Bパート 1

 勇者のマフラーを髣髴ほうふつとさせる赤色に染め上げられた鎧は胸当て、手甲、脚甲など必要最小限な部品で構成されており、装着者の体力をかんがみていることがうかがえる。

 とはいえ、海上貿易網を駆使し最高品質の素材をかき集め、さらに王都でも腕利きで知られる職人が仕上げたそれは軽量でありながら頑丈さ比類なく、随所に彫り巡らされた魔法文字ルーンの見事さは美術品としても通用するほどであった。


 特別にあつらえられた少女騎士制服の上からこの鎧を装着し、ラグネア城玉座の間で凛々しい立ち姿を披露していたのは他でもない――国の象徴たる巫女姫ティーナである。

 特徴的な桃色の髪は後頭部で結わえられ、馬の尾がごとく垂らされていた。


「ひ、姫様……そのお姿は一体!?」


 圧倒的かつ立体的な機動力を駆使し、逃亡するクモ男にまんまと逃げおおされ……。

 一時王城に帰参した騎士団長ヒルダは、ティーナが見せたこの出で立ちに度肝を抜かれることとなった。


 ヒルダが驚くのも無理はない……。

 ティーナが装着している専用の鎧は、用意こそされど実戦での使用を想定したものではなかった。

 それが証拠に、先日に行われた大将軍ザギが率いる軍勢との決戦時にもティーナはこれを身に着けてはいない。


 神官団を率い、軍の最後方に位置するティーナのところまで敵が押し寄せているという状況は、これすなわち王国軍の敗北である。

 そのような事態に陥ったならば、これはもうティーナだけでも全力で逃がさねばならぬ。

 となれば、いかに軽量とはいえ鎧など重りにしかならぬため、ティーナはいつも通り巫女姫伝来の装束に身を包んで戦いにのぞんだのであった。


 その巫女姫が今――鎧を身に着けている。

 それは、此度こたびのクモ男事件において、彼女自らが前線に立つ決意を固めたことを意味していた。


「一体も何もありません……!

 ヒルダ、わたしもあの大変態クモ男を倒すために戦います!」


 事実、主君の口からもたらされたのはその推測を裏付ける言葉だったのである。

 いや、わざわざ「大変態」などと付けたのはよく分からないが……。


「姫様……何をおっしゃるのです!?

 前線に立ち、敵と戦うのは騎士の役割……!

 大事な御身おんみを危険に晒すわけにはいきませぬ!

 そもそも、そのようなことを議会が許すはずが……!」


「誰にも文句は言わせません!」


 その時、ティーナが発した怒気のなんとすさまじいことであろうか……。

 とてもではないが、生来病弱で小柄な少女の発したものとは思えぬ。

 柳眉りゅうびを逆立てた顔に宿るスゴ味たるや、悪の組織を率いる頭領と言われても納得しかねないものであり、騎士団長の身でありながら思わず一歩しりぞいてしまうほどだったのである。


「あの変態は……変態は……っ!」


 わなわなと、ティーナが両肩を震わせた。

 見れば、片隅に控えた王宮侍女たちが何やらひそひそと耳打ちしあっており、これは逃走方向から考えても何かがあったのではないかと推察できる。


「――ゆ゙る゙ざん゙!」


 巫女姫の口から、年頃の少女が決して出してはいけないドスのきいた言葉が吐き出された。

 声に満ちた迫力たるや、これは勇者が健在でも止めることなど不可能であると、その場にいる全ての人々が悟るに十分なものだったのである。


「さあ、早速対策を協議しますよ!」


 聖杖せいじょうを模して新造されたロッドを受け取りながら、巫女姫がそう宣言した。




--




 完全装備の騎士たちが、王都の隅々に至るまでを二人一組で巡回し……。

 ただ見回るばかりでなく、市井の人々に声をかけては目撃情報などを集めていく……。

 地味ながら、確実。

 地球もこの世界も関係ない、犯罪捜査における満点解答が王国軍の見せた初動である。


剣呑けんのん剣呑けんのん……外はおっかない顔した騎士さんたちが、そこら中を歩いていやがるぜ」


 に掘られた穴から這い出し、酒瓶をかざしながら、俺は王都の親愛ならざる隣人と化した配下――テラースパイダーにそう声をかけた。


「シャーッシャッシャッシャ!」


 放り投げられた酒瓶を受け取ったスパイダーが、言葉にならずとも愉快そうな声を上げながらこれをあおる。

 屋敷中の木窓は全て閉ざされているが、俺にもこいつにも、そんなものはいささかも障害とならなかった。


 テラースパイダーに俺が入れ知恵し、潜伏先として選んだ場所……。

 それは大胆にも、貴族や豪商の屋敷が集う高級住宅街のド真ん中であった。

 いかなる状況下においても、派閥争いや蹴落とし合いが発生するのは人の世におけることわりである。

 この屋敷は、俺たち魔人族の再動に対応しきれず失脚したさる商家が手放したものだ。


 バブル崩壊、しかり……。

 リーマンショック、しかり……。

 世が乱れれば、急速に苦境へ陥るのが不動産業界であり、それは当然ながらこの世界でも変わらない。

 この屋敷も、手放したはいいが魔人族復活の影響で買い手は付かず、無人家屋かおくと化していたのである。


 木を隠すなら、森の中。

 改造人間を隠すなら、人の中だ。

 王国軍は再開発が進んでいる港湾部を重点的に捜索しているようだが、そのくらいの動きは俺にも読めるというわけである。


 もちろん、我らがスパイダー君のウェブスイングを駆使しようと、普通に出入りしたんじゃ目立ってしょうがない。

 ニューヨークみたいに高層ビルが立ち並んでるならまだしも、この街じゃ三階建てもあれば「見上げるような高さ」と表現されるくらいだからな。


 そこで利用したのが、下水道だ。

 ここ王都ラグネアには、上下水道が完備されている。文明レベルを考えれば大したものだ。

 これを、使わせてもらった。

 再生したテラースパイダーは、オツムの出来こそサッパリだが、肉体的能力に関しては問題なく再現できている。

 数トンの自動車を苦も無く持ち上げる腕力を駆使すれば、下水道をぶち抜いてこの屋敷に繋がる穴を開けるなど造作もないことだ。


 下水道への出入り自体は港湾部の排水口を使えば、ますます捜査を混乱させられるしな。


「さーて、お手並み拝見だぜ……。

 果たしてお前たちは、いかにしてこいつを追い詰め、そして討ち果たすかな……?」


 悪の親玉らしく、とっておきのキメ顔を作りながら俺はそう独白する。


「ウイック……シャシャシャ……」


 肝心のスパイダーが自分の糸で作ったハンモックに揺られつつ、酒瓶をあおっているのがちょっと決まりきらないところであった……。

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