Aパート 4

 人間はおろか、魔人の尖兵たちですら無数に集ったマナリア平原に、静寂が訪れた。

 ただ風が吹く音と、それに草花が揺らめく音のみがここに集う者たちの耳朶じだに響く。


 陣営を問わず、全ての視線を集めるのは――ブロンズ像と化した勇者である。


 ――ブラックホッパー。


 その名が示す通り元は漆黒だった甲殻も、正義の炎を具現化したかのような真っ赤な目も、人々との絆そのものである真紅のマフラーも……。

 全てが青銅色に染まり、もはや指一本動くことはなく、マフラーが風にはためく事もない。

 完全なる無機物と化したその身からは、いかなる生命力の表れも感じることはできなかった。


 平原に集いし者たちがただじっと視線を送っていたのは、果たしてどれほどの間だったろうか……?

 百か二百は数えたかもしれないし、あるいはほんの数秒ほどの出来事であったかもしれない。

 ともかくその間、人々の脳裏を無数の思惟しいが駆け巡った。


 ある者は、この光景が現実のものかと疑った。

 またある者は、恐るべき毒液魔人ドルドネスの猛毒に一度は倒れた時のように、またも勇者は魔人の権能を克服し復活するものかと、淡い期待を抱いていた。


 だが、そのそばで全ての魔力を使い果たし倒れる巫女姫ティーナの絶望に歪む表情は、この光景が現実であることと、復活などあり得ないことを何より雄弁に物語っているのだ。


「……ふ……ふふ……」


 静寂を打ち破ったのは、勇者をこのような姿にした元凶――女魔人ブロゴーンであった。


「あーはっはっはっはっは!」


 平原中に響き渡るかのような笑い声は、心からの喜びと達成感と……そして、生きとし生ける者ならば人も魔人も問わず胸に抱く感情とに満ち満ちている。


「ミネラゴレム様ー! ブロゴーンはやり遂げましたー!」


 そして女怪は天を仰ぎながら、愛する者の名を叫ぶ。

 もしもこの者に涙腺が備わっていたならば、その瞳からは滂沱ぼうだの涙が流れ落ちていたことだろう。

 何故ならば、かすれたその声には悲痛なものが宿っていたからである。


「――はあっ!」


 そうすることで情念も体力も使い果たしたのか、ブロゴーンが杖を支えにがくりとくずおれた。

 その疲労ぶりたるやティーナのそれに勝るとも劣らぬものであり、そばにいたキルゴブリンが慌てて支えに入ったほどである。


「く……はあ……この私をここまで疲れ果てさせるとは、さすがは当代の巫女……そして勇者と言っておいてやろうか……」


 自身でも、ここまで精魂尽き果てるのは予想外だったのだろう。

 荒い息を吐き出しながら、吐き捨てるようにブロゴーンが言い放つ。


「……だが、貴様らが頼りにしている勇者はこの様だ。

 ――覚えておくがいい。次に私が訪れる時、貴様らの街は青銅の像が立ち並ぶ死の都と化すだろう……!」


 そこまで言うと、最後の力を振り絞り杖を天にかざす。

 すると、見る見る間に霧状の闇が自身とキルゴブリンの軍勢を包み込み、その姿を歪ませていった。

 卓越せし魔導の技で大将軍ザギと世界を隔てた経路パスを通じ、本来ならば一方通行であるはずの移送を帰還用に用いているのである。

 疲労した身でそれがかなうのは、この平原にただよう負の感情がそれだけ濃密であることをも意味していた。


『おのれ! 好き勝手を言いおって!』


 機械竜本来の姿へと変形したドラグローダーが、口から火球を撃ち放つ!

 しかし、それは憎き女魔人へ命中することあたわず……。

 姿を消した魔人たちが立っていた草原を、むなしく爆破するに留まったのである。




--




 ――翌日。


 王都ラグネアを包み込む空気の沈みようは、前王が崩御した時のそれにも勝るほどのものであった。

 人の口に戸を立てられるものではなく……。

 まして、此度こたび勇者が敗北したマナリア平原には魔力覚醒の儀式に参じるべく多くの人々が集っていた。

 結果として、勇者敗北の報は瞬く間に王都中を駆け巡り、人々は悲嘆にくれることとなったのである。


 憂戚ゆうせきの表れようは、これは様々であった。

 例えば、目抜き通りの市場では各種食料品を始め、石鹸などの必需品に至るまでがのきなみ姿を消した。

 これは、魔人への抵抗力を失った王都へ立ち寄る商人がいなくなり、流通が止まることを懸念した人々の生理反応である。


 また、決断の早い人々は地方への疎開そかいに動き始めていた。

 元より、地球のそれと比べれば中世程度の技術力しか持たぬ世界であり、そこに暮らす人々の私物は数少ない。

 その気になれば、ものの数分で持ち運び可能な品をまとめることができるというのが彼らの生活様式であり、馬車駅にはそれを実行した人々が大挙して押し寄せることとなったのである。


 こうなってはたまらないのが、駅馬車を運行する組合だ。

 商売の常として経費を抑えるべく、用意されている馬車もそれを引く馬も御者ぎょしゃも、全てが平時のそれに対応可能な数でしかない。

 そこに大挙して疎開を目論む人々が訪れたのだから、馬車駅は大混乱に陥った。

 しかも、疎開を考える人間というのは、危機感と焦燥感から極めて殺気立ち攻撃的になっている。

 中には馬車駅の従業員と乱闘騒ぎを起こす者もおり、結局、この騒ぎは駆けつけた騎士団が鎮圧するまで続くことになったのであった。


 最も悲嘆に満ち溢れていたのは、王都が誇る大神殿であろう。

 かつて、この場所では鉱石魔人ミネラゴレムの犠牲者となった人々を弔うべく合同葬儀が催された。

 だが、今大神殿の中に漂う空気の重苦しさは、その時を遥かに超えている。

 あの時はまだ、勇者という魔人に対する希望が存在していた。

 しかし、鉱石魔人の恋人たる青銅魔人はその希望を奪い去ったのだ。


 立ち向かうことも逃げることもあたわぬ人々にとって、もはや頼れるものは神霊の加護を置いて他にない。

 心中に巣食う絶望を祈りでごまかすべく訪れた人々により、大神殿の中は過密のひと言で表すべき様相を呈していた。


 大神殿の前……普段は人々にとって憩いの場となっている大広場の一角で、ここを商売の場としている吟遊詩人が今日も弦楽器を奏でる。

 彼が歌うのは、魔人に立ち向かうブラックホッパーの姿をうたった希望に満ちたものであった。

 常ならば少なからぬおひねりが落とされるものであるが、今日、彼が置いた帽子には銅貨の一枚たりとも入ってはいない。

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