕が治るまでの臨時。完治したら、仕事辞めるし、出ていくから」


 アイがそうはっきり言うと、その素っ気ない態度に、レオンは困ったような笑みを浮かべ、クリスはきょとんとし、タロウはアイを睨み付けた。


「そうなったら、わたしの所においでねぇ」


 クイーンは、これ幸いとお構い無しに、再びアイを勧誘した。アイは溜め息をつきそうになった。クイーンが何故そんなに自分を構いたいのか、アイは理解出来ないでいた。


「そうしたら、毎日お茶会しよ!」


「毎日……」


 アイは、クイーンと毎日顔を付き合わす想像をして、げんなりとした。


「クイーンってば、お茶するの好きよね~」


 クリスがしみじみと言った。


「うん、大好き! お茶を一緒にする相手もいれば、最高だよぉ」


「クイーンのお茶会に呼ばれたい人間なんて、たくさんいるだろう?」


 レオンがそう言うと、クイーンは「えぇ~」と、不満げな声を出した。


「そういう人に限って、お仕事関係の話だもん。『上』の偉い人となんて、堅っ苦しくて嫌。レオン君てば、分かってるくせにぃ」


 クイーンは、唇を尖らせているような拗ねた調子で言うと、レオンは悪戯っぽく笑った。

 

「失礼。なら、我々で良ければいつでもお茶を共に致しましょう」


「ほんと? 嬉しい!」


「女王様の御心のままに」


 レオンは恭しく言った。


 アイとしては、御免被りたい気持ちでいっぱいだった。


 そこへ、扉からノックする音が響いた。クイーンが扉に向かって「どうぞ」と声を掛けると、従業員がお辞儀をして入ってきた。従業員はクイーンの元に寄って耳打ちし、クイーンが頷くと下がっていった。


「ターニャちゃん、出勤してきたんだってぇ。アイちゃん、そのお花を届けてくれる?」


「私が?」


 クイーンに頼まれたアイは、ちらっとクリスに目を向けた。すると、クリスは口をへの字に曲げて、ふるふると首を振った。


「アイちゃんが届けてあげる方が、ターニャちゃんも喜ぶと思うの。仲良しだもんねぇ」


「仲良しになった覚えがないけど……」


 アイは念の為、この同僚達の中でリーダー格であるレオンに、了承の確認なる視線を送った。レオンも視線で「行ってこい」と送る。


 まだカップの底の方で揺らめいているお茶を、アイは一気にゴクリと飲み干し、席を立った。クイーン自ら席を外してよいと言うのであれば、有りがたくこのお茶会を抜け出そう。アイは、飾り棚に置かせてもらっていた花束を抱え、扉へと歩んだ。


「アイちゃん」


 取手を掴み、扉を潜ろうとしたところで、アイはクイーンに呼び止められた。振り向くと、無機質な両目がアイを捉える。


「またねぇ~」


 クイーンが、黒いレースで覆われた手を、ひらひらと振っていた。他愛もない挨拶に、アイは軽く頭を下げ、お茶の部屋から出ていった。


 アイは出ていったそばから溜息をつき、被っているフードの先を引っ張った。


 クイーンは苦手だ。


 子供のように無邪気かと思えば、冷徹な支配者の面を見せる。顔は不気味な面と布で覆っているから、表情が読めない。得体が知れないし、妙な迫力がある。


 まだ能面の目玉が己の背中を、じぃっと見つめているような気がしたアイは、嫌な感覚を払い除ける勢いで、さっさとお茶の部屋から遠ざかっていった。 


 アイは、この店の控室に向かった。


 奥まで進み、角を曲がると階段が見え、その手前に二つの扉が左右にあった。階段のすぐ手前が控室だ。アイは控室の前に立ち、ノックをしようと手の甲を返した——が、すぐ止めた。


 アイは背後に忍び寄る気配に、気付いていた。


「ア~イちゃんっ!」


 歌うように名を呼ばれたと同時に、アイは背中から抱きつかれた。声音と背中に押し付けられている柔らかな感触で、抱きついてきた人物が女性であることが分かる。


「やっぱりアイちゃんだ! 仕事で来たの? それとも、ア・タ・シに、会いに来てくれた?」


 背中からの感触だけでも豊満な肉体美だと分かるその人物は、ころころと甘い声でアイに囁いた。それに対してアイは、あくまで淡々としていた。


「ターニャ……」


 アイは、抱きつく相手の名を口にした。


 彼女こそ、花束の届け先の人物だ。会う度、こういった熱烈な歓迎を、アイは受けていた。クイーンといい、ターニャといい、何故こんなに気に入れられたのか、アイは不思議でならなかった。


「仕事で、会いに来たの」


「誰に?」


「アンタに、よ」


 唐突に、クリスが現れた。


 クリスは、アイの背中にべったりとくっつくターニャを、引き剥がした。


「クリス、お茶会は?」


「控室の場所、アイは覚えてないかもと思って、抜けたの。でも、杞憂だったわね。それじゃ、さっさとその花束、寄越してやんなさい」


 クリスに促され、アイは振り返ってターニャに花束を渡した。これで今日の仕事は完了した。


 改めて、アイはターニャの姿を見た。


 艶めく小麦色な肌に、肩に届く長さの波打つ黒髪。メリハリのある見事な肉体を包むのは、黒のボンテージ服だ。


「すっごい花束! 宛名は……」


 ターニャは、花束に添えられたカードを確認すると、少し意地の悪い笑みを浮かべていた。


「で? アンタにそんな花束を送った相手は?」


 クリスが聞いた。


「お客よ。アタシを専属に――いや、専属にしている、ね」


 ターニャが「ふふっ」っと妖しく笑むと、アイは言葉を失った。


 ターニャは、この店で言うところの「女王様」であった。他人の趣味をどうのこうのと物申さないアイだが、たびたび面を食らうことがあった。そんなアイに対して、ターニャは、意味深長にアイの腕に己の腕を絡めてきた。


