第三章 秋の口吸い 8
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武志郎は見せたくなかったのであるが当然そうもいかず、録画を見た香里は青くな
ったり、赤くなったりしていたが、最終的には烈火のごとく激怒した。そしていきな
り武志郎の
「なんで、あんなキス、よけられなかったのよ!」
「そこ? まずは紗世の霊魂がぬけでていくところのが──」
「私にはこっちの方が大事なの! どうして黙ってキスされてるの!?」
「いや、だって……」
「だってじゃない! ひどいじゃない! 自分だけ
「いや、あれは
「うるさい!」
「キスしたのは実際、香里とだしさ」
「私がおぼえてなきゃ意味ない! 最悪! これ、一生、いいつづけるからね!」
「かんべんしろよ。……は? 一生?」
「そう、一生。紗世にいわれたんでしょ? 姉御と仲よくって」
「ああ」
「じゃ、仲よくしないと」
「ビンタしたくせに?」赤くなった頬をさする武志郎。
「あれは、じゃれただけ。でしょ?」
「へいへい。……じゃあ、あらためて俺から香里に、
てもよろしいでしょうか?」
「
をすごしたのは彼女も同じ、この夏をしめくくるにはふさわしい儀式といえるだろ
う。
うぎゃあー! ふんづけられた猫のような金切り声が轟とどろいた。ふりむくと、
そこには篤子が立っていた。うわっ!とはじかれたようにはなれる武志郎と香里!
ふたりの
「か、母さん、なんで?」
「武志郎、香里ちゃんも、そこに正座なさい!」
「あ、あの、香里も?」
「いいの、武志郎君」泥の跡が残るスカートをたたみ、正座する香里。
「いいから、早くしなさい、武志郎!」
あとでわかったことであるが、篤子の友人のひとりが芝居見物にむかう途中で気分
が悪くなり、そのため結局、観劇をあきらめ、お開きとなったのだそうだ。篤子の説
教は約三十分ほどつづき、ふたりはかげでコソコソしないことを誓わされたけれど、
交際を禁止されるにはいたらなかった。事実だけを見れば、親の留守をねらって女子
を家に連れこみ、キス寸前であったわけだから、量刑としては軽い方なのかもしれな
い。ここで香里は開放され、何度も何度も篤子に頭をさげつつ帰宅していった。武志
郎は彼女を送ることを口実に逃亡をくわだてようとしたが、篤子は当然許可せず、そ
れどころか
は普段おっとりしているけれど、さすがは旧華族、武家の娘である、やるときはとこ
とんやるのが彼女の
正座をさせられながら武志郎は、山賀乙より
い、笑いをかみ殺しているところを見つかり、反省がたりないと、またお叱りを受け
た。通常の武志郎であれば、ここまで母親のいいなりにはならなかったに違いない。
なんだかんだとごねて逃げだしたか、自室にこもったことだろう。しかし、今回のこ
とは香里がからんでいる。変にさわぎたてて母の怒りを増長させることで、彼女の家
に電話でも入れられたらやっかいだと考えたのである。それからもうひとつ、夏休み
最後の一日を正座したうえでの
この夏に思いを
た、しかし、おわってしまったこの夏に……。
夕食をおえ、自室にもどり、明日、提出する夏休みの宿題の確認作業をはじめた武
志郎は、ふと思いたち、いつものノートのページをめくってみた。紗世を「斬る」か
「焼く」があいまいにぼやけていた文字が「斬る」ともとの通りに復元していた。ど
うやら過去が確定したようだ。スマホで撮った動画の音声も同じことだろう。そして
武志郎は、紗世が書いたへたくそな文字の数々を指先でなぞり、小さくため息をつい
た。
「武志郎、ちょっといいか?」ドアごしに父、伸宜の声がする。武志郎はノートを閉
じて引き出しにしまった。香里の件では夕食のとき、伸宜からも軽く
が、まだいいたりないのかもしれない。
「開いてるよ」彼がこたえると伸宜が入ってきて、ベッドに腰かけた。「父さん、ま
た説教?」
「まあな。母さんにいってこいといわれた」
「あ、そう」武志郎はなんとなくではあるが、自身の
伝かもしれないと思った。どうせくるんなら、自分の意志できてほしいと。
「武志郎……」
「なに?」
「一学期の期末試験のあと、お前が酒を飲んで帰ってきたこと、俺は、わりと許せた
んだ」
「え?」バレていた? 青ざめる武志郎。
「あのとき母さんにもいったんだ、俺にもおぼえがあるってな」
「はあ、そりゃどうも……」──法律違反ですけど。
「常習犯となれば話は別だが、いったんは武志郎を信じようとね。だから今回のこと
