Aパート

『――けて――さ――!』


 まるで、周波数が合っていないラジオのような……。

 ノイズ混じりの声が脳裏に響いた時、おれが思い浮かべた単語と言えばただ一つだ。


「――テレパシーか!?」


 超能力というものは、実在する。

 おれはかつて、コブラの魔の手から超能力者の少女を救った時、その一端に触れたことがあるのだ。


 だからあの時の経験を思い出し、いずこかの超能力者が俺にメッセージを送っているのかと考えたのだが……。


「いや……どこかあの時の感覚とは違う。

 とにかく、誰だ!? おれに何を言いたい!?」


 四方を見渡すが、人間の気配は存在しない。

 只人のそれではなく、変身していないとはいえ超人的な感覚を有するおれが探っているのだ。

 どこか……このおれにすら探れない場所から、『声』を送っているのは間違いない。


『きこ――ま――か?』


 それこそ、ラジオの周波数を合わせるかのように……。

 徐々に徐々に、クリアさを増していく少女らしき『声』におれは生の声で答える。


「ああ、聞こえている!

 一体、これはなんだ!?」


『――良かった! つながった!』


 ようやく、明瞭なものとなった『声』が安堵の混じった言葉を漏らす。


『異界の勇者様と見込んで、お頼みがあります!』


 だが、次の瞬間には安堵を決然へと変えた『声』が脳裏に響いたのである。


「勇者!? おれがか!?」


 化け物とか怪物とは呼ばれたことがあるが、そんな呼称を使われたことは一度としてない。

 おれが困惑してしまったのも、無理からぬことであろう。


『はい! この術でつながれたということは、あなたはそちらの世界における勇者様で間違いありません!』


 おれの当惑をよそに、『声』が力強くそう断定してくる。


「……そんな風に言われたのは初めてだが、まあいいだろう。

 それで、おれが勇者とやらだとして何を頼みたいと言うのだ?」


 こうは言ったが、おれはすでにこの願いを聞き入れると決めていた。

 何故ならこの『声』には……かつて幾度となく聞いた、助けを求める者の悲痛さが宿っていたのである。


『私たちは今、恐るべき脅威に――魔人の危機に晒されています。

 こうしている今も、騎士たちが犠牲になって……!

 無理を承知でお願いします! 勇者様! 今すぐこちらの世界に来て、私たちをお救いください!』


「――分かった。君の願いを聞き届けよう」


 答えながら、おれは何かが噛み合っていく感覚を覚えていた。

 ずいぶんと昔にこぼれ落ちてしまった歯車が、あるべき場所へと収まっていくような……そんな感覚だ。


「それで、おれはどうすればいい?」


『ありがとうございます! 勇者様!

 ただ心を安らかにして、体の力を抜いてください!

 ――あとは私が!』


「わかった。やってみよう!」


 言われるがまま、体の力を抜き無心となる。

 すると数秒の後、世界が光に包まれた――。




--




 その日、ラグネア城を支配していたものといえば、喧騒と混乱……そして恐怖である。

 荘厳にして華麗だった城内の至る所が無惨に破壊され瓦礫と化し、戦う力を持たぬ侍女たちは逃げ惑い、戦う力を持った騎士たちもある者は気を失い、またある者は骸となってそこかしこに転がっていた。

 そしてこの恐るべき災厄をもたらしたのは、たった一人の――魔人であるのだ。


 伝承として語り継がれているより、実物はなお醜悪な姿である。

 全身至る所から鉱物の結晶が突き出ているその姿は、尋常な生命ではないと一目で感づかせた。

 四肢と頭部を備えているのは人間と変わらぬが、鉱物の固まりそのものである頭部にはあらゆる感覚器官が存在せず、果たしてどのようにして外界を感知しているのか皆目見当もつかぬ。