「な~に、アイちゃん? アタシの仕事っぷりを想像しちゃった? もしも興味があるんだったら、アイちゃんなら仕事じゃなくても――」


「離れなさい、ターニャ。アイが困惑してるでしょっ」


 再びクリスの手によって、アイとターニャは引き剥がされた。ターニャは、不服そうに唇を尖らせた。


「なによ~。クリスに用はないわよ」


「まったく……。アタシは、こんな破廉恥な妹に育てた覚えはないわよ」


「オネェの兄貴に言われても、ねぇ~?」


 ターニャがアイに同意を求めてきた。


 兄妹の不毛な争いに巻き込まないで欲しい……と、アイは頭を抱えた。


 そう。クリスとターニャは、兄妹なのである。父親違いらしいが、肌と髪の色以外では、この兄妹はよく似ていた。


「だいたい、クリス達がまともに仕事が出来るようになったのは、ここで働くアタシがクイーンに便利屋の話をしたからよ! あんまり邪険にしないでほしいわっ」


 ターニャは腰に手を当てて、ぷりぷりとした。


「ターニャの言う通りだな。それに関しては、凄く感謝しているよ」


 いつの間にか、レオンとタロウもやって来た。クイーンのお茶会はお開きになったようだ。


「建国されてから、あまり認知されていない職で、しかも下層に構えている店舗なら尚更だな。胡散臭くて、客が寄り付かなかったところを、ターニャがクイーンへ口添えしてくれたお陰で、ストレイ・キャッツ・ハンドは軌道に乗った。まさに、救いの女神だ」


 レオンが「その上、美人ときた」と、賛辞の言葉を述べると、ターニャはにこっと笑った。


「レオンってば、ずるい男ね。外見だけじゃなく、中身も男前だもの」


「本当のことを言ったまでだよ」


 レオンは、当然とばかりに言った。


「その気遣い、うちの兄貴も見習ってほしいわ。タロウも、目つきが殺人級なんだから、もっと愛想よくしなきゃ」


「……うるせぇ、でかちちおんな……」


 タロウの物言いに、レオンがすかさず、その頭に手刀を打ち下ろした。


「レディーに対して、その口の利き方はなっていないぞ。タロウ」


「……ん……」


 タロウは素直に頷いた。


「謝罪の言葉は?」


「……わるかった……」


 タロウの体がターニャに向かって、かくんっと、九十度折れ曲がった。


 その様子に、ターニャはくすくすと笑った。


「タロウってば、前よりもだいぶ素直になって、可愛くなったんじゃな~い?」


「あれで?」


 ストレイ・キャッツ・ハンドに加入して、約一ヶ月になるアイは、未だに彼らのことはあまり知らないでいた。――というよりアイは、自分から積極的に知ろうとしなかった。


「ところでクリス、そろそろカオス・オブ・パラダイスに行かなくてもいいのか?」


 レオンにそう言われ、クリスは携帯電話を取り出して時刻を確認した。


「そうね、そろそろ行くわ。アンタも、もう仕事でしょ。戻んなさいな」


「はいは~い。じゃ、皆またね」


 ターニャはクリスの頬に軽くキスをした。続いてレオン、タロウ、アイにも別れの挨拶をして、ターニャは控室に戻っていった。


 いつもながら、アイは頬に残った柔らかい感触に少々戸惑い、指先で頬を掻いた。


「じゃ、アタシも行くけど、なんだったらレオン達も一緒にお店へ行って遊んでく? さっきのことだもの。いっぱいサービスしてくれるんじゃない?」


 クリスが尋ねると、レオンは首を横に振った。

 

「いや、一度事務所に戻る。報告もあるしな」


「アイとタロウは?」


「行かない」


 アイが断ると、タロウも首を振った。


「そ~お? 残念ね。レオンだけじゃなくて、アンタ達とも仲良くしたがっているのに」


「誰が?」


「お店の子達が、よ」


「私、一応女だけど……」


 心が女性である節くれだったコンパニオンに、興味を持たれるなんて、アイは思いもよらなかった。すると、クリスが「視野が狭いわね」と、何故か呆れていた。


「性別なんてナンセンス。可愛がりたい対象に、男も女も関係ないのよ。……というか、あの店にいるコンパニオンや給仕達なんかは、男女共々、異性の格好をしたホモセクシュアルの子もいれば、ストレートの子もいるって、知らなかった?」


「……は?」


 アイは一瞬、理解が追い付かなかった。


「あの店、やる気と根性さえあれば、性別や性癖、関係なく雇用するのよ」


 絶句するアイに、クリスはカオス・オブ・パラダイスの雇用条件を、簡単に説明した。


「まぁ、アイはまだ馴染みがないからな。乙女心を持つ逞しい女性もいれば、ストレートの男女がいることも、女性がいることも、知らなかっただろう」


 レオンがそう言うと、横に立つタロウも無言で頷いた。


「因みに、今一番人気はバイセクシュアルの女装家の子よ」


 今一つ、アイはカルチャーショックを受けた。


「はちゃめちゃ、だね……」


「まさに、『カオス』でしょ?」


 クリスは、にやっと笑った。

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