Aパート 1

 ――キー!


 ――キー!


 千年前、魔人王の力を受け、魔人軍の尖兵せんぺいとして生み出された種族――キルゴブリン。

 彼らが今振るっているのは、殺傷を目的とした武器ではなくクワであり……これを振るっているのも、獣や人間を模した木偶でく人形ではなく大地である。


 ――農耕!


 キルゴブリンたちは今、原始的ながらも農作業へと従事しているのだ。

 一年前までならば、考えられない光景である。


 常に上空を分厚い雷雲が多い、大地も荒廃しろくな植物が生えぬ世界……。

 それこそが、魔界の姿であり、かような土地ではいかに手を加えようとも農産業が成立するはずもないからだ。


 中には魔力に目覚め、かような土地でもたくましく芽生える植物もあったが、あくまでもそれらは例外中の例外であり、とてもではないが量を望めぬ。

 ゆえに、魔界でかてを得るというのは他者を蹴落とし、数少ない実りを奪い取ることを意味しており、時にはその他者を喰らうことで魔界の生物は命をつないできたのだ。


 ――弱肉強食。


 力こそ全てという、鉄の掟が生まれた背景である。


 それが一年前、変わった。

 魔人王の死後、突如として天空に座した太陽は暖かな光で死の大地を照らし出し……。

 元より強靭きょうじんな生命力を持つ魔界の植物たちは、それにより爆発的にその数と生息圏を増した。

 のみならず、一年という短期間で信じられぬほど進化を繰り返し……今となっては、魔界全域を実に様々な植物が覆うようになっているのだ。


 これなるは、太陽の光を得たのみでは説明し得ぬ現象であり……。

 まるで、亡き魔人王や勇者たちが駆使していた存在変換の力が、植物らに対して作用したかのようである。


 これを受けて、魔界に生きる魔人たちは――その在り方を大きく変えた。

 奪うのではない……。

 はぐくみ、分かち合う。

 一部の強者のみが全てを奪うのではなく、総員の力でもって恵みを得るようになっていったのだ。


 代表例と言えるのが、農耕である。

 その農作業ぶりは、まだまだつたなく、知識も経験も何もかもが不足しきっていた。

 それでも大地を耕し、種をまき世話をしていくと……努力に見合った恵みが返ってくるのだ。


 育てているのは、雑草とさして変わらぬような雑穀ざっこくの類であるが……いずれは地上の人間たちと同じように、麦などを育てる日もくるのかもしれない。


 変わったと言えば、魔人たちが集まる集落の様子も変わった。

 粗雑な作りの農具や、狩りで得た肉、そして忘れてはならぬ畑の恵みたちが、活発に取り引きされていく……。

 これなる光景は、かつての実りなき大地では存在し得なかったものである。

 今はまだ、物々交換でやり取りをしているが……永き時を経て成熟していけば、ここでも人間らと同じように貨幣が用いられるようになるかもしれぬ。


 太陽の光と共に……。

 魔界は、平和と友愛を手に入れつつあった……。




--




「これが、今の魔界……。

 おそらくは、勇者たちの力によって生み出された――太陽を得た魔界の姿だ」


 再建された魔城ガーデム玉座の間……。

 一人の女魔人が、魔法によって生み出された虚像に向け話しかけていた。


 美しい――魔人である。

 容姿端麗にして並ぶ者なく、もしも美術品の並びに混ざったならば一切の違和感を感じさせないに違いない。

 何しろこの女魔人は――全身の全てが青銅によって構成されているのだから。


 ――青銅魔人ブロゴーン。


 かつて愛しき人を失った憎悪に燃えていた青銅の瞳は、今は憑き物が落ちたようにおだやかな色を浮かべていた。

 以前は頭部にうごめかせていた無数の蛇を器用に束ね、後ろへ垂らしているのもそのような印象に寄与しているのかもしれぬ。


『勇者……ショウ様が太陽となり……魔界を照らし出した……。

 勇者が闇を照らし出し、この世に平和をもたらすという地上に伝わる予言が、まさしく成就じょうじゅしたということですね……』


 虚像の向こうでブロゴーンと言葉を交わすのは、人間の少女である。

 一年前に比べ少しばかり長くなった桃色の髪に、これは変わらぬ姫巫女の装束……。

 レクシア王国の象徴――巫女姫ティーナであった。


 ブロゴーンは今、亡き幽鬼将ルスカがのこした地上への経路パスを通じ、世界を隔てた会談を実現しているのだ。


「……そうだ」


 かつては互いの呪詛と魔法をぶつけ合った巫女姫の言葉に、ブロゴーンは深くうなずく。


「死闘の末、亡き陛下と勇者との間にどのようなやり取りがあったのか知るすべはない。

 だが、この玉座の間から天空に昇り太陽となったあの力は、陛下に生み出せるものでないことは確かだ」


『ショウ様は、ただ戦いを終わらせるだけでなく……全てを救う道を選んだのですね……」


「そう……我らは救われた」


 再び、虚像の中に魔界各所の姿を映し出しながらブロゴーンが相槌あいづちを打つ。


「見てもらっての通り、もはや魔界はこの世界だけでやっていけるだけの豊かさを手に入れた……。

 今後、地上を狙うことはないと断言できるだろう。

 いや、そのようにしてみせる。

 亡き陛下に代わり、魔界を統べる身となったこの私がな」


 無機物で構成された青銅魔人の顔に浮かぶのは、尋常な生命を持つ者となんら変わるところのない決意である。

 いかに疑い深い者であっても、これを見て先の言葉を疑うことはかなわなかった。


「仕掛けた側でありながら、誠に身勝手な言い分であることは分かっている……。

 その上で、宣言しよう。

 人間と魔人との戦いは終わった。

 今後、地上と魔界が交わることは二度とない」


『その言葉、信用するに値すると判断します』


「では――さらばだ」


 地上へ伸ばされた経路パスごと魔法を打ち切り、虚像を消し去る。

 これで正真正銘、二度と地上と魔界がつながることはなくなった。


「ふう……」


「ぐ……ぐす……っ」


 大任を果たしほっと息をつくブロゴーンの背後で、むずがる声が上がる。


「あら、あらあら……長くなってごめんね。

 ご飯にしましょうね……」


 慌ててそちら……赤ん坊用のゆりかごに歩み寄りながら、女怪は優しい声でそう語りかけた。

 ゆりかごの中で食事を求めているのは、ブロゴーンをそのまま赤子にしたような……しかし、頭髪に当たる部分は鉱石の塊で構成されている魔人の赤ん坊である。

 今は亡き、鉱石魔人ミネラゴレムとの間に授かった子だ。


「すぐ用意するから、いい子にして待ってね……」


 ブロゴーンはそう語りかけながら、傍らの机に用意された材料で離乳食を用意し始める。

 メニューは、ごくごく簡単な果物のすりおろし……。


 使用する果実は、地上のリンゴにも劣らぬみずみずしさであり……。

 これは、亡き魔人王レイが愛した故郷の果実であった。

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