第二章 夏の亡者 11

       11


 翌日、約束の時間に数分おくれで武志郎が駅に到着すると、律子だけではなく、勇


人と見知らぬ女子がひとり、通勤時刻をすぎて閑散かんさんとしているホームのベンチで待


っていた。武志郎もだが、律子も勇人も学校の制服姿である。もうひとりの女子も制


服らしいけれど、あかぬけた印象のチェック柄スカートをはいていた。聞けば勇人の


ガールフレンドのひとりで神奈川県の私立高校三年生なのだという。長い黒髪が印象


的な彼女の名は坂主朋慧さかぬしともえといった。


「グループ学習ごっこなんだろ? ひとりでも多い方がらしく見えると思ってさ」勇


人はそういって笑ったが、昨夜、武志郎が律子と電話をおえたのは午前二時近かっ


た。それから律子にたのまれたのだろうけれど、あの時間からさらに他校の女子を呼


ぶだんどりをつけるなんて、とんでもないはなれわざ、パワフルさである。勇人にし


かできないことだろうな、と武志郎は舌をまく思いであった。


「ブシロー、勇人のこと、すごいなぁって思ってるでしょ?」律子がいたずらっぽく


聞いてきた。


「いや、実際、すごいじゃん」


「でもないよ。昨日、私が『マイン』したときふたりは一緒だったみたいだもん」


「は? え?」真夜中に? 思わず武志郎はひとつ年上の朋慧の顔を凝視してしま


う。


「制服プレイのまっ最中さいちゅうったんだよな、朋慧」


「ちげーよ。進路指導で学校に呼びだされた帰りにむしゃくしゃして勇人んちよった


だけじゃん」


「ただ酒、たかりにな」


「あはは、まーね。知ってる? こいつん部屋、バーみたくボトルがそろってるの」


「…………」武志郎と律子は、言葉もなく目を見あわせてしまう。勇人は悪い男では


ないが、ふたりとはやはり住む世界が違うようである。


「と、とにかく、ごっこじゃなくてグループ学習会のていなんですから、ラブラブ感


はださないでくださいね」いちおう朋慧は年上なので敬語を使う律子。


「わかってるよ、デュワ!」変身ヒーローのようなしぐさで黒縁のだてメガネをかけ


た勇人は、とたんに別人、いかにも優等生風の容貌ようぼうにとって変った。つづいて


朋慧もウエストで折りこみ、ひざうえ十八センチだったスカート丈を膝のあたりまで


おろして見せる。さらに髪をうしろで一本にたばねると、天パーの律子よりもはるか


にまじめそうに見える女子にさま変わりした。ふたりとも、こうしたことに手なれて


いるのであろう。


「これでどう? 律子」朋慧がいうと、律子は驚きをかくさずに上ずった声でこたえ


た。


「さすがっす、朋慧先輩。勇人もすごいや」


「ではいきますか? 匿名の悪意、邪悪なるトロールどもを打ちたおしに」勇人の言


葉で一同はゾロゾロと改札口へむかう。気分はもう言葉の暴力との戦いにおもむく戦


隊ヒーロー、もしくはRPGにおける勇者のパーティーそのものであった。




 玄関で勇者たちをのあたりにした香里の驚愕ぶりは尋常じんじょうではなかった。


困ったようで、それでいて目をうるませ、気持ちの整理がつかないようで、最終的に


は律子の胸でオイオイと泣いた。


「アピールできてるんじゃない?」表情を変えることなく朋慧がいった。


「できてる。見てる」勇人も目だけを動かして周囲をうかがっていた。子供づれの主


婦がふたり、彼らの様子を確実に見ていた。そして口元をかくしつつなにやらささや


きあっていた。これをくり返せば勝てる! ここでは影の薄い武志郎も、この戦いの


勝利を確信した。みずからが発案した作戦の効果に握りこぶしを固めた。


「じゃあ、みんなで勉強しよっか!」武志郎としてはダメ押しの一撃、必殺技のつも


りであった。


「クサい」律子が眉根まゆねをよせる。


「ここで三文芝居はいらんだろ?」勇人はだてメガネを中指で持ちあげた。


「最低……」朋慧が苦笑くしょうをうかべる。


「あははは」香里だけが涙をぬぐいながら嬉しそうに笑っていた。


「はいはい」だから武志郎も嬉しくなった。香里を笑わせたぞ、俺。彼は紗世に報告


したかった。


 この日から彼らのご近所アピール学習会はしばらくつづけられることとなる。