 太くたくましい腕と足もやはり鉱物が結集して構成されており、ひとたびこれを振るえば攻城兵器もかくやという圧倒的な破壊力が見せつけられていた。


「怯むな! 姫様が勇者召喚の儀を終えるまで、何としてもあやつを食い止めるのだ!」


 騎士団長であるヒルダの号令に従い、隊列を組んだ騎士たちが気合の声を上げる。

 彼らが集ったのは、勇者召喚が行われている尖塔と王城とを繋ぐ渡り廊下だ。

 ここを突破されるということは勇者召喚の失敗と、国の宝である巫女姫ティーナの死を意味するのである。


「ふっふっふ――必死だねえ」


 そんな彼らの様子を見て、魔人が――一体どこから声を発しているのか――嘲笑してみせた。


「てめえらザコがいくら束になったところで、このミネラゴレム様にはかなわねえよ!」


 両手を打ち鳴らし、ミネラゴレムを名乗った魔人が一歩、また一歩と騎士たちに向かって歩みを進める。

 数多の鉱物が結集したその全身は、見た目通りの重量があるのだろう。

 渡り廊下の石畳を打ち鳴らす足音は、重々しく……濃密な死の香りを充満させていたのである。


「かかれ!」


 心を侵食していく恐怖を打ち払うかのように、ヒルダが号令を上げた。

 それに呼応し、配下の騎士たちは一斉にミネラゴレムへと殺到したのである。

 だが、


「――効かないねえ!」


 構えらしい構えも見せず、あえて無防備に騎士たちの剣撃を浴びたミネラゴレムがあざ笑う。

 鎧のごとく全身にまとった鉱物結晶の、何と強固で堅牢なことか……。

 鍛え抜かれた騎士たちの攻撃はせいぜいが表面で火花を散らす程度であり、全く痛痒つうようを感じさせていないのだ。


「オラオラ! どうした!?」


 そして無造作に振り回される両腕の、何という剛力か。

 ひとたび腕を振り回せば金属鎧をまとった騎士たちが木の葉のように吹き飛ばされ、あるいは床を舐め、あるいは壁に打ち付けられていくのである。


「おびえろ! すくめ!

 てめえらの恐怖は、我らが主の糧となるのだ!」


 だが、騎士たちの突貫は無駄ではない。

 何故ならば、良い気になり剛腕を振り回すミネラゴレムには見えていなかったからだ。


 ――騎士たちの背後から地を這う狼のように迫るヒルダの姿が!


