盗賊たちの殺戮は日が昇りきるまで続いた。


 本来なら数十分で終わるようなものを、彼らは暇を持て余すように、愉しみながら村人たちを蹂躙した。田圃を踏み荒らし、質素な食料まで奪い取った。それは彼らの尊厳だ。田圃は人生そのものである。汗と涙の結晶である。そうして絶望を与えた末に、その命までも奪ってゆくのだ。


 一方で彼らは村長とギンターを探しているようだった。ケリュネイアも何処かに隠れているものだと思っていたけれど、結局見つかることはなかった(ケリュネイアは幾らギンターが強かろうと、複数人を相手取るのは無理だろうと思っていたし、それはギンター自身もそう思っているだろうから、死を恐れて隠れているのだと推察した。盗賊が一騎打ちに応じる筈もないのだから)。ケリュネイアは一つ気になっていることがあった。村長宅には裏口がなかった。ハンセンは遍歴商人であるため荷物も多いし、馬車だって置いてはいけないだろう。実際に盗賊たちが馬車を押収しているところは見ていない。ハンセンは村長やギンターが居るはずの居間を大荷物で通り抜け、そして馬車に乗って逃げたということだ。誰にも気付かれずにそんなことが出来るだろうか。彼がケリュネイアをここに連れてきた。この状況下では疑って然るべきだった。


「ねえ。君たちは夜中に移動してきたの」


 ケリュネイアが頭目の大男に尋ねる。頭目の大男はアルフレッドと名乗った。アルフレッドはケリュネイアの問いかけに嫌そうな顔をしつつ「黙れ」と言った。ケリュネイアと村の食料を奪い取った盗賊一行は、そのまま村人のいなくなった村に居着くことになったようだった。流石に住む気はないだろうけれど、数日滞在しても問題ないと思ったようだ。流浪の盗賊団というのは、こうして潰した村を仮の拠点として使用し、食料を確保し、若い女は犯し、自由という正義の名の下で、好き勝手に旅をしているのかもしれない。ケリュネイアはふと旅人と流浪の盗賊団はどちらがより自由だろうかと思った。この問いかけこそが自由からかけ離れたものだと気付き、思考を止めた。どうでもいいことだ、そんなことは。ケリュネイアはそろそろ痛みの感覚すらなくなってきた両手足を嘆き、ため息を吐いた。そもそも退屈になってきた。


 ケリュネイアは村長宅にある村長のベッドの上に転がされていた。村長宅には他にアルフレッドしかいなかった。他の盗賊たちは他の住居を使ったりしている。何のことはない話の流れだった。


 頭目であるアルフレッドが今からケリュネイアを犯そうというのだ。邪魔にならないように皆はけたのである。ケリュネイアはこの組織的な忠誠心はどこからくるものなのだろうと常々思うのだけど、それを問いかけたジョナサンや同業たちは決まって「畏怖」と答える。


 盗賊団を束ねる頭目には畏怖を伴った「力」が必要となるのだ。その力がケリュネイアにはよく分からないのだ。それは不変のものではない。老いとともに衰えていくし、その時々の体調や心境によっても変わってくる。力を振るう環境や状況、あるいは敵対人物や敵対組織との確執や因縁、力を振るう時には多くの何かが絡んでくる。何故、そんな不確かなものに畏怖したり、執着したり、依存したり出来るのだろう。ほんとうに不思議でならないのだ。力は簡単にひっくり返る。自然の中で生きてきたケリュネイアにとっては当たり前の価値観だった。


「これから何をされるのか。もちろん分かってるだろうなあ」


 退屈しのぎに思案に耽っていたケリュネイアの前に、アルフレッドは立っている。いつの間にか身に纏うものは何もなかった。元々獣の皮の腰巻一つの男だ。特に違和感を覚えなかった。主張するように聳える股間の一物さえ、ケリュネイアにとっては特筆すべきものではなかった。いつかの光景がフラッシュバックする。あの時のあの男よりは、アルフレッドの方が大きいかもしれないと思った。


