流浪の盗賊団
ケリュネイアは日が昇り始める頃に目を覚ますと、そこにハンセンの姿はなかった。何となくそんな気はしていた。
身支度を整えて奥間を出ると、居間のほうには誰も居なかった。隅の方に置いてある木製のベッドにも村長の姿はなく、やけに静寂が鼻についた。明朝なのだから当然といえば当然だろうけど、しかし、村長はどこに行ったのだろう。日の出とともに畑を耕す人には見えない。元来はそうなのかもしれないけど、今は私腹を肥やす蛇だ。勤勉な人ではない。ケリュネイアは何だか嫌な予感がした。ハンセンの顔が思い浮かぶ。静寂の中を限界まで張った糸のような緊張感が奔った。
腰に差している片手剣に手を添える。
外の様子を伺いたかったけど、扉の他に唯一外の様子を確認できる窓は木製の板をスライドする形になっていて、もし今現在この家を盗賊団が囲んでケリュネイアの不意を突こうとしているのなら、こっちが警戒していることを悟らせるのは愚策だ。窓を開けると悟られる危険がある。
多勢に無勢の状況で多勢が不意を突こうとしてくれているのならマシな方なのだ。こっちが既にその意図に気付き、そしてそれが向こうにも気づかれた場合、あとは多勢に無勢の総力戦である。要は一方的な虐殺だ。この家に裏口はない。もう一度確認したけど、やはりなかった。こうしていても状況は悪くなるだけだ。ケリュネイアはため息を吐いて外へと繋がる扉に手を掛けた。
勢いよく扉を開けると、白い燐光を放つ朝日が見えた。
思わず目を細めると、その燐光の中から一本の矢が飛んできた。
それはケリュネイアの二歩進んだ辺りの地面に突き刺さる。ああ……賭けをしていたらハンセンの勝ちだったな……とケリュネイアは思った。一本、また一本と地面に矢が突き刺さる。直ぐに理解する。この矢は牽制の為のものであることを。ケリュネイアはゆっくりとした動作で両手をあげた。小屋や田圃の影に人の気配がある。森の方にもいるだろう。正確な人数と場所を把握できない以上、無暗に動くのは得策ではないと判断して、降伏の意志を示したのだ。
「武器を置くんだ!」
と田圃を覆う芝垣の影から野太い怒声が飛ぶ。
ケリュネイアはそっと地面にそれを置いた。次には「こっちに渡すんだ」という指示が飛んだ。先ほどと同じ声だ。ギンターや村長のものではなさそうだった。片手剣を滑らせるように投げると、そこでやっと芝垣から人が這い出てきた。大男だった。ギンターも大きいけど、それを更に一回り大きくした異常なほどの巨躯。筋骨隆々の上半身を惜しげもなく晒して、下半身は獣の皮を繋ぎ合わせたようなズボンを穿いている。背中には大剣が背負われていた。
その男はゆっくりとケリュネイアに近づいてきた。その背後では同じような野性的な身なりの盗賊たちが姿を現し始めている。皆一様に血走った目で獰猛な笑みを浮かべている。
とりわけ、向かってくる大男の顔は残忍さというものを煮詰めたような醜悪な顔をしている。右の頬が焼け爛れている。瞼の上には鋭い切り傷の痕、瞳は獣のような理性なく尖っている。蓄えられた手入れのされていない髭。見た目に頓着しないケリュネイアでも見咎めてしまうほどのものだ。
そんな男がケリュネイアの真前に立つ。明けたはずの空に夜がやってきたかのようだった。ケリュネイアを覆ってしまう程の黒い影が蠢いている。身体を洗わないのか、男特有の酸味を煮詰めたような臭いがした。
「ああ、吃驚だ」
大男は感嘆の息とともに言った。
「まるで美術品のようじゃあないか」
ケリュネイアの髪、瞳、頬、顎、首筋、胸元、腹、股間、太腿、脹脛……舐めまわすように視線を這わせる大男の目が怪しく光る。
「どうするの」
ケリュネイアは静かに問うた。
「どうするもクソもねえ。俺の物にする」
唾液の糸が伸びた汚らわしい笑みを大男は浮かべる。
その後の流れは盗賊模範的なそれだった。ケリュネイアは両手両足を荒縄で結ばれ、身動き一つままならなくなった。荒縄がほつれていて肌につき刺さる。盗賊たちは縛られたケリュネイアを眺めて股間を大きくした。
一人の盗賊が「思わぬ収穫だった」と言った。それから盗賊たちは下卑た言葉をケリュネイアに浴びせかけた。羞恥と屈辱にまみれた少女の姿が見たいというだけの思惑だったけれど、ケリュネイアは眉一つ動かさなかった。悲観も諦観もない翠玉の瞳には不思議な煌めきがあった。盗賊たちはごくりと喉を鳴らす。一瞬にしてケリュネイアの持つ独特な空気に飲み込まれる。すると今度は彼女の美貌に魅入られていく。視界が徐々に狭まってゆき、ケリュネイアの姿しか見えなくなる……ところで頭目の大男の怒声が響いた。盗賊たちは蜘蛛の巣を散らすように散開していく。村長宅の前にはケリュネイアと頭目の大男だけになった。
