「歩くドリーム小説」

 この世には『ドリーム小説』というものが存在する。

『夢小説』とも呼ばれるし、本来は『名前変換小説』の亜種だとも聞いたことがある。

 どういった小説かというと、『名前変換小説』の場合、まず読者は最初に主人公の名前を入力する。大抵、読者自身の名前を入力する。

 するとラブストーリーが始まる。

 お相手は、アイドルだったりミュージシャンだったりコメディアンだったり、あるいはアニメのキャラクターだったりするが、彼らは台詞の中で主人公である女子を呼ぶ時、貴方が最初に入力した名前で呼びかけてくれるのだ。

 リアルライフでは絶対にエンカウントできない、雲の上の存在が、ドリーム小説の中では貴方の名前を呼んで甘い言葉を囁いてくれる、まさに夢のようなひととき。



 私の名前は歩夢あゆむ、年齢は明記しないが、『アラフォー』と言いたくないので『三十路』という言い回しに固執するお年頃だ。

 外見はパッとしないし、長らく彼氏も彼女もいないし、もちろん独身。

 学生時代の友人達は、バリバリ働いているか、結婚して主婦をしていたり、出産して育児に精を出したりしており、遊べる相手がごっそり減りつつある昨今だ。

 

 私といえば、小規模な英会話スクールで英語講師をしていて、それもガッツリ働いているわけでもなく、生活できる最低限の収入だけで、プライベートの時間を優先している体たらくである。

 英語がだけが取り柄、といったところだが、生来のパーソナリティと昔アメリカにいた経験から、


 ・人見知りをしない

 ・どんな相手でもコミュニケーションが取れる

 ・緊張しない

 ・物怖じしない


 という特性がある。

 そしてこれらのアビリティが、十代の頃から、友人どころか知人や親戚筋、同じ学校の他人、職場の接点のない同僚等々から、私にこんなニックネームを冠した。


『歩くドリーム小説』


   ◆


 最初は小学校の修学旅行でのことだった。

 新潟にスキー旅行に、関東の小さな小学校から六年生のみが向かったのだが、いかんせん僻地の学校だったので、皆おしなべてスキーが下手で、普段スポーツが得意な男子も苦戦していた。

 私といえばもともと運動音痴で、加えて人生初の大寒波に圧倒されてしまい、ほとんどゲレンデには出ずに休憩所のようなところでひとりぼーっとしていた。

「滑らないの?」

 ヘッドセットなどとうの昔に脱いでいた私に、誰かが声をかけてきた。もし教師にサボっているのがバレたら面倒だな、と思いながら振り返ると、見覚えのある男性が微笑みかけてきた。

「スノボじゃなくてスキーなんだね。スノボの経験は?」

「ないです。興味もないです」

 私はばっさりと言い切った。

 すると、日本のトップアイドルグループ『DEGARASHI』のメンバー・松宮くんはくすくすと手を口に当てて笑った。

「小さいのに芯が強いんだね。お名前は?」

歩夢あゆむです」

「歩夢ちゃん、よかったら俺がスノボ教えようか? 俺の連れもいるんだ、一緒に来ない?」


 修学旅行なんていう団体行動にもスキーにも寒さにも嫌気がさしていた私は結局松宮くんについていって、DEGARASHIの他のメンバーにも可愛がられ、松宮くんにスノーボードを教えてもらった。何故だかスノボはスキーより性に合い、今でもたまに滑りに行く趣味となった。

 松宮くんとも連絡は取っていて、超多忙なスケジュールの合間を縫って、今はボルダリングを習っている。


   ◇


 中学校に上がった私は、テクノロジーの進化=スマホアプリのおかげで、幼少期をアメリカで過ごしたことで得た英語力をブラシュアップすることができた。

 繰り返すが私が住んでいたのは関東圏の僻地、電車は単線だったし一番近いセブンイレブンまで徒歩四十分である。もちろん、英語を話す機会など皆無。

 だが言語学習アプリでネイティブと話すことで、私の英語力は一気にネイティブレベルまで戻ることができた。


 そんなとある日、私は電車を乗り継いで大きな街のCDショップで買い物をしていた。私はやはり洋楽の方が落ち着いて聞けた。ちょうどロックミュージックに傾倒し始めていた時期で、地方のいち中学生の小遣いを地道に貯めて、誰のどのアルバムを買おうかとウキウキと広い店内をうろついていた。

 すると、長身でニットキャップを被り、サングラスをした白人男性がレジで何やらもめているのを発見した。

 白人男性=英語話者ではないが、私がさりげなさを装って近付くと彼は英語を話していて、店員が明らかに対応に詰まっていたので、私は余計な親切心で声をかけた。

「何かお困りですか?」

「オゥ! きみ、英語分かるの? 助かった!!」

 そう言って男性はニットキャップとサングラスを外した。

「あれ? 失礼ですが、俳優のブラッド・ダウニー・ディカプリオさんですか?」

「そうだよ。嬉しいな、俺のこと知ってるなんて」

「当然ですよ、何回もオスカーを獲ってらっしゃる。それで、トラブルは?」

 私は日本語で店員さんに聞いてみると、彼女も後から出てきたマネージャーも英語がまったく分からず、ブラッドさんが何を求めているのかさっぱり分からない、とのことだった。

「ブラッドさん、どのようなご要望が?」

「このアニメソングのCDを息子と娘用にラッピングして欲しいと頼んだんだ。息子にはこのCDでこのブルーのラッピング、娘用にはこのアルバムでこっちのラッピング、リボンはピンクでね」

