Bパート 4

 逃げのびた灯台もりたちの証言により、おおよその姿は判明したもののいまだ名は分からぬ魔人……。

 そ奴による攻撃が始まってから数刻ののち、ラグネア城は混乱の坩堝るつぼとなっていた。


「皆さん、落ち着いて!」


「負傷している方はいらっしゃいませんか!?」


「城の他にも、大神殿を始めとする施設で避難者の受け入れをしています! 余裕のある方はそちらに向かうこともご検討ください!」


 王都南部から大挙して押し寄せた避難者たちを捌くべく、騎士たちが声を張り上げるものの誘導する人員に対しそれを待つ人間の数はあまりに多い。

 何となれば、産業の多くを母なるレーゲ海――すなわち南部の港湾部――に依存する王都ラグネアである。

 そこを生活の場とする人間の数となるや、これは何をか言わんやだ。


「起き抜けに避難して俺たちは何も食ってねえんだ! 炊き出しとかはねえのか!?」


「今、姫様の指示で用意しているところです! ですのでご安心ください!」


「赤ちゃんのおむつが無いの!? 何でもいいから、布を融通して頂けませんか!?」


「それは大変だ! そこの見習いたち! 二、三人離れて清潔な手ぬぐいを持ってこい! 他のことでも必要になるだろうから、多めにな!」


「息子とはぐれてしまったんです! どなたか見ませんでしたか!? 赤い髪の五歳くらいの男の子です!」


「奥方はひとまずこちらに! 我々が捜索しますので、詳しい特徴をお聞かせください!」


 かの日……恐るべき青銅魔人ブロゴーンとの会戦に参加した者たちは、皆が同じことを思ったものだ。


 ――キルゴブリン共の方が、はるかにたやすい。


 ……と。

 無論、こういった事態に備えて騎士団長ヒルダが指示の下、数々の備蓄や訓練は進めてあった。

 だが、実際に事が起こってみると、人々の要求や対応すべき事柄たるや誠に膨大なものであり、これには人間の想像力が及ぶ限界というものを痛感せざるを得なかったのである。


 また、これほどまでに状況が悪いのには二つの理由があった。

 一つは、謎の魔人によるこれも謎の攻撃――それがもたらす恐怖である。


 これまでの人生で聞いたこともないほどの轟音が鳴り響いたと思うや否や、見慣れた建築物や船舶が噴煙を上げ破壊されていく……。

 その恐怖たるや、当人たち以外にうかがい知れるものではない。


 ――次の瞬間には、自分もああなるかもしれない。


 危機的状況下においてあらゆる生物が働かせる想像力によって、人々は心臓を鷲掴わしづかみにされているような恐怖に浸されていたのである。

 しかも、この攻撃は大灯台から放たれているらしいこと以外、その全てが謎に包まれていた。

 これがもしも、矢や魔法によるものであったなら、全く同じ被害をもたらしていたとてここまでの混乱は生じなかったであろう。

 だが、人々にとってこの攻撃は全く未知の代物であった。

 未知は恐怖を生み出し、恐怖は想像力によって何倍にも膨れ上がる。


 どうやら、敵の攻撃が及ぶのは南部一帯に限られるらしいと伝わりつつはあったものの、次の瞬間には隣にいる誰か……あるいは自分自身が弾け飛び無惨な死体と化すのではないか?

 そんな最悪の未来が脳裏をよぎり、避難者たちは必要以上に攻撃的な態度を見せ、ますます騎士たちによる誘導が難しくなっていたのであった。


 理由の二つ目は、南部上空で繰り広げられた攻防の顛末てんまつ……これを見届けていた者が多数に上る点である。

 唯一無二の存在である勇者ホッパーと竜翔機りゅうしょうきドラグローダーは当然として、これに追従した騎士団長ヒルダの姿もまた、多くの人が知るところであった。

 だが、果たしてあれを追従と呼んでいいものか……。


「俺は確かに見たぞ! 騎士団長様が足を引っ張ったんで、勇者様が大ケガをしたんだ!」


「ああ、確かに見た! 余計なことをせずお任せしておけば、きっと今回も何とかしてくれたんだ!」


「勇者様はどうなったんだ!?」


「まさか、死んだわけじゃあるまいな!?」


「俺たちを守るべき騎士の長が、よりにもよって勇者様の邪魔をするなんざ許せねえ!」


 何者かを叩くことに大義を見い出した時、人間という生き物は信じられぬほど凶暴になる。

 口々に騎士団長への不満を漏らす者たちの中には、突如として騎士の一人へ掴みかかったり殴りかかったりする者さえいたのだ。


「皆さん、落ち着いてください! 魔人は負の感情を糧とします!