も気持ちはわかる。お前の年齢で女性に興味を持つのは自然なことだと俺は思う」
「はぁ……」
「だが、やり方がよくないな。今日、きていた子って、この間会った鵜飼香里さんな
んだろ?」
「まあ」
「母ひとり子ひとりで懸命に育てている娘さんに、万が一、間違いでもおこした
ら……俺は彼女のお母さんに申しわけが立たない」
「間違い?」
「たとえば妊娠だ」
「いや、待ってよ! 俺、そんなこと──」
「今日はたまたま母さんが早く帰ってきただけだろ? なにもなければ、また親の留
守中に彼女を連れこむ、そうなっただろ?」
「俺!」
「武志郎ぉお!」
「はい!」伸宜が声を荒げるのを聞くのは久々のような気がした。あの爆発事故のと
き以来かもしれない。
「人間、とりわけ男に間違いはつきものだが、決して間違ってはいけないことだって
世の中にはあるんだ! 間違いではすまされないことがな!」
「…………」いわれてみれば確かに、篤子の帰宅が早まらなければどうなっていたか
わからない。
「お前がひとりで間違うのなら、俺は許すよ。だが、よそ様の娘さんを巻きこむこと
は、今のお前には断じて許さない。お母さんたちを泣かせるようなことは絶対にする
な!」
「お母さんたち……」
「お前と彼女のお母さん、お前の行動しだいじゃこういわれるぞ。親の顔が見たい
わ!ってな。いいのか? それで」
「よくないね」保田奈美穂の両親は世間の白い目にたまりかね、この町を去った。
「お母さんたちだって女なんだ。ふふふ、実は、すごく強いんだけどな」ここで伸宜
が少しだけ笑顔を見せた。
「だね」
「男なら女を泣かせるまねはするなよ、って話だ。それができないようなら、男なん
てやめちまえ!」
「やめるわけにはいかないな」武志郎は香里をどこまでも守ると誓ったのだ。
「そうか。なら父さんはお前を信じるよ」伸宜はそういうとベッドから腰をあげる。
「父さん」
「うん?」
「ちょっと聞いていいかな?」
「もちろん」あらためてすわりなおす伸宜。「どうした、怖い顔して」
「あの、たとえばなんだけどさ、たとえば歴史の大きな流れの中には、国とか
のしたことで、なにも悪くない庶民が犠牲になったなんてことがあるよね?」
「戦時中の不発弾の被害にあった、鵜飼さんの家のことか?」
「それもある。そんな人たちを守るっていうか、助けるにはどうすればいいと思
う?」
「これはまた大そうな質問だな? 武志郎、真剣に聞いてるのか?」
「ああ」うなずく武志郎。
「そうだな……逆に為政者、政治家かな?」
「政治家?」
「ああ、いい政治家になって、いい政治をおこなう。むろん、えらくならなきゃでき
ないことだ」
「でも、明治維新のえらい政治家は人をたくさん殺してるよね?」
「あれはお前、ある意味、侍が刀をふりまわしていた時代の暴力革命だからな。海外
ならともかく、今の日本じゃありえない話だろ?」
「なるほど……いい政治家か」
「なんだよ? 武志郎、政治家になる気か?」
「どうすればなれるのかな?」
「おい、どうしたんだ、お前? 政治にも歴史にも関心がなかったんじゃないの
か?」
「ちょっとあって。父さん、どうすれば政治家になれる?」
「俺だって知らないよ、そんなこと! ──けど、そうだな、昔は政治家の秘書から
よじのぼった人もいたな。今はむずかしいと聞くけど」
「そっか……」
「やはり、いい大学をでて、エリート官僚になって、みたいのが一般的じゃないか
な?」
「いい大学……ねぇ」
「やめとけ、やめとけ。お前、自分の成績、考えてみろ」
「そうだね。予備校にでも通わないと無理だね」
「本気でいってるのか?」
「うん」
「いっておくが今の政治の世界は金と利権、足の引っぱりあい、そんな物でしか動い
てないぞ。だから父さんたちの世代は就職難民であふれかえったんだ。政治家がしっ
かりしていれば、俺たちだって……いや、人のせいにしてはダメか」父としては息子
の前で愚痴をこぼしたくないのであろう。「とにかく、そんなうさんくさい場所でお
前が戦えるとはとうてい思えない。だからやめとけ」
「今の政治家は、なんでしょ?」
「お前が変えるってのか?」伸宜は高校受験のころの武志郎の
いた。
「…………」武志郎はこたえず、じっと父の目を見た。
「……父さんや母さんは、なんの手助けもできないぞ」
「わかってる」
「──ま、まじゅは成績をあげてからいえ!」
伸宜は一瞬、
うわずった声をあげてしまった。
(つづく)
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