第二話 野良猫達


 アイとレオンが振り返ると、ごみ山の影から、舌足らずな喋り方をする男と、毛染めで傷んだのであろうぼさぼさの金髪の男が、ゆっくりと近づいてきた。


「困るんだよね~。うちの猫ちゃんを勝手に持っていっちゃ~」


「人様のペットを盗むなんて、犯罪じゃん?」


  薄闇でも分かる男達のにやついた顔が、アイの嫌悪感を煽った。


「あれが、嫌な気配もとい攫い屋?」


「だろうな」


 レオンも、品のない男達に眉をしかめた。


 そんなアイとレオンをよそに、男達の小芝居が続いた。


「でもでも~、オレってば優しいから通報はしないであげるよ~」


「その代わり、示談金をいっただきっまーす!」


「それじゃ~、猫ちゃんと有り金を全部置いてっちゃってね~」


 身勝手な嘘で強奪の上に恐喝までしようとする男達が、ぎらついた目でアイを捉えた。


「ア~ンド、そこのカノジョも置いてってくれたら、なおグッド!」


 金髪の男が、アイを指差して言った。


「でも~、まずお顔チェックしなきゃじゃん? ブスだったら萎えるし~。ねぇ、カノジョ~! ちょっと顔をよく見せてくんな~い?」


「とりあえず中の下以上だったら、可愛がってやるからさ!」


 男達はゲラゲラと笑った。


 先程から機嫌が下降していたアイの眉間に、更に深い皺が走った。そんな怒気を孕んだアイに、レオンが「持っといてくれ」と、キャリーバックを預け、男達の前に出た。


「あ~ん? お兄さんに用はないんスけど~?」


「とっとと、どっかに消えちゃってくれねぇかな?」


 攫い屋の男達が、折り畳み式のナイフを取り出した。


 きらりと光る刃の切っ先が、レオンに向けられた。けれども、レオンは恐怖することなく、「やれやれ」と首を振った。


「暴力は好きじゃないんだがな。なんせ俺は、『愛』を誓った男だから」


「……は?」


 いきなり何を言い出すのか、この状況で「愛」を口にしたレオンに、攫い屋の男達の目が点になった。


 アイは「また始まった……」と、呆れた。周りが呆気にとられていることをよそに、レオンはさらに語った。


「お前達みたいな、むさ苦しく紳士とは程遠いところに値する人間だとしても、そんな風になってしまったのは、何か理由があってのことだ。この劣悪な環境のせいか、はたまた、人には言えない様な生い立ちがあったのかもしれない。……色々ときっかけと可能性があったんだろう。蔑視するどころか、むしろ哀れむべき対象だ。そう考えるに、俺はお前達を否定できない。むしろ、お前達という存在を受け入れよう」


 ますます、ちんぷんかんぷんなこと言うレオンに対して、攫い屋の二人組は色々と侮辱されながらも、目を白黒させていた。


 そしてレオンは「けれども……」と、人差し指を立て、ひっそりと言った。


「悪いな。俺はレディーしか愛せないから、男には容赦しない」


 そう演説を終えたレオンは、すかさず己にナイフを向けた男に近づき、ナイフを払い落した。


「ぅえ?」


 あまりにも唐突に起きたことで、舌足らずの男は間抜けた声を漏らした。


 さっきまでナイフを持っていたはずの手を思わず見ようとした——が、レオンに腕を取られ引っ張られた。状況に追いつけない男に対し、レオンは冷静そのものだった。腕を引っ張った勢いをレオンは利用し、男の顎を掌で捉え、そのまま撃ち突けた。頭を揺さぶる衝撃を受けた男は、そのまま後ろ向きに、ドサッと倒れた。


