Bパート 5

 ラグネア城に逃げ込んだ避難民のストレスがピークに達したのは、騎士スタンレー率いる一隊がほうほうの体で逃げ帰った時である。


 ――上空から直接接近するのは、いかな竜翔機りゅうしょうきとて至難の業!


 ――ならば、建物の陰から陰へ忍び隠れながら接近する手はないか?


 そう考え、精鋭の竜騎士に普段から南部方面での警ら任務に就いている騎士らも加えて出陣したわけであるが、これは失敗に終わったのだ。


 助っ人として加えた騎士らは、いずれも二十年以上の勤続年数を誇る。

 人生のほぼ全てを地味ながらも重要な任務に捧げてきた彼らの土地勘と選定眼は確かなものであり、間違いなく大灯台頂上から騎士たちの姿を認めることは不可能なはずであった。

 だが、果たして何をどうしたものか……。

 恐るべき魔人は騎士隊の動きを敏感かつ正確に把握しており、次に隠れ潜もうとしていた建物を例の攻撃で先んじて破壊し、ものの見事にその鼻先を抑え込んだのである。


 こうなっては、たまらない。

 命など捨てる覚悟で志願した助っ人らをどうにか説き伏せ、スタンレーたちは逃げ帰ることになったのであった。

 賢明であり、的確な判断であると言うしかない。

 だが、それで納得してくれるわけではないのが民衆という生き物であった。


 ただでさえ、突然にして日常を打ち破られ、自分たちが生活する場を追われてきているのだ。

 理不尽なこの状況に対する怒りと不満は、振り上げた拳のように下ろす先を求めていたのである。

 そこへおめおめと逃げ帰って来た騎士の一隊というのは、彼らにとって格好の得物であったと言えよう。


「何を逃げ帰って来てやがる!」


「いざという時、命を捨ててでも魔人と戦うのがあんたたちの役割じゃないのか!?」


「俺たちが普段、どんな思いをしながら税を納めていると思っていやがるんだ!」


 極度の疲労と緊張に晒されたスタンレーらを守るために一部の騎士が壁となっているため、さすがに直接的な暴力へ訴え出る者はいない。

 だが、言葉というものは時に研ぎ澄まされた刃よりも高い殺傷性を秘めるものである。

 ましてそれを、守るべき対象から向けられているのだからスタンレーたちの心中たるやいかなるものであっただろうか……。


 言い訳も、謝罪すらもその口から漏れることはない。

 何を言おうと人々の激情を駆り立てるだけなのは火を見るよりも明らかな状況であり、ただじっと黙って耐える他になかった。


 スタンレーが賢明であったのは撤退の判断が速かっただけでなく、城への道中で助っ人らとあらかじめ別れておいたことでもあろう。

 もしも一緒に帰還したのなら、容赦なき罵倒の言葉は彼らに対しても浴びせられていたはずだ。

 南部を仕事の場とする彼らにとって、同じ南部から逃げ延びた人々による罵声は到底耐えられるものではなかったに違いない。


 ひたすらに耐えるスタンレーたちであったが、避難民の一部は怒り疲れるどころか火に油を注ぎ込むように態度を激化させつつあった。

 そしてついに、一人の男が足元に転がり込んでいた小石を手に取りそれを放り投げようとしたのである。

 だが、その手は振り上げられたところで止まった。

 自分の意思でそうしたわけではない。


 一体、いつの間にそこへ近づいていたのか……。

 赤いマフラーを首に巻いた青年ががしりと腕を掴み、万力のような力でこれを抑え込んでいたのだ。

 漁師として生計を立てており、力自慢で知られる男がまんじりともこれを動かせぬのだから、青年の膂力りょりょくたるや尋常なものではない。


「てめえ――」


 怒りの矛先を変えた男が怒鳴り散らそうとして、ハッと我に立ち返る。

 着ている服が戦士階層の好むそれなので騎士の一人にも見えたが、その首に巻かれたマフラーは噂に聞く……。


「ゆ、、勇者様!?」


「それ以上やれば、後で自分自身を許せなくなる……そうは思わないか? どうだ?」


 怒りではなく、微笑みを向けながらそう言い放ち……。

 勇者ショウは男の手を放った。

 それだけで、男は何か毒気の抜けたような気分になり、ようやく常の自分へと立ち返ることができたのである。


「皆さんも、怒る気持ちはあるでしょう……。

 名も知れぬ魔人の攻撃に対する、恐れもあるでしょう……。

