Bパート 7

 ひどい風邪をひいて何日も寝込んだ後……。

 いざそれが治ってみると、明らかに体中がだるくで疲労がたまっているのに……まるで全身の細胞が入れ替わったかのような、なんとも言えぬ爽快感があったのをよく覚えている。

 無理矢理に改造手術を施され、病気になれぬ体となる前の話なので、もう半世紀以上も前の思い出になるけども……。


 ともかく、目覚めたおれを襲ったのは、そんな若き日とほぼ同様の体験であった。


「勇者様! お目覚めになりましたか!?」


「おれは……何日眠っていたのだ?」


 おそらく、眠っているおれの世話や看病をしてくれていたのだろう……。

 ベッドの傍らで濡れ布巾を絞っていた王宮侍女――サーシャさんに、開口一番そう尋ねた。


 この場所がどこかなど、聞くまでもない。

 王城ラグネア内に割り当てられた、おれの私室である。

 先日……。

 おれは宿敵たる大将軍ザギとの死闘に――勝利した。

 総指揮官であり、精神的支柱でもある奴を失った魔人軍に負ける王国軍ではない。

 あの決戦は勝利に終わり、力尽き眠るおれをここへ運び込んでくれたのだと推察できた。


「決戦の日から数えれば……およそ一週間になります」


「一週間か。

 夢うつつの中、長く眠っている実感だけはあったが……我ながらよくぞここまで眠りこけたものだな」


「それだけのご活躍をなさったと、うかがっております」


 笑顔で水の入った杯を差し出すサーシャさんから、ありがたくこれを受け取り飲み干す。


 ――美味い。


 これほど美味い水を飲んだのもまた、半世紀ぶりであるかもしれなかった。


「今は……夕刻にさしかかる頃か。

 それだけの時間が経っているとなると、魔人族の次なる手が心配になってくるが……。

 おれが眠っている間、何か変事はなかったかな?」


「それが……」


 おれの言葉に、サーシャさんの笑顔が曇る。

 不安は的中だ。

 ザギほどの男を失って、魔人族にいささかの動揺もないとは思えぬ。

 しかし、これまでの事件を考えるならば奴らはなんらかの方法でこちらの様子をさぐっているとうかがえた。


 となれば、おれが動けぬことなど筒抜けである。

 その機に乗じ、新たな魔人戦士を送り込んでくることは寝起きの頭でも想像がつく。

 しかも、ヌイから聞いた話によれば魔人王の復活は目前であるのだ。


「一体、何があったのか……。

 簡潔に説明して頂けるかな?」


「はい」


 かくかくしかじかと……。

 おれはサーシャさんの口から、王都に現れたという怪奇なるクモ男にまつわる事件のいきさつを聞く。

 そして、ティーナがそれにいかなる策を講じたのかも……。


「おれもすぐに出よう! 着替えを用意してくれ!」


「かしこまりました!」


 病み上がりの体にムチを打ち、素早く身支度を整え城内の厩舎きゅうしゃへ向かう。

 レッカが現場に参じている以上、誰かの馬を借りて足にする必要があった。


「それでは、借りていくぞ!」


「お気をつけて!」


 騎士見習いに見送られながら、おれは年輪を経て乗り手を選ばぬ知恵と落ち着きを身に着けた老馬を駆けさせる。


 ――クモ男、か。


 ――まさか、な。


 サーシャさんから聞いた新たな魔人の姿に、これも半世紀ぶりの記憶を思い起こしながら……。




--




「――シャー!」


 バカの一つ覚えというべきか……。

 追い込まれたクモ男が見せた行動はと言えば、クモ糸を吐き出しての逃亡であった。


 ここまでの逃走劇で相当量の糸を吐き出してきているはずだが、その体内貯蔵量に限界はないのか……。

 矢弾もかくやという勢いで、周囲の無人倉庫へ向けて糸が吐き出されていく。

 しかし、それが倉庫の壁に触れることはなかった。


「――シャ!?」


 クモ男が、驚愕きょうがくの声を漏らす。

 もしもこやつに備わっているのが巨大な複眼でなかったのならば、きっと目を見開いていたに違いない。


 吐き出されたクモ糸が貼りついたもの……。

 それは光り輝く、魔法障壁であった。


「……逃がしませんよ」