「……っ! て、めぇぇええっ!」


 仲間があっさりと倒され、焦りを覚えた金髪の男が、ナイフを突き出してきた。レオンは、するりと男を受け流し、鳩尾に目掛け重い拳を入れた。


「んぅ、ぐ、ぅぇ……」


 くぐもった声を漏らした金髪の男もまた、ごみくずが散乱した地面に倒れた。


「攻撃が雑、且つ、隙があり過ぎだ。俺みたいにもっとスマートじゃないと、な」


 レオンはそう言って、後ろで待機していたアイの方に向き直った。


「お怪我などは御座いませんか、姫君?」


「誰が姫だ。寒いこと言ってんじゃないよ、アホ王子」


 アイは顔をしかめて言った。


「おや、手厳しい」


 アイの辛辣な物言いもどこ吹く風……、レオンはにっこりと笑って言った。


「あらあら、どうしたの?」


 騒ぎに気付いて来たのか、クリスが現れた。


「曲者が現れた。だが、御覧の通り」


 クリスの方へ振り返ったレオンは、芝居がかった仕草で両腕を広げた。


「もう既に片が付いたようね」


 倒れている攫い屋達を見て、クリスは口笛を吹いた。


「あぁ。面倒もなくなったし、行こう——」


「このクソヤロウがぁああっ!」


 突如、怒号と共に危険な閃光がレオンへと迫っていた。


 先程、レオンが倒した攫い屋の仲間が、他にも隠れ潜んでいたようだ。潜んでいた人数は三人。内一人の巨体の男がレオンへと突進してきた。その男の手には、大振りのナイフがあった。あんな物で斬りつけられたら、一溜まりもない。レオンが、怒りに叫ぶ男の方に振り返る。ナイフの切っ先が、あと二歩……一歩……——。


 だが、狂気に満ちたナイフは、レオンを傷つけることはなかった。


「グがっ……!」


 一瞬のことだった。


 アイはキャリーバックをクリスに押し付けると、前方にいたレオンの肩に手を置いて、重力を感じさせないくらい高く跳び上がった。レオンに向かって突進する巨体の男目掛けて、アイは何の無駄もない完璧な飛び蹴りを食らわした。


 男の鼻はへし折られ、その巨体はそのまま低空し、地面を擦りつけながら落ちていった。他の男達が驚愕する中、無様に地にひれ伏した巨体の男とは対照的に、アイは実に軽やかに地面に降りたった。


 そのアイの姿に、クリスは拍手を送り、レオンは感嘆の溜息を漏らした。


「あぁ、アイ。君はまさに勝利の女神だよ。今すぐその御手に口づけを捧げたいところだが……、ちょっと下がろうか」


 そう言って、レオンは後ろ向きに少し下がっていった。


 どういうことだと、アイはレオンを見遣ると、レオンが人差し指を差した。その差した先を目で追ったアイは、——なるほど、理解した。クリスも「あらまぁ……」と、顔を引きつらせていた。アイもクリスと共に、一歩、二歩と下がっていった。


