「まあ、てめえは逃げやしないだろうが……」


 アルフレッドの言う通りだった。見抜かれていたのだ。ハンセンがアルフレッドを恐れていることを。臆病な人間だということを……。


 逃げてもアルフレッドは追いかけてこないかもしれない。逃げ切れるかもしれない。でも追いかけてくるかもしれないし、逃げ切れないかもしれない。そう思うだけで足は簡単に竦む。何よりことも簡単ではない。ハンセンの命と同様に、ギンターと村長の命まで懸かっている。彼らは悪人だ。死んでも仕方がない存在だ。それに異論はない。しかし、自分がそのトリガーとなるのは躊躇いがあった。自嘲的な笑みが漏れる。ハンセンは戦争でも人を殺している。賞金首にも引導を渡してきた。何故、こんな躊躇いが生まれるのだろうと思った時に、ふと、自分の死がより近づいたからだと気付いた。戦場から戻ってきてから、リスク管理を徹底して生きてきた。ケリュネイアとの旅路に舞い上がってしまったのか、今度はそれを怠っていたのだ。その結果が今にある。村でケリュネイアと別れてから、ハンセンは何度か死を予感した。死を見てしまうことに恐れがある。それは自分の状況を生き写し……いや死に写しているからだ。


 ハンセンは森の中を急いだ。


 しかし、森の中は異様な湯気に覆われていた。霧のように広がるそれは、酷く視界を曇らせている。アルフレッドは方角だけ指示した。それも正確ではなさそうだった。恐らくはこの方角だという道をハンセンは歩いている。辿り着けるのだろうか。いや、辿り着かなければならなかった。


 気が付くとハンセンは泣いていた。


 情けなかった。なんて情けない男なんだ。


 歯向かう事すら出来ないのだ。そしてその男が欲しがっているのは、ハンセン自身が危険な場所に連れてきてしまった、ケリュネイアである。村人たちも死んだ。それはハンセンが村に訪れなくともそうだったかもしれない。でも、そうじゃなかったかもしれない。ハンセンは悔しかった。自分の弱さが。もっと力があるのなら、何のことはない。すべては丸く解決することだ。


 クソ……クソ……クソ……クソ……。


 クソ……クソ……クソ……クソ……。


 念仏のように呟きながら、森を進んでいると、聞き覚えのある奇声が背後から聞こえてくる。まるで誰かが誂えたみたいに、当然のように、その黒々としたシルエットはハンセンの後を追いかけてくる。ハンセンはもう驚かなかった。大きな傷を抱えている。湯気の所為で視界も悪い。長い間逃げることは出来ないし、手元に短剣もない。やれることはほとんどもうないのだ。


「……神に祈ろう。そのほかない」

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