Bパート 2

 怪奇なるクモ男の出現は、王都で暮らす人々を恐怖のどん底へ叩き起こしたか?

 その答えはといえば、これは――否であった。


「クモ男だー!」


「クモ男が出たぞー!」


「今度は揚げ物盗んで行きやがった!」


 日をまたぎ、またもどこからともなく出現したクモ男が、今度は屋台から揚げたての串揚げを奪いこれをくわえて逃走していく……。

 周囲の人々は、これに対し逃げるどころか、一定の距離は保ちつつも野次馬へ興じていたのである。


「シャーッシャッシャッシャ!」


 立ち止まったクモ男が、奪った串揚げを食べつつ両腕をぐっと突き上げポーズを取ってみせた。

 すると人々はこれに湧き立ち、中には手持ちの食べ物を投げ、くれてやる者までいたのである。


 はっきり言おう……。

 王都の人々はクモ男を――完全に舐めていた!


 何しろこやつ、働く悪事のことごとくがしょうもない代物な上に、人間へ危害を加えるということがない。

 噂話として聞く一連の事件から早くもその法則性を看破かんぱした人々は、新たな娯楽としてその跳梁ちょうりょうを楽しみ始めていたのだ。


「ねえねえ、宙返りしてー!」


「シャ?

 ――シャー!」


 遠巻きに眺めていた子供の要望に応え、クモ男がその場で見事な後方宙返りを披露する。

 歓声を浴びて悦に入っているその様は、にわかに人気の出た若手芸人か何かのようであった。


「騎士様だ!」


「騎士様たちも来られたぞー!」


 そんな風にしているところへ、巡回していた騎士たちが駆けつけてくる。

 串揚げを盗まれてから到着まで、百を数えられるかどうかという時間しか経っていない。

 これは王都を守護する騎士たちの優秀さを示す事例であった。


「皆さんは離れていてください!」


「怪物にエサを与えないでください!」


 騎士たちが、次々に叫びながら抜剣していく。


「シュルシュルシュル……」


 これに対し、クモ男が迎え撃つ構えだ!


「くらえ!」


「許さんぞ! 魔人? 族め!」


 ちょっと疑問符を交えながら、騎士たちがクモ男に剣を振るう。

 その太刀筋は、騎士団長ヒルダなどには及ばずともよく鍛えられているのが見て取れる鋭さであったが……。


「――シャ!」


「うぬ!」


「――シャシャ!」


「くそっ!」


 これが――当たらぬ。

 時に身を翻し……。

 時には跳躍し……。

 クモ男は剣撃のことごとくを、すんでのところで回避せしめるのである。

 誠に……誠にふざけたやからであるが……。

 巨大な複眼に備わった動体視力と、その身の俊敏さは本物だ。


「――シャアッ!」


 そうこうしている内に距離を取ったクモ男は、口から糸を吐き出して近くの建物へ貼りつけ、瞬く間に糸を伝うと屋根へ登り去ってしまった。


「ゲッヘゲッヘゲッヘゲッヘ……」


 そして眼下で見上げる騎士らに尻を向けると、それを叩いて挑発してみせたのである!