「あなた、まさか、あのときの……」海をあきらめた次の日曜日。勉強会のために鵜


飼家へわらわらと集結した孝雄や蓮美をふくめた一同をながめた香里の母、亜希あき


武志郎に目をとめ、ワナワナとうちふるえた。


「あのときのバスケ部の子?」


「はあ、まあ」


「まあまあまあまあ、大きくなって」亜希は武志郎に抱きつきそうな勢いである。


「はあ」女子の蓮美と身長は変らないので、さして大きくなったわけではない。


「お名前は?」


「武志郎君」ここ二、三日ですっかりあかるさを取りもどした香里がいった。


「そう、武士みたいな立派なお名前ね」


「あだ名はブシローですが、なにか?」香里の母と武志郎の関係をいぶかりながらも


口をはさまずにはいられないのが孝雄という男である。律子がパーンと孝雄をたたい


たが、それでもヘラヘラしていられるのが孝雄という男である。「今日は大勢で押し


かけまして申しわけございません」そんなあいさつもできる点は評価にあたいする男


でもある。


「ブシロー、みんなの勉強会をセッティングするために香里さんと打ちあわせにきて


たんですよ」メガネ男子、勇人の援護射撃。


「そうだったの」大きくうなづく亜希。


「私ら部活なんかで忙しくて、一番ひまそうなブシロー君にたのんだんです」毒はあ


るが心強い蓮美の言葉。


「そう……あなただったの。そう……」こうして亜希の猜疑心さいぎしんうれいはすっかり


払拭ふっしょくされたのであるが、律子、蓮美、勇人、孝雄の中には当然、疑念が残る。そう


鵜飼家と武志郎の間にどんな因縁いんねんがあるのかである。居間で亜希がだしてくれた茶


菓子をつまみ、宿題を広げながらも話題はどうしてもそちらの方へとかたむいてい


く。


「ブシロー君、香里のお母さんの命の恩人だったんだ?」意外な上に意外そうな蓮


美。


「そんな反射神経、ブシローにあったっけ?」剣道部での実績を知る孝雄の頓着とんちゃく


しない冷静な評価。


「うるせぇ、たまたまだよ。勉強しろ!」ふてくされる、紗世あっての武志郎。


「でもさ、そんな昔のことにしばられる必要ないんだからね。今のブシローを見るん


だよ、香里。いい?」かなり失礼なことをいう律子。ある意味、正論であるが。


「見てるよ、ちゃんと」香里がこたえると武志郎をのぞいた一同は、おおーっと声を


あげる。


 こんなとるに足らない会話をしている娘の仲間たちに感謝し、台所でひそかに涙す


る亜希の姿に気づいた者は、このとき誰もいなかった。




「いやぁ、有意義ゆういぎな一日だった」だてメガネをまとった勇人がつぶやく。


夕刻、駅までの道すがら、貯水池にさしかかったころに。


「勇人、今日、朋慧さんて人は?」律子から聞いていて実は興味津々きょうみしんしんだった孝雄が


たずねた。


「就活にいきづまってる。今日は面接だとよ。日曜に面接がある時点でブラック企業


感満載なのにな」


「へぇ、あの朋慧さんが……」武志郎が考えたこともない世界。進学か就職か。来年


にはいやでも通らなくてはならないY字路なのだろうが。


「大変だぁ、朋慧さん。ところで蓮美の彼は? 今日どうしてこなかったの?」律子


が聞くと蓮美は表情をにごした。そしてなにもこたえなかった。それがこたえなのか


もしれない。


「丘、今度、デートすっか?」勇人が笑う。


「部活で忙しいの。たらしにかまってる時間ないね」


「手きびしいな、女帝はあい変わらず。ま、そこがいい」クククっとさらに笑う勇


人。


「勇人君、うっせ!」蓮美も照れたように笑った。


「…………」武志郎はわずか二カ月前に見た蓮美と彼氏の衝撃的なキスシーンを思い


だしていた。彼女は今と同じような夕映ゆうばえに照らされ、輝いているように見えたの


に。そしてこうも思った。紗世、見てるか? 俺や姉御の友達、みんなカッコイイよ


な。わっぱな俺とは全然、違うよな。武志郎はどこか誇らしくもあり、情けなくもあ


った。


                                 (つづく)

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