Aパート 1

 おれがその少女を見かけたのは、孤児院の子供たちにプレゼントするためのそろばん製作を職人へ依頼しに来たところであった。


 そもそもこの王都ラグネアは貿易が盛んな都市であり、多様な人種を見かけることができる街である。

 だが、それを加味しても尚、少女の髪と肌は……物珍しい。


 キャラメル色の肌はこの世界に来て初めて目にするものであるし、短めに整えられた銀髪もやはり同様である。

 顔立ちは整っているのだが、どうにも表情というものがとぼしく、良く言えばマネキンのようであり、悪く言えばただボーッとしているだけであるかのようだった。

 一つ気になるのは、身に着けている衣服である。

 素材の良さに対してこれはあまりに粗末……というより、縫製ほうせいが粗雑な作りで、見習い職人の習作を格安で購入したのかと思える代物であった。

 どうやら、あまり着る物には頓着とんちゃくしない性質タチであるのかもしれない。


 かように人目を引く見た目の少女であるが、おれが彼女に視線を奪われたのは、何もそれだけが理由ではない。

 ごく自然に……。

 そうするのが当たり前であるかのように……。

 一切の打算も損得勘定もなく、転んだお婆さんを助けたからである。

 まあ、その助け方はあまりにダイナミックというか、細っこい見た目に反する力技であったが……。

 ともかく、なかなかできることではない。

 助けること自体はこの世界のみならず現代地球の若者でもするであろうが、ここまで無垢むくにそれを実行する者はそういないだろう。


「お嬢さん、若いのに感心な心がけだな」


 だからおれは、付近の出店などが共用している井戸で湿らせたハンカチを手にしながら、そう声をかけたのであった。


「……そう?」


 しきりにお婆さんからお礼を言われ、はにかんでいた少女が元の無表情へ戻りながらそう答える。


「あれ? あれあれあれ? もしかして、あなた様は勇者様ですかねえ……?」


 逆にお婆さんの方は劇的な反応で、その気はなかったのに何やら恐縮させてしまっていた。


「勇者……?」


 この地に居て、おれの……勇者のことを知らぬ者というのもそうはいない。

 お婆さんの言葉を受けて、少女も無表情なままおれに目を向ける。


「いかにも、その勇者ですが……そう恐縮なさらないでください。

 今のおれはただ、ケガした人を助けたいだけの男ですよ」


 失礼して、お婆さんの足首を確かめさせてもらう。

 いざとなれば、ルミナスの力を使うのもやむなしと思ったが……どうやら本当に軽く捻っただけのようで、老人の回復力を加味しても応急処置で十分と思えるケガである。

 冷たい井戸水で湿らせたハンカチを、そっと患部に当ててやった。


「うん。こうやって冷やして、その後はテーピング……布で縛り固定してやれば十分でしょう。

 ご婦人、失礼ですがハンカチか何かの持ち合わせはありますか?」


「ええ、ええ、ありますとも。

 本当に申し訳ありません。勇者様に、こんなババアの汚い足を触らせてしまって……」


「何をおっしゃる。

 女性というのはね? その時、その瞬間こそが最も美しい物なのですよ」


「あら、お上手」


 そのような会話を交わしながら、受け取ったハンカチで簡易なテーピングを施してやる。

 これでどうにか、歩けるだろう。


「これでどうにかなるでしょう。

 念のため、しばらくはあまり負担をかけないようにすることです」


「本当にありがとうございます。

 孫に自慢できちゃいますねえ」


「はは、話のダシになれたなら何よりだ」


 立ち上がると、やはりボーッとした目で応急処置を見ていた少女が、不思議そうな顔でおれに目を向けた。


「これでこの人、大丈夫になったの?」


「ええ、ええ。すごく楽になりましたとも。お嬢さんも、あらためてありがとうねえ」


「そっか……うん。

 ――良かったね」


 お婆さんにそう言われ、またもはにかんだ少女の笑顔はなんとも言えずあどけないもので……。

 まるで、母に褒められ照れる幼子おさなごのようであった。




--




「さて……」


 何度もこちらに振り返っては、お辞儀をしながら去って行ったお婆さんを見送り……。

 おれはあらためて少女と向き直っていた。


「感心な子だが……それはそれとして、聞いておきたいことがある。

 見ない顔だが、君はどこから来たんだ? 親御さんは?」


 少女を一見してから、ずっと気になっていたことをたずねるためである。

 この世界に来てから始めて見る肌と髪の色……。

 清潔さを保たれているとはいえ、あまりに粗雑な作りの衣類……。

 事件性を感じるなと言う方が無理だろう。


「ん……遠い所から、来た。

 親は……ずっと昔に死んだ。兄はいるけど、この街にはいない」


「そうか……」


 まっすぐに、少女の瞳を見据える。

 おれとて、伊達や酔狂で年を食っているわけではない。

 嘘の臭いがしたならば、それを感じ取れる自信があった。

 その嗅覚に従うならば……少女の言葉に嘘はない、ということになるだろう。

 どうにも、詳しいことを言いたくないという雰囲気は感じるがな。


「では君……名前は教えてくれるか?」


「名前……えと……」


 少女は言い淀みながら、視線をあちこちに泳がす。

 やがて、それを一点に止めた後こう名乗ったのだ。


「……ヌイ。

 あたしは、ヌイ」


「ヌイ、か……」


 少女が視線を止めた先……そこには、『ヌイの靴屋』という看板が掲げられていた。

 ……なるほど。


「ではヌイ。

 詰問するようで申し訳ないんだが、これだけは確認させてくれ。

 何か、悪事に巻き込まれているということはないのだな」


「ん……ないよ」


 少女――ヌイはきっぱりとそう言い放つ。

 その言葉に、嘘の臭いはなかった。


 ――どうしたものか。


 ヌイを見ながら、おれは少しだけ考える。

 今更言うのもなんだが……ここは現代の地球ではない。

 中近世程度の文明レベルしかない、異世界である。

 必然、身元不明少女の扱いというものも異なるのだ。


 もしここが日本でおれがお巡りさんだったら、ただちに少女を派出所へ連れて行き身元照会をするだろう。

 が、この地でそれは不可能である。

 身元を紹介するすべもなければ、保護者に連絡を取る手段も無いのだから……。


 少女の話を総合すると、どうも兄と暮らしていて、喧嘩したか何かの理由で家出でもしているのだろうが……。

 これはなかなかの難題である。基本的に、おれは腕力で解決できない問題に関しては只人ただびとなのだ。


 かといって、見るからに寄る辺のなさそうな少女を放っておくわけにもいかない。

 世界を隔てようと人間社会であることは変わらず、その常として王都にも悪人は存在するのである。

 見目麗しいヌイのことだ。どんな悪事に巻き込まれるか知れたものではない。


「ふむ……」


 ヌイを前にしたまま、あごに手を当てて考え込んでしまったその時である。


「あ……」


 ――くう~。


 立ち並ぶ屋台の一つを目にしたヌイのお腹から、かわいらしい音が鳴った。

 そちらの方を見やると、以前にも食べたハトシ――長崎県の郷土料理――によく似た王都名物を串売りにしている。


「ふ……さっきのお婆さんを助けたご褒美だ。

 君さえ良ければおごるが、どうかな?」


「ん……」


 おれの言葉に、ヌイはこくりとうなずいたのであった。

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