 まずは心安らかにし、神々と精霊に祈りを捧げましょう……!」


「うるせえ! 神々がいますぐ魔人をやっつけてくれるのかよ!?」


「説教ばかり垂れる奴に、俺たちの気持ちは分からねえさ!」


 普段ならば、尊敬の念と共に耳を傾けられるだろう神官の言葉も、恐慌する人々には届かない……。




--




 城内で騎士団長ヒルダへの憤りが噴出していたその時……。

 ふがいなき騎士団長への殺意を最も燃やしていたのは、他でもない……ヒルダその人であった。


聖斧せいふを覚醒させるどころか、私は……」


 勇者ショウが担ぎ込まれた、彼の私室……。

 ルミナスの力によって傷こそ塞がったものの、流した血の膨大さから気を失ったショウは寝台の上で眠り続けていた。


「何か悩んでいたのは気がついていました。

 ヒルダ……あなたは、歴代騎士団長に受け継がれたそれを覚醒させようとあがいていたのですね?」


 同じようにショウを見舞う巫女姫ティーナが、ヒルダの手に握られた石斧せきふを見ながらそう問いただす。


「はい……ですが、それはかないませんでした。

 そればかりか、私の騎竜が送り届けてくれなければ、この宝物ほうもつを失う結果となっていたかもしれません」


 自らの罪状を述べる罪人のように、うなだれながらそう述べる。

 ヒルダの騎竜は、あれから魔人の攻撃を受けることなく無事に帰還していた。

 もとより魔人は、ヒルダを脅威とみなして攻撃したのではない。

 それをホッパーがかばい負傷すると見込んだからこそ、あの一撃を見舞ったのであろう。


聖斧せいふか……祖母様からの申し送りでその存在は聞いておる。

 まあ、今の今まで忘れておったがのう!」


 主あるところに、従者あり。

 今はきちんと服を着たレッカが、からからと笑う。

 その態度が、竜ならぬ身であるヒルダの逆鱗を逆撫でた。


「笑いごとではありません! この斧を蘇らせられなければ、私に価値など――」


「――いや、笑いごとさ」


 その言葉をさえぎったのは、見舞いに訪れたティーナたちではない。

 ……他ならぬ、勇者ショウその人であった。

 見れば、寝台に寝かされていた彼はその目を開き、うっすらとした笑みすら浮かべながらこちらを見ていたのである。


「――勇者殿!?」


 反射的に姿勢を正し、頭を下げた。


「いいさ、別に怒っているわけじゃない。

 ともかく、君が無事で良かった」


 常人ならば、あれだけの血を流してすぐさま体を動かせるはずもない。

 しかし、数刻の眠りを経た勇者ショウは顔の血色も普段通りに戻っており、誰の手も借りず寝台の上で起き上がるとそこに座り直したのである。


「そして、すでに反省している者へ説教を述べるような趣味もない。

 だが、これだけは言っておこう……。

 ヒルダさん、笑いごとと言ったのはね? 君がその斧を自分より価値のあるものだと思っていることだ」


「な!? そんなのは、当たり前のことではありませんか!?」


 ティーナやレッカを見回しながら、そう反論する。

 もしかしたならば、別世界からの異邦人である勇者にはこの斧の重みが理解できかねぬのやもしれぬ。


「真なる戦士の覚悟に目覚めし時、聖斧せいふは蘇りてあらゆる敵を烈断せん……」


 勇者ショウは目を閉じながら、日頃の活動で耳にしたのだろう口伝を暗唱する。


「きっと、目覚めたらルミナスロッドのようにものすごい力を発揮するのだろう。

 だがね? おれが欲しかったのは何者をも切り裂くような大それた力じゃない。

 そこに居る人々を守り、あるいは逃がす力だ」


「守り、逃がす力……?」


「そうだ」


 勇者が、うなずく。


「おれの耳は特別製でね。眠っている間も、城に逃げ込んできた人々の喧騒が聞こえていた。

 もちろん、皆不満を抱えているだろう。

 中には、怪我をした人や二次災害に遭っている人もいるかもしれない。

 だが、とにかく、多くの人がここへ逃げおおせることができた。

 それを成し遂げられたのは、君が日頃から手がけてきた避難計画や訓練のおかげじゃないか?」


「それは……」


「断言しよう。彼ら彼女らを救うことにつながった君の存在こそ、聖斧せいふにも勝る国の宝であると。

 だから、胸を張りなさい。その斧を振るったいにしえの戦士が、どんな人であったかは知らないが……。

 君はその人にも負けない。おれたちの頼れる騎士団長だ」


 勇者の力強い眼差しと言葉が、ヒルダを打ち貫く。


「ショウ様のおっしゃる通りです。

 あなたはあなたのままで、誰よりも頼れる存在なのですよ?」


「なんじゃ、ワシを差し置いて年寄りぶったことを言うのう!」


 ティーナとレッカも、おだやかな笑みを浮かべながらそう肯定してくれた。


「私は……」


 そこから先は、言葉にならない。

 いや、言葉にしては涙をこぼしてしまいそうだった。

 頼れる騎士団長としては、そのような姿を見せるわけにもいかないだろう。


「……さあ、まずは逃げ込んできた皆を励まそう!

 そうした後で、作戦会議だ。

 どうにかして、敵の攻撃をかいくぐらなければ、な」


 立ち上がった勇者と共に、皆で視線を交わし合う。

 そして四人は、その場を後にしたのである。

 ヒルダが部屋を出たのは最後であったため、その手に握られた石斧せきふが一瞬だけきらりと輝いたことに気づく者はいなかった。

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