第一話 第十五番廃棄物収集処理場にて
アイは苛立っていた。
「くだらない」
ガツンッと、アイの足元に転がっていたラジオは一蹴された。
雑音混じりの音声は砂嵐の中へ消え、やがてブツッと、音が止んだ。イリス都U-七区にある第十五番廃棄物収集処理場は、再びアイの気配だけを残して静寂に還った。
——あぁ、なんてくだらないことを言うのだろう。綺麗ごとばかりで、虫唾が走る。
アイはラジオから流れた文言を苛立たしく思い、フードから覗いている口元を歪ませた。
アイは、くすんだ色のパーカー、ショートパンツといったラフな服装で、瞳の色は陰って分からない程フードをすっぽりと被っていた。見ようによっては、不用品を漁りに来た浮浪者にも見える風貌だ。
ラジオを蹴り飛ばした拍子に、フードから垂れた長い黒髪が肌を擦ってむず痒がっていたアイは、辺りをぐるりと見回した。誰もいなかった。それを確認した後、アイはフードを下ろし、焦げ茶色の手袋を嵌めた手で面倒臭そうに髪をかき上げた。
アイは犯罪などの後ろ暗い経歴はなく、素顔を見られても特に問題はない。だが、あまり人目に触れないよう、アイはなるべくフードを被るように心掛けていた。
フードを下ろし、露わになったアイの瞳は、外の世界がまだ汚染される前の晴れ渡る空の青さを思わせる色だった。しかし、表情はまるで曇り空のように、重く、暗い面持ちでいた。
ラジオから目を離し、ごみの山、その敷地を囲む錆びついたフェンス、点滅する電灯、その先にある老朽化した街並み、そして天へと、アイは頭を反らし視線を上へ走らせる。視線の先に、当然「空」なんて物はなかったが、この国を覆う天井でもなかった。鉄骨、パイプ、電線などが、ひしめき合って固めたような「地面」が、アイの頭上の先を覆っていた。
光の乏しい、薄闇に包まれた世界……。
その頭上にある「地面」をじっとみていると、賑やかな音が聞こえてくるような錯覚を覚え、アイは眉をひそめた。内に沸き起こった不快感を消し去りたい思いで、アイは堅そうなブーツで、もう既に事切れたラジオを再び蹴った。
「……おい……」
唐突に、アイの背からまだ幼さの残る男の声が聞こえてきた。
非常に聞き覚えがあるその声にアイが振り向くと、数歩離れた先に年若い男がいた。硬そうな黒髪を一束に結び、元々眼つきの悪い琥珀色の目をさらに釣り上げた浅黒い肌の青年が、地に散乱したゴミを蹴散らしながら、アイに近づいてきた。青年の放つ不機嫌なオーラに、アイは溜息をつき、手早くフードを被り直した。
「随分と不機嫌そうだね。私、何かタロウ君の気に障るようなこと、したっけ?」
アイは冷めた調子で、わざとらしく言った。
「……てめぇが、さぼってるからだろうがよ……。……あと、そのなめたたいど、やめろ……。……むなくそわるい……」
タロウと呼ばれた青年は、アイよりも身長は低いものの、言葉遣いの荒さ、狼のような鋭い眼つきにより、なかなかの迫力がある。
「サボっているつもりはないけど?」
けれども、アイは少しも物怖じしないで、わざとらしくタロウに肩を竦めて見せた。そのアイの態度を見てタロウは、目元をひくつかせ、舌打ちをした。
「……らじおで、あそんでたじゃねぇかよ……」
「盗み見してたの?」
今度はアイの目元がひくついた。アイはフードを摘み、ぐいっと、更に目深に被った。
「スケベ」
「……あぁ? ……」
気分を害したタロウは、アイを睨み付けた。しかし、それはお互い様だと、アイも不快げな目をタロウに向けた。
「アンタ達、こんな所で何を睨めっこしてんのよ」
嗜める声に、睨みあっていた二人が顔を向けると、細身の男がひょっこりと現れた。
色白の中性的な顔立ちで、肩より下まである緩く波打った金髪を指で弄び、アイスブルーの垂れがちな目が、呆れた視線を寄越していた。
よたよたと散乱する廃棄物を避けて、隣に並んだ男を、タロウは怪訝な顔をして見上げた。
「……かまやろう、なんでいるんだ……」
「アンタねぇ……、口が悪過ぎよ。クリスって、ちゃんと名前で呼びなさい」
女口調で喋る男——クリスは、言い聞かせる様にタロウの額を人差し指で小突いた。
「こっちに動いたの?」
「えぇ、たぶんね」
