4-4 ゆずこしょう
「何だ、それは」
夕食時、穂香が使用した見慣れない調味料のチューブを見た直戸が訝しげにいった。
「知らないの? ゆずこしょうよ。美味しいんだから」
「道下君は知ってるのか?」
「いえ、知らないです……」
歩夢は親子どちらに加勢したらよいか分からず、小声での返事となった。そんな歩夢の取り皿に、穂香は無理矢理ゆずこしょうを盛り付けた。
「じゃあ食べてごらんなさい! 何か思い出すかもよ」
少年は穂香に気圧されて魚のムニエルにゆずこしょうを付けて食べた。
「どう?」
「うん、美味しいと思う。でも、何も思い出せないけど……」
「穂香、お前は何でも強引すぎるんだよ。ゆずこしょうなんて……」
と言いかけて直戸の言葉が止まった。
「お父さん、いったいどうしたの?」
「ゆずこ……」
「え?」
「いや、ゆずこときいて堀米ゆず子事件を思い出したんだ」
「それがどうしたの?」
「2012年夏、ヴァイオリニストの堀米ゆず子がフランクフルト税関でヴァイオリンが没収される事件が発生したんだ。数千万円の関税を払えって言われて、払うまで楽器は没収された。それまで楽器が税関で引っかかることはなかったんだが、当時はギリシャ危機でEUが金欠になってね、取れるところからはなりふり構わず関税を取っていたんだ」
「そんなことがあったの……」
「実は堀米ゆず子の事件は氷山の一角でね、当時多くの高額楽器所有者が税関に止められ、高額な関税と追徴金を払わされていた。当時ヨーロッパに高額な楽器を持ち込むことは危険だったんだ。もっともそれ以降、高額な楽器の所持者でも音楽専門家に関しては課税が免除されるルールが出来たんだが、一般旅行者が高額な楽器をヨーロッパに持ち込むのは依然として危険が伴う。だから、田中明宏……もとい、石角秀俊は偽ガリアーノの鑑定書を、その対策として使ったにちがいない」
「なんの対策なの?」
「子供の治療で金が必要だった石角は、ガリアーノを金に変えるためにヨーロッパに持ち込もうとした。だが、税関で高い税金を払わされてしまえば元も子もない。そこで本物と別に偽物を用意し、それをウチで鑑定させた。そしてその偽鑑定書と本物のガリアーノを一緒にして税関を通過することを考えたんだろう」
「でも、お金が必要ならそんな面倒なことをしなくても、普通に日本で楽器を売れば良かったんじゃないの?」
「それが、日本で売れない事情があったんだろう。つまりガリアーノの入手経路が知られることは石角にとって不都合だったと考えれば合点がいく」
「もしかして、不法な仕事の報酬……」
「おそらくそうだ。道下君がここへ来た時、チンピラがヴァイオリンを持って来ただろう。あのように借金取りがヴァイオリンを手にすることは珍しくない。その中にはガリアーノのような高額な楽器だってある。裏社会の人間がそうして手にした楽器を石角に報酬として支払ったことは充分考えられる」
「つまり、一種のマネーロンダリングですね」
と歩夢がいう。
「その通り。予めヨーロッパのどこかで口座を開設し、楽器を売った金をその口座に入金すればきれいに使える金に化ける。その口座から必要金額を治療費として振込めばいいし、最近じゃ向こうのデビットカードで日本のATMから引き出せるから、案外自由に使い放題だ」
「でも、石角という人は何をやって多額の報酬を得たのかな……」
穂香がつぶやくと、直戸も少年も同じ思いで目を宙に浮かせた。
†
直戸は石角秀俊という人物をもう一度この目で見ようと思った。そして雁屋の孫のサッカーの練習に付き添った。グラウンドに着くと、石角はすでにウォーミングアップ中で話しかけられるような雰囲気ではなかった。それでも直戸と目が合うと軽く一礼したので、直戸もそれに合わせて目礼した。
「今日は二手に分かれて紅白戦をします。練習だからって気を抜かないで真剣に勝負するように!」
石角は子供たちを二手に分け、片方のチームにゼッケンを渡した。準備が整うとタイマーをセットして早速ゲームを開始した。
「白組ディフェンス、洋一につけ!」
「目の前のボールに気を取られるな、先を読めーっ!」
石角は両チームを見ながら敵味方問わず檄を飛ばして指示を与える。
「こうして見ると、石角は純粋なスポーツ青年だに。とても不正に手を染めた人間にゃ見えんら」
「同感だ。しかしどんな人間でもひとつボタンを掛け違えればたちまち犯罪者になり得る。俺たちは仕事柄それをよく知っているじゃないか」
「まあ、ほうだけぇが」
直戸と雁屋がそんな話をしていると、雁屋の孫の遼が相手チームからボールを奪い、ゴール目掛けて駆け出した。
「よし、行けえっ!」
雁屋が興奮して叫ぶと同時に、石角がアドバイスを送る。
「遼、焦るな! じっくり行け、ちゃんと時間をかけろ!」
直戸はハッとした。有楽街で盗聴マニアがいっていたことを思い出したのだ。
──メイソンは『焦るな、ちゃんと時間をかけさせろ』と口癖のようにいってた──
そして直戸の頭の中では、ある連鎖が浮かび上がった。
メイソン → 石工 → 石積み →
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます