荒縄が太く、結局断ち切るには至らなかった。


 続けていれば切れたのかもしれないけれど、それより先にハンセンの体力が限界値を超えたのだ。元々大きな傷を抱えているし、荒縄を切ろうと身動きするだけで疼く。加えて閉ざされた部屋の中は熱気がこもった。半刻もすれば、ほとんど動けないくらいに弱り果ててしまった。仮に荒縄を切った所で動くこともままならないと思ったハンセンは、様々な危険を考慮した上で仮眠を取ることにした。暑さと体勢の悪さですぐに目が覚める。また寝るを繰り返している内に、再び誰かが入ってくる気配があった。ノックもないまま、扉が乱暴に開かれる。


 そこから現れたのは、正確には投げ入れられたのは、だった。飛んできたまま地面に転がったギンターは唸り声をあげる。何が来たって驚かないように、平静を努めていたはずのハンセンは、状況を理解出来ずに困惑する。ギンターはこの洞窟の責任者、最高権力者の筈。てっきりケリュネイアを連れてやってくると思っていただけに、見るからに疲弊しているギンターの様子は異常だった。よくみれば肩口に鋭い裂傷がある。その疲弊具合からして、ハンセンから見えない位置にも傷があるのかもしれない。


 ハンセンが固唾を飲み込むと同時に、続くように人が入ってくる。村長の姿が脳裏に過ったけれど、それは、その男の身体の屈強さから直ぐに消えていった……大きい。なんて大きいのだろうか。


 ハンセンはその肉体の巨大さに畏怖を抱かずにはいられなかった。男は醜い容姿をしていた。顔が焼け爛れ、瞼の上には鋭い切り傷の痕、見開かれた瞳は危険な気配を放っている。そして人間離れした巨体。ギンターが子供に見えるくらいだ。ハンセンなどは赤子だろうし、実際やりやおうものなら、赤子の手をひねるように殺される。感が告げている。これは相手にしてはならない存在だと。


「何だよ、随分良いとこ住んでんじゃねえか」

 その巨体を持つ男が、地を這うような低い声で言った。


「洞窟をそのまま拠点に改造したんだなあ。中まで入らないと盗賊がいるなんてわからねえし、入ってきたあとは、地の利を活かせば、賞金稼ぎや傭兵も返り討ちにしちまえる。難点はここに盗賊がいると知られたら一巻の終わりってえことだなあ。立派な拠点、優秀な隠れ蓑が袋小路に早変わりだ。特に火だあ。煙をたかれりゃ出ていくしかなくなる。一長一短ってとこか」


「ク、クソ……」

 冷静に分析を続ける大男を他所に、這いつくばっていたギンターは苦渋の声をあげていた。ハンセンは徐々に状況を理解し始めていた。ギンターと大男は戦ったのだ。そして大男が勝った。


「それでよお、村長は何処にいるんだ?」


 大男がギンターを睨めつける。ギンターもまた睨み返している。方や満身創痍とはいえ一触即発の雰囲気にハンセンはたじろいだ。二人はハンセンを気にした様子はない。いることは分かっているはずだ。なのに歯牙にもかけないのは、命を奪い合っている相手が居るからだろうか。


 戦いは一瞬が命運を懸ける。大男だって心臓に剣が刺されば死ぬはずだ。もし二人が再び戦い始めたら、ハンセンはそれに巻き込まれる。しかし、どう琴線に触れるかも分からない状態で介入するのは、それ以上に危険な気がする。少なくとも、ハンセンの前にいる二人は人を害するのに躊躇いのない人種なのだから……。そんなハンセンの葛藤は他所に、二人は睨み合いを続けている。


「なあ……。お前を活かしてんのは慈悲じゃねえ。同業者なんだから、それくらい分るよなあ……俺は村長と残ってる奴らは何処にいるって聞いてんだぜ。それさえ言ってくれりゃあ訳がねえよ。てめえらは仲良く全滅。俺は苛立った気が収まる。あとはあの女さえ抱けりゃあ万事丸く納まるってもんだ」


 大男が大袈裟な身振りでそう言うと、ギンターは「あいつは俺のものになる」とうわ言のように呟いてから、ゆっくりと立ち上がろうとする。大男は呆れたように肩を竦めると、ギンターを思い切り蹴り飛ばした。ギンターは宙に浮き、そのまま岩壁にぶつかる。ハンセンの脳裏に子供の頃に出会った傭兵が浮かんだ。あの圧倒的強者の存在感が大男の影に重なる。ギンターすら歯牙にもかけないのだ、この大男は。そう思うと、ハンセンの恐怖がどんどん膨れ上がっていく……それは、狂獣と相対するのとは、また別種の恐怖だ。本能というよりは経験と知見に基づく恐怖。それ故に期待を抱くことが出来ない。得体の知れない狂獣とは違った、確かな根拠を伴っているから、反抗の意思が湧いてこない。既に戦意を喪失している。


