⑥
「さっきは悪かったなあ。ちょっと苛ついてただけなんだ」
村長宅で振舞われた晩飯を前にして、戦士の男は言った。その時にようやく「俺はギンターってんだ。よろしくな」と名乗りをあげた。ケリュネイアとハンセンはその殊勝な態度に顔を見合わせたけど、伸ばされた手を振り払うほど好戦的でもなく、二人は順に握手を交わした。
村長は見計らったように「ではいただくとしよう」と食事の合図を言った。野菜をふんだんに煮込んだ鍋だった。これはこれで希少である。ケリュネイアたちは終始和やかな雰囲気とともに満足感で腹を満たした。
二人は奥間に通された。正方形の小さな部屋だ。中央には羊毛の掛布団が折りたたまれて置かれている。狐の皮などを継ぎ接ぎしたみすぼらしいものだったけど、一農家が客人に持て成すには、やはり気前が良すぎる。
そもそも客人ように布団を準備していること自体が不自然だった。村は農家ばかりで狩人の姿はない。羊毛や狐の皮、壁際にある職人の手で作られたと思しき箪笥などは、すべて商人との取引で手に入れたのだろうか。
村長が居間に戻ってからハンセンは一通り物色していく。村人の生活と村長の生活にこれ程の差が出ているのだ。あり得ない話ではないのかもしれない。しかし、どうにも違和感が拭えない。特にあのギンターという名前を何処かで聞いたような……姿もまた……などと思案しながら部屋の中をうろうろしている。
「ねえ」
ケリュネイアは呆れたように言った。
「ちょっと落ち着いたら」
「お嬢さんはどう思う」
「どうって」
「ギンターという男、何処かで見覚えないか」
「ないよ。興味ない」
「最近何処かで見た気がする」
「見たから何なの」
「きなくせえんだ」
ハンセンは横たわって肘をつくケリュネイアの前に、どしりと腰をおろした。
「商人ってのは危険に敏感だから、何となく察しが付くんだわ。この村は、正確に言うとあのギンターは怪しい」
「そうかもしれないけど」
少なくとも善人でないのは分かっている。そして善人でない人間が、こうして自分たちに至れり尽くせりの、むしろ裏を感じずにはいられないくらいの待遇で迎えていることの不自然さも、ケリュネイアはよく分かっている。それはハンセンの取引が関わっているにしても不思議なくらいだ。
「でも一日寝床を借りるだけだよ。心配なら交代で起きていたらいい。晩ごはんに毒の類も入っていなかった。同じ釜の物を彼らも食べていたし、そう心配するほどの事でもないと思う。朝はすぐにやってくる」
「解毒薬を持っていた可能性は……」
「毒は入っていない」
「……何故言い切れる」
「毒が入っていたら分かる。そういう体質だから」
ハンセンは釈然としない表情を浮かべた。「じゃあ夜中に村を出る?」と聞くと、大きくその表情を歪める。夜は盗賊やら何やらの領分だ。それらに遭遇せずとも視界は悪く迷いやすいし、よほどの理由がない限り外には出ないのが基本である。
「明朝に出たらいい。不義理だろうけど、そういう気遣いが必要ない相手だから。ハンセンの、商人の勘に従えば」
ハンセンが不承不承に納得しようとしたその時、コンコンと扉がノックされる。ハンセンは小さく息を呑み「はい」と答えた。軋む扉を身体で押すように這入ってきたのは村長だった。
お茶を持ってきてくれたのだ。これもまたハンセンのものだ。ハンセンは処世術や交渉術の一環として必ず茶を渡すようにしている。好感を持たれようとしているからだし、好感を持たれようとしていることを知らせるためでもある。そして茶の質で懐具合を相手に悟らせたり、あるいは見誤らせたりすることも出来る。とはいえ、それに毒が盛られる可能性がある相手にまで律儀にするのは如何なものなのか、とケリュネイアは思う。差し出された木製のカップを手に取ると、一瞬ハンセンを見る。村長はケリュネイアたちの前に腰をおろしていた。
なにせ自分のカップも手に持っている。確かに貰った茶をくれた相手に振舞うのは形式的儀礼上むしろ当然のことだ。しかし、ケリュネイアたちは僅か半日足らずで村長のことは信用ならないと評しており、それは毒物の有無を確認するほどだ。おのずと勘ぐってしまうのも無理からぬことだった。
ケリュネイアはハンセンを視線で制してから、ゆっくりと茶を飲んだ。程よい渋みが口の中に広がる。もし毒が入っていたのなら、様々な香辛料を大量に直接飲んだような辛さが広がって、そしてそれが瞬時に消える。それには無数の針を舌の上で躍らせたような刺激が伴うけれど、それもパッと消える(毒物がそういう味なのではなく、ケリュネイア特有の拒絶反応の一種である)。今はだた、程よい渋みが優しく消えていき、甘みが舌先に漂っている。
「美味しいね」ケリュネイアは言った。
暗に毒は入っていないとハンセンに伝えた。目線で伺うと、心得たように彼も茶に口を付けた。村長は茶を飲み終わると部屋を辞した。ハンセンが旅先の話などをしていた。とある街で出会った当たり屋の話である。街の裏路地でぶつかった女性が怪我をしたというので患部を見てみると、確かに擦り傷があったから手当をしたというのがことの発端だった。手当をしてくれたお礼をしたいとその女性は申し出たのだ。でもぶつかってしまって怪我をしたのだからとそれを辞そうとすると、いえいえ、ぶつかったのはどちらにも非が在りますから、これでは私の気が収まりません、と女性は言うのである。ハンセンも男であったから、もしやという気がなかったわけではない。その女性は美貌を持っていた。一通りの押し問答の末に女性に家に行くと、そこで待っていたのは屈強な大男だったというオチだ。
身ぐるみはがされて裏路地に捨てられた。命まで取られなかっただけマシと言える。そんな話をしている内に夜も更けた。「では、おやすみ」と村長が部屋を出ていくと、二人はげんなりした表情で息を吐いた。「ハンセンがあんな話するからだよ」ケリュネイアがハンセンを咎めると、当人は「いやあ。あんなに長い一杯に付き合わされたのは久しぶりだ」と呆れた声をあげた。村長の手にあるお茶がいつまで経ってもなくならない。
「毒が入ってないってのは本当か」
「本当」
「根拠は?」
「ない。ただ本当」
ハンセンは肩を竦めた。
「今のところ異常はない。もう飲んだ後なんだから、あれこれ考えても仕方がない」
ケリュネイアはさっさと寝る支度を始めた。ハンセンはその後ろ姿を見つめながら、やはり思案気な表情を浮かべている。
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