第七話『夢を継ぐ者』
アバンタイトル
髪を肌を照らす陽光は生命を育む慈愛に満ちた暖かさであり、目に映る全てを宝石のようにきらめかせた。
そっと肌を撫でる風には、そう――潮の匂いが混ざっている。
海という、当たり前の生命が無数に生まれ死んでいくこと場所からかもし出されたそれは、優れた嗅覚を持つ少女にはなんとも言えず刺激的で……そして心落ち着かせるものであった。
耳を震わせるのは、人間たちの声……。
露店を並べ、見たことがないほど美味しそうな食物や、信じられないほど精巧な職人仕事で生み出された品々を掲げながら大声を張り上げ、道行く人々にこれを売りつけようとしている。
その顔には、相手の実力をうかがう
「…………………………」
それらの光景を前にして、口に出すべき言葉を少女は持たぬ。
ただ、胸の奥底から何やら得体の知れぬ衝動と力が噴き出し……がむしゃらに動きたいような、不思議な気分にさせられていた。
「……あ?」
そんな少女の衝動に指向性を与えたのは、大通りの片隅でおそらく――楽器というものをかき鳴らしている男である。
その音色の、なんと心地良いことだろう……。
幾重にも張らされた、弓のごとき弦を引いているだけなのに……そこから生み出される音は、耳の奥を優しく震わせ、ただでさえ浮き立っていた心をさらに高ぶらせるのだ。
もはや、居ても立ってもいられない。
「ラー……ラー……ラー……」
気づけば少女は、楽器をかき鳴らす男の前に飛び出し……その音色に合わせながら声を出し、その身をデタラメに踊らせていたのである。
「おお……?」
「なんだなんだ……?」
その行動が、よほど
周囲を行く人間たちが足を止め、少女を……引いては楽器を鳴らす男を眺めやる。
楽器を鳴らす男は最初、少女の出現に戸惑い演奏を止めそうになっていたが……。
「……ふ」
次の瞬間にはニヤリと笑い、そのまま優美な音色を奏で続けた。
「ラー……ラー……ラー……」
その音に合わせて声を張り上げ、心の命じるままに体を躍らせる。
それは少女にとって、生まれて初めての……歌い、踊るという行為であった。
「ほう……!」
「てんでデタラメな動きだが……こりゃあなかなか」
「いいぞー! 姉ちゃん!」
足を止めていた人間たちが、次第にその姿へ
何一つとして、技術的な裏打ちがない
それが彼らをここまで魅了したのは、弾んだ少女の心が歌にも踊りにも表れていたからであろう。
やがて、ついに演奏も終わり……。
軽く汗をかきながら息をつく少女と演奏者の前には、たくさんの――お金、というやつが投げられたのである。
--
――これ。
――どうすればいいんだろう……?
わけも分からないままに演奏者から押し付けられた小袋を手にしながら、少女は大通りを歩いていた。
袋の中には、お金がぎっしりと詰まっている。
「半分は、お嬢さんのお陰だから……」
ニコニコ顔で演奏者はそう言っていたが、彼が笑顔であった理由も、何が自分のお陰なのかも判然としない。
自分はただ、心の命じるままに行動しただけなのである。
ともあれ、ぐいぐいと押し付けられたものを返すこともかなわず……。
少女は、生まれて初めて手にするお金をどうしたものか、考えあぐねていたのであった。
――確か、これと交換して欲しい物を手に入れるんだよね?
袋の中から、いくつかの硬貨を取り出して眺める。
銀や銅を主体とした合金を、円状に鋳造した物体……。
果たして、これがなぜ欲しい物と交換できるのかがサッパリ分からない。
兄が言うには屈指の強者であるらしい自分は、欲しい物は望めばなんでも差し出してもらえた。
そうでない弱者は相手の欲しがっている物品と物々交換をしているらしいが、それならばまだ理解できる。
――一体、この金属にどんな秘密が……?
一枚の硬貨を太陽にかざしながら、首をかしげた。
なんの変哲もない、単なる金属である。
あえて試すまでもなく、これを食べて腹が膨れるわけではないだろう。
――不思議だ……。
周囲から奇異の目で見られていることにも気づかず……。
そんな風にしていた、その時である。
「――きゃっ」
近くを通りががっていた老婆が、舗装の荒くなっている石畳につまづき転んだ。
「あたたた……」
おそらくは、加齢により背骨が変形しているのだろう……。
見るからに腰の曲がっている老婆は、その場にしゃがみ込みながらしきりに足首をさすっていた。
「あ……っ」
動いたのはまたしても、考えあってのことではない。
ただ、気がついたらお金をしまい、老婆のそばにしゃがみ込んでいた。
「大……丈夫?」
我知らず右手を差し出しながら、そう尋ねる。
「あらあら……親切にどうもありがとう……」
しわまみれの顔をくしゃくしゃにしながら、老婆がその手を取った。
「ごめんなさいねえ……申し訳ないけど、そこのベンチまで連れて行ってもらってよろしいかしら?」
「あそこ……?」
もう片方の手で老婆が指し示したのは、大通りのそこかしこに設置されているベンチである。
「分かった」
少女はうなずくと――勢いよく老婆を抱き上げた。
「――あれ? あ、あらあらあら……」
驚く老婆を意に介さず、軽々とこれを運んでベンチに下ろしてやる。
「これでいい……?」
「え、ええ……本当にどうも。
お嬢さん、見かけによらず力持ちなんだねえ?」
「力持ち……?」
その言葉に、少女は首をかしげた。
このくらいのこと、彼女が知る中では最も弱い
まったくもって、おかしなことを言う老婆だ。
「ともかく、本当にありがとうねえ。助かったよ」
「ん……」
おかしなことと言えば……。
しきりに礼を言う老婆に、はにかみながらうなずいてしまったのもまた、おかしなことであった。
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