Aパート 5

 石造りの建物が立ち並ぶ夜の街……。

 屋根から屋根へ、音もなく飛び移り駆け続ける。


 ――乾いていた。


 ――火照ほてっていた。


 ――怒りに震えていた。


 太陽の光を浴びて健全な生命を謳歌おうかし、我が物顔でこの地上にはびこり生きる者たち……。

 人間に対する殺意で、頭がおかしくなりそうだった。

 本来ならば、自分たち魔人族こそがこの地上で繁栄しているべきであり、後から出てきた新参者たちがそうしているなどあり得てはならぬことなのである。


 月と星々の光という、まばゆいばかりの光源に照らされた街の中を失踪していく。

 惰弱だじゃくな人間共は、これだけ明るい状態にも関わらず視界がきかなくなるらしく、誰もが建物の中に引きこもり寝息を立てているようだった。


「――ッ!?」


 だが、時には例外も存在する。

 人間たちが騎士と呼び敬意を払う、戦士階級たちだ。

 街の中では、時折たいまつを手に巡回する騎士たちの姿を認めることができ、そういった時には屋根の上や建物の影に隠れてやり過ごしていた。


「……気のせいか?」


 これだけ感覚が鈍くて、戦士を名乗るとは片腹痛い。

 どれだけ過大に評価しても、キルゴブリン単体を少々上回る程度の戦闘能力であろう。

 屋根の上に身を潜めた己の存在に気付かず、その騎士はどこかへ歩き去ってしまった。


「……ふん」


 鼻を鳴らしてそれを見送りながら、獲物探しを再開する。

 あえて騎士を殺さず、やり過ごすのには理由が存在した。


 ――つまらぬからだ。


 今はただ、人間を殺したいという気分ではない。


 ――恐怖に引きつった顔を!


 ――怯え恐れおののく声を!


 存分に堪能たんのうし地上に生まれたことを後悔させたのち、皮を肉を臓物をぶちまけ、最大限の苦痛を与えながら絶命させたいのである。

 それを踏まえるならば、小生意気にも己へ立ち向かってくるだろう騎士という存在は獲物として不適合であった。


「……む?」


 そしてついに、獲物としてふさわしき人間を見つける。

 その男は、路地裏で壁に寄り添うようにしながら寝息を立てていた。

 ろくに洗われず脂ぎったぼさぼさの髪といい、伸び放題のヒゲといい、もはや服としてのていを成さぬぼろぼろの布切れをまとった姿といい、明らかに他の人間たちとは異なる身分に属することがうかがえる。

 彼にとって唯一の財産は肩から羽織っている毛布だろうが、それすら人間に言わせれば一銭の価値もない、という品であろう。


「…………………………」


 屋根から路地裏に跳び降り、ゆっくりとその男に近づく。


「んあ……なんだ……騎士様かい……?」


 あえて気配を消さなかったのが功を奏したのだろう。

 どうやら男は目を覚まし、こちらに顔を向けてきた。


「うるさく言わんでも、朝になったらちゃんとどきま……ん? なんだ?」


 暗中で目がきかぬなりに、必死に目を凝らしながら男がこちらを見やる。


「…………………………」


 何も言わず……ただゆっくり、一歩、二歩と男へ歩み寄った。


「こ、こりゃあ……」


 こちらが何者であるかに気付き始めたのだろう……。

 男の顔色が、徐々に変わっていく。


「――ま、魔人!?」


 そしてついに、男が真相へたどり着いた!


「ひ、ひいいやああああああああああっ!?」


 望んだ通りの悲鳴を響かせてくれたので……。

 後は楽しく、もてあそんだ。




--




 ――引きちぎり。


 ――もぎ。


 ――こねくり回す。


 なんとも言えず暖かく柔らかいを使い、存分に遊び倒す。

 その行為は、の内に存在する熱が完全に流れきるまで続けられた。


 これはもう、戦いでも狩りでもない……。

 ひどく原始的で残虐で……暗い行為であった。

 何より恐ろしいのは、自分がそれに愉悦ゆえつを感じていたことなのである。


「――ッ!?」


 ラグネア城内に存在する王宮侍女寮……。

 自らに割り当てられた部屋の寝台ベッドで、ヌイはがばりと飛び起きていた。


「はっ……はっ……」


 寝起きとは思えぬほど、その吐息は荒い。

 全身は汗でびしょびしょとなっており、せっかく譲ってもらった寝間着が肌に貼りついていた。


「今のは……?」


 小声で己にそう問いかけながら、おそるおそる両の手のひらを眺める。

 果たしてそこには――血の跡は存在しない。

 ただ、じっとりと寝汗で濡れそぼっているだけだ。

 それだけでなく、部屋中を見回しても血痕の類は認められなかった。

 恐れていたものが見受けられなかった事実に、ほっとため息をこぼす。


「……夢?」


 そして、自身をだますための言葉をつぶやいた。


「……違う」


 だが、それを否定したのもまた自分自身である。

 あの光景は、現実に存在した出来事だ。


「…………………………」


 備え付けの木窓に歩み寄り、外の様子をうかがう。

 故郷と違いこの世界は時間経過が非常に分かりやすく、空の様子をうかがえばあともう少しで太陽が昇り始めると知れた。

 それはつまり、寝入ってから今に至るまでで……十分にあの光景が実行できたことを意味する。


「ん……う……」


「すう……」


 室内に存在する他の寝台ベッドでは、先輩の同居人である少女たちがヌイの動きに気づかず寝息を立てていた。

 彼女らに一切気取られず……。

 それどころか、不寝番の任を預かった騎士たちにも誰にも気づかれず城を抜け出し、あの凶行を繰り広げる。


 ――可能だ。


 ヌイにとってそれは、造作もないことであった。


「はっ……はあっ……」


 思わず、壁にもたれかかる。


「夢……これは……夢……」


 必死で自分にそう言い聞かせようとした。

 だが、夢だと言うのならば……。


 ――この状況こそが、そもそも夢ではないのか?


 兄にも誰にもはばからず、存分に炊事や洗濯へ打ち込む。

 それこそ、長きに渡りヌイが夢想してきた生活であり、思い描いてきた年月を思えば、この一週間などそれこそうたかたの夢がごときものなのである。

 何より、自分は誇り高き……。


「あたしは……」


 ふと、右腕を見やった。

 そこに存在したのは、ヌイと名乗った少女の腕ではない。

 見るからにたくましく、戦うための力強さを備えたそれは明らかに人間のものではなく……。

 まるで血流のように赤々とした輝きの奔流が、指の先に至るまで走っていた。

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