「――もらった!」


 天を舞う隼のごとく……。

 裂ぱくの気合と共に跳躍した女騎士が、渾身の力を込めて愛剣を振り下ろす。

 その一撃は狙い過たず、ミネラゴレムの脳天を捉えたが――。


「――なっ!?」


 この国で随一の使い手が放った一撃もしかし、魔人に傷を与えるには至らず……どころかその剣は根元からへし折れる結果となったのだ。


「へ! ちょっとはやるじゃねえか!」


 いささかの痛みも感じていないだろうに、ミネラゴレムは頭をさすりながら着地したヒルダを睥睨へいげいする。


「だけど本当に、ちょっとだな!」


「――がっ!? はっ!」


 次の瞬間に放たれたのは、これまで見せたものよりはるかに速く、鋭い一撃だ。

 この魔人は、今の今まで戦ってなどいなかった。

 ただ、遊んでいたのである。

 そして今、実力の一端をわずかに垣間見せたのだ。

 いかにヒルダといえど着地後の不自然な体勢からこれをかわすことはあたわず、まともに食らってしまう。


 やはり先の騎士たちと同様、その体は軽々と吹き飛ばされ――尖塔の大扉へ叩きつけられた。


「うう……ぐ……」


 凄まじい衝撃に、固く閉じられていた大扉もたまらずこれを打ち破られる。


「ぐ……は……」


 ヒルダは大扉の残骸に埋もれながら、ただただ床を舐める他になかった。

 無理もあるまい……命があること自体、奇跡的なのである。

 これもたゆまぬ鍛錬の賜物であったが、しかしその何と無力なことであろうか。


「へ、開ける手間がはぶけたぜ」


 残る騎士たちを片付け、ミネラゴレムが尖塔へ向けて歩みを進める。


「ひ……姫様……申し訳……」


 せめて、己の不甲斐なさを詫びるべく顔を上げたヒルダであったが……。


「あ……」


 絶望に染まっていたその顔に、ひとすじの光が差す。

 彼女が見上げた先……巨大な魔方陣の頂点には、一心不乱に祈りを捧げる主の姿があった。


 ――巫女姫ティーナ。


 このような状況下で考えるようなことではないが、かつてないほどに美しい姿である。

 細身の体は十四という年齢を考えても華奢なものであったが、今はどのような大男よりも力強い生命の輝きを感じさせた。

 両目を閉じ祈りに集中する姿はさながら宗教画のごとき神々しさであり、自分が今、新たな伝説の立会人となっていることを確信させる。

 その証拠に魔方陣は青白い輝きを宿し始め、漏れ出した無形の魔力は桃色の髪を揺らめかせているのだ。


「――勇者召喚!? まだできる奴がいやがったのか!?」


 この場で行われている儀式の意味を理解したのだろう……。

 先程まで見せていた余裕を捨て去り、ミネラゴレムがこちらに向けて猛然と突進する。

 だが、もう遅い……。


「異界の勇者が……現れる……」


 儀式がすでに完成していることを、ヒルダは直感で理解していた。


「――きたれ!」


 固くつむられていた両目を見開き、ティーナが凛とした声で叫ぶ。

 すると魔方陣の輝きは閃光と呼ぶべきほどの光量へ達し、爆圧的な魔力の奔流が尖塔を満たした。


「――ちいっ!?」


 あるいは、この光は魔人にとって毒となるものなのか……。

 入り口に達したところで、気圧されたようにミネラゴレムがたたらを踏んだ。


「勇者様……!」


 病弱なその身には、酷な儀式だったのであろう……。

 全身を汗で濡らし、息を激しく切らせながらもティーナが歓喜の声を上げる。

 光が収まった魔方陣の中央には、待ち焦がれていた救い主の姿があった。


「あれが、異界の……?」


 起き上がれないままどうにかその姿を視界に収め、ヒルダがそう呟く。

 そこに立っていたのは――精悍な面構えをした青年であった。

 年の頃は二十代前半といったところであろうが、全身からみなぎる気迫と隙の無さは見た目以上の年輪を感じさせる。

 身にまとった装束はおよそ見たことも聞いたこともない奇妙な代物であり、この者が異界から召喚された存在であることを何よりも雄弁に物語っていた。


 勇者は、この状況にいかなる感情の乱れも見せず、ただ鋭い眼差しをミネラゴレムの方へ向ける。

 いや、その目が見ているのは魔人ではなく、背後で倒れている騎士たちの姿ではないか……?


「――けっ! 勇者が呼ばれたところで、倒しちまえば問題ねえんだ!

 オレの手柄が増えるだけの話よ!」


「……一つ聞こう」


 両手を打ち鳴らしたミネラゴレムに、勇者が静かに……静かに問いかけた。


「背後で倒れている人々……やったのは貴様か?」


「ああ、このミネラゴレム様がやったのよ!

 安心しな! すぐにてめえも同じようにしてやるよ!」


「そうか……」


 答えを得た勇者が、静かに両目を閉じる。


「――許さん!」


 そしてくわと目を見開き、叫んだ。

 そこに宿っていたのは、怒りでも殺意でもない。

 あえて言うならば、正義である。

 純粋な正義の意思が、言の葉として吐き出されたのだ。


 勇者が、奇怪な構えを取る。

 そこから繰り出された一連の動作は奇妙なれど流麗なものであり、何か恐るべき力が彼の内で充実し膨れ上がっていることを直感させた。


「変ンンンンン――」

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