人を殺すのは簡単なことだった。


 首を切れば死ぬ。心臓を刺せば死ぬ。出血多量で死ぬ。肉体的損傷がなくとも人は死ぬのである。目に見える傷と見えない傷があるのだ。だから人を殺すことに抵抗がないとかではないけれど、初めて人を殺めたその時から、ケリュネイアの手のひらの中には、特に何も残らなかった。森での生活をしていた頃、散々獣たちを狩っていたから、それが影響したのかもしれない。


「ハンセン。生きてる?」


 横にしゃがみ、軽く肩を揺すると、微かに息が漏れる。


 生きてはいるものの、顔面は岩のようにデコボコと腫れ、狂獣につけられたという裂傷からはまた血が滲み、右ひじの部分が青く変色している事からも、もしかしたら折れているのかもしれないし、状態はなおの事悪くなっている。このままここにはいるのは、死に直結しかねない状態だ。


「……俺は死ぬのかもしれない」

 ふと、掠れた声でハンセンが言った。


「そうかもしれない。私には医療の心得はないから」


「アルフレッドは……」


「死んだよ、あんなやつ。ちゃんと話してくれたら良かったのにね。そしたら、君が地面に這いつくばることもなかったかもしれない。私って変に見られがちだけど、嘘をつかれたら嫌な気持ちなる」


「……どうやって殺したんだ?」


「そんなことはどうでもいい。私が言いたいのは、君たちが思うよりも私は普通だってことを知ってもらいたいの。馬鹿にされたら怒るし、あんな汚い男に抱かれるなんて真っ平ごめんだわ……私にだって君と同じ感性も備わってるんだから、君が私と村で別れてから抱いた葛藤も理解はある。私が君の立場なら同じようにしていたかも。結局は力があるかどうか。私はアルフレッドより強いけど、ハンセンはアルフレッドよりも弱い。明暗を分けたのだとしたら、それが原因」


「俺とお前は同じじゃない。根本的に違う」


「同じだよ。同じ人間。感情を持った生物でしかない」


「それは持つ者の価値観でしかない。持たざる者は、その違うという感覚が重くのしかかって身体を鈍らせるんだ……多分だが、お嬢さんが俺の立場に立っていたとしても、あるいは俺がお嬢さんの立場に立っていたとしても、きっと今と同じ人が見下ろす者と見下ろされる者の場所に収まっているだろうさ。それは至極簡単なことだ、俺とお嬢さんがまったく違うからだ。比べるのも烏滸がましいくらいだよ。なんてったって、お嬢さんはアルフレッドを殺してきたんだから。ただ震えながら嘘を吐いただけの俺とは大違いってもんだ。そうだろ?」


「この話は止めにしよう。平行線になる」


「……ああ、そうしようとも」


「私の肩に捕まって。ここは熱気が籠る。外に出た方がいい」


「ああ。だが肩は借りない。せめて自分で歩くくらいは出来る筈なんだ」


 ケリュネイアは小さく息を吐き、一人で立ち上がった。全身を震わせて起き上がろうとするハンセンに手のひらを差し向けたけれど、それすらも素気なく払われた。長い時間をかけてハンセンは立った。ゆっくりと歩き始める。ダランと脱力した腕が生々しく、痛々しい。


「無理はしないで」

 ケリュネイアは言った。


「お嬢さん。村長を探そう。何処かに消えたんだ」


「探してどうするの?」


「殺す」


「その怪我で動くのはよくない」


「それくらいはやらせてくれよ。頼むから」


「私が殺してくるのは駄目なの」


「駄目だ。俺がやる」


「そう」


「川辺に俺の馬車が置いてあるんだ。馬たちも繋いだままで心配だから、ちょっと見てきてくれないか」


「一人で殺しに行くってこと?」


「心配するな。老人一人くらいなら殺せるはずだから」


「生き残りの盗賊がいるかもしれない」


「構わない」


「そもそも満身創痍の人を一人きりでふらつかせるわけにはいかない」


「常識的なことを言うもんだね。君はアルフレッドを殺した。じゃあ、せめて俺は村長くらい殺さないと駄目だろう」


「何が駄目なのかよく分からない」


「兎に角駄目なんだ。俺はやらなきゃならない」


「それは商人としての損得勘定がそうさせるの? そういうことならギンターやアルフレッドの首にかかってる賞金は山分けでいい。私はお金に執着していないから。それとも何か別のプライドがそうさせるの?」


「そんな事はもうどうでもいいのさ。俺が村長を殺したいんだ」


「憎悪でもって人を殺すのはよくない」


「だからどうでもいいんだ。そんなことは……兎に角、言う通りにしてくれ。簡単な事だろう。俺を一人にしてくれればいいだけだ」


「…………分かった。やりたいようにやればいいよ」


「ありがとう」


「死んだら墓くらいはたてる」


 ケリュネイアはそう言うと、ゆっくりと歩いていくハンセンの背中を見送った。

 人を殺すのは簡単だ。人が死ぬのも簡単だ。ケリュネイアに躊躇いはない。でも知人が死んで悲しくない訳ではないのである。ハンセンがそうするというのなら、止めはするけど、意地でもは止めない。こんな時でも知的好奇心は疼いている。ハンセンの結末は自分が見届けようと思った。

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