Aパート 5
――クモみたいな魔人? が、お魚くわえて逃げて行った!
――クモみたいな魔人? が、酒屋から酒を盗んで行った!
――クモみたいな魔人? が、屋根の上で野良猫と縄張り争いを繰り広げていた!
疑問符まじりな訴えの数々は、すぐさま王宮にもたらされた。
これを受けて、騎士団長ヒルダが発した号令はただ一つである。
「王国騎士団! 出撃!」
細々とした指示など、必要はない。
ヒルダが課してきた日々の訓練と、再編された組織体制……。
そして、数々の魔人事件へ対応するにあたって蓄積された経験により、今や王国騎士団はこのひと言で即応を可能としているのだ。
「騎士様だ!」
「騎士様が来て下さったぞ!」
ヒルダが騎士スタンレーや少女騎士ケイトを始めとした精鋭らと共に駆けつけたのは、目抜き通りの一角であった。
「……魔人と聞いたが?」
愛馬から降りつつ、ヒルダが群衆の一人にそう尋ねてしまったのは無理もあるまい。
逃げ出すでもなく……。
恐怖しおびえるでもない……。
そこに集まった人々は、好奇心と野次馬根性を剥き出しにしながらさる商家の屋根を眺めていたのである。
「あそこです!」
指を差され、どれと屋根を眺めてみれば……。
そこにそやつは、いた。
なるほど、その姿は、
――怪奇なる
……と、呼ぶしかない。
紫色の甲殻に覆われた全身と、人間とクモのそれをデタラメに張り合わせたような頭部は、魔人というより勇者ブラックホッパーに似た印象を抱かせ、これならば訴えの全てに疑問符が混じっていたのもうなずけた。
問題なのは、そのクモ男が商家の屋根に登って何をしているのかであるが……。
「シュルシュルシュル……。
――シャーッシャッシャッシャッシャ!」
なんか……酒盛りをしていた。
手にしているのは、酒屋から奪ったという酒瓶であり、つまみとしているのは鱗すら取っていない生の魚である。
酒瓶に口をつけこれを舐めては、凶暴な牙を使って魚にかぶりつく!
屋根の少し離れた場所では、縄張り争いに敗れたのだろう野良猫が未練がましい眼差しをクモ男に向けていた。
「えーと……」
その光景を見て、絶句するヒルダである。
――勇者殿が動けぬ今こそ王国騎士の意地を見せるべし!
その意気で、自ら現場へ駆けつけてきたのだ。
それで見せられたのが、窃盗酒盛り犯て……。
「あの、騎士団長……?」
「ど、どど……どうしましょうか?」
騎士スタンレーが困惑した顔を向け、少女騎士ケイトがあまりの事態に普段のどもり癖を出しながらそう尋ねる。
「そ、そうだな……」
――落ち着け!
――落ち着くのだヒルダ!
――やっていることは恐ろしく下らないが、ともあれ魔人? が悪事を働いているのである!
――ならば、なすべきことはただ一つ!
「……ともかく、見るからに人外であることは間違いない!
――王国騎士の誇りにかけて、これを打倒せよ!」
――応!
いざ下知が下れば、騎士たちの動きは早い。
手に手に持参してきた弓を構え、これに矢をつがえる。
「な、なな……流れ矢に当たらないよう、皆さんはこっちへ、ひひ非難してください!」
少女騎士ケイトが、まだどもりながらも素早く避難誘導を終えると、開戦の準備は整った。
狙うは――眼下の騒ぎなど歯牙にもかけず、シャッシャとバカ笑いしている謎のクモ男!
「――放て!」」
ヒルダの号令により、次々と矢が撃ち放たれる。
遮蔽物もなく、距離も至近!
鍛え抜かれた王国騎士らがこれを外す道理など無し!
殺到する矢の数々を見やれば、宙を舞うツバメですらこれは回避不能と思えたが……。
「――シャアッ!」
怪奇なるクモ男が見せた動きの、なんと機敏で見事なことであろうか……。
クモ男は、あぐらをかいた状態から瞬時に跳躍を果たし、きりもみ回転をしながら迫りくる矢の全てを回避してみせたのである。
「シャーッシャッシャッシャ!」
しかも、着地と同時にバカ笑いしながら酒を一舐めし、魚へかじりついた。
――明らかな挑発!