 大男はギンターを散々になぶりはじめた。


 ギンターにも反抗の意思はないようだった。というよりは、ほとんどの生気が奪われているようである。ここにくるまでにも痛めつけられたのだろう。盗賊として、村長の言を借りるのならば、搾取する側の矜持として敗北を認めていないだけだ。それ故に死すら与えられる事なく、ただひたすらに痛みをその身に刻んでいる。もう止めてやれ……ハンセンは次第に見ていられなくなった。やがて悲痛な声が聞こえなくなる。背けていた目を向けると、ギンターは気絶しているようだった。嗜虐的な笑みを張り付けた大男は、チラリとハンセンの方を見た。


「おう。

 そして、その笑みを深めながら、そう言った。


「……待たせた、だって?」


「俺はアルフレッドってんだ。よろしく」


 大男……アルフレッドは、ハンセンを縛る荒縄を力強く引きちぎった。徐々に近づいてくるアルフレッドに死を覚えたハンセンは咄嗟に目を瞑っていた。何が起こったのか分からなかったし、状況を呑み込んだあとも信じられなかった。荒縄は確かに劣化したものだったけれど、それでも人間に易々と引きちぎれるものではないからだ。自由になったハンセンは戸惑いながら立ち上がる。直ぐには立てなかった。手首足首に荒縄の痕がある。壁に擦り付けていた所為か、血が滲んでいた。


「……お前は何者だ」


 ハンセンは警戒心を剥き出しにして、そして半ばヤケになって言った。アルフレッドは面白そうに相好を崩してから「盗賊だ」と答えた。ハンセンにしたって様子を伺っていたのだから、アルフレッドがギンターに同業者だと言ったのは聞いていた。やはり、この大男は盗賊なのだ。よくよく見れば、身なりも獣の皮を腰に巻いたくらいの、いわゆる賊っぽい恰好をしていた。


「何故、俺を助ける」


「そりゃあ、縛られてるからだ」


「なんだって?」


「縛られてるからだ」


「……馬鹿にしているのか?」


「ああ。馬鹿にしている。間抜けだなあ、捕まるなんて」


「……お前は何者だ」


「だから盗賊だって」


「では、ギンターと敵対しているのは何故だ。仲違いか?」


 アルフレッドは少し考えるそぶりを見せた。


「なるほどなあ。傍から見たらそうなるわ……まあ、その推理は間違ってる。俺とギンターは純粋な敵同士だ」


「どういう……」


「同業者って言ったの聞いてただろ。純粋な敵同士の同業者……要するに、別々の盗賊団を持つ者同士ってことだ。俺は流浪の盗賊団を従えてる。まあ、コイツとやりやった所為で全滅しちまったけど」


 アルフレッドは動かないギンターの胴体を蹴った。詳細を聞くと、旅をしながら盗賊稼業を営む集団、ざっくばらんに言うとそんな奴ら……奴であるらしかった。それが本当かどうかも分からない。嘘をつくメリットも分からない。ハンセンに分かるのは、確かにギンターとアルフレッドは敵対していたこと。その事からも二つの盗賊団があった可能性は高いこと。そしてハンセンはアルフレッドに助けられたこと。この三つだ。いや、アルフレッドが強いという事は勘が告げているから四つだった。今この場を支配しているのはアルフレッドなのだ。


「俺を助けるのは、何が目的だ」


「善意ってことにはならねえのかい」


「盗賊は善意では動かないから盗賊なんだろう」


「ごもっともだあ。なあに、ことは簡単だ。ちょいとしたを、俺の代わりに取ってきて欲しいんだ」


「忘れ物?」


「ああ。知っているかどうかは知れねえが、ここの近くに村がある。俺らがその村を襲っている最中にギンターたちはやってきたんだ。もちろん交戦した。最終的に俺とギンターの一対一になった。結果は火を見るよりも明らかだが、如何せん、ギンターは逃げ足が立派だった。盗賊というより盗っ人って感じだったぜ。追いかけている内に、まだ仲間がいるなどとほざくもんだから、確かめるためにここまできちまった。結果、その村に大事なもんを置いてきちまったんだ」


「……村人たちは」


「そりゃ全員殺した。そんなことはどうでもいいんだ。兎に角、そこにある忘れ物が肝要なんだなあ……お前にはそれを持ってきてほしい。俺はここで村長が戻ってくるのを待つ。どうしてかいねえからなあ」


「……何を取ってくればいい?」


だよ。そこに動けねえ女がいる。それを取ってきて欲しい」


「……その女をどうするつもりだ」


「ああ? 決まってるだろ。泣き叫ぶまで犯すんだ」


 ハンセンは咄嗟に拳を振り上げていた。その拳がアルフレッドに届く前に、ハンセンの視界は一回転した。衝撃が全身を駆け巡る。やはり逆らってはいけない相手だったのだ。ハンセンが部屋を出ていく前に、アルフレッドはこう言った。「まあ、てめえは逃げやしないだろうが、一応言っておくぜ。逃げたら地の果てまで追って殺す。さっさと女を持ってくるんだ。村長が戻ってくるのが先か、お前が女を持って帰るのが先か……あるいはギンターが死ぬのが先か、見ものだなあ」

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