「私を犯そうとしている」


「ああ、そうだ」


 アルフレッドは獣のような笑みを浮かべる。いや、知性を宿すだけ、それはより醜悪な笑みだった。


「災難に遭うからやめておいた方がいい」


「この期に及んでそんな事を言うんだな。そういう女こそが男の恰好の餌食だってことも知らないのか」


「女を服従させるのが好き。男はみんなそうだって聞いた」


 ジョナサンがそう言っていた。男に媚を売る時は服従したように振舞ってやると上手いように転がせるとも。ケリュネイアは男に身体を委ねる気など毛頭なかったけれど、ジョナサンはそうした女の武器を用いる世の忍び方をよく知っていて、それをケリュネイアに言い聞かせていた。おかげで一部は覚えてしまった。そうした女の術を用いなければ生きられない世の中だということもよく分かっている。ただ、それはやるせないことだ。ジョナサンだって快楽の素晴らしさを知っていたにしろ、それを用いたくない場面でだってそうしてきたのだ。嫌な思いをして生きてきた。アルフレッドのような男が居るからだ。ケリュネイアは常に自分に問いかける。今の状況もその一つ。ケリュネイアは好きなように生きていたし、それはアルフレッドも同じだろう。ジョナサンだって現実は非情でも理想はそうだろうし、ハンセンだって、村人や盗賊だって皆自由になりたいのだ。自分の思う通りに生きられたら幸せに違いないだろうから。その幸せを得るために誰かが得をし、損をする。生き永らえ、死ぬ。アルフレッドはまさに自分の幸せのためにケリュネイアを犯そうとしている。それがひっくり返るとは露ほどにも思っていない。仕方がないことだ。誰もが欲の為に己を賭さなければならない。そして賭していることに気が付いていない。悪い事とは思わない。悪い事だとするのならば、それは被害者にとって悪い事であるだけだ。ケリュネイアはそっと目を閉じた。


「何だよ。従順じゃねえか」

 アルフレッドは面白くなさそうに呟き、ゆっくりとケリュネイアに近づいてくる。

 外が騒がしくなってきたのは、アルフレッドの手がケリュネイアの肩に触れた瞬間のことだった。


 一瞬、遠くの方で悲鳴のような声が聞こえた。


 アルフレッドは職業柄か敏感に反応する。ピタリと静止して耳を澄ませている。一方でケリュネイアはすぐにそれが男の悲鳴であることに気が付いていた。そこから導き出される状況も想像がついた。それを裏付けるように、甲高い破裂音のようなものが聞こえた。何か陶器が割れたような音だった。そしてまた男の悲鳴。その時点でアルフレッドも異常事態に気が付いたのか、ケリュネイアに伸ばしていた手を引っ込め、音をたてないように、入口の戸の横にあるスライド式の窓を静かに数センチだけ開き、外の様子を伺った。ゆっくりと目を見開き、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。「くそが」と短く吐き捨てると、ケリュネイアを一瞥した。


「おい。大人しく待ってろ」


 アルフレッドはそれだけを言い残し、腰巻を巻いて、外へと出ていった。部屋の中央にあったテーブルに置いてあった大剣を手に握りしめて。


「…………」


 ケリュネイアは遠くにある戦闘に生じる様々な音を聞きながら、対照的にしんとした部屋の中を見渡してため息を吐いた。


 今日は色んなことが起きる。状況も随分ややこしくなってきたようだ。これもまた旅の醍醐味なのだと思うと割り切ることは出来る。


 今日はこうなる運命だったのだ。こういう有事に遭遇すると、ジョナサンは己を鼓舞するため「それなら一興」と呟き、笑うようにしていると言っていた。一種のジンクスだとか、そういう気持ちを整える為にそれを言うのだ。そうして最善を尽くす。ジョナサンとケリュネイアの性質は異なっている。ケリュネイアは現状を有事だとは捉えないからだ。ただ、生存競争の中の一幕に過ぎない。そして彼女はその競争には参加することが出来ない。何故なら、ジョナサンとケリュネイアの性質は異なっているが、ケリュネイアと盗賊たちの性質も異なっているからだ。そしてジョナサンと盗賊たちは同じ性質を持つ。獲物としての性質を彼らは知らずに持っている。


「それなら一興」

 ケリュネイアは静かに呟いた。


 これは旅の一幕を存分に愉しむための、一種のジンクスである。


 ケリュネイアは欠伸を漏らした。いつの間にか、ケリュネイアの両手両足を縛っていた荒縄が鋭利な刃物で切り裂いたように両断され、無機質な姿でベッドの上に落ちている。役目を失って心なしかくたびれている。彼女は両手両足の感覚を確認する。徐々ににじむような熱が戻ってくると、ベッドに横になった。老人特有の匂いのするベッドは、それでも藁の山よりはだいぶ快適だった。外の喧噪は暫く止みそうにない。ゆっくりと目を閉じる。世界が静かに暗転する。


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