第一章 春の地獄 13

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 魔の四日間がはじまった。授業を受けているときも、休み時間も、全校朝礼で校歌


を歌うフリをしているときも、武志郎はつねに針のむしろの上にいた。結局、なんの


結論も見いだせなかった彼は、毎日、教室で顔をあわせている香里に話しかけること


ができない。そして彼女の方も武志郎によってくることはなかった。それどころか、


目があいそうになると顔をそむけた。ちなみに先日返却された期末試験の結果は笹井


のいった通り、文系に関してのみ、すこぶるよかった。武志郎にしては、との


注釈ちゅうしゃくつきではあるけれど。これはまさしく香里の的確な指導のたま物としかいい


ようがないのである。彼女には本当に世話になった、その思いも武志郎の胃のあたり


を重くした。




「なんか、お前らおかしくね?」明日は一学期の終業式という、あの日から四日目の


昼休み。たまりかねたように孝雄と勇人が武志郎を詰問きつもんした。


「お前ら? 誰と誰のことかな?」とぼける武志郎はしかし、生殺なまごろしのようなこの


状況にほとほと疲れきっていた。彼らに相談をしたかった。


「やっぱ、送りオオカミになったのか? 最悪だな」孝雄の口調は、いかにも残念な


人をまのあたりにしたかのようにわざとらしく沈んでいた。


「なってねぇよ!」なりかけただけである。


「鵜飼、慰労会のときの雰囲気と違いすぎるぜ。なにがあった? 話してみなよ、ブ


シロー」勇人は安定のおとな発言である。武志郎は思わず彼にすがってしまいたくな


るが、「俺ら保田奈美穂、失恋同盟じゃないの?」こういわれて舌うちをする。


「冗談はさておき、もう夏休みだろ? このまま放置してると明日あたり律子が騒ぐ


ぞ」


「あー、それがあった」孝雄のいうことはもっともである。武志郎はひたいをコツコツ


とたたきはじめる。


「女帝も黙ってないと思うぜ」低くおどろおどろしい口調の勇人。確かに怖い話であ


る。


「お前らさ、有坂や丘に偵察ていさつしてこいっていわれたんだろ?」孝雄には前科があ


る。


「バカ、今回はちげぇよ。俺までハブにして女子だけで動いてる。連中は男子の


ブシローが、女子の香里ちゃんをひどく傷つけるなにかをしたとマジで思ってるん


だ。いってる意味、わかるよな?」


「わかるけど」


「やつら、証拠をつかんでブシローを糾弾きゅうだんするつもりだよ。おそらくな」


「糾弾!?」そんな大げさな! テレビニュースでしか聞いたことのない単語であ


る。


「丘ならやりそうだろ?」勇人のこのひと言は重かった。丘蓮美のクラス内政治力は


ハンパではない、確かにやりかねない。「だから俺らも事情を知っておくべきだと考


えたわけ。なんもわかんなきゃ、ブシローの弁護もできない。違うかい?」


「…………」証拠に糾弾に弁護、なんの裁判だ?と武志郎は思ったが、ここで完全に


心が折れた。「タカ、有坂にも絶対、いうなよ」そう念を押す武志郎。こうして男子


三人が頭をつき合わせての教室内密談が開始された。




「──なるほど、そりゃブシローが悪いわ」話を聞きおえた孝雄が小さくいった。


「なんでよ? だからキスはしてないんだって」


「そこが問題なんだよ。なんでやめたの?」


武志郎は、期末試験慰労会の帰途きと、香里との間であったこと、話したことを問わ


れるがまま、つつみかくさずに告白した。ただ、彼女の名誉めいよのために解離かいり性同一性せいどういつせい


障害しょうがいについての話題だけはさけた。なのでキスをしなかった理由が不


明瞭な説明となっていたのである。


「いや、だから、まだそこまで親密じゃないって思ったから」あとになって考えたこ


とではあるが。


「ふーん」腕ぐみした孝雄が武志郎の目をのぞきこむ。


「なんだよ?」


「そういやブシロー、前、いってたよな。保田奈美穂みたいなスリム女子が好みだっ


て」


「激しく同意」口をはさむ勇人。


「香里ちゃん、そりゃせちゃいないけど、可愛かわいいじゃん? ダメ? 


あーゆー子」


「ダメってことないけど……」


「ヘイトだ、ヘイト! ぽちゃヘイト!」孝雄はときおり、ひどく無神経な口をき


く。しかもヘイトの意味がよくわかっていないようである。


「だ・ま・れ!」いってからハッと口元に手をあてる武志郎、少し声が大きかった。


「まあ、それはさておいてもさ、ブシロー」勇人が真顔まがおでいった。


「なに?」


「とにかくブシローから話しかけてやるべきなんじゃないか?」


「男らしくとか、そういうこと?」──それこそ男女差別じゃないの? 男ヘイトだ


ろ?


