第四話 方舟(二)


 アイは、クリスが指定した待ち合わせ場所の広場に到着した。


 イリス都A-七区の中でも、中央街にある一番広い広場は、賑やかに人が行き通っている。広場の中心には、短く刈り込んだ芝生が青々と茂っており、子供は駆け回り、木陰には恋人達が寄り添っていた。デザインされた石畳が続く道の先には、路面電車の停留所があり、人の塊が出来ている。イベントエリアには、大道芸人が音楽を奏で、人々がパチパチと拍手を送っていた。


 人の多さに辟易したアイは、飲食エリアに向かった。コーヒーショップ、バーベキューレストラン等が軒を連ね、その中にジェラート店を見つけた。その店の正面に見える時計塔にアイは歩を進め、時計塔をぐるっと囲むベンチに腰を下ろした。花束に気をつけながらベンチの背に体を預け、そのままだらしなく「空」を見上げた。「空」は、時計塔が指す時刻通りに、僅かに黄みがかった青空の映像が映し出されていた。


 ノアの天井には、スカイスクリーン電子パネルが張り巡らされており、時間通りに空の映像が流れ、本物のような空を演出していた。更に、疑似ソーラーエネルギー放射システムというものが搭載されており、国内に疑似太陽光を浴びせ、生活環境と人々の生活に役立てていた。しかし、下層にはそんなものはない……。


「せま……」


 アイは、建造物と建造物の間に張り巡らされた紛い物の空を見るたびに、窮屈に感じていた。


 近年、政府環境調査隊のノア外界の調査は難航していた。瘴気の毒素の密度が濃く、強い酸性の雨にも降られ、調査は滞ったままでいる。最後に聞いた外壁調査の報告ニュースでは、相も変わらず、塵と瘴気に覆われたままらしい。


 きっと今でも外の世界は、どんよりとした厚い灰色の空に違いないだろう。


「お・待・た・せ」


 ぬっと、クリスが見下ろすようにして、アイの眼前に現れた。


「……うん」


 アイは気のない返事をした。


「……もっと驚くとか、リアクションとりなさいよ。なんだか、アタシが寒いことしたみたじゃない」


「いや、知らないよ」


 アイは先程から、のっそりと近付いてくるクリスの気配に気付いていた。


「あら! 綺麗な花束ね!」


 クリスが「誰宛なのかしらねぇ?」と呟くと、アイは花束に添えられたカードへ顎をしゃくった。クリスは、ちらっとそれを見ると、眉間にくしゃっと皺を寄せた。


「納得いかないわ」


「何が?」


「なんでターニャの為に、こんな豪華な花束のお届け物をしなくちゃいけないのかしら」


「どっちみち華爛街に行くんだから、ぶうたれないでよ。


 アイがそう言うと、クリスは既にぶうたれていた。


「ま、ターニャはとても魅力的な女性だから、花束の一つや二つ贈られてもおかしくはないだろう」


 レオンが両手に四つのジェラートのカップが乗ったトレイを持ってアイ達の前に現れた。後ろには、ダンボール一箱と二つの袋を抱えたタロウもいた。


「あら? 肥えた老婦人だけじゃなく、破廉恥な小娘にも興味がおありなんて、守備範囲が広いのね」


「俺は、世の女性を物差しで測る愚かな男じゃない。あと、そういう物言いをする者に俺からの奢りはやらんぞ」


 レオンは手に持っているジェラートが乗ったトレイを引っ込めた。


「あぁん、いけず!」


 クリスは鮮やかな色をしたカシスフレーバーのジェラートを素早く取り、布で手提げ鞄のように包まれた荷物をベンチに置いた。タロウも荷物をベンチに置いて、レオンからカップの中に三色も乗ったジェラートを受け取り、アイはチョコレートフレーバーのジェラートを受け取った。残ったコーヒーフレーバーのジェラートは、レオンの分だ。


 目の前に見えるミケーラのジェラート店は、ストレイ・キャッツ・ハンドの皆がお気に入りのジェラート店で、よく買い食いをしていた。アイも初めてこの店のジェラートを食べた時は、感動した程だった。


「……ひと、たくさん……」


 タロウが人を刺し殺すかのような目で、じろりと辺りを見回した。日が暮れるにつれ、何故か広場に人が多く集まりだしてきた。よく見れば飲食エリア以外の場所にも出店があり、いそいそと切り盛りしている。


「今日は、ノア建国記念日だからだろう」


 レオンがそう言うと、タロウは「……ん……」と納得して、三色のジェラートをスプーンでまとめて掬って口に含んだ。アイもジェラートを口に運び、冷たく、舌でとろりと溶ける濃厚なチョコレートの風味を味わいつつも、二人の会話に首を傾げた。その様子に、レオンが気付いた。