 そして——。


「……やりやがったな。ごみくずどもが……」


 声音は少し高いが、まるで地響きの様な声——タロウだ。


 いつの間にか、タロウがこの場にいた。


「……それ、ないふ、だよな? ……ないふは、あぶないよな? ……からだがきれて、ちがでて、へたすりゃんだもんな……?」


 タロウはぶつぶつと言った。


「……んぁ? なんだこのチビが!」


 アイに倒された男が、ふらふらと起き上った。


 タロウは、鼻から血を流す巨体の男に、一歩一歩近づいた。アイは、自分がぶちのめした巨体の男を、——あのまま寝ていればいいのに……——と、ほんの少しだけ哀れんだ。


「……それで、あのきざやろうを、ざっくりとやるつもりだったんだよな? ……それはつまり、……ってことだよな……?」


 タロウの乱暴な口調は相変わらずだが、声の重みははっきりと違っていた。その危険な異変に、攫い屋達はまだ気付かない。


「だったらなんなんだ、ガキが!」


 後方にいる、キャップの帽子を被った男が言った。


「ボクちゃんも、痛い目にあうかぁ?」


 続いて、眉根にピアスを付けた男が言った。


 ——むしろ痛い目に遭っているのは、そっちでは? ——と、タロウ以外のストレイ・キャッツ・ハンドの面々がひっそりと思った。


「……ひていは、しねぇんだ、な? ……」


 だんだん語尾が荒くなっていく声。ナイフよりも鋭い、狼のような眼光。口元は犬歯が見えるほど……笑んでいた。


「……だったら、てめぇらごみくず、それそうおうに、いたいめにあっても、もんくはねぇよ、な……?」


 喉から漏れ聞こえる獣のような不気味な笑い声。さすがにタロウのその狂気じみた雰囲気に、攫い屋達は初めて身震いした。


 警告音が頭の中で鳴り響く。本能的に足が逃走するように向いた。——しかし、避難するには手遅れだった。


「しぬかくごはできたかよっ!」


 そう死刑宣告を言い渡したタロウは、突撃した。


 最初の餌食となったのは、一番近くにいた男——アイが倒した巨体の男だ。まだ頭がくらくらしている巨体の男の襟首を、タロウはむんずと掴みかかった。男は、掴まれた首元から伝わるタロウの尋常じゃない握力に、驚愕した。なんとか逃げ出そうともがくが、それは叶わず、タロウから強烈な頭突きを食らった。頭蓋骨が振動し、眼球が右往左往する中、間髪いれずに高速アッパーカットが繰り出された。タロウの小柄な身体のどこにそんな力があるのか、巨体の男は本日二度も宙を舞った。


 薄れゆく思考の中、男の脳は、しっかりと、嫌でも、その光景を海馬に刻み込んだ。


 ——飛沫する血の中で笑う悪魔を……。


 巨体の男が地面に落ちたのを見届け、小柄な悪魔は次の獲物を探す。目を合わせたら死ぬ——そう感じた残りの攫い屋達は、脱兎の如く逃げ出した。それを見たタロウは、瓦礫の山から錆びたパイプ椅子を引っ張りだした。


「にげてんじゃねぇえ!」


 逃げる男二人に目掛け、投げ飛ばされたパイプ椅子は、見事に顔面ピアスの男に命中した。倒れた顔面ピアスの男に、ゆっくり近づくタロウ。その顔は不気味に笑んでいる。倒れた男は、足がパイプ椅子に絡まって立ち上がれずに踠いていた。男はなんとか這って逃げようとするが、縺れた両足の一方を、タロウに掴まれてしまった。そしてタロウは、掴んだを振り上げた。


「うぉらぁあああああっっ!」


 右へ、左へ。上から下へ。また右へ——。


 顔面ピアス男は、タロウによって、宙を舞ってはごみ山に突っ込まれ、また宙を舞っては、地面へと叩きつけられていた。


 なんとも惨たらしい……。


 悪魔に捕まってしまった仲間を見捨てた帽子の男は、なりふり構わず逃げ出す。しかし、前方にはクリスがいた。


「どけぇ!」


 突進する男に、クリスはあっさりと横に引いた。逃げ切れると、男に希望の光が差した——のは、気のせいだった。


「あ、ガァあっ……!」


 突如、男のわき腹に衝撃と激痛が走った。まるでを抉り込まれたような衝動であった。倒れこむ男の横に、クリスが「あらあら」と少し困った表情を見せた。


「あらヤダ。アタシったらついうっかり、お店の物を持って来ちゃってたわ」


 クリスは手に持っていた物を、ちらちらと男に見せた。


「これって、ソムリエナイフより多機能で便利よね~。コルク栓を抜くだけじゃなく、ナイフも使えるもの。あ、でも安心なさいよ。刃は出さないで、そのままちょ~っと突いただけだから」