 私がそれを店員さんに伝えると、マネージャーはすぐさまラッピングを始めた。五分ほどかかる、と言われたのでブラッドさんにそれを伝えた。

「そうかそうか。ちょうどいい、助けてもらったから、何枚でも欲しいCDを持っておいで。僕なりのお礼だ、プレゼントするよ」

「それは流石に恐縮です」

「ワオ、日本人は本当に欲がないね! じゃあちょっと早めのディナーを食べに行かないかい? この街は初めてだけど、もしきみがいい店を知ってれば貸し切りにして二人で楽しく過ごそうじゃないか」


 というわけで、私はハリウッドスターと行きつけのパスタ屋を貸し切り状態にして早めの食事をする運びとなった。何でもブラッドさんは、新作の役作りに行き詰まりを感じていて、気分転換にひとりで様々な国や地域を飛び回っているらしかった。


「いい出会いだったよ、歩夢。日本に来る時は必ず連絡するから、連絡先を教えてくれ。家族にも紹介したい」


 ブラッドさんがそう言うので、流れでメールアドレスを伝え、来日の度に食事などに招かれるようになり、一度はマリブの豪邸に招かれたこともある。今でもメールでのやりとりは途切れていない。


   ◇


「あ、あの、この前クラブで話した方ですよね?」

 高校に上がって私がパンクロックの世界にどっぷり漬かって、都内のライブハウスに足繁く通っていた頃の話した。恵比寿リキッドルームで、あるバンドのライブ後、荷物を片付けていたら、そう声をかけられた。

 振り返ってみると、確かに一ヶ月ほど前に別のクラブイベントで立ち話をした男子が立っていた。たしか彼もバンドをやっていると言っていたっけ。

 なんだか妙に緊張した面持ちで伏し目がちの彼に対し、私はライブで疲れたんだろうか、なんて呑気に考えていた。

「あ、この後その、空いてたりしますか?」

「空いてますよ。ただ自分は高校生なので、終電までにはおいとましますが」

 私がそう返すと、彼は顔を上げぱっと花が咲くように微笑んだ。

「じゃ、じゃあアルコール無しで、俺いい店知ってるんで、食事でも……」

「あまり高いお店ですと学生の身には厳しいものが——」

「奢らせてください!」

 そう言って彼はガバッと礼をした。

 それがなんだか愛らしく見え、私はバッグを手に、彼と共にライブハウスを出た。


 彼が連れて行ってくれたのは、私が苦手なやかましい客でいっぱいの居酒屋ではなく、落ち着いた雰囲気の創作料理を出す店で、ソフトドリンクも充実していた。

 とりあえずテーブルに落ち着いてから、改めて自己紹介をした。彼は三井と名乗った。そして、Sというバンドのシンガーで、作詞作曲も担当している、と。

「まだお若いのに凄いですね」

「いやいや、歩夢さんも趣味が渋いッスよ。リチャード・ヘルのTシャツ着てる高校生なんて見たことないッス」

「ああ、私はニューヨークに住んでいたので、その辺は愛着があって」

 そこから二時間ほどだろうか、私たちは音楽談義に花を咲かせ、連絡先を交換して別れた。

 しかしなにぶん私は恋愛経験が乏しく、三井くんが執拗にラインしてきたり、どこかに一緒に出掛けようと行ってきたり、ライブのチケットが手に入ったから一緒に見に行かないか、と誘ってくるその行為がいわゆる『口説いてきている』というものだと気づけなかった。

 そうこうしている内に三井くんのバンドはメジャーデビューし、一気に売れてあっという間に大物バンドになって、武道館ライブまで行った。もちろん私はゲストとして呼ばれていたが、私は好きな音楽には然るべきお金を落とすものだというポリシーがあるので、三井くんの誘いはお断りして、自腹でチケットを買い参加した。


『歩夢さんのそういうところってかっこよくも見えるけど、裏を返せば俺には甘えないっていうか、結局信頼されてないのかな』


 ライブの後でこのメッセージが届き、私がその意図を図りかねていると、それ以降三井くんと連絡が取れなくなった。

 恋愛経験豊富な友人によると、どうやら私は三井くんを振ってしまったらしい。

 今でも彼のバンドは精力的に活動しているので、頑張って欲しいものだ。


   ◆


 回想にふけっていたら出勤の時間になったので、私は身支度を整え、家を出た。

 駅までの道すがら、空き地を眺めて何やら必死で写真を撮っている男性を発見した。ここは都内とはいえそれほど栄えた街ではなく、住宅地が多い地域だ。空き地だって多いし、彼の服装からして行政の調査のようには見えないし、カメラマンと言うには機材が少ないように感じた。

 私は思わず彼の数歩手前で立ち止まり、真剣に大きなカメラを何度も持ち替え撮影を続ける彼を見ていた。

「——あ」

 ふとした瞬間に、彼が私に気づいてこちらを見遣った。

「ああ、すみません。怪しい者ではないです。今度この辺りで撮影をするので事前調査に……」

 彼はそう言って、薄い色の入ったサングラスを外した。

「あれ、この前日本アカデミー賞で優秀男優賞を受賞された彩瀬郷さんですよね、確か、写真がご趣味の」

「あ、はい、恐縮ですね、そう言われてしまうと」

「失礼でしたら謝罪しますが、この辺りで撮影するんですか? 映画ですか?」

「いえ、僕主演の連ドラです。あ! そうだ! この辺で美味しい食事処とかご存知ですか? よかったら教えてください、こういうのは地元の人に伺うのが一番です。なんなら今から一緒に如何ですか?」


——嗚呼、また私は『歩くドリーム小説』伝説をまた一ページ更新してしまった。

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