「災難だなお前」
頭目の大男は言った。
「災難?」
「ああ」
「今日はまだ遭っていない」
「その恰好でよく言えるな。犯してやろうか」
頭目の大男はケリュネイアの臀部に手を伸ばした。
「災難に遭うよ」
「災難に?」
「そう」
「ほざけ」
そのまま力強く揉みしだかれる。
暫くそのまま睨み合っていると、何処からか悲鳴があがった。
坂を下った先の所で村人が盗賊に切り伏せられている。宙に踊る鮮血が、目の良いケリュネイアにはハッキリと見えた。そこには村人たちが集められていた。一人、また一人と盗賊たちが村人を殺している。悲鳴が響き渡る。村人たちに拘束具は為されておらず、目前の死から逃げるために一人の村人が走り出した。逃げ惑う背を盗賊の剣が穿つ。それを皮切りに逃げる者から順に殺されていく。怯えて立てない者、失禁する者、諦める者……そこに反逆の意志は一切なかった。
「……どうして?」
「どうしてもこうしてもねえ」
頭目の大男は鼻で笑いながら、やはりケリュネイアの臀部を触っている。
「俺らは盗賊だぜ? 殺したきゃ殺すさ」
「この村の村長とは協力関係にあるんじゃないの」
正確にはギンターを疑っていたけれど、そのギンターが村長と手を組んでいるのだから同じことだ。
「はあ? 何言ってんだおまえ」
頭目の大男は本当に意味が分からないといった表情を浮かべた。
「俺らは流浪の盗賊団だぜ。何故こんな辺鄙な所にある貧そうな村と協力しなきゃなんねえんだ。わけわからねえことを言って逃げようとしてんじゃねえだろうな。ま、逃がさねえけど」
ケリュネイアもまた首を傾げる。
「村長は何処……?」
「村長を名乗った奴はまだ見てねえ」
「大きな斧を背負った戦士の男は?」
「さあな。村人たちが、ギンターが許さないだとかなんとか喚くんだ。強いんだってな。そのギンターって奴。てっきり俺はこの家からそいつらが出てくると思ってたんだけど。蓋を開けてみると現れたのはお前だけだった」
むしろ、お前は誰だと頭目の大男は言った。
「……旅人」
「偶然ここに泊まっていたのか」
「そう」
「じゃあ、やっぱり災難じゃねえか」
「この程度は災難に入らない」
「活きの良いこった」
何だかややこしくなってきた、とケリュネイアは思った。
ハンセンの勘が的中したのかと思ったけれど、しかし彼らは流浪の盗賊団らしい。つまるところ拠点を持たない盗賊団という事だろう。一年を旅してきて初めて出逢った存在だ。盗賊団とは一度出遭ったことがあるものの、その盗賊団にも拠点があった。賞金稼ぎたちと街の自警団が協力し合って拠点を壊滅させたのだ。そこにケリュネイアも参加していた。
当時は思ったよりも呆気ないものだと思った。数を揃えて奇襲をかけただけで、ほとんど一方的に拠点を潰すことが出来たのだ。盗賊団は正規のルートで食料はおろか武器等を得ることが出来ない。村などを襲う度に内情は漏れていくし、正直なところ時間の問題なのだ。盗賊団が結成され、それが潰れるのは。不変の盗賊団などありはしない。いつまで経ってもなくならないのは、自由への渇望を人類が持つからだ。秩序に対する不平を持つからだ。
これらがなくならない限り盗賊団が根絶やしになることもないだろう。これはケリュネイアが恩人であるジョナサンに聞いた話だった。しかし、そのジョナサンの口からも流浪する盗賊団の話は聞いた事がなかった。本当かどうかは分からない。嘘をついているのかもしれないけれど、一見して身動きが取れない少女相手にわざわざそんな益のない嘘をつくかと言われたら疑問も残る。盗賊は自由を愛する故に気まぐれである。殺したきゃ殺す。その言葉がすべてを物語っている。
視界に広がる惨状眺めながら、ケリュネイアは目を閉じた。弱肉強食の世界だ。こういう事もある。弱い者から順に淘汰されていくのだ。自然界に於ける重要な法則の一つ。ケリュネイアは静かに黙祷する。
「力なき者に安息を」
バチッ、と火花の弾ける音がした。
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