「うぬっ!」
いかなヒルダとて、こうもからかわれては瞬間的に血が沸騰する。
すぐさま矢をつがえ、再びこれを撃ち放った。
撃ち放ったが――これが当たらない!
「――シャアッ!」
「くっ……!」
「――シャシャア!」
「おのれっ……!」
ヒルダのみならず、避難誘導を終えた少女騎士ケイトも含め連続射撃を試みたが、いずれもがむなしい結果に終わったのである。
「くそっ!」
「バカなことしかしてないくせに、なんて身のこなしが軽いんだ!」
騎士たちの口から、次々に悔しがる言葉が漏れた。
「ゲッヘゲッヘゲッヘゲッヘ!」
いよいよ酒を飲み干したのだろう……。
クモ男は酒瓶を放り投げ……ようとした後に一瞬
「――シャアッ!」
そしてその口器を広げると、見た目にたがわずクモ糸を吐き出し、別の建物へこれを貼りつけたのである。
「シュルルルルル……!」
背中のマントを滑空翼がごとく活用し、建物の屋根から屋根へと猛烈な勢いで飛び移っていく!
「逃げたぞ!」
「追え!」
「この方角は――城を目指す気か!?」
ヒルダ率いる騎士たちは、慌てて騎乗しその後を追った。
--
一方その頃……。
「新たなる脅威……果たして、ショウ様を欠いた今のわたしたちに打倒できるのでしょうか?」
バルコニーから騒ぎの起こっている城下町を見下ろしつつ、ティーナはそう独白していた。
背後に控えるのは数名の王宮侍女であり、中には新人侍女ヌイの姿も見受けられる。
出撃したヒルダの力を信頼していないわけではない……。
しかし、頼れる勇者が行動不能という現状は、どうしてもティーナの心に影を落としてしまうのであった。
そやつがバルコニーに降り立ったのは、その時である。
「――シャア!」
「――きゃっ!?」
目の前に立ったその怪人は――クモ男と呼ぶしかない姿であった。
王城への訴えに語られていた魔人? と見て、疑いない……。
それが、なんの前触れもなく、突如としてティーナの眼前へと降り立ってきたのである。
「な……!?」
この事態に、ティーナの頭が一瞬真っ白になってしまったことを責められる者はいないだろう……。
「シャー……」
身動きできずにいる巫女姫へ、クモ男が舐め回すような視線を向けた。
「シャッ!」
そして、見るからに凶悪そうな爪のついた腕を振り上げたのだ!
果たして、どんな恐ろしいことをするつもりなのか――!?
「――きゃあああああっ!?」
その答えは……スカートめくりである!
クモ男はティーナのスカートに手をかけると、これを思いっきりめくり上げたのだ!
「シャーシャッシャッシャ!」
当然、すぐにスカートを押さえつけてかわいらしい下着を隠すが、これなる怪人に見られたという事実は変わらない。
バカ笑いするクモ男を、涙まじりの目でにらみつけた。
「――えいっ!」
そこへ割って入ったのが、新人侍女ヌイである。
ヌイがクモ男に放ったのは、技術も何もないごく単純な体当たりであった。
「――ゲヘエッ!?」
しかし、
まともに受けたクモ男はたまらずバルコニーから吹き飛ばされ、地上へ落ちて行く。
「――シャアッ!」
落ちていったが、そのまま地面に激突することはなかった。
クモ男はその口器からクモ糸を吐き出すと、それを城の外壁に貼りつけ見事な壁登りを披露したのである。
吐き出した糸の粘着性も
おそらく、現れた時もこうやって壁を伝いながら登ってきたのだろう……。
クモ男は時に背中のマントを滑空翼がごとく操り、外壁から城の周囲を囲む城壁へ飛び移ると、これを瞬く間に登って姿を消していく……。
「な……な……な……」
まだスカートを押さえつけ、顔を赤面させながらティーナはそれを見送るばかりであった。
「――なんなのですか!? 一体!」
そして青空に、巫女姫の叫びがこだましたのである。
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