質問したアイに、クリスは少し困った顔を見せた。
「ここだと、どうしても電波状況が悪いから、このGPSの信号もいつ頃のことかしらね」
そう言ってクリスは、きらきら光るビーズのストラップが付いた携帯電話を、アイとタロウに見せた。液晶画面には、簡単な分布図と点滅する赤い点が映し出されている。
「……それって、あんまり意味がないんじゃ?」
アイは胡乱な目をして言った。
「これでも最新機種よ。しかも、このGPSアプリは~……実はアタシのお手製よ!」
クリスは「アタシってすごいでしょ」とでも言うかのように、瞳が輝いていた。
「……みつかる……のか? ……」
タロウは首を傾げてでクリスを見た。
「どういう意味よ!」
「まぁ、何も手がかりがないよりはマシだろ」
クリスがタロウの頬をつねっている側から、また新たに、背の高い黒髪の男がピクニックバスケットのような籠鞄を持って現れた。
「レオン、何処に行ってたのよ? さっきまで一緒にいたのに」
口を尖らせたクリスに、レオンは「ちょっとな」と、くいっと顎をしゃくって言った。
「向こうで嫌な気配がしたから、様子を見に行っていたんだ」
なかなか聞き捨てならないことを口にしたので、何のことか尋ねようとしたアイに、レオンは手を上げてやんわりと制止させた。
「依頼人のマダムは非常に心配性な方だから、余計な時間を取って心痛を長引かせてしまうのは忍びない。早く済ませよう。でなければ……、今後の俺達の飯代に影響が及ぶかもしれない」
そう言ってレオンは溜息をつき、気だるげに前髪を掻き上げた。
レオンは、道行く女性が一度は振り返りそうな程の端正な顔立ちに、きりっとした二重の深い緑色の瞳、むさ苦しくない程度の顎髭を生やしているせいか、ワイルドさも兼ね備えた美男だった。その仕草は、多くの女性が見惚れていたことだろう。……たちの悪い事に、本人も自覚している。
「あんたなら、飢え死にする心配ないでしょ」
そう言ったクリスに、アイとタロウは同意した。
「なんたって、そのマダムのお気に入りなんだから、うまいこと擦り寄れば、面倒見て貰えるんじゃないかしら?」
にやにやと笑うクリスに、レオンはきっぱりと言った。
「俺は世の女性を分け隔てなく、敬い、愛せるが、ストレイ・キャッツ・ハンドの名において、仕事とプライベートの分別はきっちりつける。だから、マダムの誘いにも乗らないさ」
クリスはおざなりにレオンに拍手を贈り、「さすがは我らがリーダー」と呟いた。
ストレイ・キャッツ・ハンドとは、「日曜大工から人探しまで。猫の手も借りたい貴方のお手伝いをします」と謳っている便利屋だ。ちなみにストレイ・キャッツ・ハンドと看板名を考えたのは、これを起業した所長とレオンの二人だ。なんでも、「猫の手も借りたい」という諺からとったのと、戦前に見かけられた野良猫のような気ままな雰囲気がぴったりだと言う。
そう……、猫は確かに気ままな生き物だ……。
「……しごと……」
話が逸れつつあったので、タロウがレオンにぼそっと言った。
「だな。タロウの言うとおり、早く探そう。愛玩動物は希少だから、金に目が眩んでいる連中に、売買されかねない」
そうして、一時間後に出入り口に落ち合う約束をし、ストレイ・キャッツ・ハンドの仕事が再開された。
粗大ごみの山を越え、使い物にならない不良品の谷を越える。危うく滑りこけそうになり、その度にタロウはぼそぼそと悪態をついた。一方、クリスも眉をひそめ、サイドに流れる己の髪を指で弄び、ブーブーと文句たれていた。
「嫌だわ。アタシこの後、お店の手伝いに行かなきゃいけないのよ。なんで抜け出してまで、こんな所まで遊びに来ちゃったのかしら」
「それは彼女のみぞ知る。いいから探せ」
レオンは後ろの方で、中々ごみ山に足を踏み入れずにいるクリスに、仕事をするよう促した。渋々足を踏み入れるクリスは、恨みがましい目でレオンに言った。
「だいたい、なんでアタシまで力仕事させられるのよぉ。アタシはデスクワーク寄りの担当なのよ」
「あくまで寄り、だろ? いい運動になっていいじゃないか」
レオンは、にやっと笑った。
