目を覚ますと、辺りはに包まれていた。


 ケリュネイアは村長のベッドから降りると、軽く身だしなみを整える。体感的には結構寝た気がする。しかし、外はどうなったのだろう。ケリュネイアは自分が無事であること、異様な静けさなどから、最悪の想像をした。いや、もしそうだとすれば、ケリュネイアにとっては最高の想像になるはずだ。


 ケリュネイアはまず片手剣を探した。居間にはなく、昨日、寝床として使った奥間にあった。藁の上に投げ捨てられていた。少女が武器を持っていた所でどうということはないという事だろうか。同じ屋根の下に敵対者の武器を放置するなんて杜撰もいいところだ。でも盗賊なんてそんなものなのかもしれない。今朝と同じように、何時でも抜剣出来るように身構えながら外へと繋がる扉の前に立った。


「……え」


 扉に手を掛けたところでふと気づく。自分の肌が妙に汗ばんでいることに。


 今日はむしろ涼しい日だった。寝ている内に体温が上昇したにしろ、ケリュネイアがこれほど汗を掻くのは滅多にないことである。真夏の日ですら、涼し気な表情を浮かべているのだ。そんなケリュネイアの頬を一筋の汗が伝った。不思議なことに、今朝まで柔らかな風が吹いていたこの場所が熱くなっている。暑いではなく、熱い。傍で大炎が揺らめいているような……。


 夏でも汗をかかないケリュネイアの感覚は、そう訴えていた。


 ゴクリと喉を鳴らしてから、扉を開ける。空は夕焼けに染まっていた。やはり随分寝入ってしまったらしい。まだ一年も経っていないのに、懐かしく感じるあの夢を見たからだろうか。誰かが村長宅に這入ってきたら、反射的に飛び起きる自信があった。寝入ったということは、誰も来なかったのだ。今にも飛び掛かってきそうだった、アルフレッドさえ戻ってこなかった。それは不自然なのだ。そして、視界に広がっている光景はおおよそ想像した通りの、最悪の光景だった。


 村長の家の前に盗賊のが転がっている。


 剥き出しにした上半身の胸元を片手剣が貫通していた。血は流れ尽くして土の地面を汚している。どう見たって死んでいる。そこから十歩ほど進んだ先には朝から転がっている村人の死体。それに被さるように頭を矢が貫いた盗賊の死体が倒れている。この盗賊は獣の腰巻ではなく、ケリュネイアと同じような(粗悪品だった)貫頭衣の上から獣のベストを羽織っている。頭上に伏している手の傍には刃の欠けた片手剣がある。血しぶきのあとを辿るように坂を下ると、その半ばほどにも盗賊の死体がある。一つ、二つ、三つ。芝垣の裏手に四つ、五つ、六つ……。ケリュネイアは、そうして死体を数えながら、静まり返った村の中を歩いた。


「身なりの違う盗賊がいる」

 大まかな衣服の種類は同じだけれど、その質が若干違う。


 田圃の中に表半身を沈める死体、案山子に身を抉られた死体、身体中切り刻まれた死体など死屍累々といった様相を呈している。当然、ケリュネイアの元に誰も来ない筈だ。みんな死んでいるのだから。


 ケリュネイアはアルフレッドを探した。


 しかし、どこにあるのもあの醜悪な顔ではない。何故いないのだろう。一人だけ逃げたのだろうか。額の汗を拭いながら、掘っ立て小屋の一つ一つまで探した。だが、結局見つかることはなかった。


 この理不尽な一幕に付き合う決意をしたケリュネイアだったけれど、しかし最早これは幕引きだ。役者が揃わないのであれば、是非もない。ケリュネイアは逡巡のあと、先に進むことにした。村長宅にある荷物を取りに帰っている最中に、ふとジョナサンの言葉が蘇る。「死体はそのままにしてはいけないよ。腐ると疫病を生む。それは風に乗って街にやってくるんだ。一人が感染すると、もうおしまい。その病を治す方法が見つからない限りは、ああ、おしまいさ。だからね、もしケイアの身に危険が及んだら躊躇してはいけないけど、そこで死体を作ってしまったなら、必ず燃やすんだ。悪党が死ぬのはいいさね。ただ善良な他人が死ぬのは偲びない」ケリュネイアは面倒だと思ったけれど、確かにその通りだし、何よりジョナサンの言葉だ。その通りにすることにした。村の空き地に死体を積み重ねていく。ケリュネイアの腕力ではなかなかの重労働だった。それに血塗れの死体に密着しなければならないのは、綺麗好きである彼女にとっては苦痛でしかない。全てが済めば水浴びしようと決意した。


 村人の死体、盗賊とまた別の盗賊の死体を全て積み重ねると、流石に壮観だ。ケリュネイアは火打ち石を取り出した。しかし、容易く火は移らなかった。仕方がなく薪を集めることにした。あとは適当な草葉も根こそぎ集めた。


 そう時間はかからなかった。集めた薪や草葉を被せた死体の山に、もう一度火打ち石を向ける。カンッと音が響く。最初に火がついたのは、村の現状の話をしてくれた老人の腕だった。老人は怯えを表情に浮かべたまま、瞳の色を失っている。そっと瞼を閉じた。暫くすると、盗賊の一人に火が移る。ケリュネイアは別の村人に新たな火種を撒く。そしてまた盗賊に移る。火はゆっくりと広がる。微かだったそれは、やがて大炎となった。ケリュネイアはあっさり燃えたことに驚きながら、ぼんやりと大空に消える煙を眺めた。


 人はなんて愚かなんだろうと思う。

 獣には知性がない。故に本能のままに生きる。


 人間には知性がある。なのに、時に獣よりも残酷なことをするのだ。故郷の森を出て一年経った。色々気が付いた事がある。ジョナサンにも様々な知恵や歴史を教わった。ケリュネイアが興味深いと感じたのは、知性が感情に与える影響である。獣にだって感情はある。より強い生物に畏怖し、敬服する。より弱い生物をなぶり殺し、食べる。しかし、人が犯す罪に比べると些細なことだ。何故なら知性があるからだ。知性と感情が同時に働いた時、人は到底思いつかないようなことをする。それが善行であれ、悪行であれ。ケリュネイアにはそれがとても興味深いのだ。


「それにしても、熱い」

 ケリュネイアは額の汗を拭いながら、そっと踵を返した。

 大炎はやがて風に煽られて消えていく。村人たちの無念や盗賊たちの強欲もすべて灰となって消えるのだ。

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