6 ジェーンの真実

 私のオフィスに研究所の白衣姿のジェーンが入ってきて、私と向かい合う形でソファに座った。彼が、自身の研究室で沸かしてくれたお茶を、ティーポットに入れて持ってきてくれたので、それを飲みながら彼と度々目が合った。私はじっと、彼が話すのを待っているだけだが、彼はと言うと、顎を指で何度もトントンと叩きながら、何か考え事をしていて、中々話そうとしない。痺れを切らして「それでどうしたの?」と聞きそうになったが、まあ、彼のタイミングもあるのだろうと、彼が話すまで待っていた。


 そしてついに、彼が口を開いた。


「飲みは、何処に行きたいですか?」


「え?」


 予想外の質問だったので、裏返った声で彼に聞き返してしまった。彼はお茶を飲みながら、じっと私を見つめて、私の返事を待っていた。


「うーん……そうだね。行くとしたら、歓迎会でも行った、セントラルホテルのバーでもいいんじゃないかな。それかもっと、こじんまりした雰囲気で飲みたかったら、海沿いのバーココナツとか、隠れ家バーボンとか。」


「結構、色々なお店をご存知ですね、お酒を飲むことは好きですか?」


「うん、もう大人ですし、飲むことは飲みますけど、誘われれば飲むぐらいで。ほら、調査部の皆は、結構お酒好きの人多いから、以前はよく誘われました。所長になってからは忙しくて、前ほど飲みに行けてはいないけど。」


「なるほど。あなたは確かに元調査部でしたね。何処の研究所でも、調査部の彼らは、お酒を飲むことが好きなようですね。彼らが行っているのは体を動かす仕事ですから、身体が高カロリーのお酒を欲するのも理解出来ます。」


 ジェーンが何度もティーカップに口を付けて、お茶を飲んでいる。何か、本当のことを言いたいのに飲み込んでいるような感じだ。私は首を傾げてジェーンに聞いた。


「それを話すために、ここに来た訳では無いでしょう?一体どうしました?私に話したいことって何ですか?」


 私の問いを聞いて、彼はまたお茶を口に含んでゴクリと喉を鳴らした。以前ケイト先生に、人は発言を我慢するときに、水分を欲することがあると聞いたのを思い出した。彼は何か言いたいけど、その言葉をお茶と一緒に、喉の奥へと追いやっているに違いない。私は言った。


「お茶を飲むのをやめてくださいよ。」


「喉が渇くもので。」


「じゃあ別に、無理して今日、この場で言わなくてもいいですよ?」


「いえ。今日、この日に話しておこうと決めました。私がここに来た真の理由、それから隕石のことについて。」


 その二つに何らかの因果関係があるのかと驚いた私は、彼の至って冷静な表情を見つめながら聞いた。


「どう言うこと?理由は、トップに疲れたから、ここに来たのでは?私みんなに、そう言って説明しちゃったよ。それに隕石だって……。」


「はっはっは!数ある理由から、それを抜粋しますか。ええ、それも事実です。組織の二番目でありたいのも、自由な研究をしたいと思っていることも、あなたの秘書として働きたく思っているのも事実です。しかし、それには理由があります。」


「自由な研究をしたい本当の理由ってこと?」


「ええ。」


 改まって、こうやって内密に二人きりで話している分、恐らく彼のしたい研究というのは、相当ブラックなものなのだろう。そう考えると私の胃がぎゅうと痛んだ。昔からストレスを感じると胃にくる体質なので、慣れており、ソファに深く座って、お腹が楽になる姿勢をとった。


 そしてジェーンは上を向いたまま、何かを暫く考えた後で、何故か私と意味深に目を合わせたり、すぐに逸らしたりした。そして、少し照れているような表情になると、こちらを見つめてから、重々しく口を開いた。


「実は。」


「実は?」


「ふん」


「何?」


 それから何分か、沈黙の時間が過ぎていった。それほどまでに話し難い理由なのだろうか。もしや帝国が関係しているのかもしれない。もしや私は、知らず知らずのうちに大変な、何か見えない闇へと、巻き込まれていっているのかもしれない。考えれば考えるほど謎ではあるが。


 ふと気になったので、手元の時計を確認したら、針は二十二時を指していた。私が時間を気にする仕草を取ったのを見たのか、ジェーンと目が合い、彼は意を決したように頷いてから、声を出した。