「じゃなくて鵜飼、今、恥ずかしくて死にそうなんだと思うぜ。かわいそうだよ」


「は?」


「そりゃそうだろ。多少──」ここで勇人はさらに声をひそめる、学内で飲酒の話題


はかなりマズい。「お酒が残っていたせいかもしれないけど自分からキスを誘ってし


まうだなんて、なんてことしたのよ、私。恥ずかしくて消えてなくなりたい! そん


な風に思ってるんじゃないか? 見たかぎり古風というかひかえめな子だからな、鵜


飼って」ウネクネとした女言葉をまじえながらも、ふざけているようには見えない勇


人。


「しかも拒否きょひられたわけだし」孝雄がいらぬ補足をくわえる。


「…………」もしそうならば、香里の方からなにもいってこない理由もわかる。そう


かもしれない、そうなんだろうと絶句ぜっくした武志郎は思った。


「な? ブシローから話しかけるべきだろ? ただのクラスメイトにももどれなくな


るぞ」


「それはいやだ!」思わず口ばしる武志郎。


「じゃ、がんばれ。丘や有坂がこじらせる前に動け」武志郎の肩をポンとたたく勇


人。


「わかった」ぼうぜんとうなずいた武志郎は、勇人へ聞かずにはいられなかった。


「なんで山原、そんなに女の気持ちがわかるんだ? すごくねぇ?」


「うん? 俺が何人の女とつきあってると思ってるんだ? とくに年上とつきあうと


いろいろとわかるもんだぜ」


「ははぁ……」ふたたび絶句の武志郎。


「ほほう……」ひとりの女だけでも手一杯だってのに! おそらくはそう思ったであ


ろう孝雄も負けずに絶句した。


 武志郎を弁護するという意味合いはどこかへ吹きとんだけれど、実に有意義な昼休


みの密談となったようである。


 そして放課後、なにをどう切りだせばいいのかわからないままではあるものの、閉


じていた目をくわっと見開き、じっくりと固めた決意を胸に武志郎が席を立つ。する


と、鬼の形相ぎょうそうをした律子と蓮美が彼に迫ってきた。


「ブシロー、どうなってんの?」ポケットに両手をつっこんだまますごむ律子。


「香里のこと? 本人から聞いてないのか?」


「あの子がなにもいわないから心配なんじゃない! どうなってんのよ?」


「なにかした? ブシロー君」言葉少なではあるが威圧感が尋常じんじょうではない蓮美。


「香里とは、ちゃんと話す。きちんと話をする」おのれへの鼓舞こぶをこめて、決意


を表明する武志郎。


「それはいいけど。私、なにかした?って聞いてるの」蓮美はあくまでも弾劾だんがい


姿勢をくずさない。が、武志郎はまた彼女にムカっ腹が立った。なに様だ? お前


は、と。


「いえないようなことはしてない。それに俺が香里と話すといってんだ、お前が口を


はさむことじゃねぇ」


「!!」ポカンと口と目を見ひらいて、そして真っ赤になり爆発寸前の蓮美。なにか


しらのプライドが激しく傷ついたようだ。


「…………」怒りにまかせてついいってしまった言葉を瞬時に後悔する武志郎。この


女はあとが面倒めんどうくさそうである。


「ブシロー、香里といつ話すのよ?」背の高い蓮美の腰に手をおいて、さすりながら


律子がいった。いきり立つ暴れ馬をなだめている牧童ぼくどうのように見えた。


「今日、今から」敢然かんぜんと答える武志郎。


「帰ったよ、香里。とっくに」


「え?」目を閉じて決意を固めている場合ではなかった。「マジか!」


「マジよ、どうすんの?」


「そうよ、あんたが目をつむってシカトぶっこいてる間に香里は泣きながら帰ったの


よ! えらそうに、今日、今から? ハァア!」息を吹きかえし本性むきだしの蓮美


は、香里の別人格なみに口が悪い。普段クールをよそおっているだけに、こうなると


始末におえない感じである。それにおそらく、香里が泣きながら帰ったという話は


偏向へんこう情報に違いない。


「とりあえず、追っかけたら?」二次災害を恐れるように、遠まきに見ていた孝雄が


大声で武志郎の背中を押した。「追っかけたら! どうよ?」


「サンキュ、タカ!」そういい残し、バッグをつかんだ武志郎は教室をとびだした。


「……おう、青春だねぇ」と笑う孝雄のふくらはぎにけりを入れる律子。


「なに、逃がしてんのよ! 裏切者!」怒りのほこ先を孝雄にむける蓮美。


「いや、ちょっと待て。蓮美さん、部活、バレー部いかないと……」困ったようにヘ


ラヘラ笑う孝雄。そんな彼らをニヤニヤとしてながめている勇人らクラスメイトた


ち。まことに平和な学級である。孝雄はしばらくふたりの女子からさんざんにつるしあ


げられていた。


 自転車置き場まで一気にかけてきた武志郎の足がハタととまった。学校から駅まで


の途上で香里に追いつければいいが、ヘタをすると彼女の家までいくことになるかも


しれない。自転車のフレームはゆがんだままである。そのガタピシとした状態で彼女


の住む町までいき、帰りは駅にして六個分の長い道のりを走らせなければならな


い……。


「ありえねぇ」つぶやいた武志郎は自転車をあきらめ、まわれ右をして校門へと急い


だ。


                              (つづく)


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