ケリュネイアは事の次第をすぐに理解した。


 出迎えたのは村長などではなく、大男のアルフレッドだったからだ。アルフレッドは洞窟の一番奥まった場所にいた。そこは道すがらにあった扉付きの部屋ではなく、だだッ広い天然の広場になっていた。天井には大きな空洞があって、そこから外界の景色が望めそうだったけれど、今は白い湯気が空洞を埋めている。広場の中央には木屑や黒ずんだ地面などの焚き木のあと、その周りには木箱やら、種類の違うイスなどが囲んでいる。管理状態はほとほと悪く、それらは倒れていたり、傷ついていたりする。天井の空洞が通気口の役割をしているからか、湯気の密度が薄く、そうした中でもアルフレッドの巨体は確かな輪郭を浮かびあがらせている。ハンセンが息を呑んだのを、ケリュネイアは後頭部で感じた。なるほど、と思った。


「よお。俺はアルフレッドってんだ」

 ケリュネイアを見てアルフレッドは言った。


「知ってる。村でも聞いた」


「だよなあ。俺は名乗るのが好きなんだな。毎回名乗る事にしてる」


「どうして?」


「敬意さあ。戦士の矜持ってやつだ」


「盗賊って言ってた」


「じゃあ盗賊の矜持だなあ」


「ふうん」


「何だよ、信じてねえだろ」


「どっちでもいい」


「クソが」


「……変な人」


「そりゃあ褒め言葉だ」

 アルフレッドは胡坐を掻いて座っている。その前には横たわる人間があった。大柄な身体に粗雑な恰好。ギンターだった。仰向けのまま、顔だけはケリュネイアの方を向いている。瞳孔が開き、ハイライトが失われている。脈を確認しなくても分かる。もう既にこと切れているのだ。


「ギンターなら今しがた死んだところなんだ」


「君が殺したの」


「そうだな」


「……村長は?」


「さあな。とっくに逃げたんじゃねえか」


「……ハンセン。これは一体どういうこと。話が違うみたい」

 ケリュネイアが振り返って問いかけると、

「すまない」

 と、ハンセンは言った。現実を直視したくないのか、目を伏せている。


「仕方がなかったんだ。アルフレッドは化物みたいに俺の荒縄を引き千切った。そんなことは俺には出来ないし、お嬢さんにだって出来ないだろう。ギンターや村長にだって出来ないだろう」


「確かに私には出来そうにないけど」


「お嬢さんを連れてこなければ、俺は殺される」


「アルフレッドに?」


「そうだ」


「あの時、自由になったんだから、逃げればよかったのに」


「逃げても殺される。地の果てまで追ってくる」


「そうなの?」

 ケリュネイアはアルフレッドに問うた。

 アルフレッドは軽く肩を竦めるだけだった。


 デジャヴのような展開が進んでいた。アルフレッドに抱えられたケリュネイアは、再びベッドの上に転がされた。広間を出た直ぐの所にある部屋は、一通りの調度品が整った立派な内装だった。ベッドに落とされた時、舞った埃とともに村長宅のベッドと同じ臭いが広がった。


「一つだけ聞いてもいい?」

 覆いかぶさってくるアルフレッドに、ケリュネイアは言った。


「男が女を犯すのは、そうも、命すら対価にしてまでしなくてはならないものなの」


「男が女を抱くのは、尊厳だ。それが命よりも重いかどうかなんてしらねえ。ただ、俺は他人の命を奪って女を抱く。それだけだ」


「もし、自分の命と女を抱くことが天秤に掛けられていたら?」


「その時は天秤ごと奪うとするさ。俺は盗賊だからな」


「それは世間一般的には悪い事だけど」


「悪いからそそられるのさ。悪くないならやってねえ……なんだよ、犯されようとしてる女が説教かあ?」


「違う。私は君の在り方を確かめていただけ」


「ああ?」


「君は私を犯せばいい。私は私の好きにやる」


 ベッドの底から突き抜けるように、現れたのは一本の太いだった。焦げ茶色のそれはゆっくりと脈動している。アルフレッドは唖然としている。その蔓が呼び起こしたかのように、次々と同じような蔓たちが地面から飛び出してくる。そしてそれは、アルフレッドの四肢や胴体に力強く絡みついた。アルフレッドが驚愕の声をあげる。しかし、口元にも蔓が回り込み、唸り声しか発せれなくなった。やがて巨体は宙に浮きあがる。ケリュネイアはその様をつまらなそうに見つめた。恐怖に彩られた瞳と交差する。「ハンセンは君に怯えていたけど、君は私に怯えるの。それとも、この蔓に? この現象に? ……別に恥じる事じゃないよ。これを見たら皆が同じようになる。表情も、感情も、結末も……これで君も搾取される側だね……」ケリュネイアは嘲るように嗤うと、アルフレッドの股間を思い切り蹴り上げた。苦悶の声が響き渡る。何度も、何度も、何度も、何度も、股間を蹴り上げる。


「災難に遭ったね。可哀そうに」

 ケリュネイアは、こうしている時が、自分も相手も一等人であると感じられた。自分に備わっていた人ならざる力を行使するこの時に、それが芽生えるというのは皮肉なものである。


「世界は弱肉強食だから、君が村人たちを殺すのも、小市民なハンセンを倫理的に貶めてしまうほどに怯えさせるのも、私は特に気にしないけれど……気になるのは、弱者の分際でいつまでも私を見下ろしていること。強者としての振る舞いをすること。身だしなみと悪臭が酷いこと」


 一本の蔓が突然激しく蠢き始めると、それは矛のような鋭利な形状となった。ユラユラと焦らすように揺れている。


「君が死んだところで誰も悲しまないだろうね」

 鋭利な蔓は、蛇のような速さでアルフレッドの肩口を貫いた。獣のように荒々しく、余裕のない声がこもる。


「じゃあね」


 同じような動きで鋭利な刃となった蔓たちが、アルフレッドの全身を射抜く。肉を抉られた部分から血が溢れ、身体を伝い、蔓を伝い、地面に滴る。ケリュネイアはベッドの縁に座ってその様を眺めていた。死んでしまっては、自慢の巨体も何処か儚げに見える。隆起する実用的な筋肉は、まだ静かに痙攣している。身体を貫く蔓たちに一身を預け、項垂れ、血を伝わせて一体化している姿は、一種の前衛的なオブジェクトのようで、社会的あるいは世俗的な風刺を利かせたかのような、どこか空々しく、白々しいような、変に心に訴えかけるものがあった。しかし、これは美術品ではない。だだの死人だ。これはこのままここで、誰にも発見されることなく、時とともに風土と化すのが、最も有終の美を飾る事の出来る在り方であると、ケリュネイアには何となくそう思われた。やがてゆっくりと立ち上がる。ついさっきの広場には、アルフレッドにボコボコにされた、ハンセンが転がっている筈だ。

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