「実は私…………過去から来た人間なのです。」


 世界観の全く掴めないジョーク。それを彼が、仕事上がりのヘトヘトに疲れた私に、わざわざ二人きりの空間を作って、ぶつけてきたと言うのか。ただ口を開けて、彼の発した、彼らしくない、全く現実味のない冗談に、何も反応出来ずに、ただ……彼が照れて前髪をかきあげるのを見つめた。


「いえ、あなたのことを考えれば、私の発言は到底信じられないことだと思います。しかしこれは、紛れもない事実です。あの隕石は、私がこの世界に不時着していた時に乗っていた、時空間歪曲機です。」


「それはえっと、その世界観に合わせて話をするとしたら、時空間歪曲機と言うのは所謂、タイムスリップの時に乗っていた船ってこと?」


「さすが私の上司だ。飲み込みが早いですね、その通りです。」


「ちょ、ちょっと待って!ねえ、本気で言ってるの!?」


「ええ。本気ですよ、これは事実です。あなたなら信じてくれると思っていましたが。」


 彼の言っている意味が分からない。いや、その言葉の意味は分かるが、どうも彼がタイムスリップをして、ここに存在しているということが信じられなくてつい、立ち上がって彼のことを凝視した。彼が念を押すようにコクっと頷いた時に、彼の長い髪の毛が、身体の前にさらりと垂れた。


「ええ。私は至極本気であり、この件は事実です。あなたなら信じてくれるとは思っていましたが。」


 何回信じてくれると思ったって言うのさ。私のイメージってそんな感じなの?いやいや、何だろう……そう言えば最近休暇を取っていなかったなぁ。日頃の疲れが溜まって、いやにリアルな夢でも見ているのかな?そうだ、これは夢だ!と、決めて頬をつねるが痛かった。となると、これは現実らしい。タイムスリップなど、彼ほどに魔工学の知識があるなら出来るって言うのか?まだ信じられない私は、彼に他のことも聞いてみようと尋ねた。


「じゃ、じゃあ、仮にそうだとしましょうよ。ジェーンは過去の世界から来ました。ここに来た時っていうのは、一体、何年前の出来事ですか?その隕石が落ちたのは確か……。」


「三年前ですね。」


「三年前ね。その時に、何年前の世界から、ここに来たの?」


 私の問いに、彼は迷わずに答えた。


「千九百二十七年前です。」


 ぶぅーーー……その途方も無い数字に驚愕し、思考が追い付かない私は、口から豚の鳴き声のような、ため息を漏らした。一瞬、気を失いそうにもなったが、それは何とか持ち堪えた。いや、いっそのこと気を失ったほうが、よかったかもしれない。そうすればこの、何とも摩訶不思議な状況から、其の場しのぎする事が出来た。今から心臓発作のフリしたら間に合うかな?無理か……。


「嘘でしょ?ジェーン。」


「嘘ではありません。キリー。」


「それは何か……証明出来る?」


 意地の悪い質問になったかと少し後悔したが、彼は冷静に回答した。


「そうですね。今から約二千年前の時代は、勿論、このルミネラ帝国が存在しておりませんでした。今では一般市民でも体に埋め込むことの出来る、プレーンというマイクロチップがありますね?プレーンのおかげで我々は、この世界で魔法というものを使用する事が出来ます。私の時代では、そのプレーンの所持を許可される人物が、限られていました。魔法学園に通う者、または衛兵、それにこの世界を作ったと言われている、中央研究所ノアズの職員のみでした。この世界は地上世界に対して、地下に存在することはご存知ですね?地球という惑星の、地下です。」


「え、ええ。それは小学院や中学院で、教わりましたけど。」


 そうだ、確かに学校で習ったのは、この世界は地下深くに存在していて、太陽も元素も人口で作られたものだということだ。だからこの世界では、プレーンを装着していれば科学的な力で、魔法と言われるものが使えるということだけど、それには勿論、個人差がある。私は魔法を使って攻撃をしたり、防御をする事が苦手だ。私みたいなギルド兵は、魔銃、もしくは魔力を応用した工学兵器で、モンスターを退治していた。


 彼の話したことをよく考えると、彼は千九百二十七年前から来ていて、今は二千百三十年だから彼は……彼は、この世界が出来て、少し経ってから生まれたことになるし、歴史で言うと、三百年前後の世界から来たことになる。この帝国が存在する、前の前の前の前の前の……もっともっと前の時代だ。途方も無く、遠い過去の世界だ。頭が痛い。


