バッタの改造人間が勇者召喚された場合

英 慈尊

第一話『勇者召喚』

アバンタイトル

 ――運が良ければ異世界転生できるかなあ?


 迫りくるトラックを前に、山田少年が思い浮かべたのはそんな言葉であった。

 少年の体はうつ伏せに倒れてしまっており、とてもではないが回避が間に合う状態ではない。

 だが、仕方のないことだ。

 彼が伸ばした手の先には、たった今突き飛ばした――トラックにひかれそうになっていた小さな女の子が倒れているのだから。


 山田少年は勇敢にも――あるいは本能的な行動か――ともかくこの幼子を助け、身代わりとなってその命を散らそうとしているのである。

 末期の瞬間、大好きなネット小説でよく見かける展開を夢想したとして誰がそれを笑えるだろうか?


 そして――山田少年は運が良かった。

 あるいは、彼が思い浮かべたよりもはるかに。


「あれ……?」


 数トンにも及ぶ車体と生の肉体がぶつかり合う音は、しかし山田少年よりも一メートルばかり手前から響き渡った。


「なんで……?」


 確実に死んでいたはずの自分が、まだ生きていることへ驚きの声を漏らす。


「……ケガはないか?」


 その声がした方向へ、顔を向けたその時である。


「う、うあ……ああ……!?」


 山田少年はこの世ならざるものを見たかのような顔で、立ち上がる事すらままならないまま路面をあとずさった。

 否、見たかのようではない。

 ……現に彼は、この世ならざるものを見たのである。


 そこに居たのは、黒い……黒い人影であった。

 比喩ではない。

 その全身が、漆黒の昆虫じみた甲殻に覆われているのである。

 しかも、こちらを向いていたその顔は――化け物そのものというしかない代物であった。

 人間の顔に、バッタのそれをデタラメに張り付けたかのような……。

 奇怪極まりない――バッタ人間と称するしかない存在が両腕でトラックを抑え込み、停車させていたのだ。


「ああ……あああああっ!?」


「きゃああああああああああっ!?」


 山田少年と共に、ようやく起き上がった女の子もこれを見て悲鳴を上げる。


「…………………………」


 バッタ人間は、ただ沈黙のみでそれを受け止めた。


「ば、ば、化け物……!?」


 驚愕しながらもエンジンを止めたのは職業病か……トラックの運転手が、腰を抜かしながら運転席から飛び出す。


「……そうだな」


 バッタ人間は少しだけ……少しだけ悲しそうな声を漏らしたが、


「とうっ!」


 次の瞬間には恐るべき――高層ビルの屋上にすら届くのではないかという跳躍力を発揮し、その場から姿を消したのであった。



--




 霧深い山中は幻想的というよりもどこかおどろどろしい雰囲気であり、まるでこの世ならざる世界とのあわいとなっているかのようである。

 実際、ここにはこの世ならざる化け物がいた。

 このおれ――改造人間ブラックホッパーという化け物が。


「…………………………」


 あてもなくさまよいながら見つけた池に、己の顔を映し出す。

 水鏡とするにはいかにも光量の足りないロケーションであったが、常人をはるかに超えて強化されたおれの視覚は問題なくそこに反射した者の姿を捉えた。

 何とも醜い……バッタ人間の姿を。


「化け物……か。分かっていても、面と向かって言われると効くな」


 誰も聞く者のいない山中で、ひとりごちる。

 実際、化け物なのは姿だけではない。

 その力は大型トラックくらいたやすく受け止められるし、跳躍すれば高度は六〇メートルにまで達する。

 秘密組織コブラの尖兵として、無理矢理に与えられた異形と能力であった。


 だが、醜いのは何も変身した姿のみではない。

 変身を解除し水面に映し出された青年――和泉イズミショウの姿こそ、おれには何よりも醜悪しゅうあくなものに思えた。

 変身していたさっきまでと違い、何か非人間的な特徴を備えているわけではない。

 しかし、この姿は――四九年前のあの日、秘密組織コブラに拉致され改造手術を受けてから一切変わっていないのである。


 懐から一葉の写真を取り出す。

 もうすっかり色あせてしまったそれには、今と変わらぬ姿のおれと……すでに先立ってしまった仲間たちの姿が写っていた。


「おやっさん……ミドリさん……ナガレ……今日、助けた子供に化け物だと言われてしまったよ」


 どうか彼らの居るところまで届いてくれと願いながら、言葉を紡ぎ出す。


「コブラを壊滅させて、もう四九年か……。

 あの後、世界中を歩いてみたけど、どうにもおれの居場所は見つからなかったな」


 人間としてのおれは、コブラに拉致されたあの日死んだ。

 それ以来、おれは戸籍を始めとする全ての社会性を断たれたのである。

 だから戦いを終えた後、引き留めようとする仲間たちに別れを告げて旅に出た。

 きっと、世界のどこかには居場所があるのだと信じて……。

 なんとも青臭い話だ。

 そんなものあるわけないって、本当は気づいていただろうに。


「どうにか、人助けにこの力を使えないかと考えたりもした。

 でも無理だった。

 世界中に溢れる悪意や争いは、あくまで人間の力で解決しなきゃならないものだと思い知らされたよ」


 異形の力は、どこまで行っても異形の力でしかない。

 いかに悪人の類であろうと、これを人間相手に振るうことは結局、コブラのやろうとしていたことと変わらないのだ。

 おれはいくつかの経験から、それを知った。


「できるのはせいぜい、交通事故から子供を救うことくらいだ。

 まあ、それで化け物呼ばわりされて傷ついて……こんなところで愚痴を言っているわけだけども」


 天を仰ぐ。

 仰ぎながら、かつての記憶を思い起こした。


「テラースパイダー……ヘルスコーピオン……ブロンズケタロス……シルバーヘラクス……大首領コブラ……奴らと戦っている時は、自分が許されている気がした」


 この拳で、あるいは蹴りで倒した改造人間たちの姿が脳裏にひらめく。


「こいつらを放っておいてはいけない、世界征服の野望を果たさせてはならない。

 そのためにならおれは存在してもいい。

 ……この力を振るってもいいってね」


 写真を懐にしまいこむ。


「おれは演者として、与えられた役割を果たした。

 だから、この舞台に居場所がなくなったんだろうな。

 ……そして、次の舞台はない」


 そこまで呟いた、瞬間である。

 声が、脳裏に響いた。

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