Bパート 6

 空を飛び回るハネトカゲ共といい……。

 地を駆けながらこちらに追いすがらんとする鎧姿の者たちといい……。

 本気でかき集めれば、これほどの数に達するのか……っ!?


 建物から建物へ、クモ糸を吐き出しては自信を振り子のように扱って高速移動していく……。

 そのようにして逃走しながらテラースパイダーが考えるのは、その一事であった。


 ようやく人気のない区域を見つけ出し、そこに降り立つ。

 さて、どこかに隠れてやり過ごすか……。

 そんな風に思っていると、


「いたぞ!」


「逃がすな!」


「竜騎士たちにも合図を送れ!」


 たった今まいたのとは別の一団がどこからともなく駆けつけ……。


「シャー!」


 やむを得ず、再び振り子の身となるのである。

 そんなことを、この短時間で何度繰り返したことか……。

 しかも、気がついてみれば自分を追いかけるのはハネトカゲと鎧の者たちだけではなくなっていた。


「女の敵!」


「腐ったトマトでも喰らいな!」


 その形相たるや――悪鬼羅刹あっきらせつ

 道行く女たちがこちらに気づくと、石ころやら何やら……とにかく手近にある品物を手に取り投げつけてくるのである。


「――シャシャッ!?」


 これは、たまらない。

 俊敏さを身上とするスパイダーであるが、何しろその移動方法はクモ糸に振られての振り子運動だ。

 身をよじる……。

 あえて今使っているクモ糸を断ち切り、素早く別の糸を吐き出して軌道を変更する……。

 多様な手段で回避に努めるが、投てき物の数が多くなればかわしきれぬものも出てくる。


「――シャー!? シャ!? シャ!?」


 テラースパイダーの全身は頑丈な甲殻に覆われており、その程度で痛痒つうようを感じるはずもない。

 しかし、本気の殺意が秘められたそれらは

彼の心をえぐり、徐々にくじいていくのに十分な威力を有していたのであった。


「ほら! 男共も黙って見てないで手を貸しな!」


「お、おう……!」


「お母さん! 石なんか投げていいの?」


「アレに関しては、言いっこなしだよ!」


 もはや、女だけと言わず男も子供たちも全てが敵に回り、率先して物を投げつけてくる……。

 当然ながら、ハネトカゲや鎧の者たちもこちらを追う手を休めることはなかった。


 ――孤立無援。


 四方八方、全てが己の敵である。

 テラースパイダーは今、数というものが持つ脅威をその身で存分に味わっていた。

 一人一人ならば……あるいは数人くらいならば、なんということもなく簡単にあしらえる。

 しかし、それが十となり百となり……千を越えればこれはどうか。


 ――とにかく、少しでも気配が少ない方を目指していくしかない!