「私は、その過去の世界で、中央研究所ノアズの研究員として、勤務していました。今回の事故は、研究の最中に発生した事故が原因です。」


「ちょっと待って。でも時空間歪曲術、特にタイムスリップと言われているものに関しては、この帝国では禁忌きんきの技術に指定されている。言っている意味分かるよね?国家犯罪だよ?」


「ええ、あなたの仰る意味、理解します。それは私の事故を、ノアズ……それは現在の帝国研究所が、重く受け止めた結果、禁じる法律が作られたのです。過去世界の者たちは、私が事故の最中に、亡くなったものだと考えたようです。この世界の、帝国立図書館の古文書を見て、私はそのことを知りましたが……ふふ、それまでの同期や部下、友人が、古文書に出てくるという経験は、いや全く面白い、愉快な出来事でした。」


 ふふふ、と笑いながら、そんなことを話している彼の言っていることに、段々と信憑性を感じ始めている。だって、彼にならそれが出来るだろう、それに確かに、彼の言った通り、時空間歪曲術の規制は事故が原因だったって、遥か昔に授業で習った記憶が頭の片隅に残っていた。だとしたら、もしそれが本当だとしたら、どうしよう。


「もしそれが本当なのだとしたら、どうしよう。」


「ふふ、あなた今考えたことを、そのまま言ったでしょう?仕草や表情で、考えている事が丸見えです。」


「そんなことを言っている場合ではないよ!だって……まあ、ジェーンの言った事が、本当だとしましょうよ。そのタイムスリップも実は事故で、それでジェーンがこっちに来てしまったんだから、この世界では有罪にならないとしましょうよ。まだそれは保証出来ないけどね。でも、え?帝国立大学院出身だったっていうことは、嘘だったの?三年前に来たんでしょ?そんな、三年しかないのに。」


「ははは、その件は嘘ではありません。爆発と共に、この世界に着き、その時に体に受けた傷が癒えてから、バラバラになった機体を回収しました。幸い、不時着したのが七つの孤島でしたから、あの場所に住居はありませんし、誰かに見られることは無かった。少し、不気味な雰囲気では、ありましたが……それはいい。兎に角、機体を回収してから考えたことは、どうやってこの世界で食べていくかということでした。財布は持っていましたが、私の世界の紙幣は、この世界では紙くず同然でした。私には研究しかありませんから、この時代で、一番優れた大学の学位を得る為に受験して、半年で大学院に進み、卒業しました。その間、日払いの仕事に就き、死なない程度に食いつないだことについては、あまり美しい話ではないので、聞かないでください。」


 ああ、なんて話なのだろう。そうだ、彼からしたら急に別世界に飛んじゃったんだから、大変だったに決まっている。こんな事が実際に起こり、彼に降りかかった災難を想像するだけで、胸が痛かった。疑っていたことを少し反省しながら、彼の隣へと移動して座り、彼を見つめて言った。


「ジェーン。」


「はい?やはり信じがたいですか?」


「いや、今までよく見知らぬ世界で一人、その事実を隠しながら、生きてきたんだなと思うと、胸が痛いよ。このことは誰にも言わなかったの?」


「誰にも言いません。ですからあなたも言わないでください。特に帝国研究所の者たちには。彼らが知れば、私を研究対象をして見るに違いありませんから。それに、この世界の衛兵である騎士団に知られれば、私が何らかの罪に科せられる可能性もあります。」


「そ、そうだね。今の話は、我々だけの秘密にしよう。誰にも知られてはいけない、ジェーンを守る為に。」


「あ、ありがとうございます。」


 ジェーンは私が理解してくれたことにホッとしたのか、今までにない安堵の笑みを漏らした。それもそうだ、急に別世界に来て、自分の本当のことを隠してきたのだから、誰かにだって、何度となく話したかったはずなのだから。ここで私が彼のことを分かってあげなくては、どんなに彼にとって辛いことか。私だって彼を助けたいと思う、まだ出会ってから日は浅いが、それでも日々の業務の中で、彼が幾度となく助けてくれたし、私に謎の過保護を発動してくれている。それは本当にいらないけど、感謝はしているので、彼の力になりたいと思った。


「ジェーン、突然元の世界との別れに、大怪我もして、それから慣れない世界での生活、日払いの仕事はきっと体力の使う業務だっただろうし、とても大変だったね。」


「いえ、そこでですが。」


「え?」


 そうだった、彼はそれが言いたい訳じゃないんだ。

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