Aパート 3
おそらく、この世で最も忙しく働いている姫君。
それこそが、巫女姫ティーナ・レクシアの実態である。
元来より、多忙な身の上ではあった。
何しろ先王は十歳の時に病没しており、ティーナを除いて後継者たり得る子供は設けられていないのである。
幸いレクシア王国は立憲君主制であるため年若いティーナに政治の差配を任せられるようなことはなかったが、それでも国の象徴としてなすべき事柄は多い。
そのような立場であるから、ティーナは一般的な女児が思い描くような華やかな姫君生活とは無縁の、多忙な青春を送ってきたのであった。
そこへきて今回の、魔人族再活動である。
かつて魔人族との戦いを指導した巫女が、密かに設けていた子孫の末裔……。
それこそがレクシア王家であり、その最後の一人がティーナだ。
間一髪のところで勇者召喚の儀式には成功したが、それで終わりというわけにはゆかぬ。
乱れた人心をいかにして掌握するか……。
神出鬼没であることが証明された魔人族に対して、いかなる防備の構えを敷くか……。
そもそもの話として、それらを成し得るための予算と人員はいかにして調達するのか……。
いずれも頭が痛くなる命題であり、知恵者揃いのレクシア議会は連日紛糾している有様だ。
そしてティーナも国の象徴として、それを拝聴し時には己の意見を述べねばならぬ立場なのである。
人間離れした光の魔力を持つ巫女姫といえど、それ以外の部分では十四歳の少女に過ぎぬティーナだ。
頭の処理能力はもう限界寸前のところまで追い込まれているが、そこへ更なる追撃が加わる。
すなわち、
――召喚された勇者の管理。
……である。
管理と言うと犬や猫のごとき扱いに思えてしまうが、実際のところ身一つで召喚された彼の身分及び生活を保障するのはティーナの責務であった。
これが非常に……難題なのだ。
別に、勇者イズミ・ショウの素行に問題があるわけではない。
むしろ彼は理想として思い描いてきた……否、それ以上の人物であると言えよう。
性格は穏やかかつ無欲であり、金や女を求めるようなそぶりは見せぬ。
しかも、学習意欲と学習能力に関しては凄まじいものがあり、今後のため文字を習得しておきたいと言うので学者を派遣したところ、瞬く間にこれを覚えてしまった。
以降はこちらの用意した種々様々な書物を次々と読破し、召喚されて数日しか経っていないというのにこの地の文化や歴史へそれなりに精通してきているらしい。
人品共に申し分なく、文武両面において余人の及ぶところではない勇者……。
イズミ・ショウの何が問題なのかといえばそれは、
「……そんなにも、恐れられているのですか?」
報告書を持って現れた年配の侍女長に、そう問いかけた。
この場はティーナ専用の執務室であり、ここで仕事をする時、彼女は視力矯正用に眼鏡をかける。
普段はやわらかな印象を人に与える巫女姫であったが、生まれながらに人を使ってきた経験と冷たいレンズ越しの視線が合わされば、熟練の侍女長であっても恐縮させることは訳が無かった。
無論、理由もなくそんな態度を取るティーナではない。
報告書の内容に憤りを覚えたからこそ、かように振る舞ったのだ。
「……朝食を運んだ侍女の粗相。
……廊下を歩くだけで向けられる
……練兵場を視察頂いた時には、挨拶しただけで騎士の一人が腰を抜かしたそうですね?」
その言葉に、部屋の隅で直立不動の姿勢を取っていたヒルダもバツが悪そうな顔をしてみせた。
騎士たちの不始末は、それを束ねる彼女の不始末も同然である。
眼鏡を外し、こめかみをもみほぐす。
「……分かっているのですか? あの方は勇者として召喚され、実際に魔人を退けて下さった恩人なのですよ?
それに対し、無礼の数々……。
このようなことは言いたくありませんが、わたしは情けなく思います」
ティーナ姫がここまで容赦のない言葉を使うなど、年に一度あるかないかということである。
それだけ、巫女姫の抱いた怒りは大きかったのだ。
「ですが、姫様……どうか
明確に不快の意を示した主に対し、侍女長ごときが意見するというのも尋常なことではない。
「いいでしょう。話しなさい」
これを退けることは目上の人間として器を問われる事態であり、ティーナは侍女長の発言を許した。
「実際に見たという侍女――サーシャの怯えようは普通じゃありません。
ええ、ええ……あの子は普段ならよく気がついて真面目で……王宮侍女として恥ずかしい態度を取るような娘ではないのです。
それが、ああまで怯えているというのは……」
侍女長の意見にしばし黙考し、ヒルダの方を見やる。
「ヒルダ、あなたも同じ意見ですか?
歯に衣着せぬことを許可します」
「恐れながら申し上げれば……私自身、あの時に勇者殿が見せた姿を思い出せば身の震えが止まりませぬ。
まして、気力胆力共に不十分な者であったならば、今回のことも情状酌量の余地はあるかと……」
腹心の部下にまでそう言われ、軽くため息を漏らす。
「そこが分からないのです。
何故、皆は見た目などにこだわるのか……。
確かに二本足で立つ虫さんのような姿でしたが、あの方に宿っていたのは紛れもなき正義の意思ですよ?」
「我ら凡愚では、姫様の境地へたやすく至れるものではありません……。
例えるのはどうかと思いますが、姫様がこのように執務をなさっている時以外は眼鏡を外しているようなものだと思ってください」
「ふむ……」
その言葉に、そういうものなのかと考える。
ティーナとしてはその方が楽だし常時眼鏡でいたいのだが、そこまで極端な弱視ではないこともあり、周りがそれを許さないのだ。
「……ともかく、このままではいけないことは確かです。
本の虫となっているのも、勉学への熱意だけではなく周囲を恐れさせないよう部屋にこもっているのだと考えられますから。
とにかく何か口実をつけて、外の空気だけでも吸っていただかなくては」
せっかくの勇者が、自主的な謹慎生活の末に気を病んでまともに戦えぬでは先祖に顔向けができない。
考え込むティーナの手元には、戦死者たちの合同葬儀に関する書類があった。
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