 それをしまい込め、あるいは捨て去れと、おれは言いません」


 その出現にしん……と静まり返った人々に向けて、勇者ショウは静かに語りかけていく。

 演説のような劇的さはない。

 神官が語る説法のような、重々しさもない。

 ただ人々へ寄り添うような声音はどこまでも優しく染み入るようであり、暴徒へ至る寸前と化していた彼らは少しずつ……冷静さを取り戻していったのである。


「ただ、今はそれを耐えしのいでほしい……。

 そして、もしも余裕があったなら、助けを必要とする人にその手を伸ばしてあげて欲しい……。

 おれは、それができるのが人間の強さであると知っている」


 思っているのでもなく、信じているのでもない……。


 ――知っている。


 勇者は、そう断じた。

 勇者ショウは、ここに集う人々が本来持っている力を知っているのである。

 こう言われて黙っているなら、それはもう誇りある王都ラグネアの民ではない。


「そういや、赤ん坊抱えてる母親もいっぱいいたな……」


「手ぬぐいなんかの洗濯くらいなら、俺でも手伝えるぜ!」


「炊き出しもこれだけ押しかけていたら大変だろう……ここは一つ、店を開けた気分で手伝ってやらあ!」


「となると、腰かける椅子や机もいらあな?

 よし! 若いの集めて俺っちが簡単なのをこさえよう!」


「よっしゃ! 何するか思いつかねえ奴は必要な荷の運びを手伝え! 港に生きる男の誇りを見せるんだ!」


「目抜き通りの商売人たちを忘れてもらっちゃ困りますよ! 王都中の品揃え把握してるあたしらがいなくて、どうやって必要なもんを運び込むんですか?」


 ここに逃げ込んできたのは、いずれもが手に職を持つ人々である。

 果たして、この状況で己の職能をどう活かせば良いか……それを考えながらただちに実行へ移していく。

 城に務める騎士や侍女らは、歓喜と共にそれを受け入れたのである。


 そしてその動きは、大神殿を始めとする他の避難所にも次第に伝播でんぱしていった。




--




「さすがは、ショウ様ですね……」


「おれは何もしていない。ただ、皆の内に眠る勇気へ目を向けてもらっただけだ。

 ……本当にすごいのは、この街に生きる人々だよ」


 人々への指図さしずを終えてこちらにやって来たティーナに、苦笑しながらそう答える。


「余人が言ったならば、同じようにはいかなかったでしょう……。

 勇者殿だからこそ、皆が従ってくれたのです」


 忙しく立ち回る騎士たちにねぎらいの言葉と指示を与えていたヒルダさんも、微笑みながらそう言ってきた。

 その顔に焦りはなく、ただ自分の務めを果たそうという強い意思のみが感じられる。

 もう、心配はいらないだろう……。


「ほう? そんな珍しい花が生えておったのか!?」


 どんな状況であろうと、集まれば話に花を咲かせてしまうのは年頃の女の子の習性というものか……。

 それはいいとして、何故か避難してきた女児たちに混ざって語り合っていたレッカの素っ頓狂とんきょうな声を改造人間の聴覚が拾い上げる。

 やれやれ、何を話しているのか……。


 女の子たちには悪いが、どうやって魔人に接近するかレッカも交えて話し合いたい。

 だからそちらに歩みを向けたのだが、おれはその足をぴたりと止めた。


「うん、本当だよー? 見たこともない紫の花が咲いてたのー」


「こんな風に、変わったお花の形してたんだー」


「勇者様が魔人をやっつけたら、レッカちゃんにも見せてあげるねー」


 紫の……見たこともない……花……?

 最初に目撃した、防災倉庫の様子が思い出される。

 その近くに咲いていた、彼岸花にも似た一輪の花……。

 この辺りの固有種かと思ったが、そこに暮らす子供たちが見たこともない、だと……?

 しかも、よくよく考えれば同種が付近に見受けられず、ただ一輪のみが紫の花を咲かせていたのだ。


「そういうことか……」


 射線の通る空中ならば、話は分かる。

 だが、地上に対しても見せたという異常なまでの射撃精度……!

 おれはようやく、その秘密に気づいたのであった。

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