 クモ糸を操り、人海の厚みが薄い方目指して必死に飛び回っていく……。

 その動きはさながら、巣穴からいぶし出され慌てて外へ逃げ出すアナグマのごときであった。




--




 果たして、何を見い出したのか。

 怪奇なるクモ男を追っていた竜騎士たちはあさっての方向へ飛翔していき……。

 地上から追跡の任に当たっていた徒歩かちの騎士たちも、上空からの立体的支援を失い瞬く間にこれを見失ってしまう……。

 まるで扇動せんどう者でも混ぜられていたかのように攻撃的だった一般市民も、ここまで来ればその姿を見かけられなくなる……。


「シャー……シャー……」


 肉体的な疲労はともかく、精神的負荷が大きかったのだろう……。

 ようやく振り子運動から解放されそこに降り立ったクモ男は、大きく息を吐き出すとその場にへたり込んだ。


 遠くからは海鳥の鳴き声が聞こえ、潮風の匂いが鼻をくすぐる……。

 クモ男が降り立った場所……そこは、港湾施設群再整備計画に則り、それまで存在した建物が取り壊された空き地であった。


 周囲には再利用を見込み残された物流用の倉庫が立ち並んでおり、さながら三方を囲む倉庫を壁としているかのような空間である。


 クモ男は、しばらく空き地の真ん中でへたり込みつつ息を整えていたが……。


「ゲヘ……ゲッヘゲッヘゲッヘゲッヘ……」


 やがて、己が追跡劇の勝者となった実感が湧いてきたのか、一人悦に入り笑い始めたのであった。

 そして、ひとしきり笑った後……。


「――シャ!?」


 ようやくにも、空き地の中へ置かれたそれに気がついた。


 果たして、何者がどのような目的でそれを置いたのか……。

 そこにあったのは、立食用の机と――その上に配された豪勢な料理だったのである。

 料理はいずれもが贅の限りを尽くしたものであり、場所がこんな空き地でなければ、王宮の食卓に呼ばれたのかと見まごうほどだ。


「――シャシャ!」


 クモ男はこれに――飛びついた!

 野生のクモさながらの俊敏な動作で机に近づき、存分にこれを検分したのである。


「シュルシュルシュル……」


 やがて満足したのか……これに食らいつく!

 何しろ、王都中を逃げ回ったのだ。

 いかに怪物の身とはいえ、腹も減るし喉もかわく。

 クモ男は凶暴な口器を開くと、大いに料理を食らい、同じく置かれていた酒瓶をあおったのである。


「ゲッヘゲッヘゲッヘゲッヘ……!」


 あっという間にこれ食べ尽くし、満足そうに腹を叩いていたクモ男だったが……。


「――ゲヘ!?」


 次の瞬間、異変が彼を襲った。


「シャー!? シャー!?」


 いかにも苦しそうに腹を押さえながら、空き地の上を転げ回る……。


 ――毒だ!


 料理か酒か、はたまた両方か……。

 強烈な毒が、仕込まれていたのである!


「シュ、シュルシュルシュル……」


 それでも、さすがは怪物の生命力か……。

 クモ男は身を震わせながら、どうにかその場に立ち上がった。


 ――今こそ、攻撃の時!


「放て!」


「ん……!」


 倉庫の壁に開けられていた穴からこれを見ていた巫女姫ティーナが号令の下、ヌイが運び込んできたバリスタの発射かんを引く。

 放たれた矢は同じく壁に開けられていた穴から飛び出すと、狙いあやまたずクモ男の背に直撃したのである!


「――ゲー!?」


 強固な甲殻に身を覆われたクモ男であるが、攻城兵器の直撃を受ければこれはたまらない。

 貫通こそしなかったが、衝撃と痛みにもだえながらまたもその場を転げ回ることになった。


『ようし! いくぞ!』


 ドラゴンモードの竜翔機りゅうしょうきが、倉庫の壁を紙か何かのように破ると空き地へ向けて突入していく。

 それにティーナが、ヒルダが、ヌイが、スタンレーたち騎士隊が続いて行った。


「――シャ!?」


「まんまと追い込まれましたね……」


 倒れながら驚きこちらを見やるクモ男に、ティーナが冷たい言葉を投げかける。

 そう、クモ男自身はそう思っていなかっただろうが、実のところこやつは己の意思でこの空き地へ降り立ったわけではない。


 ――アナグマ狩りの計!


 猟師はアナグマを狩る際、巣穴をいぶすことで獲物を追い出し仕留めるという……。

 これはその、応用だ。

 あえて追跡網に薄い部分を作り、巧みにこの場所へと誘導する……。

 クモ男は新鮮な空気を求めるアナグマのように、我知らずここへ逃げ込んできたのだ!


 ティーナたちは先回りし、かかるとは思えぬものの毒餌を用意すると、隣接する倉庫へ隠れ潜んでいたのである。


 その効果は、ばつぐんだ!

 毒によってクモ男は大いに弱り、周囲を気にせず戦える場所で精鋭たちを相手取る羽目になったのである。


「さあ、いよいよもって死ぬがいい……!」


 まるで、視線だけで心臓を射抜くかのような……。

 壮絶な表情を浮かべながら、ティーナがそう宣言した。

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