 クリスが持っていたものは、万能ナイフだった。ナイフ等を閉まった状態でも、抉るように突かれれば、なかなかのダメージだろう。


「アタシ、華爛街のお店で給仕のお手伝いしてるの。よかったら来て頂戴な」


 しゃがみ込んで嗚咽を漏らす男に向かって、クリスは、にこにことした顔で言った。


「だ・け・ど……、もっとお行儀が良くなってから、ね?」


 そう言ってクリスは、男の顎を容赦なく蹴り飛上げた。


 クリスが蹴り飛ばした男の帽子が宙に舞い、地面に落ちるのを眺めていたレオンは、一通り事が終えただろうと、判断した。そして、まだ追撃を緩めないタロウにストップを掛ける。


「タロウ。もうその辺で勘弁してやれ。本当に死んでしまう」


 丁度、顔面ピアスの男を投げ飛ばそうとしていたタロウは、レオンの呼び掛けに、あっさりと男を離した。いつもの仏頂面に戻ったタロウは、ぎりっとレオンを睨んで、ずんずんと詰め寄っていった。


「……てめぇ、ぼけっとしてんじゃねぇぞ。……くたばりぞこないが……」


「あぁ、悪かった。今度は気をつけるさ」


 そう言って、レオンはタロウの頭を、くしゃっと撫でた。タロウは、撫でてくるレオンの手をはね除けはしなかったが、未だに睨み付けていた。


「それにしても、アイには感謝しなくちゃな。アイが助けてくれなきゃ、俺は今頃、天国で天使達と戯れてたことだろうさ」


「よく言うよ」


 アイは疑わしげに言った。


 本当のところ、アイの助けがなくとも、レオンはあの巨体男をやり過ごすことが出来ただろう。にこにこと微笑むレオンに対して、アイは何か腑に落ちなかった。


 アイが胡乱な目でレオンを見ていると、突然、何者かがアイを後ろへ引っ張った。アイが振り返る間もなく、冷たい鋭利な物が、アイの首元に走った。


「て、てめぇら、それ以上近づくんじゃねぇぞ! ち、ちちか、近づいたらこの女、殺っちまうからなっ!」


 アイの耳元で、男が喚き散らした。


 アイから何者なのかは見えないが、声から察するに、真っ先にレオンにやられた舌足らずの男だった。


「お、おお大人しく、そ、そのカバンを寄こしな! そ、そうしたら、この女を解放してやる!」


 言葉がつっかえる程慌ただしい男に対して、ストレイ・キャッツ・ハンドの男達は至って——タロウは犬歯を剥きだしているが——冷静だった。先程、華麗な飛び蹴りを披露した囚われのヒロインに対して、心配することなど愚の骨頂だ。


 そして囚われのヒロインは、愚かな男に物申す。


「人質にとったはいいけどさ……、刃の向き逆だけど?」


「ぅえっ!? 嘘!?」


「そうだよ!」


 思わず手元のナイフに気を取られた男に、アイは自身の肘を遠慮なく男の鳩尾に突き入れた。


「ぅげ……ェェ……っ」


 男が苦悶し、くの字に屈んだところをアイは、くるっと振り向きざまに片足を上げ、風を切るように男の首横に回し蹴りを食らわした。男は声も上げず、仲間達と同様に、静かに地へと崩れ落ちていった。


 そんな様子にも目もくれず、アイは自身の同僚の元へと歩み寄った。


「……けが……」


「ない」


 素っ気なく尋ねたタロウに、アイは素っ気なく答えた。


「アタシ達の完全勝利ってことね。猫ちゃんも無事だし」


 クリスが持っているキャリーバックから、「にゃぁ」と、少々不満げな鳴き声が聞こえた。


「さて、もう一仕事だ。行くぞ」


 レオンに促され、ストレイ・キャッツ・ハンドの一行は廃棄物収集処理場から抜け出し、薄暗い闇の中にぼんやりと見える「地面」へと続く、大きく長い柱へと足を向けた。

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