①
暫くすると、ハンセンは静かに目を覚ました。
最初は意識が混濁している様だった。ゆっくりと上体を起こしたかと思うと、苦しそうにまた倒れた。徐々に視界は澄んできたらしく、ケリュネイアが肩を貸してやると、それを使って起き上がる事ができた。ハンセンは掠れる声で「ありがとう」と言った。「話さないで。怪我に障る」とケリュネイアは返した。ハンセンは何か後ろめたいものがあるかのように俯いている。
何かを考え込んでいるようだ。きっとそれは、その身体に刻んだ傷に紐づけられたものなのだ。ケリュネイアは茶を淹れた。台所を漁ると、ハンセンのものには及ばないだろうけど、茶葉があった。まずは喉を潤すべきだ。話すべきことがあるのなら、きっとそうした方がいい。
「ありがとう」
「君はそんなに『ありがとう』を言う人だった?」
「どうだろう。仕事上たくさん言ってきた気がするけど」
「そう」
そのあとは暫く無言が続いた。
茶を二杯ずつ飲み終えた頃、ハンセンはツラツラと話し始めた。そこには固い決意が見て取れた。
話はハンセンが夜中に出ていった頃に遡った。書置き一つを残して村を出たハンセンは、夜の暗闇や森の入り組んだ地形に翻弄され、程なく道を見失った。彷徨っている内に小川を発見した。その時には既に異様な熱気が漂っていたらしい。身体の汗を払うために水浴びをし、身支度を整えたところで狂獣と出会った。ケリュネイアは狂獣をよく知っていた。出会ったことも何度かあった。その事について話すと、ハンセンは目を丸くして驚いていた。人の世から離れて生きてきたケリュネイアにとっては、一年前までは、むしろ人より狂獣の方が馴染み深かったくらいだ。ケリュネイアの暮らしていた森にまで這入ってくることはなかったけれど、いるところにはいる。ハンセンは「そうなんだ。そうなんだよ」と少し嬉しそうに言った。今回で人生三度目であるらしかった。ケリュネイアが人里に降りてきて出合っていない事から、よほど不運であることはわかる。それを理解して貰いたかったことも……。
そして狂獣からの逃走劇が始まった。
ハンセンは、短剣を使って一矢報いてやった事や、その時に傷を負わされた事などを念入りに、執拗深く語った。誇らしげというよりは、健気な印象を抱いた。どうにか、どうにか、その事だけは念頭に置いておいてくれ、とでもいうような、懇願的なニュアンスがそこにはあった。
「そうして重傷を負った俺は、森の中で意識を失った。
次に目を覚ますと、洞窟の中で倒れていた。両手両足を固く結ばれていたんだ。そして直ぐに村長が現れた。やはり盗賊団はあった。俺の勘は間違っていなかった。なあ、そうだろ?」
「君の勘は的中した。私の負け」
「勝ち負けとかじゃないんだ。それに、境遇を見れば、俺の負けだ」
兎に角、話を続けよう……とハンセンは言った。盗賊団は村長とギンターが興したものだった。村は盗賊団の生贄を選別するための場所、もしくは、隠れ蓑だったという次第である。
「それは、そう、村長が言っていたの?」
「ああ。自慢気に話していたさ。どうせ俺らは殺すつもりだからな」
ケリュネイアは村で起こった出来事を話した。ハンセンに驚いた様子はなく、おおまかの経緯は知っているようだったけれど、その表情は悲痛に歪み、村人たちの死を悔やんでいた。
「そういえば、殺すつもりの君が、どうしてここに帰ってこれたの」
熱気を包んだ暗澹たる空気が広がりはじめ、ケリュネイアは話を代えるべくそう言った。この話の本質はつまるところそこなのだ。ケリュネイアは寝ていただけである。物語がどの辺りまで来ているのか、ハッキリさせなければならない。そしてこれから、どうすればいいのか。
ハンセンはゴクリと喉を鳴らした。
話すのを躊躇っている。ケリュネイアは辛抱強く待った。
「……ギンターとアルフレッドが相打ちになった」
「相打ちに?」
「ああ。残ったのは俺と村長と、あと一人の盗賊だけだった。素でやり合うのなら、俺だって元傭兵のプライドがある。賞金稼ぎとしての実績も。ゴロツキと老人を無力化するくらいはしてみせる。ただ、見ての通り俺は満身創痍だ。むしろ老人一人ですら危ぶまれた状況だった。そもそも両手両足を縛られていたから戦う事も出来ない。武器もない。だから……だから、商人らしく取引を持ち掛けたんだ。俺の積み荷を全部やるから、見逃してくれ、と」
ハンセンは捲し立てるように言った。
「それで君一人でここまで?」
「いや、その生き残った盗賊が付いていたんだ。でも、それも死んでしまった。死んでしまったんだよ」
「……また狂獣に?」
「お嬢さんはやはり察しがいいな」
「どうでもいい。それでどうするの?」
「このまま逃げてもいい。けど、これはチャンスだと思う」
「村長が一人になったから、やり返そうってこと?」
「ああ……」
「そう」
「悪い事だと咎めるか」
「別に。村長はやり返されても仕方がない。でも、やり返す必要もない……ハンセンが納得出来ないって言うのなら、納得できるようにすればいい。それが村長を殺すという事なら殺せばいい」
「そうだろうか」
「その代わりに、あとに残ったものを背負うことになる」
「あとに残ったもの?」
ケリュネイアは答えなかった。
二人は作った茶を飲み干すと、村長宅を辞した。
外は真っ白だ。今は一体何時なのかも分からない。ケリュネイアがハンセンを見つけたのは、多分朝だった。夜に寝て朝に起きる習慣に基づいた推理だけれど、あるいは腹時計を鑑みても、恐らくは昼を過ぎてから一刻経ったくらいだろう。二人はまず腹ごしらえをすることにした。ハンセンは「あまり時間は取れない」と言った。帰りが遅いと村長が訝しむというわけだった。相手は頭がキレるから、逃げられる可能性だってある。調理しなくていいような、木の実や果実、干し肉を食べた。味気ないものだったけれど、限りなく衰えていたハンセンにとっては貴重な栄養だ。ケリュネイアには森の中を大の男担いで進むほどの力がない。自力で歩いて貰わなければならなかった。何度か本当に行くのかと尋ねたけれど、答えは変わらなかった。抗いようのない運命に翻弄されているような頑なさで「さあ。行くとしよう」とハンセンは言った。
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