「事務処理や電子機器関連にお強いどころか、ハッカー技能も優れた我らがクリス様にも、現場の地味ぃ~な力仕事を体験して頂きたく且つ、より早く仕事を遂行する為、御呼び立てしたまでで御座います」
「原始的で素敵だわ」
クリスは観念したように、がっくりと肩を落とし、違う方向にへ探しに行った。
「それにしても……、ここ、広すぎ」
アイは、ごみ山の頂上に辿りつき、辺りを見回した。山は他にもいくつもある。
「もう、自由に生かしてもいいんじゃない」
アイは、何となしに言った。
「そういう訳にいかないだろ。お得意さんだし、手付金も良い値で出してくれているんだからな」
ごみ山の下方付近を捜索しているレオンが、嗜めるように言った。
「はいはい、そうです——か!?」
突然、アイの体が、がくっと後方に傾いた。
無造作に積み重なったガラクタ達の隙間に、ちょうど片足を突っ込んでしまい、バランスを崩したアイは、山の頂から宙に放たれた。
「アイ!」
レオンが叫んだ。
だが、レオンの心配をよそに、頭から落ちていたアイは空中で体勢を立て直し、山の斜面を蹴った。重心を正したアイは、難なくガラクタの麓に降り立った。
「アイ? 無事か?」
反対側の麓にいるレオンが、姿の見えないアイに呼びかけた。
声をあげて返事を返すのが億劫に感じたアイは、とっととレオンに姿を見せようと足を動かした。その拍子に、古びたチェストにブーツの爪先が当たった。足に痛みはないが、ゴツッと鈍い音がチェスト内に響いた。
すると、「にゃ」という鳴き声が、チェストの中から聞こえてきた。
微かに聞こえた鳴き声に、アイは目をぱちくりとさせた。屈んだアイは、軽くノックする様に、転がっているチェストを叩いた。するとまた「にゃぁ」と、今度は悲しげな鳴き声が聞こえてきた。中に何かがいることに確証を得たアイは、横に転がっているチェストの取っ手を掴んで、引き出しを開けた。
「アイ? 屈んでどうした?」
返事のないアイを心配してか、レオンがやって来て、しゃがみ込んでいるアイを見つけた。
「見つけたよ」
アイは腕の中に抱えた、白いふわふわとした長い毛並みの「猫」をレオンに見せた。その猫の首回りに、金色に輝くGPS機能付きの首輪が、きらりと光った。
「よくやったな、アイ!」
レオンは屈託ない笑顔を見せた。
「その猫、すばしっこいのによく見つけたな。何処にいたんだ?」
「そこ。そこに転がってるチェストの中に、閉じ込められてた」
アイはチェストの方に指さした。
おそらく引き出しが開いていたチェストの中に、猫が飛び入り、その反動で引き出しが閉じてしまったのだろう。
「それは、災難なこった」
レオンは憐れむような目で、猫を見た。
猫は今、瞳孔も丸く、アイの腕に抱かれてとても落ち着いていた。とても逃げる様な素振りを見せない。レオンは、猫がやんちゃしないうちに、手に持っていたバスケット型のキャリーバックに猫を入れた。
「よし。後はマダムに届けて、他の依頼主様からの仕事をこなすだけだ」
「だけって……」
「荷物の配達だ。猫探しよりは楽だろ?」
「それ、クイーンの分もあるんでしょ」
アイは浮かない顔で呟いた。
「クイーンは、ストレイ・キャッツ・ハンド設立時からの仲介人でもあるのだから、そんな嫌そうな顔するな。美人は笑顔の方が、尚美しいものだぞ」
ウィンクして星を跳ばすレオンに、アイは冷たい眼差しを寄越した。
仕事を紹介してくれるのは、便利屋としてはありがたい話である。けれど、アイはその仲介人のことを思うと、深い溜息をついた。
「……その猫を届けるなら、レオン一人で行きなよ。あのお婆さん、あんたにしか眼中にないんだから」
少しでもこれから味わう不快感を減らす為に、アイはレオンに提案した。
「さっきも言ったが、愛玩動物は希少で攫い屋に狙われやすいんだ。なるべく適当な人数で届けるのがベストだ」
レオンは辛抱強くアイに言い聞かせ、出入り口の方へ足を向けた。
観念したアイもレオンに続いて、出入口の方に向かおうとした。だが——。
「はいは~い! そこのお二人さ~ん!」
二人の耳に、わざとらしい舌足らずな男の声が届いた。
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