「あれ? 知らないか? 今日は建国記念日で、毎年一週間ぐらいに渡って祭りをやるんだ」


「また、大層なことを」


 アイは呟いた。


「それに、今年は建国二十五周年記念。五の倍数年は、ノア文明博覧会が開催されるから余計盛り上がるんじゃないかしら」


 クリスが、アイのジェラートにスプーンで狙いを定めつつ、言った。


「博覧会?」


 アイは、クリスのスプーンを避けて、聞いた。


「昔で言うところの、万博みたいなものだな。億は軽く超える歴史的遺産の閲覧。過去の偉人達の功績を称えつつ、最新の科学技術や建築技術の進歩の発表。自然の大切さ、生命の尊さを謳い、芸術は爆発して、皆お祭り騒ぎ——」


「だんだん説明が雑になってるけど……」


 レオンの説明の仕方に、アイは口を挟んだ。


「だいたいそんな感じだったよな?」


「アタシは行ったことないけど、そんな感じじゃない?」


 レオンに問われたクリスは曖昧に頷き、タロウは首を傾げていた。 


「しかし、祭りと博覧会を知らないなんて、どれだけ下層に潜っていたんだ?」


 レオンが、訝し気にアイに言った。


 そんなレオンをアイは無視し、何となくジェラートを黙々と食べるタロウに話を振った。


「タロウは、何味を食べてるの?」


「……まっちゃ、はっか、たまねぎの、とりぷる……」


「ちょ、やめてよ! その取り合わせ!」


 アイは思わず叫んだ。


「相変わらずの悪食ね……」


 クリスが、げんなりして言った。


「新作フレーバーは、食べ損ないたくない性分らしい」


 レオンが、仕方がないと首を振った。


 タロウは、残り少ない三色のジェラートをまとめてスプーンで掬い上げ、口に運んで食べ終えた。……今、口の中で合わさる三つの味がどのような化学反応を起こしているのか……、想像したアイは気分を悪くした。まだ残っている自分のジェラートをさっさと口に運び、その冷たく、とろける甘さで、アイは己の胸中を宥めた。






 皆がジェラートを食べ終わり、空のカップとトレイを片付けると、広場を出た。


「人が増えてきたな」


 レオンは、タロウが持っていた二つの袋を携え、通り過ぎていく人々から庇った。


「本番は夜からだけど、もうお祭り気分みたいね。開店してる出店があるし」


 クリスも、ひょいっと道行く人々を躱して言った。


「……つぶすんじゃねぇぞ ……」


 タロウが、アイの持っている花束を見て、ぼそっと言った。


「……仕方ない。近くのスレッドから、下層に降りよう」


 配達物を気にかけたレオンは、ぐるっと見渡して、とある場所に目を止めた。それは、空まで伸びた白い円筒の柱だった。


 レオンが先導して、広場に面した歩道を進んですぐ角を曲がった。道は広くも狭くもない。だが、先程とは違い、人気はなかった。そのまま進んでいくと、円柱の根元があった。近くで見ると巨大な円柱の根元に、ぽっかりと空いた殺風景なアーチ開口がある。アーチの上に標札があり、「イリス都A-七区第二十八番スレッド」と記されていた。


 スレッドとは、上層と下層を繋ぐ唯一の通行手段で、柱にぽつぽつとある小さい穴は通風口で、ノア内の空気の循環の役割も兼ね備えており、各地に設置されている。


 ストレイ・キャッツ・ハンドの一行は、アーチを潜った。中に入ると、簡素な電灯がぼんやりとスレッドの内部を照らしていた。目の前にはエレベーター、入ってすぐ横にはスレッドの内壁に沿うように、螺旋階段が下へと続いている。エレベーターと螺旋階段の間には、蜘蛛の巣のように鉄骨が張ってあり、転落防止の為に金網が張った手摺りが設けられているが、高所が苦手な人間には酷な場所であろう。