 聖杖せいじょうを模して新造されたロッドを突き出しながら、ティーナがそううそぶく。

 光の魔力を紡いで生み出す障壁は、呪詛のたぐいには強くとも、さほどの物理的防御力は存在しない。

 しかしながら、クモ糸を貼りつかせてその意図をくじくには十分な硬度を有していた。


 さらに、今この場でそれを行使するのは光の魔法に関する第一人者と呼ぶべき巫女姫であり、クモ男がいかに素早く糸を吐き出そうと即座に対応するのが可能なのだ。


 魔法障壁はただちに解除され、行き場を失ったクモ糸がべちゃりと地面に落ちる。


「シャ!? シャシャ!?」


 クモ男が動揺したスキを見逃す王国騎士団ではなかった。


「かかれ!」


「おう!」


 騎士団長ヒルダを先頭に、次々と抜剣しながらクモ男へ襲いかかる!


「――シャ!? シャ!? シャ!?」


 クモ男はかつて見せた見事な身のこなしで切り抜けようとしたが――これは上手くいかぬ。

 欲望のままに平らげた料理……。

 そこに仕込まれた毒は、確実にその身をむしばみ、動きを大きく鈍らせていたのである。

 余談だが、用いた毒は有毒植物の根やフグ毒を調合したものであり、これを食って即死しなかっただけでも大したものであった。


「――しっ!」


「――シャッ!?」


「――せあっ!」


「――シャシャアッ!?」


 ヒルダたちの振るう剣が、次々とクモ男を捉えていく!

 この場に参じたのは、ただの騎士たちではない……。

 いずれもが光の魔力で身体強化が可能な、竜騎士資格保有者たちである。

 斬撃の鋭さと重みは一般的な騎士の比ではなく、クモ男の甲殻を切り裂くには至らずとも、徐々に徐々に……その内側へ鈍い痛みを浸透させていった。


『今じゃ! 皆の者離れよ!』


「……撃ちま……す……」


 騎士たちの猛撃にクモ男がたじろいだ瞬間、距離を置いて見守っていたドラグローダーとヌイがそう宣言する。


「散開!」


 ヒルダが号令の下、騎士たちは素早くクモ男から距離を取り……。

 その瞬間、ローダー得意の火球とヌイが構えるバリスタの矢が撃ち放たれた!


「――シャッ!?」


 クモ男はどうにか身をひるがえし、これを回避しようとしたが……。

 それを阻んだのは、またしても魔法障壁である!


「……逃がさないと言ったはずです!」


 これを生み出したのは当然――ティーナだ!

 本来防護の術法である障壁はクモ男の至近に展開することでその動きを妨げ、回避運動を阻害してのけたのである!


「――ゲハー!?」


 火球と弩砲どほう矢の直撃を受け、クモ男は無様に吹き飛ばされた。


 ――勝機!


「――レッカ様!」


『――おうよ!』


 巫女姫の声を受け、竜翔機りゅうしょうきがバイクモードへと瞬時に変形する。

 これにティーナがまたがると、爆発的な駆動音が響き渡った。


 ――グオン!


 ――グオン! グオン! グオン!


 ティーナが見よう見まねで操縦桿を操り、ドラグローダーに内包された恐るべき力を開放していく。

 ここから放たれるは、竜翔機りゅうしょうき最大の必殺技!


「ローダー――――――――――」


『――――――――――バーニング・ストーム!』


 わずか数メートルの走行距離で最高速に達したドラグローダーが、伸縮していた首を展開し、部分的に機械竜本来の姿を取り戻す。

 そして大きく開いた口腔こうくうから、無数の火球を吐き出したのだ!


「――シャ!? シャ!?」


 どうにか立ち上がったクモ男であるが、これだけの火球に殺到されてはどうにもならぬ。

 周囲へ着弾した火球によってその動きは完全に封じられ、また、直撃した数発は堅牢な甲殻にヒビを入れていた。


 そして――本命たるドラグローダー最高速での体当たりが、怪奇なるクモ男の真芯を捉えたのである!


「――ゲッハー!?」


 断末魔の叫びを上げながら、クモ男がまたもや吹き飛ばされた。


 ティーナたちの勝利だ。

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