Aパート 2

 荘厳なるラグネア城のバルコニーには、あまりに似つかわしくない一羽のカラス……。

 魔界の代表である青銅魔人ブロゴーンとの会話が終わった後、手すりに止まっていたそれの瞳から魔性の色が徐々に徐々に消え去っていき……。

 やがて、完全にただの鳥へ戻ったカラスは、きょとりとした瞳を眼前の巫女姫ティーナに向けた後……自らにふさわしい場所を目指すべく、飛び立って行った。


 幽鬼将ルスカが、魔界から地上へ巧妙に伸ばしていた魔力の経路パス……。

 使い魔としてその中継役を担っていたカラスが任を解かれ、普通の生き物へと戻ったのである。

 これは、あらゆる意味で地上と魔界とのつながりが消え去ったことを意味していた。


「皆の者……今、聞いた通りです」


 世界を隔てての代表会談を終えた巫女姫ティーナが、背後の空間を見渡す。

 そこに並んでいるのは、王国議会議長を始めとする国の重鎮じゅうちんたちである。


 彼らがうなずくのを見届けた後、さらにティーナは脇へ控えていた書記官たちや画家たちに目を向けた。

 姫君の視線を受けた精鋭たちは、力強くうなずいてみせる。


 今、交わした会話の一言一句……。

 そして、魔力によって形成された虚像の中に写された光景の数々……。

 それらは余すところなく、記録として残されたのだ。


 会話録や絵画はいくつも複製を作られ、海運網を通じて各国へ届けられる手はずとなっている。

 復活した魔人との戦いについて、注意深く動向を見守っていた国々に対する心づかいであった。


「では――当代巫女姫ティーナ・レクシアが宣言します!

 ここに、魔人族と人間との千年を超えた戦いは終結しました!

 この戦いに、勝者はいません……。

 ただ、平和は戻りました!」


 ティーナの言葉を、その場に参じた者たちが万雷の拍手で迎える。

 一年前……。

 勇者の討ち入りと共に魔人王の極光オーロラが消失してから、そうであろうという観測はあった。

 それが今――事実として確認されたのである。


 この一年、レクシア王国は魔人との戦いで負った傷を回復するべく、様々な施策を強力に推し進めてきたが……。

 此度こたびの会談はその効果を何倍にも増幅させ、王国経済の再生にはずみをつけることであろう。


「平和は勇者様が勝ち取って下さいました……。

 ここからが、わたしたちの仕事であり、正念場であると心得てください。

 それでは、各自解散とします!

 戦いが集結した事実を得て、各々おのおのにできることを最大限まっとうしてください!」


 ――ははっ!


 ティーナの言葉に力強く返し、重鎮じゅうちんたちが退出していく……。

 これから数日の間、彼らは寝食しんしょくを惜しんで走り回ることになるだろう。


 それは、号令を発したティーナ自身も同じであるが……。

 今ばかりはそれを忘れ、再びバルコニーの景色を眺めた。


「ショウ様……」


 我知らず、この平和をもたらしてくれた勇者の名をつぶやく……。

 あれから一年……。

 残された人々は、それぞれの道を歩んでいた。




--




 その日のラグネア城中庭を言葉で表現するならば、これは、


 ――壮観。


 ……という他にないだろう。


 普段は練兵場としても使われている土舗装の中庭は、小石一つ見当たらぬほどに清掃され、そこにずらりと完全武装の騎士たちが居並んでいるのだ。


 王国の警らを預かるのも騎士の職務であるため、さすがに総員がここに集ったわけではないが……実に七割もの騎士が集まっているのだから、この会合の重要性がうかがい知れる。


 そう、これは会合だ。

 だが、言葉を発する者はいない。

 私語が存在しないのは当然のこととして、一同を見渡せる壇上の騎士団長ヒルダですらひと言も発することなく、ただ直立不動のままここに待機しているのだ。


 一種異様とも言える空気が変わったのは、一人の文官が壇上のヒルダへ駆け寄った時である。

 儀礼にのっとるならば、この文官が駆け寄ることはあり得ない。

 もっとおごそかに歩み寄り、手にしていた書簡を差し出すのがしきたりであった。


 しかし、あえてヒルダはそれをとがめることなく、うやうやしくその書簡を受け取る。

 とがめなかった理由は、ただ一つ。

 書簡に書かれた内容が、熟練の文官をして不作法に駆け寄ってしまうほど喜びに満ちた――この場に居る全員が待ち望んだ内容であると確信したからだ。


 素早く書簡の内容に目を通したヒルダが、これを脇に抱える。

 そして、朗々ろうろうたる声で騎士たちに向け語りかけた。


「――総員、傾聴けいちょうせよ!

 ……たった今、正式に魔人族との戦いが集結したと宣言がなされた!」


 ――おおっ!


 ……と、その言葉を待望していた騎士たちがどよめきの声を上げる。

 これも、ヒルダはとがめない。

 長い……長い一年であったことを誰よりもよく理解しているからだ。


 魔人王が生み出した極光オーロラが消えたのちも、王国騎士団は常在戦場の体制を維持し続けた。

 果たして、勇者が突入したのちに何が起こったのか……。

 楽観的な観測をすることはたやすい。

 しかし、あえて最悪の事態を想定し、勇者を欠いた王国騎士団のみでもこれを迎え撃てるよう警戒と鍛錬を怠らなかったのである。


 常在戦場と、一口に言ってもこれを維持し続けるのは至難のわざだ。

 例えば、ここに居る騎士たちが身に着けている鎧であるが、これは魔人族が再動する前の市街警らでは身に着けていなかった。

 実用性一点張りな金属鎧の着心地など論ずるまでもなく、街の犯罪者などを相手取るのには完全に過剰な装備だったからである。


 鉱石魔人ミネラゴレムの一件からはこれを改め、常に完全武装した状態で任に当たることを徹底し、さらに昼夜問わずの巡回警らを大幅に増加したわけだが……。

 これが、騎士たちにとってどれほどの負担であったかは想像するに余りあった。

 魔人族が復活してからの王都治安は、王国騎士たちの大いなる自己犠牲によって守られてきたのだ。


 それも、魔人戦士たちが襲来していた時期はまだいい……。

 極光オーロラも消え、魔人も現れず、勇者が魔人王を討ち果たしたという希望的観測がまことしやかに語られる一年……。

 たった一年。

 されど、一年だ。

 この間、油断せず警戒体制であり続けた高い士気……。

 地味ながらも、それこそが王国騎士最大の強みであると言えるだろう。


 そして、その立役者こそが壇上の騎士団長ヒルダなのだ。


「皆、これまでよくやってくれた!

 姫様に代わって、私から礼を言おう!

 諸君らこそ、レクシアの誇りだ!」


 ――おおおっ!


 敬愛する騎士団長の言葉に、騎士たちが一年越しの勝ちどきを上げる。

 その様子を壇上のヒルダは、満足気にうなずきながら見守っていた。


 騎士団長ヒルダ……。

 彼女と彼女率いる騎士たちがいれば、王国の平和は安泰あんたいであろう。

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