 先頭に立っていたレオンが、エレベーターのボタンを押した。


「毎度思うけど、この階段を使おうと思う人間がいるのかしらね?」


 エレベーターが来るのを待っている間、クリスが下層まで続く螺旋階段を、手摺りから見下ろして言った。


「ダイエットには最適だろう」


 レオンが言った。


「なら、アタシは必要ないわね」


 クリスがそう言うと、タロウが意味深長な目をクリスに向けた。それをクリスは目敏く察知し、両手でタロウの顔を挟み、頬を引っ張ってはプレスした。


「アンタはアタシのどこを見て、そんな目線を寄越すのかしらねぇ~?」


「……あふぉのひく……」


 タロウは、クリスの顎下を見て言った。


「なん……っ!? そんな肉付いてないでしょ! ねぇ、アイ! アイもそう思うでしょ!?」


「他人のジェラートを盗み食いしようとした人間を、フォローする気はない」


 アイは、同意を求めるクリスを、ばっさりとはね除けた。


「まぁ、ひどい!」


「……はなへ、おはまやろう……」


「お前ら、荷物を粗末に扱うなよ」


 レオンが、騒いでいるクリス達を咎めた。


 やがて、エレベーターからビィーッと音が鳴り、外側と内側の格子形の蛇腹式扉がガシャガシャと喧しく開いた。一行は、エレベーターに乗り込み、下へ降りていった。格子形の扉から見える螺旋階段が上へ上へと流れていく。空気が流れ込み、アイは被っているフードが風に煽られないように、手で押さえつけた。 


「どうしていつもそうなのかしら?」


 クリスが、アイに向かって言った。


「何が?」


「いつもフードを目深に被っているな」


 レオンもアイを見る。タロウも、無言でアイに目を向けた。


「……気分」


 そう言って、アイは更に深くフードを下に引っ張った。


 やがて、ガコンッとエレベーターが止まり、微かに一行の体が揺れる。音が鳴り、エレベーターの扉が開くと、アイは、さっさとそこから降りていった。まだ三人の目が自分を追っているような気がしたアイは、視線を断ち切るように、スレッドから出た。


 明るい空間、活気のある景色、爽やかな空気が占める上層とは打って変わって、今、アイの目の前に広がる下層は、薄闇が空間を埋め尽くし、頼りない電灯が殺風景な景色を不気味に浮かび上がらせ、重々しい空気がアイの身体に鬱陶しく纏まりついてくる。この世でたった一つの国の中にいるのに、まるで、別世界を行き来しているような気分になる。


 ——と、いきなりアイの眼前に何かが勢いよく迫ってきた。アイは咄嗟に屈んで避け、横目に何者かの足元が見えた。アイは片腕で花束を抱え、足で輪を描く様に、その足元を振り払った。カランッと、何か硬質な物が落ちた。アイは素早く立ち上がり、足を払われて倒れた襲撃者の鳩尾に目掛け、思いっきり踏みつけた。襲来者は苦悶の声を上げ、気を失った。


「アイ、平気か?」


 レオン達がアイの元に駆け寄った。アイは手をひらひらと振り、余裕の態度を示した。


「ったく、何処からカモの情報を聞きつけたんだか」


 レオンは、転がっている鉄パイプとのびている襲撃者を見て、眉根を寄せた。


「やっぱり、華爛街直通のスレッドから行った方が、安全だったかしらね」


 クリスが溜息をついた。


「……まだ、いる……」


 タロウがぼそっと呟くと、アイ達は気絶しているならず者から目を離して、周辺に目を遣った。


 スレッドの周辺は、スレッドを中心にドーナツ状の空間があり、その周りは上層を支える役目も担った建造物が囲っている。特定の下層のスレッド周りには、上層の商店から売れ残り品や訳あり商品などのちょっとした市場が開かれるが、この「イリス都U-七区第二十八番スレッド」にはその様な市場はない。代わりに、不届き者が潜んでいた。


 スレッドの出入り口の裏側から、建造物の細い脇道からと、数人潜んでおり、アイ達を狙っていた。


「さて、我々は最高のチームだ。実力なら、あんな不埒な輩なんて目じゃない。……が、我々の最優先事項はこの配達物だ」


 レオンが、それぞれ持っている荷物を見渡した。


「このまま応戦してもいいけど、荷物がおじゃんになる可能性が大きいわね」


 クリスが困った顔をした。


「……おくと、ぱくられる……」


 タロウが言った。


「それで?」


 アイが聞いた。


 レオンは「そうだな~」と懐に手を突っ込んで、ごそごそとし、小さなボールらしき物をその手に持った。荷物を狙う襲撃者達はじりじりと近づいて来る。レオンはそのボールを、その襲撃者達に向けて投げつけた。ボールはその者達には当たらず、地面に叩きつけられ破裂した。破裂したボールから何やら煙が舞い上がり、そして——。


「何だこれ⁉」


「痛てぇっ! 目がっ! 口ん中もっ!」


 襲撃者達は、目や口を手で覆い、藻掻き苦しんでいた。


「逃げるが勝ち、だ」


 レオンがそう言うと、ストレイ・キャッツ・ハンド一行は同時に走りだした。


「何だか地味ぃ~」


「なら、クリス。お前一人残って、やりあってくるか?」


「……おれ、できる……」


「タロウ、真に受けるな。やめておけ」


 ——まったく、碌でもない世界だ……。


 平穏な上層と大きく違って、下層では珍しくない日常に、アイはひっそりと息を漏らした。

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