「おのれっ!」


「ふざけおって!」


 怒りに燃える騎士たちが、屋根から屋根へと跳び去って行くクモ男を追跡していく……。

 かくして、一帯には静寂せいじゃくが舞い戻ったのであった。


「にしても、魔人? だよな。あれ……」


「なんだって、魔人族はあんな変なのを送りつけてきたんだ?」


「さあ……大将軍がやられて、ヤケクソにでもなってるんじゃねえか?」


「それか、人手不足なのかもな」


「ちがいねえ!」


 後に残された人々は、口々にそう言い合ったものである。




--




 悪の尖兵せんぺいテラースパイダーが傍若無人ぼうじゃくぶじんの限りを尽くし、王国騎士団を大いに翻弄ほんろうしていたその頃……。

 倒すべき真の邪悪は、王都ラグネアで深く静かに策動さくどうしていた。


 策動さくどうといっても、らが働いているのは悪事ではない。

 街中に散り興じるのは、他愛のない世間話や井戸端会議のたぐいである。

 しかし、大なり小なり情報を得た後に彼女らが浮かべる笑みの醜悪しゅうあくさときたら、どうか……。

 まるで、


 ――ニチャリ。


 ……という音すら聞こえてくるかのような、粘性の高い代物なのだ。

 情報を得た彼女らが向かうのは、王都の誇りし大神殿であった。


 それそのものもまた、何一つ不思議なことではない。

 中近世程度の文明において、宗教施設というのは同時に総合娯楽施設の側面も持っている。

 神殿に拝礼し神々と精霊の恵みに感謝することは、熱心ならざる信仰者でもそれなりの頻度で行う日常行事であり、となれば、神殿周囲には彼らを相手にする茶店や供えるための物品をあきなう店が必要となった。

 結果として、大神殿周辺地区は特別な行事がなくとも常に人々が集まるいこいの場となっていたのである。


 しかし……しかし、だ。

 神殿の門をくぐったならば真っ先におこなってしかるべきであり拝礼を後に回し、迷うことなく奥まった場所へ歩みを進めるのはどういうことか?

 彼女らが向かった先に存在するのは、神殿内でもなかば忘れ去られた場所――明光みょうこうの間なのである。


 明光みょうこうの間を訪れた彼女らは、そこで待機していた女性に持参した情報を話し、足早にそこを立ち去っていく……。

 その待機していた女性もまた、問題だ。

 顔は面布めんぷで覆われており、目鼻立ちをうかがい知ることあたわぬ。

 受け付けを担当する者だけではない……。

 明光みょうこうの間でせわしなく巨大な羊皮紙に書き込みをおこない協議する女性らは、いずれもが同じように顔を隠しているのだ。


 この部屋に集う者らも、そこへ情報をもたらす者らも、ある組織に所属する構成員であった。


 ――『素晴らしき白薔薇の会』!


 端的に述べるならば、美少年美青年同士でのくんずほぐれつについて語り合い創作することを目的とした悪の秘密結社であり、魔人王ごときでは足元にも及ばない真の邪悪である!


 だが、おお……幸いなことに、今回彼女らが興じているのは語ることすらはばかられるかけ算の語らいではなかった。

 円卓に広げられた巨大な羊皮紙の正体は、ごく限られた身分の者でしか用意できない極めて詳細な王都の最新地図であり、そこに彼女らが書き込んでいるのは持ち込まれた情報や噂話である。


 世において、女同士の世間話以上に鮮度の高い情報はありえぬ。

 それを集約し書き込んでいった結果、今やこの地図には、ここ数日における王都の出来事ほぼ全てが網羅もうらされるに至っているのだ。


「やはり……ここが気になりますね」


 偉大なる大首領ティーに代わり、この場における指揮を任された会員サーが指し示したのは、貴族や豪商の屋敷が集う高級住宅街であった。


「この辺りは裕福で犬などを飼っている者も多く、道幅が広いことや治安上の問題から騎乗した騎士が通行することも多い……」


 会員サーの言葉に、他の会員たちも耳をかたむける。


「そして、散歩する犬や通行中の馬がこの空き屋敷周辺で吠えたりおびえたり、と異常な挙動を見せている……。

 そんな話が、いくつも集まっています」


 会員サーが目くばせすると、周囲の会員らも力強くうなずいた。


「動物の勘働きというものは、人間のそれをはるかに凌駕りょうがします。

 くだんのクモ男……。

 騎士団は港湾部を怪しんでいますが、この空き屋敷に潜んでいる可能性……捨ておくべきではないでしょう」


 結論が下され、王城に向けて伝令の者が走る。

 怪奇なるクモ男よ、知るがいい……。

 真なる邪悪から逃れることなど、不可能なのだ。

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